花橘の花嫁。〜香りに導かれし、ふたりの恋〜

伊桜らな

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第二章

◇母の形見

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『――ねぇ、さっちゃん』
 まだ、小さい私がお布団で横になっている母のそばにいた。
『なんですか?お母さま!』
 この頃、母はもう寝たきりでいつ命の灯火が消えてしまってもおかしくない状況だった時だ。そして私は何も知らない学ぶことが純粋に好きだった普通の女の子。
『さっちゃんにこれをあげるわ』
 起きるのも辛いだろうに押し入れの奥の方にあった木箱を取り出すと差し出した。
『お母さま、これはなんです?』
『これは、私のお母さん……さっちゃんにとってはお祖母様から譲り受けたものよ。これはね、とても大切なものだからみんなには内緒よ』
『お父様にも?』
『えぇ。それにね、これはきっとあなたを助けてくださるわ』
 そう言って母は微笑んだ。それに私は「わかりました」と答えて……それから一気に母は弱り亡くなってしまった。
 私は母に言われた通り、誰にも言わず隠し続けた――


 ***


 まだ外は薄暗く陽も出ていない頃。私は自然に目が覚めて体を起こした。
「あ、夢……」
 私は布団を取り、窓の方へ歩き窓掛けを開けた。まだ外は暗くて敷地内にある外灯で少しだけ明るい感じだ。部屋の灯りをつけようと思ったがつけたら他のみんなが起きてしまう気がして手を止めた。
「……けど、することないなぁ。それかお台所に行ってみようかな。何かお手伝いできることがあるかもしれないし」
 私は士貴様にいただいた淡い水色の生地に矢絣柄やがすりがらのお着物を一人で着てアイボリーの落ち着いた帯を締めた。髪を結い上げてから鏡で変じゃないか確認してから部屋を出て台所を目指した。
 台所に行くとやはりもう料理人さんはいて準備をしていたので小さい声で挨拶をしたが聞こえなかったようで反応がなかった。だから大きな声を出すためお腹に力を入れる。
「おはようございます……っ」
「……っ! え、紗梛様!? こんな時間にどうされましたか?」
「あ、お邪魔してしまってすみません。早く目が覚めたのでお手伝い出来ないかと思い、まして」
 そう言ったはいいものの、迷惑なんじゃないかと後から考えてしまい最後の方は声が小さくなってしまった。
「紗梛様ありがとうございます。本当は紗梛様にお手伝いをしてもらうなんてお断りしたいんですが……今日は一人休んでいて困っていたので、助かります。よろしくお願いいたします」
「あ、はいっ……こちらこそ、よろしくお願いします!」
 私は襷掛けをして動きやすいようにすると、料理人さんの隣に立った。
「朝の献立は、なんですか?」
「今日の朝食は和食にしたいと思いまして。だし巻き卵にほうれん草のお浸し、ゴボウのきんぴらとわかめと豆腐の味噌汁、焼き魚です」
「そうなんですね。じゃあ私は、卵焼いてもいいですか?」
「え、卵ですか?」
「はい、卵ですっ!」
 私は、最初にこの屋敷でご飯を食べた時に士貴様が卵が好きだと言っていたから……ぜひに作りたいって思った。それに櫻月邸にいた頃も作っていたし大丈夫なはずだ。


「――ん、今日は何か味が違うな」
 あれから時間は経ち、もう朝食の時間だ。
「あ、あの……私が、今日は作らせていただきました。朝、早くに目が覚めてしまって……お口に合いませんでしたか?」
「とても美味しいよ、紗梛。紗梛は料理も美味いんだな」
 そう言って士貴様は微笑んでくれてモグモグと口を動かす。
「ありがとうございます、士貴様。嬉しいです」
「あぁ……本当に美味い。味噌汁も美味い」
「良かったです。今日は赤味噌と白味噌を合わせ味噌にしてみたんです」
 赤と白を合わせるとお互いの独特な風味を消して良い部分を補い合って旨みが増す。コクがあって美味しい味噌になるのだ。
「そうなのか。料理のことは分からないが、紗梛はなんでも知っているんだな」
「そんなことはないです。私はこれしか役に立てそうにないので……だから」
「紗梛は役に立っているよ。大丈夫……さぁ、食べよう」
 士貴様は優しく私に言うと「このきんぴらも絶品だな」と呟きながら食べていて嬉しかった。

