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迷宮探究編

44.行ってらっしゃい

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 前の夜のことは、あんまり覚えてない。
 だってあんまり夢見心地だったから。
 たらふく食べて、たらふく飲んで。
 たぶん、そんなことがあった気がする。
 起きたらいつもとは違う景色で、リコリスちゃんの甘い匂いが残っていた。
 寝ぼけ眼で誰もいない部屋を見渡して、私は慌ててベッドから飛び降りた。



 ――――――――



「くあぁ…ねっみ」

 朝靄が立ち込める時間。
 私は大きなあくびを一つ。眠い目を擦った。

「何もこんなに朝早く出発しなくても」
「本当よ。ただでさえ昨日は寝るのが遅かったんだから」

 寝るのが遅かったのは貴様らが寝かせてくれなかったからだが?

「だって王都も屋敷もめっちゃ居心地いいんだもん。今だーってタイミングで出ないと居座っちゃうだろ」
「己の心を律するというわけですね。さすがリコリスさんです」
「あー、うん。それ。そんな感じ」
「盲信も程々にせぬと付け上がるんじゃぞ」
「みんな忘れ物はありませんね?」
「大丈夫だよー!」
「バッチリです!」
「いざ別れの時となると、やっぱり寂しいものですね」

 カーディガンを羽織ったサリーナちゃんの頭に手を置いて笑いかける。

「また会いに来るよ。いい女になって待ってて」
「逐一言動がカッコいいですねリコリスさんは…。根暗陰気な師匠が惚れるわけですよ」
「シッシッシ。サリーナちゃんも惚れていいんだぜ?♡」
「そうですね…私、リコリスさんのことは好きですけど、ちょっとだけ嫌いでもありますから」
「嘘だろ?!!泣くよ?!!なんで?!!」

 サリーナちゃんはおでこの傷をさすってイタズラっぽく笑った。

「さあ、なんででしょう。フフ、旅の無事をお祈りします」
「…お、おー。孤児院のみんなにもよろしくね」

 さて、名残惜しくもそろそろ行くかと屋敷に振り返ると、玄関の扉が爆発したように勢いよく開けられた。

「ま、待って…!待って…あゔ!!」

 エヴァが慌てた様子で飛び出てきて、足をもつれさせて前のめりに転ぶ。
 駆け寄ろうとするより早く、エヴァは自分で身体を起こした。
 転んだ表紙に鼻を打ったのだろう、血を垂らして荒らげた息のまま声を出す。

「あ、あの…あ、あり…ありがとう…ございました…!」
「エヴァ?」 
「リコリスちゃんたちと、で、出逢ったこの一週間…ずっと…今まで生きてきた中で、一番楽しかったです。迷宮ダンジョンは怖かったし…いっぱい痛い思いもしたけど…わ、私を必要としてくれて…頼ってくれて…カッコいいって言ってくれて…。すごく、すごく嬉しかったです!」

 スカートの裾をギュッと握り締めて。
 エヴァはいつもよりたどたどしく、けれど熱く言葉を紡いだ。

「こんな私にも…何か一つ誇れるものがあるって知りました…。これからの人生…す、少しは上を向いて生きられるかもなんて…そしたら少しはチヤホヤされたり…ヘヘ、あっすみません変な笑い…。だから、自信を持っていいって教えてくれたのはリコリスちゃんで…だから、その、えっと…どうかお元気で…?あれ、違う…私のこと忘れないで…じゃなくて…つまり…」

 ぽたり
 鼻血。それから大粒の涙が落ちた。

「行かないで…」

 今まで泳がせていた視線をまっすぐに。
 ポロポロと泣きながら。

「リコリスちゃんと離れたくない…。ずっと…一緒にいたいです…。置いて行かないでなんて、私なんかが言っていいことじゃないのはわかってるけど…リコリスちゃんを好きな人がたくさんいるのもわかってるけど…それでも…それでもリコリスちゃんが好きだから…!大好きだから…!」

