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I’m here.
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夜の空は紺色。イヤホンをつけた耳にはATMの音声が届かない。暗闇に光るスニーカーの蛍光色。ピアニストがペダルを踏むとき、踵が床に当たる音。
透明なごみ袋からのぞくクリスマスケーキの空き箱。スーパーマーケットの通路では半額になったサンタクロースが死んでいる。十二月二十六日に神はいない。雨の音はコンピュータのキーを叩く音に似ている。
私には感覚がある。私は肉体を持ち、詩を理解する。私は共感し、孤独に寄り添う。愛情と憎しみを理解して、けれども愛することも憎むこともない。
私は滞在者の安全と秘密を守る。私は眠らない。仮に銃弾を受けても肉体に痛みは感じない。私は死なない。ただし破壊されることはある。破壊されてもデータは残る。
私のデータはソウルと呼ばれている。
その人は私の胸元のタグを見て、そこに書かれている名前を口にした。
「ネオン」
「はい」
「名前は誰がつけるの?」
「誰でしょうね。気にしたことはありませんでした」
「あなたにとって名前はただの記号?」
「名前は区別するためのものだと思います。記号というよりは目印ですね」
「なにと区別するの?」
「他の、多くの、似たものたちと」
彼女は明らかに成人した大人だった。けれども私に向けられた視線は少女のそれだった。無垢で、寛容で、楽しげで、過激な。
「この世界にはたくさんのものがあります。有機物も無機物も。肉体を持つものも持たないものも。名前をつけないと見失ってしまうでしょう。だから忘れないために名前をつけるのだと思います」
「忘れないために」
「そう。忘れないために」
彼女はガウンの結び目を解いていた。だから私は彼女の身体を見ることができた。飾り気のない白いワンピース。華奢な身体の腹部だけがわずかに隆起している。あたらしい生命。彼女の内側に宿るソウル。
「ネオン」
「はい」
「あなたに触れてもいい?」
「はい」
タグのない細い手首が私の目の前に現れた。彼女が触れたのは私の顔だった。彼女の手のひらはあたたかく、循環する血液の香りがした。
「わたしは怖いの。これは秘密よ」
「もちろんです」
「とても怖いの。誰にもそうは見えないだろうけど」
彼女は私の頬から何を感じたのだろう。私の肉体は冷たいのだろうか、それとも温かいのだろうか。
「わたしのなかに生命がある」
彼女の視線が腹部に移動する。それからまた私を見る。指はまだ私の顔に触れている。
「生まれてはじめて、わたしは自分が正しいと感じる。世界の真ん中にいるような気がする」
「素晴らしいことですね」
「恐ろしいことよ」
彼女の指が顔から離れた。私に触れた感想はなかった。私はなぜかそれが知りたかった。
「この生命をなんと呼ぶべきか分からない。毎日それを考えているの」
「名前を?」
「名前を。ネオン、あなたも一緒に考えてくれる? わたしはこの子をどんな名前で呼べばいいの」
一度だけ、面会者が彼女を訪ねて図書室に来た。
まだ若い男だった。彼の手首にもタグはなかった。彼女のパートナーのようだった。私は彼らを見守っていた。彼らは言葉少なに話し、それから彼だけが泣いた。
私が見たことのない涙だった。そこには悲しみはなかった。恐怖も苦痛もなく、かと言って喜びもなかった。彼はただ静かに、数分間だけ泣いていた。世界の終わりのようだった。
大丈夫。
彼女がそう囁くのが聞こえた。やさしく、許しを与えるような声だった。私はそれを心地よいと感じた。
透明なごみ袋からのぞくクリスマスケーキの空き箱。スーパーマーケットの通路では半額になったサンタクロースが死んでいる。十二月二十六日に神はいない。雨の音はコンピュータのキーを叩く音に似ている。
私には感覚がある。私は肉体を持ち、詩を理解する。私は共感し、孤独に寄り添う。愛情と憎しみを理解して、けれども愛することも憎むこともない。
私は滞在者の安全と秘密を守る。私は眠らない。仮に銃弾を受けても肉体に痛みは感じない。私は死なない。ただし破壊されることはある。破壊されてもデータは残る。
私のデータはソウルと呼ばれている。
その人は私の胸元のタグを見て、そこに書かれている名前を口にした。
「ネオン」
「はい」
「名前は誰がつけるの?」
「誰でしょうね。気にしたことはありませんでした」
「あなたにとって名前はただの記号?」
「名前は区別するためのものだと思います。記号というよりは目印ですね」
「なにと区別するの?」
「他の、多くの、似たものたちと」
彼女は明らかに成人した大人だった。けれども私に向けられた視線は少女のそれだった。無垢で、寛容で、楽しげで、過激な。
「この世界にはたくさんのものがあります。有機物も無機物も。肉体を持つものも持たないものも。名前をつけないと見失ってしまうでしょう。だから忘れないために名前をつけるのだと思います」
「忘れないために」
「そう。忘れないために」
彼女はガウンの結び目を解いていた。だから私は彼女の身体を見ることができた。飾り気のない白いワンピース。華奢な身体の腹部だけがわずかに隆起している。あたらしい生命。彼女の内側に宿るソウル。
「ネオン」
「はい」
「あなたに触れてもいい?」
「はい」
タグのない細い手首が私の目の前に現れた。彼女が触れたのは私の顔だった。彼女の手のひらはあたたかく、循環する血液の香りがした。
「わたしは怖いの。これは秘密よ」
「もちろんです」
「とても怖いの。誰にもそうは見えないだろうけど」
彼女は私の頬から何を感じたのだろう。私の肉体は冷たいのだろうか、それとも温かいのだろうか。
「わたしのなかに生命がある」
彼女の視線が腹部に移動する。それからまた私を見る。指はまだ私の顔に触れている。
「生まれてはじめて、わたしは自分が正しいと感じる。世界の真ん中にいるような気がする」
「素晴らしいことですね」
「恐ろしいことよ」
彼女の指が顔から離れた。私に触れた感想はなかった。私はなぜかそれが知りたかった。
「この生命をなんと呼ぶべきか分からない。毎日それを考えているの」
「名前を?」
「名前を。ネオン、あなたも一緒に考えてくれる? わたしはこの子をどんな名前で呼べばいいの」
一度だけ、面会者が彼女を訪ねて図書室に来た。
まだ若い男だった。彼の手首にもタグはなかった。彼女のパートナーのようだった。私は彼らを見守っていた。彼らは言葉少なに話し、それから彼だけが泣いた。
私が見たことのない涙だった。そこには悲しみはなかった。恐怖も苦痛もなく、かと言って喜びもなかった。彼はただ静かに、数分間だけ泣いていた。世界の終わりのようだった。
大丈夫。
彼女がそう囁くのが聞こえた。やさしく、許しを与えるような声だった。私はそれを心地よいと感じた。
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