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ヴァイオレット
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「真っ青だよ。またいやな夢みたの?」
「生まれ変わるって言ってたよな」
ヴァイオレットは分かってない。自分がおれに何をしたのかを。自分がどれくらい無意識におれを追いつめてるのかを。そしてそれはヴァイのせいじゃない。
「生まれ変わるってそういう意味だったのか。あれはお前みたいなヤツがやることじゃない。あれはそういうものじゃないんだよ」
「うん」
雨で遠足が中止になった子供。ヴァイオレットは残念そうに、だけどシンプルにそれを受け入れる。
「知ってる。あたしなんかがやったって仕方ないんだよね。あれはきれいで、優秀で、お金持ちの人たちのものだから。でもね、やりたかったんだ。どうしてもやりたかったの」
「あれはイカれたプランだし、とんでもないカネがかかるし、本当に安全なのかどうかも分からない」
「お金は貯めたし、あたしには最初から失うものなんてないんだよ」
悲壮感がない。ヴァイオレットはすべてをそのまま受け入れて抵抗しない。慣れすぎてる。命令されることに、虐げられることに、入れない場所があることに。
「言ったでしょ、ハルみたいな人には分かんないって。あたしはずっと憧れてたの。きれいで華やかで安心な生活にさ。映画女優になれるとは思わないけど、でももう一回チャンスがあれば今よりは近づけるかもしれないでしょ? 今よりはマシかもしれないでしょ? 少なくともリセットできるでしょ」
「だけどそれはお前じゃない。同じ人間じゃない」
「分かってるよ」
ヴァイは怒らない。少しだけ残念そうに笑ったまま、動揺するおれを見つめる。何一つ恥じることなく。
「ふつうは自分の子供に夢をみたりするんだよね。でもあたしはだれかの大切な人になれるタイプじゃないし、結婚したり、子供を作ったりはできない」
「分からないだろ」
「分かるよ。だからあたしがあたしを産むんだ。自分で自分を作り直すの」
困惑してるのはおれだ。ヴァイじゃない。傷ついてるのもおれだ。ヴァイじゃない。ヴァイはただ受け入れて、このクソな世界を生き続けてる。悲しんでるのは俺だ。役立たずのおれだけだ。
「お前、いくつなんだ? まだ若いだろ。なんでそんなこと断言できるんだよ」
「いくつなのか知らない。生まれちゃいけない子で親が登録しなかったから。データとか戸籍がないの」
ヴァイはどこかからやって来た。どこか、おれが知ることのできない場所から。誰にも大切にされることなく。そんな可能性を考えることもなく。
「もうDNAは登録したんだ。あとは入金」
殴りたかった。生まれてはじめて本気で人を、しかも女を殴りたいと思った。今すぐこの手でヴァイをめちゃくちゃに、顔が変わるまで、もう二度と客をとれないくらいに、殴りたかった。
衝動はあまりに強烈で、震えあがるほど恐ろしかった。ヴァイから目を逸らして拳を握りしめた。息が苦しい。ヴァイの細い首に手をかけて締めつけることを想像した。恐怖と嫌悪と興奮が同時に押し寄せてきて、思わずその場に座りこんだ。
「ハル?」
ヴァイはおれの衝動に気づかない。おれがヴァイを殺しかねないことを知らない。いや、知ってるのかもしれない。知っててそれすら気にしないのかもしれない。イカれたバカ女。お前はおれをめちゃくちゃにする。
「気分悪いの? お水持ってくるから待ってて」
立ち去ろうとしたヴァイの腕をつかんだ。傷と痣だらけの腕。子供みたいに細くて頼りない。掴んだ腕をどうすればいいのか分からなかった。床に押し倒して殴りつけるのか。それともめちゃくちゃに犯すのか。分からない。できるわけがない。そんなことがしたいんじゃない。違うんだ。
「行かないでくれ」
どこへ、なんだろう。おれは何を言ってるんだろう。ヴァイは腕を掴まれたままだ。振りほどこうとはしない。
「ここにいてくれ」
「行かないよ」
ヴァイはおれの隣に膝をつく。空いてる片手でおれに触れて髪を撫でる。動物か子供にするみたいに。
「大丈夫、どこにも行かないから」
嘘だ。おれは知ってる。お前は、お前みたいな人間は、簡単におれを置いていくんだ。傷つけられて、笑いながらそれを受け入れて、ある日突然いなくなるんだ。ハナみたいに。
「叶えてやるよ、ひとつだけ」
おれにはなにもできない。お前をそのクソッタレな人生から救うことはできない。おれは白馬の騎士じゃない。自分の人生すらコントロールできないただのクズだ。
「パーティ。クリスマスの。行ってみたいんだろ? 連れてってやるよ」
「どうやって?」
あんなものでいいのか。あんな世界が望みなのか。どこまでバカなんだ。どこまで世間知らずなんだ。おれはそこにいた。お前が夢見るサイドにいた。お前は知らないんだ。そこには安心なんてない。どこにも安全な場所なんてない。
「あのホテルはおれの父親のもので」