 今にも崩れ落ちてしまいそうなくらい震えた脚。
 止まることを知らない涙。
 それでも必死に。

「私は…根暗で…陰気で…日の光には弱いしメンタルもクソ雑魚だけど…この気持ちにだけは嘘をつきたくない…!」

 胸いっぱいに空気を吸って叫んだ。

「どうか私を…リコリスちゃんの隣にいさせてください!!」

 初めて聞いたエヴァの大きな声に、私は一瞬呆気に取られた。
 言葉の意味が理解出来なかったのも過分にある。
 だって、エヴァは思っていたから。
 惚れた女を置いていくわけあるかって、見くびるなって、むしろキレそうだったけど。
 エヴァもおんなじ気持ちなら、とやかく言うことなんか無い。
 好きって気持ちには、それ以上の好きで応えるだけだろ。
 私は笑って手を差し伸べた。

「行こうぜ」

 余計な言葉はもちろん、涙も泣き顔も私たちには似合わない。
 エヴァは乱暴に顔を拭って、私の胸へと飛び込んできた。
 あったかい。確かなぬくもりを覚えながら、そっとエヴァを抱き締める。
 まあ、

「ぁ、待っ、ずみ゛ま…ぉぼろろろろろろろ!!」

 あったかいのは胃とナイアガラ直結してんの?ってレベルで吐き散らしたからなんだけどね☆



 ――――――――



 死にたい。
 昨日の飲み過ぎと緊張で粗相するなんて…しかもリコリスちゃんに直接ぶっかけとか…全財産…いや首を差し出そう…
 リコリスちゃんは笑って赦してくれたけど、なんで私はこう…
 落ち込む私を、サリーナはこれ以上ないくらいお腹を抱えて笑った。

「プッ、アッハハハハ!もう師匠ってば本当にダメダメなんですから。しっかりしなきゃですよ。リコリスさんの隣にいるんでしょう?」

 【空間魔法】から荷物を取り出す。
 私の…まとめておいてくれたんだ…

「最初からついて行くつもりのくせに、なんの準備もしないんですから。弟子の私は最後まで苦労させられっぱなしでしたよ」
「あ、ぅ…」
「朝は自分で起きないし、ほっとくとご飯は食べないし、洗濯物は溜めるし、掃除はしないし、外に出ようとすらしないし、知らない人に声をかけられると失神するし」
「いや、あの、そのくらいで…」
「ま、それもしばらくの間はお休みってことで。師匠、私がいなくても大丈夫ですか?」
「あ、と…が、頑張る」
「はい、頑張ってください。師匠が人一倍頑張り屋さんなのは、弟子の私が一番知ってますから」

 サリーナは目尻に薄っすらと透明な雫を浮かばせた。

「ダメダメな師匠でも、いなくなっちゃうのは正直寂しいです。でもそれ以上に誇らしいです。すごい人に見初められて、傍にいることを許されて。みんなに自慢します。どうだ、私の師匠はすごいだろって。だから……また、また…絶対…戻ってきてください…」

 それまで堪えてたんだろうくらい、サリーナは泣いた。
 年相応の子どもらしく。
 えんえんと。
 延々と。

「ゴメ、なざい…笑って送り出そうって、決めてたのに…こんな…。行っちゃヤダってワガママ言わないって…師匠を連れて行っちゃうリコリスさんなんて嫌いって…師匠は、私の師匠なのに…うわあああ!うああああああん!!」

 初めて見るサリーナに戸惑う私の背中を、リコリスちゃんがポンと叩く。
 私はリコリスちゃんみたいには出来ない。
 だけどせめて格好良く、しばしの別れを飾ろう。
 だって私はサリーナの師匠なんだから。
 
「サリーナ」
「ひぐっ、ぐしゅっ…はいっ!」
「留守を頼んでゃ」

 あ゛ーーーー噛んだーーーーーーーーーーーー!!!!!
 なんで私は…なんで私は…なんで私はぁ…!!
 いつもいつも肝心なところで…!!