 そうして食べ終わり、緑茶を士貴様と飲んでいると「お寛ぎのところ失礼致します」と松島さんが士貴様に声を掛ける。
「……なんだ」
「それが、紗梛様にお客様がいらっしゃっていて」
「紗梛に?」
「えぇ、紗梛様のことを紗梛お嬢様と呼んでおりました」
 二人は小さな声で話をしているけど、私の名前が聞こえて耳を澄ませる。すると、士貴様に名前を呼ばれる。
「紗梛さんに客が来ているらしい。早乙女さおとめ志乃しのという女性だ」
「……えっ」
 早乙女志乃って、母に付いていた女中さんの名前だった気がする。でも、どうして?
「どうする? 会うか?」
「そう、ですね。志乃は、私の母に付いていた女中でした……亡くなる前まで、良くしてもらっていたんです」
「そうなのか。では、客間に通す」
 私はお礼を伝えると彼女に会うために髪を整えてから客間に向かった。



  ***

 客間に入ると白髪が目立つ女性が待っていた。
「……紗梛お嬢様! お久しゅうございます」
 志乃は歳を召しても相変わらず、エクボが似合う。いつも笑いかけてくれたことを覚えている。
「志乃、今までどこにいたの? お母さまが亡くなって、すぐに行方知らずになってしまったと聞いたけれど」
「奥様はそう、伝えていらっしゃったんですね……私はずっと櫻月のお屋敷にいました。ですが、住み込みの下働きとしてですけど」
「下働き!? そんな……」
 下働きというのは、女中見習いより下で働く雑用係のことだ。お給料もほとんどない仕事で、女中として古株だった彼女には見合わない仕事なはず……もしかして、母付きだったから?それとも私を孤立させたかったから?
「……ごめんね、志乃。私知らなくて」
「いいえ。お嬢様の様子は聞こえてまいりましたのでとても楽しかったです。あっ、お嬢様。私、これを届けにきたんです。紗代様がお嬢様に託したものです」
 風呂敷で包まれていたものを志乃が解くとそこから出した。中からは木箱が現れて、それは私が取りに行こうとしていた母の木箱だった。
「どうしてこれを」
「紗代様から頼まれました。紗梛様は隠すのがお得意ではないと言われていたので私が紗梛様が隠した後に私が預かっていました」
「……そうかしら」
 そうなの?私、隠すの下手なのだろうか……でも、隠したはずの木箱が彼女のもとにあるってことはそういうことよね。
「はい。それに、これだけは伝えておきます。もしかしたら、長宗我部様はご存知かと思いますが……紗梛様は今は没落してしまった名家である更科家の血を受け継いでおります。そして、更科家は華の神であられる華乃宮毘売の末裔の家です」
 え、それって士貴様が言っていたことと同じ……更科家は初めて聞いたけど。じゃあ、母は名家の令嬢だったってことだ。
『――きっとあなたを助けてくれる』
 母のその言葉は、私が華乃宮毘売の生まれ変わりだと知っていたのかのようだ。そして、士貴様の存在を知っているかのようなそんな言葉に聞こえた。

 そうして、志乃は櫻月に帰って行った。
 だけどもう私もいないあの家にはいる意味ないからとお暇させてもらうとそう言って……。
 彼女が帰ってから私は木箱を開けた。そこには香道具が一式入っていて櫻月の香道具よりかなりの上等な品だということがわかる。
「こんなに素敵な香道具があるってことは……かなりの名家よね。それに長宗我部家と並ぶ家。そんな家が簡単に没落するかしら……」
 私は初めて知りたいと思った。私自身の起源を、祖先についてを。だから私は、士貴様に話をちゃんと聞こうと決意をした。
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