身体の奥底から汚水が溢れる。怒りと悲しみで濁った水。それが言葉に変わって吐き出される。
「パーティの主催者は姉なんだ」
「生まれ変わるって言ってたよな」
ヴァイオレットは分かってない。自分がおれに何をしたのかを。自分がどれくらい無意識におれを追いつめてるのかを。そしてそれはヴァイのせいじゃない。
「生まれ変わるってそういう意味だったのか。あれはお前みたいなヤツがやることじゃない。あれはそういうものじゃないんだよ」
「うん」
雨で遠足が中止になった子供。ヴァイオレットは残念そうに、だけどシンプルにそれを受け入れる。
「知ってる。あたしなんかがやったって仕方ないんだよね。あれはきれいで、優秀で、お金持ちの人たちのものだから。でもね、やりたかったんだ。どうしてもやりたかったの」
「あれはイカれたプランだし、とんでもないカネがかかるし、本当に安全なのかどうかも分からない」
「お金は貯めたし、あたしには最初から失うものなんてないんだよ」
悲壮感がない。ヴァイオレットはすべてをそのまま受け入れて抵抗しない。慣れすぎてる。命令されることに、虐げられることに、入れない場所があることに。
「言ったでしょ、ハルみたいな人には分かんないって。あたしはずっと憧れてたの。きれいで華やかで安心な生活にさ。映画女優になれるとは思わないけど、でももう一回チャンスがあれば今よりは近づけるかもしれないでしょ? 今よりはマシかもしれないでしょ? 少なくともリセットできるでしょ」
「だけどそれはお前じゃない。同じ人間じゃない」
「分かってるよ」
ヴァイは怒らない。少しだけ残念そうに笑ったまま、動揺するおれを見つめる。何一つ恥じることなく。
「ふつうは自分の子供に夢をみたりするんだよね。でもあたしはだれかの大切な人になれるタイプじゃないし、結婚したり、子供を作ったりはできない」
「分からないだろ」
「分かるよ。だからあたしがあたしを産むんだ。自分で自分を作り直すの」
困惑してるのはおれだ。ヴァイじゃない。傷ついてるのもおれだ。ヴァイじゃない。ヴァイはただ受け入れて、このクソな世界を生き続けてる。悲しんでるのは俺だ。役立たずのおれだけだ。
「お前、いくつなんだ? まだ若いだろ。なんでそんなこと断言できるんだよ」
「いくつなのか知らない。生まれちゃいけない子で親が登録しなかったから。データとか戸籍がないの」
ヴァイはどこかからやって来た。どこか、おれが知ることのできない場所から。誰にも大切にされることなく。そんな可能性を考えることもなく。
「もうDNAは登録したんだ。あとは入金」
殴りたかった。生まれてはじめて本気で人を、しかも女を殴りたいと思った。今すぐこの手でヴァイをめちゃくちゃに、顔が変わるまで、もう二度と客をとれないくらいに、殴りたかった。
衝動はあまりに強烈で、震えあがるほど恐ろしかった。ヴァイから目を逸らして拳を握りしめた。息が苦しい。ヴァイの細い首に手をかけて締めつけることを想像した。恐怖と嫌悪と興奮が同時に押し寄せてきて、思わずその場に座りこんだ。
「ハル?」
ヴァイはおれの衝動に気づかない。おれがヴァイを殺しかねないことを知らない。いや、知ってるのかもしれない。知っててそれすら気にしないのかもしれない。イカれたバカ女。お前はおれをめちゃくちゃにする。
「気分悪いの? お水持ってくるから待ってて」
立ち去ろうとしたヴァイの腕をつかんだ。傷と痣だらけの腕。子供みたいに細くて頼りない。掴んだ腕をどうすればいいのか分からなかった。床に押し倒して殴りつけるのか。それともめちゃくちゃに犯すのか。分からない。できるわけがない。そんなことがしたいんじゃない。違うんだ。
「行かないでくれ」
どこへ、なんだろう。おれは何を言ってるんだろう。ヴァイは腕を掴まれたままだ。振りほどこうとはしない。
「ここにいてくれ」
「行かないよ」
ヴァイはおれの隣に膝をつく。空いてる片手でおれに触れて髪を撫でる。動物か子供にするみたいに。
「大丈夫、どこにも行かないから」
嘘だ。おれは知ってる。お前は、お前みたいな人間は、簡単におれを置いていくんだ。傷つけられて、笑いながらそれを受け入れて、ある日突然いなくなるんだ。ハナみたいに。
「叶えてやるよ、ひとつだけ」
おれにはなにもできない。お前をそのクソッタレな人生から救うことはできない。おれは白馬の騎士じゃない。自分の人生すらコントロールできないただのクズだ。
「パーティ。クリスマスの。行ってみたいんだろ? 連れてってやるよ」
「どうやって?」
あんなものでいいのか。あんな世界が望みなのか。どこまでバカなんだ。どこまで世間知らずなんだ。おれはそこにいた。お前が夢見るサイドにいた。お前は知らないんだ。そこには安心なんてない。どこにも安全な場所なんてない。
「あのホテルはおれの父親のもので」
身体の奥底から汚水が溢れる。怒りと悲しみで濁った水。それが言葉に変わって吐き出される。
「パーティの主催者は姉なんだ」
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