「師匠」

 サリーナは呆れて、だけど泣いて、笑って。

「行ってらっしゃい」

 弟子らしく私を送った。
 不甲斐ない師匠で、私は君に何を教えてあげられただろうとか、余計なことが頭の中を駆け巡った。
 次に会うときはもう少しだけまともな師匠になっていられたらいいと思う。ううん、なるよ絶対。
 まっすぐ腕を伸ばし、ピンと親指を立てる。
 だから待ってて。
 この街で、おかえりって言ってくれる…私の大好きな大好きな弟子へ。
 行ってきます。



 ――――――――



 その日、王国に一人の大賢者が誕生した。
 長い銀色の髪が美しい女の子。
 凛とした眼差しと纏う空気が、周囲を凍てつかしてしまいそうだと思ったのを覚えてる。
 しろがね…そんな二つ名を与えられた彼女を人々は称えたけれど、私は知っている。
 ほんの昨日。
 本当はもう一人、この街に大賢者が生まれたていたことを。
 これは私サリーナが、まだレストレイズ姓を名乗る前の話。
 エヴァ=ベリーディースと出逢った他愛もない話だ。



「サリーナ、洗濯物を干すのをお願い出来ますか?」
「はい、院長先生」

 8歳の時分。
 当時のサリュミエール孤児院は、今と変わらず貧困ではあったけれど、今ほど子どもの数は多くなかった。
 私が一番歳上で、10にも満たない私が、お手伝いに駆り出されることは珍しいことじゃなかった。
 特に私は魔力マナが微弱ながら、【空間魔法】という珍しく便利な魔法を使えたから。
 その日はやけに街が騒がしかった。
 道を行く人の話を聞くと、大賢者襲名のパレードなるものを催しているらしい。
 
「パレードかぁ…大賢者なんて、きっとすごい魔法使いなんだろうな…」

 でも私には関係ない。
 約1.5メートルの柵の向こう。
 私は外の世界に対して、特に関心という関心を持ってはいなかった。
 あの人に会うまでは。

「ふぐぅぅぅぅ…」

 その人は、路地裏に面する孤児院の角で膝を抱えて泣いていた。
 魔物…?それが初めて彼女を見た感想。
 だってこんなにジメジメした人は初めて見たから。
 誰?と思うより怖いが勝ったのを覚えてる。
 だから当時の私が話しかけたのは、もしかしたら一種の気の迷い的なものだったのかもしれない。

「大丈夫ですか?」
「ひいいいい!」

 私より怖がられたのがショックだったっけ。

「へ、あ…だ、誰?」
「この孤児院でお世話になってる、サリーナと言います。お姉さんは?」
「え、えと、あの」
「怪しい人なら院長先生を呼びますよ」
「怪しくないです!こここ、これでも一応学園に通ってるれっきとしたアレで…」
「学園…」

 ナインブレイド第一学園。知ってる。
 よく孤児院の前を、同じ制服を着た子どもたちが通るから。
 キラキラしててカッコいいなって、いつも思ってたから。
 よく見るとこのお姉さんも制服を着ている。
 髪が長すぎてわからなかった。

「ちょ、ちょっと悲しいことがあって…それでここ人が少ないところで…ご、ごめんなさい…すぐにどこか行きます…」
「あ」
「じゃ、じゃあ…エヘヘ…」
「危ない!」
「ごがっ!!」

 お姉さんは立ち上がるときに髪を踏んでて、思いっきり首がゴキッてなった。

「お、お姉さん?!大丈夫ですか?!」
「だ、大丈夫…です…。うう、ハゲるかと思った…」
「髪より首の心配をした方がいいんじゃ…って、あ…行っちゃった…」

 変な人だったな…
 あ、早く洗濯物を干さなきゃ。 
  
「あれ?」

 ふと、足元に置いていた籠の中身が、全部縄にかかっているのに気が付いた。
 誰かやって…そんなはず…
 だってここには…

「…?……??」

 風で飛ばされた…?
 わからないから、私は首を傾げるばかりだった。



 次の日も、お姉さんは同じ場所でうずくまっていた。

「あの…」
「ビクッ?!!」
「えっと、今日はどうしたんですか?」
「あ、あの…お昼ご飯どこかに落としちゃって…。あと財布も落とすし、鞄も落とすし…ううぅ…」

 この人は…なんというか、可哀想な人なのかもしれない。
 人と人とは助け合うべきだって院長先生も言ってるし…

「あの、これ」
「パン…?」
「私のお昼の残りなんですけど…よかったら…」
「い、いいいいいいです…!食べるのに困ってるわけじゃなくて…!」
「私のことなら心配要りませんよ。どうぞ」

