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ヴァイオレット
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中庭からつづいてるグリーンのドアはいつも施錠されてなかった。
そこを使うのは住み込みのメイドのみでセキュリティの必要がなかったからだ。ドアを開けるとパントリーでそれを抜けるとリネン室だった。ハナはいつもそこでおれの父親に抱かれてた。
おれは十八歳のクソガキだった。制服のポケットに入れたままだったやばい錠剤を回収しにリネン室に忍び込んで、偶然その現場を見た。
ハナの存在は知ってた。彼女は母親のお気に入りでしょっちゅう呼びつけられてたからだ。浅黒い肌にアーモンド色の瞳。長い黒髪を清楚に束ねて、いつも母親の影みたいに存在してたハナ。おれよりは歳上だろうし成人はしてたはずだ。だけどおれの父親と恋愛するような年齢じゃなかった。
二回目の覗き見のときにハナはおれに気づいた。
ばっちり目が合って、だけどハナはそのまま行為をつづけた。その瞳は少し笑っていた。見間違いじゃない。ハナはたしかに笑ってたんだ。
ハイネス。
ハナは冗談でおれをそう呼んだ。ハイネス。殿下。そしてそれはおれのあだ名になった。ハナはこっそりおれをそう呼んだ。二人きりで会うときにはいつでも。
勤務中じゃないときハナは髪をほどいてた。そして本を読んでいた。紙の本を読む人間をはじめて見た。それは飾るものだと思ってた。おれがそう言うとハナは笑った。
ハナが好きなのは伝記だった。映画スターやどっかの国の大統領の自伝。ハナは彼らの物語を読んで、エピソードを自分の人生に組み込んだ。
「はじめて男の子にもらったプレゼントはピンク色のマニキュアで、彼はそれをドラッグストアで万引きしてきたの。それ以来わたしはピンク色がいちばん好き。自分のために犯された罪の色だから」
それはどっかのモデルのエピソードだ。ハナはそれを自分の中に取り込んで、自分の話に変えてしまう。
ハナには家族もろくな思い出もない。だから自分でカスタムするんだと説明された。ハナの話はぜんぶ架空だった。だけどなぜか真実でもあった。
「おれも入れてよ」
リネン室にいるハナを見るのが好きだった。働いたり休憩したりする姿を眺めながら、おれはとりとめのない話をしつづけた。
覗き見がバレて以来おれたちはときどきリネン室で会った。恋人同士ではないし、友達ですらなかっと思う。あえて言うなら共犯者だった。おれたちは秘密を共有してた。
「君の物語に入れてよ。面白そうだから」
ハナは笑って首をふった。否定されておれは傷ついた。たとえ冗談だとしても。
「あなたはダメ」
「なんでだよ」
「近すぎる。実際に触れられる人を架空にすることはできないんだよ」
おれはハナに触れたことはなかった。いつも一定の距離を取って偶然にでも触れてしまわないように気をつけた。触れると自分がどうなるか分からなかった。父親と同じにはなりたくなかった。
「ねぇ、ハイネス」
リネン室は洗剤とアイロンの匂いがした。室温はいつも二十五度でハナはそこでは上着を脱いでた。白いブラウス。捲り上げた袖からのぞく細い腕。室内用の黒いサンダルとストッキング。髪を束ねたときに見える耳。
「わたしはあなたに幸せでいてほしい。なにも偽らないで生きていってほしいの。そのことを知っていてね」
おれは甘やかされた十八歳で本当にただのクソガキだった。守られた世界で不満たらたらの典型的なティーンエイジャー。自分は無敵だと信じてる金持ちのドラ息子。だから分からなかった。分からなかったし救えなかった。ハナが命を絶つことを。
そこを使うのは住み込みのメイドのみでセキュリティの必要がなかったからだ。ドアを開けるとパントリーでそれを抜けるとリネン室だった。ハナはいつもそこでおれの父親に抱かれてた。
おれは十八歳のクソガキだった。制服のポケットに入れたままだったやばい錠剤を回収しにリネン室に忍び込んで、偶然その現場を見た。
ハナの存在は知ってた。彼女は母親のお気に入りでしょっちゅう呼びつけられてたからだ。浅黒い肌にアーモンド色の瞳。長い黒髪を清楚に束ねて、いつも母親の影みたいに存在してたハナ。おれよりは歳上だろうし成人はしてたはずだ。だけどおれの父親と恋愛するような年齢じゃなかった。
二回目の覗き見のときにハナはおれに気づいた。
ばっちり目が合って、だけどハナはそのまま行為をつづけた。その瞳は少し笑っていた。見間違いじゃない。ハナはたしかに笑ってたんだ。
ハイネス。
ハナは冗談でおれをそう呼んだ。ハイネス。殿下。そしてそれはおれのあだ名になった。ハナはこっそりおれをそう呼んだ。二人きりで会うときにはいつでも。
勤務中じゃないときハナは髪をほどいてた。そして本を読んでいた。紙の本を読む人間をはじめて見た。それは飾るものだと思ってた。おれがそう言うとハナは笑った。
ハナが好きなのは伝記だった。映画スターやどっかの国の大統領の自伝。ハナは彼らの物語を読んで、エピソードを自分の人生に組み込んだ。
「はじめて男の子にもらったプレゼントはピンク色のマニキュアで、彼はそれをドラッグストアで万引きしてきたの。それ以来わたしはピンク色がいちばん好き。自分のために犯された罪の色だから」
それはどっかのモデルのエピソードだ。ハナはそれを自分の中に取り込んで、自分の話に変えてしまう。
ハナには家族もろくな思い出もない。だから自分でカスタムするんだと説明された。ハナの話はぜんぶ架空だった。だけどなぜか真実でもあった。
「おれも入れてよ」
リネン室にいるハナを見るのが好きだった。働いたり休憩したりする姿を眺めながら、おれはとりとめのない話をしつづけた。
覗き見がバレて以来おれたちはときどきリネン室で会った。恋人同士ではないし、友達ですらなかっと思う。あえて言うなら共犯者だった。おれたちは秘密を共有してた。
「君の物語に入れてよ。面白そうだから」
ハナは笑って首をふった。否定されておれは傷ついた。たとえ冗談だとしても。
「あなたはダメ」
「なんでだよ」
「近すぎる。実際に触れられる人を架空にすることはできないんだよ」
おれはハナに触れたことはなかった。いつも一定の距離を取って偶然にでも触れてしまわないように気をつけた。触れると自分がどうなるか分からなかった。父親と同じにはなりたくなかった。
「ねぇ、ハイネス」
リネン室は洗剤とアイロンの匂いがした。室温はいつも二十五度でハナはそこでは上着を脱いでた。白いブラウス。捲り上げた袖からのぞく細い腕。室内用の黒いサンダルとストッキング。髪を束ねたときに見える耳。
「わたしはあなたに幸せでいてほしい。なにも偽らないで生きていってほしいの。そのことを知っていてね」
おれは甘やかされた十八歳で本当にただのクソガキだった。守られた世界で不満たらたらの典型的なティーンエイジャー。自分は無敵だと信じてる金持ちのドラ息子。だから分からなかった。分からなかったし救えなかった。ハナが命を絶つことを。
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