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王国漫遊編

幕間:奴隷×暗殺者

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 シトシト
 雨が降る音。
 カラカラ
 馬車の車輪が回る音。
 ジャラン
 鎖が擦れる音。
 トサッ
 震える少女の隣で倒れる、名前も知らない誰か。

「チッ、また一匹ダメになったか」

 男は馬車を停めると、檻の鍵を開けて倒れたその子どもを谷底に投げ捨てた。
 ぎゅうぎゅう詰めの荷台の中が、ほんの少しだけ広くなる。
 隅に座る少女は唇を結び、虚ろな目で涙を流した。
 声を出すと殴られるから。
 残飯にも劣る餌すらもらえなくなるから。

「大丈夫だよ」

 声が漏れそうになった少女の手を、隣の少女がそっと握った。

「嫌なことの後には、絶対良いことがあるから」
「良いこと…?」
「うん。いつかきっと」

 きっと、きっと、と。
 垢と雨の匂いの中、曇天の向こうの神様に祈りを捧げた。
 


 ――――――――



 仕事に楽しいもおもしろいも感じたことはない。
 仕事が好きかと問われれば、私は首を縦に振らなければならない。
 そういう風に育てられたから。
 殺されたくない誰かを殺して、自分を殺して殺す。
 それしか生き方を知らないから。

「ねえシャーリーちゃん」
「ねえねえってばシャーリーちゃん」

 雨の中、虚空を見つめていた私の意識を、横の小さな双子が呼び戻す。

「なんですか?ヒナナ、ヨルル」
「もうっ、ボーッとしてたらお仕事失敗しちゃうんだよ」
「失敗しちゃったらクオンが怒るんだよ」
「フフ、そうですね」

 失敗…今までに一度も仕事を仕損じたことはなかった。
 エルフを二人始末して小金をもらうだけの簡単な仕事だったはずだった。
 それを邪魔したのは、とある冒険者だ。
 酷く鮮烈な印象を植え付けられた赤い髪の女性。
 リコリス=ラプラスハート。
 私が初めて、殺せなかった人。

「ちゃんとやりますとも。仕事ですから」

 初めての失敗で、私はギルドの下っ端を百以上と、金払いのいいパトロンを失った。
 失態についてはどうでもよく、個人的に思うところは無い。
 けれど失態は失態ということで、名誉挽回の機会を与えられた。

「来たよ来たよ」
「獲物が来たよ」

 今回の獲物は積み荷を運ぶ商隊。
 それに偽装した奴隷商人と、警護している盗賊の一味。
 崖道を行く馬車の積み荷には、ボロを纏い鎖に繋がれた奴隷たち。
 無論、正義の味方として彼らを殺すわけじゃない。それはそれで笑える冗談だけども。
 端的に、あの一味がさる貴族と繋がっており、奴隷売買によって財を増やしているのだけど、それを良く思わない相手側から依頼を受けた。
 この"良く思わない"とは違法な奴隷売買に関与していることではなく、それによって私腹を肥やしていることについてなのだから、どちらも醜さで言えば豚にも劣る。
 尤も豚にも劣る暗殺者私たちに説法を説く権利も義理も無く、怨恨なのか嫉妬なのかも別段重要ではない。
 暗殺者ギルド私たちは報酬さえもらえれば、依頼主も背景もどうでもいいのだから。
 そう、一人の人間にこだわることの方が異常だ。
 今の私のように。



「ひいぃ!!」
「や、やめ…ぐぁっ!!」
「ひぎぃ!!」
「ぐぼぁ!!」

 耳障りな汚い断末魔。
 雨に混じる臭い血の匂い。
 仕事はスムーズに終わり、一味は数分とかからず全滅した。

「えっへん、ヒナナの方が多く殺したよ」
「違うよ違うよ。ヨルルの方が多かったもん」

 返り血を拭い積み荷を覗く。
 檻の中は混沌としていた。
 垢の嫌な匂いの中で恐怖に慄く者、衰弱し今にもこと切れそうな者とが入り混じる。
 そんな中、二人の子どもが固く手を握り合っていた。
 片方に至っては、射殺すような目で私を睨んでくる。
 今にも飛び掛かってきそうな獣の目で。
 
「心配しなくても殺したりしませんよ。依頼に無いことは範疇外です」

 私はナイフで檻の鍵を壊した。

「いつになるかはわかりませんが、いずれ誰かはここを通るでしょう。それが衛兵なのか、別の盗賊か奴隷商か、はたまたただの善人なのかは運次第でしょうけど」

 開いた檻の中で、奴隷たちは神様でも現れたかのような眼差しを向けてくる。
 もし私がそうなのだとしたら、としてとっくにこれらを殺しているというのに。
 煩わしい。

「私たちに助けを求めても無駄です。恨みつらみを返してやりたい、誰でもいいから八つ当たりがしたい、生きるのが嫌だというなら、それを叶える手伝いはしますが。生きたいというなら、自分の足で立ち上がりなさい」

 暗殺者が何を善人の真似事を。
 ああ可笑しい。
 奇妖おかしくなった。
 あの人に出逢ってから。

「ああ本当に、おかしいったらありません」



 ――――――――



 雨と血で濡れた灰色の女は、檻の鍵を壊すと奴隷に言い残し、強くなった雨に紛れてどこかへ行ってしまった。
 馬車の外に命は無く、死んだ男の懐から鍵を取って錠を外した。
 久しく触れていなかった自由に涙する者も少なくはなかった。
 ただ、少女は幼いながら直感した。
 このまま助けを求めても、誰も来ないと。
 不安からの消極的な考えではあったが、それは正しかった。
 少女たちは犯罪奴隷とは異なる、違法な方法で奴隷に落とされた身。
 必然、輸送には人目に付かないルートが選ばれる。
 加えてこの雨。助けを待つのはただの自殺行為であった。

「このままじゃ、みんな死んじゃうよ」

 元より希望は無いと、奴隷たちは馬車から出てこない。
 少女の言葉に耳を貸したのは一人だけ。
 言葉は発しないが、震える手で服を掴んでいる。
 少女は落ちていた剣を拾い上げると、ゾクッと背すじを震わせた。
 このままここに居ちゃダメだ。
 嫌な予感がすると。

「はやく…みんな早くここから離れて!」

 だがまたも誰も耳を貸さない。
 荷物を漁る暇も無くすぐ馬車から離れた。
 そのほんの僅か数秒後のこと。

「!」

 ガラッと崖が崩れ落ち、残った奴隷は馬車共々土石流に呑み込まれてしまった。
 もう少し遅ければと、少女たちはゾッとした。
 これでもう、後戻りは出来ない。
 二人ぼっちの少女は手を繋ぎ、互いのぬくもりを頼りに冷たい雨の中を進んだ。
 生きたい、生きたい。
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