 【空間魔法】を使って、手が通らない柵を越えてお姉さんにパンを渡す。

「【空間魔法】…魔法使い?」
「一応。学園には通ってませんけど」
「えと…こんなに珍しい魔法が使えるのに…」
「私は小さなものを取り出せるくらいのことしか出来ませんから…。それに見ての通り孤児院暮らしですし」
「しょ、奨学金制度とか、あ、あります、よ。よかったら推薦とか…」
「私が孤児院を出たら、小さな子たちの面倒を見る人が減っちゃうでしょ?だからいいんです。それにお姉さんただの生徒さんでしょ?推薦なんて出来もしないこと、言っちゃダメなんですよ?」
「グハッ…!ただの、生徒…」

 変なこと言ったかな?
 お姉さんはその場に血を吐いて倒れた。



 次の日もお姉さんは来た。というか居た。
 図書館で本を読んでただけなのに、図書館で死んだ女子生徒の悪霊が出る、なんて七不思議扱いにされたって落ち込んでた。
 次の日は犬に"お手"を要求されたって。
 またその次の日は公園で寝てたら死体遺棄だって衛兵を呼ばれたって。

「お姉さんってつくづく不運…というか、ダメな人なんですね」
「ふグゥッ!!!」

 何度も話している内、私はお姉さんに対して態度を砕けさせていた。
 お姉さんが何も言わないのもあったけど。

「それでお姉さん、なんでいつもここで落ち込むんですか?」
「こ、ここ、隅っこで…日陰で、誰も来なくて落ち着くし…それに」
「それに?」
「こ、子どもたちの元気な声が聴こえてきて…楽しい気分になれるから…」

 そんな顔には見えないけど。
 
「あ、そうだ…これ、この前のパンのお礼…」
「そんな、わざわざいいですよ…………なんですかこれ?彫刻?」
「お、オークの彫刻…なんだけど…」

 魔物?なんで?
 いやでもかなり上手い…?
 街ではこんなのを売ってるのかな。

「私が、その…作ったんだけど…」
「これを?!!え、すごい!!お姉さん器用なんですね!!」
「ひいい大きな声怖い!!」
「あ、つい…。え、でも本当にすごい…。学園だとこんなことも教わるんですか?」
「え?い、いやそんなわけじゃ…」
「あの、お姉さん。学園って楽しいですか?」

 言ってから、これはもしかして酷いことを訊いたかなって後悔した。
 だってお姉さんはいつも落ち込んでるから。
 けれど、

「た、楽しいですよ…」

 お姉さんはそう言った。

「入学して何年も経つのにクラスメイトに名前を覚えてもらえてなかったり…同調圧力と戦ったり、明るい空気には胃が悲鳴を上げることも多いですけど…が、学園は、こんな私でも受け入れてくれますから…。そ、それに私、じつはちょっとすごい魔法使いだったりしますし…ヘヘヘ」
「そう、ですか…」
「あ、の…やっぱり学園に通いたいですか?」
「……学園に通う私は想像も出来ないです。でも、外の世界がどうなってるのかは知りたいって思います」

 お姉さんは、なんだか不思議な雰囲気を持ってる。
 聞き上手なわけじゃない。だけど、話すのは孤児院の子たちや院長先生と話してるより楽な気持ちになる。
 なんでかはわからない。
 私はハッと、お姉さんに頭を下げた。
  
「ご、ごめんなさい!なんか変なこと言っちゃって…」
「ぜ、全然…変じゃない、と思います」
「へ?」
「だ、誰だって…違う自分、違う世界に憧れる…。頭の中でそんな自分を妄想する…。そ、それは…人が変化を求めるから…こその、ある種の渇望…。魔物が、環境に適応して進化する…みたいなことで…」

