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【最終章】溺愛攻防、ついに決着

37.クラルテの謀①

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「それでは行ってまいります!」

「……行ってらっしゃい、クラルテ」


 頬に触れるだけの口づけを交わし、クラルテの後ろ姿を見送る。
 たっぷり数十秒待ったあと、使用人たちに断りを入れ、俺は屋敷を出発した。


 出勤日が重なるときには二人で仲良く歩く通勤ルート。今のところクラルテは職場への道のりをゆっくりと歩いている。こちらを振り返ったり、気にしたりする素振りは見受けられない。本当に普通の出勤風景だ。


(プレヤさんもクラルテも、一体なにがしたいのだろう?)


 ついてきてほしいと言われた気がしたのは、俺の思い過ごしだったのだろうか?
 ……そりゃ、普通の人間は自分を尾行されたいなんて思わない。信用されていないと感じるだろうし、あまりいい気はしないだろう。

 だけど……相手はクラルテだからな。
 クラルテなら俺が不安や嫉妬のあまり尾行をすれば『それだけ愛されているんだ』と狂喜乱舞する――かもしれない。いや、いささか希望的観測がすぎるだろうか?

 こんな馬鹿げたことはやめよう――俺が踵を返しかけたときだった。クラルテが魔術師団とは違う方向へと足を向ける。


(え?)


 そちら側には商店もなければ、住宅もほとんどない。郊外に向かうルートだ。
 先程クラルテは『仕事しかしていない』とハッキリ口にしたが、魔術師団の仕事でこちらに向かう理由が思い当たらない。一体、なにがあるというのだろう?


「クラル――」

「クラルテさん!」


 そのとき、聞き慣れない男の声が聞こえてきた。クラルテの視線の先を凝視し思わず叫びそうになる。


(ザマスコッチ……!)


 間違いない。あのナルシスト顔には見覚えがある。

 本当にクラルテとつながっていたのか……! そう思うにつれ、腸が煮えくり返ってくる。


 本当は今すぐ二人の前に躍り出て、あの男をめちゃめちゃにしてやりたかった。クラルテは俺のものだと叫び、思いきり抱きしめて、俺だけを見てほしいと懇願したい――そう強く思ったものの、ほんの少しだけ残った冷静な自分が『まあ待て』とささやきかけてくる。


 もしもクラルテが本気で浮気をしているなら、あんな思わせぶりな態度をとるだろうか? ――――いや、とらない。


 クラルテは聡明な女性だ。
 他人の反応や感情を敏感に察し、それに即して動くことができる。

 もしも俺に対して本気でザマスコッチとのことを隠したいなら、全力で、決してそうとわからないように誤魔化しきったに違いない。

 万が一……いや億が一、俺と別れたいがために、わざとザマスコッチの関係をバラすにしても、こんなまどろっこしいやり方は選択しないだろう。シンプルに事情を打ち明けるはずだ。


 それに――


『ハルト様、好きです! 大好き!』


 クラルテは何度も何度も、俺だけだと言って笑ってくれたんだ。まっすぐに、俺だけを見つめながら。……それが嘘だったなんて俺には決して思えない。


「それじゃ、行こうか」


 しかし、ザマスコッチがクラルテの腰を抱き寄せた瞬間、俺の中の冷静な俺は一瞬でいなくなってしまった。


「――許せない」


 俺のクラルテに……! 俺のクラルテにあんなにも軽々しく触れるだなんて……! 万死に値する。

 今すぐあの男を止めなければ――そう思ったその時、背後から思いきり口を押さえつけられた。


「もう……やっぱりこうなった。だから僕は反対だったんだよね」


 心底呆れたような声音。プレヤさんだ。


「な、にを……」

「ここまで来て台無しにされたらたまらないからさ……悪く思うなよ、ハルト」


 プレヤさんはそう言って、俺の手足を魔法で縛る。あまりにも思いがけないことに、俺は言葉を失った。


***


(気持ち悪いっ、気持ち悪いっ、気持ち悪いっっっ)


 ザマスコッチ子爵と並んで歩きつつ、わたくしは背筋を震わせます。腰に手を添えられてしまい、正直言って泣きたいですし、吐き気がすごいです。

 だってわたくし、ハルト様以外に触られるとかありえないですから。本気で嫌です。嫌すぎます!

 ……しかし、これはお仕事。ハルト様と平穏無事に暮らすために必要なお仕事です。

 上手く行けば、王都に暮らすたくさんの人を救うことができますし、結構責任重大です。吐き気を必死に堪えつつ、わたくしは大きく息をつきます。


「今日はお忙しいなかお時間を作っていただき、ありがとうございます。ようやくお話する機会がいただけて、とても嬉しいです」


 嘘ですけど。本当はこんな人に会いたくなんてありませんけど。本音を言えば、こんなことをしている暇があったらハルト様と一緒にお家でぬくぬくイチャイチャしていたいんですよ、わたくしは! 
 ……だけど、こう言えって言われているので、しっかりガッツリと嘘をつきます。


「こちらこそ、私に興味を持っていただけて嬉しいですよ」


 ザマスコッチ子爵がわたくしの手を握ろうとします。すんでのところで、わたくしは彼から距離を取りました。


「ええ、ええ。今日はこの間おっしゃっていた火災保険について色々と聞かせていただけたら、と」


 もう嫌だ……表情筋が死んでしまいます。無理やり笑うのも、嘘をつくのも、嫌悪感に耐えるのもキッツイですし、本当に嫌な役回りが回ってきたものです……。


「ここです。ここならハルト様にもバレずにゆっくりお話ができますので」


 ため息を一つ、わたくしはとある建物へとザマスコッチ子爵を誘導します。
 こちらは以前魔術師団が使っていた古びた倉庫です。中にあるのは小さなテーブルと椅子が二脚、それから奥のほうに寝台があります。


「いいところですね」

(いえ、全然)


 こんな場所にこんな男性といるなんて、それが一瞬であっても嫌です。ノーセンキューです。お金を払ってでも拒否したい――ところなのですが、何度も申し上げているとおり、これは仕事。仕事なんですよ!


「それで、我が家が火災保険に加入するとして、保険料はいかほどになるのでしょう?」

「そうですね……ざっくりとこのぐらいでしょうか? 事前におうかがいしていた屋敷の造りや広さ、家財の価値から算出した数字です」

「まぁ……」


 高っ! なんなんですかこの数字は! ゼロがたくさん並んでいます。
 そりゃ、火災ですべてを失ったら、かかる費用はこれの比ではありません。
 それにしたって、とっても高い。わたくしは思わず言葉を失います。


「最近では火災が相当増えていますからね。おかげさまで、たくさんの人々にこちらの保険を支持していただいています」

「……そうでしょうね」


 どれだけ高い買い物でも、必要性を感じれば人は動きます。

 この数週間の間に王都で起こった火災は、前年比三倍。つまり、それだけ多くの火災が起こっています。

 当然、人々が抱く不安感も倍増します。もしも次に燃えるのが自分の家だったら――そう思って焦って保険に加入する人はあとを立たないでしょう。金持ちの貴族たちはなおさら。……わたくしはゆっくりと息を吸います。
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