 お姉さんの言ってることは難しく、またたどたどしくて上手く聞き取れなかった。
 でも今…初めて、長く見つめ合ってた。
 綺麗な瑠璃色の眼に、私は吸い込まれそうになった。
 しばらくしてから、お姉さんは顔を真っ赤にした後、真っ青になって吐いた。

「おえええええええ!!」

 人と喋るのも、目を見るのも苦手らしい。
 こんなので本当に学園に通えているのかな。



 次の日、お姉さんは来なかった。
 と思ったらその次の日は来た。
 来たり来なかったり、そんな日が何日か続いた。
 あのお姉さんにも落ち込むことが無い日もあるだろう…って思ってたんだけど、本人曰く。

「最近まも…えと、い、忙しくて…」

 ってことらしい。
 そして、とある日のこと。

「明日、孤児院のみんなでピクニックに行くんですよ」

 月に一度、院長先生引率で近くの丘までお散歩に行く。
 お弁当と、心ばかりのお菓子を持って。
 
「へ、へえ…いいね…」
「お姉さんも一緒に来ますか?院長先生、きっと許してくれると思いますよ」
「む、無理…無理です…。知らない子たちと一緒なんて…怖がられて気絶されて衛兵呼ばれて獄中で孤独死しちゃう…」

 お姉さんは被害妄想も激しい。
 来てほしくて誘ったんだけどな。

「ど、どこに行くん…ですか?」
「近くの丘までです」
「あ…」
「どうかしましたか?」
「い、いえ、なんでもないです…。き、気を付けてくださいね…」

 楽しんできてください、じゃなくて?
 子どもたちを見なきゃいけないから、それは気を付けますけど…って。遠足当日、私はお姉さんの注意を話半分に流したことを後悔した。



 晴れた気持ちの良い日、私たちはウキウキで王都を出た。
 小さな子の手を引いて、歌を歌いながら陽気に。

「さあさあ皆さん。着きましたよ」

 丘の上に到着するなり、子どもたちは脇目も振らず遊んだ。
 そこかしこを走り回ったり、花の冠を編んだり。
 孤児院の庭や近所の広場で遊んでいるときより、みんなずっと楽しそう。
 楽しそうにしてた。
 
「きゃああああ!」

 魔物が現れるまでは。
 
「ガァァァァ!!」

 大きな猿の魔物…タイラントエイプ。
 図鑑に載ってたから覚えてる。
 凶暴で何にでも襲いかかる怖い魔物。
 院長先生は逃げてと大きな声で叫ぶけど、本人が一番わかってたと思う。
 他に大人もいなくて、戦う手段も無い。
 肝心の魔法を使える私でも、みんなを遠くまで逃がす魔法は使えない。
 怖い……ううん、そんな気持ちすら湧かなかった。
 せめて一人でも逃がそうって、必死になった。

「こっちだ!」

 石を投げて魔物をこっちに向かせる。
 【空間魔法】を使って、直前に方向を変えて撹乱する。
 その間に院長先生が子どもたちを連れて行ってくれればって…けどそんなのは子どもの浅知恵で、何の足止めにもならないと思い知らされた。
 魔物は遊ぶように指で石を弾き返して、返ってきた石が私の頭に当たった。
 痛い…服と地面に赤いのが垂れて、私はその場に倒れた。

「サリーナ!!」

 院長先生の声。
 閉じかけた視界に映ったのは、魔物が拳を振りかぶる死の光景。
 そして、

「ガァッ?!!」

 真横から強烈な蹴りを食らわせられ、魔物が吹き飛ぶ瞬間。
 颯爽と現れて風に髪を靡かせる、あのお姉さんの姿だった。

「大丈夫…ですか…?」

 心配そうに覗き込む目と、私の手を包み込む手のあたたかさ。 
 薄れゆく意識の中でもハッキリとお姉さんの存在を認識した。

「待ってて…すぐに、終わらせます」

 あんなに頼りなさそうなのに。
 あんなにひ弱そうなのに。
 お姉さんは毅然と……いや、毅然とはしてなかったかな。
 だけどまっすぐ、魔物に向かっていった。
 魔物相手にも力負けしない力と速さ。
 お姉さんは何回殴られても、構わず攻撃を続け、手のひらに魔力マナを集めた。
 それは重く暗く澄んだ黒色…お姉さんの色の魔法。

重力核グラビティコア

 真っ黒な魔力マナの塊を叩きつけられて、魔物は地面に大きく空いた穴の中で息絶えた。
 衝撃で花が舞って、その中心で風を浴びるお姉さんが、本当にキレイで…カッコよくて…
 その光景を最後に、私は意識を失った。



 目覚めたときは孤児院のベッドの上で、私は丸一日気を失っていたらしい。
 院長先生が付きっきりで看病してくれてたのを後から聞いた。
 頭の傷は一週間くらいで治ったけど、痕は残るんだって。
 高いポーションなら治るかもしれないのにと、院長先生は泣いて謝ったけど…これでいい。
 これは私が戦った証だから。

「こんにちは」
「こ、こんにちは…」

 いつもの場所にいる気がして、そしたら本当にいた。

「け、怪我の具合は…」
「もうなんともないです」
「ゴメン、なさい…。私がもっと早く到着してたら…」

 お姉さん曰く、何日も前からあの辺の魔物の調査を依頼されてて、全ての魔物を討伐したはずだったらしい。
 心配で様子を見に来たら案の定…と。
 
「お姉さんのせいじゃありません。お姉さんがいなかったらどうなってたか…。私、そのときのことは薄っすらとしか覚えてないんですけど、お姉さんはすごく…すごくカッコよかったです」
「か、カッコいい…ヘヘ、ヘヘヘ…。そ、それほどでもあるかな…」

 わかりやすく調子に乗ってしまうタイプでもあるらしい。
 
「お姉さん、すごい魔法使いだったんですね。そういえば…まだ名前…」
「あ、っと…エ、エヴァ……エヴァ=ベリーディース…。奈落の大賢者、です」
「奈落の大賢者…」

 大賢者。
 世界にたった数人しかいない魔法使いの頂点。
 あの銀色の女の子とは違う大賢者。

「信じられません」
「ぅぐ!!」
「だって地味だし暗いし、なんていうか華がないです」
「ぁ…け、結構ちゃんと傷付けるね…」
「でも、すごい魔法使いだって思ったのは本当です。私も…私もいつか、エヴァさんみたいな魔法使いになれるでしょうか」
「さ、さあ…」
「いや、なれるよとか後押ししてくれたりしないんですね…」
「ゴメンなさい…口下手で…。で、でも、あの…なりたいと思えば、なれる努力をすれば、きっと応えてくれると思い…ます」

 憧れるだけじゃダメだ。
 外の世界を知るには、自分から一歩を踏み出さないと。

「あの…エヴァさん。私を――――」
「あの、もしよかったらなんですけど…」
「エヴァさんの弟子にしてくれませんか?」
「私が魔法を教えましょうか?」
「「……ほへ?」」

 一瞬、私たちの時が止まった。

「いや、あの…エヴァさん以外に魔法を使える人って知りませんし…エヴァさんすごい人だし、そんな人に弟子入り出来たらいいなって思って…」
「【空間魔法】って、わ、私の魔法の分野に共通する点もあるし…す、少しは力になってあげられるかなって…」

 この人は口下手だ。
 けど、私もそうだったらしい。
 私たちはお互いに仲良くなりたかったんだって考えたら、なんだから無性におかしくなって笑ってしまった。

「末永くよろしくお願いします、師匠」

 これは私サリーナが、まだレストレイズ姓を名乗る前の話。
 奈落の大賢者に弟子入りして、私が宮廷魔法使いになるに至ったきっかけ。
 エヴァ=ベリーディースと出逢った他愛もない話で…どこにでもあるような、私の初恋の話だ。
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