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9.いいのかな?
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後宮の住人たちが寝静まった頃、わたくしは昨夜と同じように、己の宮殿を抜け出した。
恐ろしいほどの静寂、澄んだ空気。今夜も星々は美しく流れ続けている。星たちが集まる先には美しい一人の男性――天龍様が佇んでいた。
「桜華」
わたくしを見つけるなり、彼は嬉しそうに微笑んだ。たったそれだけのことだけれど、胸がざわめく。わたくしは駆け足で天龍様の元へ向かった。
「申し訳ございません、天龍様。まさかお待たせしてしまうとは……」
「いいんだ。待ちきれなくて、私が早く来てしまっただけなのだから」
天龍様がわたくしの頬をそっと撫でる。わたくしは思わずギュッと目をつぶった。
「私とのこと、考えてくれた?」
「はい。けれど……まだ答えが出せていないのです」
わたくしにはまだ、わたくしが神華様の生まれ変わりだなんて信じられない。あるいはそれが本当でも、わたくしは神華様と違って、本当にただの人間だ。一緒にいるうちに『この女性じゃない』と――違う、嫌いだと思われてしまったら、きっとものすごく悲しい。立ち直れない。
それに、わたくしが龍晴様を想う気持ちは本物だった。少なくとも、わたくしはそう思っている。
それなのに、昨日の今日で、龍晴様から天龍様に心変わりするなんて――そんな女を好きになれるものだろうか? 軽いと、浅はかだと、そう思われはしないだろうか?
だけど――――そんなふうに思っている時点で、わたくしはきっと、天龍様の手を取りたいのだと思う。
わたくしはずっと、女性として誰かに求められてみたかった。
愛されてみたかった。
幸せになりたかった。
そんな本心に気づくにつれ、わたくしはどこまでもただの人間なのだと思い知らされる。
「桜華――私はずっと桜華のことを見てきたよ」
天龍様が微笑む。いつの間にか、わたくしの瞳からは涙が零れ落ちていた。彼はそれを拭いつつ、わたくしのことをギュッと抱きしめる。胸がとても苦しくなった。
「もしも君が神華じゃなくても、私は絶対に桜華のことを好きになっていた。一途で、ひたむきで、他人の心の機微に敏感で――弱さも狡さも許すことのできる優しい女性だ。いつも己の心の声を飲み込んで、相手の心を受け入れている。けれどもう、苦しまなくていいんだ。許さなくていいんだ。私の側で、素直な気持ちを吐き出していい。遠慮も配慮も、なにもいらない。桜華は桜華らしく、自分の想いを大切にしていいんだよ」
「どうして……? どうして天龍様にはわたくしの気持ちがわかるのですか?」
「当然だよ。好きな人のことだから。知りたい、理解できるようになりたいと思うだろう?」
天龍様の言葉にハッと目を見開く。
わたくしはずっと、誰かに――龍晴様にそんなふうに言ってほしかった。だから、彼に気持ちをわかってもらえてとても嬉しい。
「だけど天龍様、あなたならきっとおわかりになるでしょう? わたくしがどれほど、醜い心の持ち主なのか……」
けれど嬉しい思うのと同じだけ、わたくしは己の醜さに気づかれたくなかったのだとも思う。
「わたくしは嫉妬心の塊なのです。ただの人間――女なのです」
「知っているよ。けれど、私は醜いとは思わない。ありのままの君でいい。そんな部分も引っ括めて私は桜華のことが好きだ。大好きだ。私の手で、君を幸せにしたいと思っている」
「――出会ったばかりのあなたに惹かれるような軽薄な女でも?」
「軽薄? そんなふうには私は思わないよ。むしろ光栄だ。けれど、そうだな……もしも理由が必要なら、私たちが惹かれ合うのは運命だからと言い訳をすればいい。実際そうなのだから」
天龍様は少しずつ少しずつ、わたくしを自由にしてくれる。ありのままのわたくしを受け入れて、わたくしが彼に惹かれてもいい理由を用意して、たくさんの逃げ道を与えてくれた。――逃げることを許してくれた。
「いいのかな……?」
後宮から――龍晴様から逃げ出してもいいのだろうか? 許されるだろうか?
わたくしはこのまま、誰にも愛されずに終わりたくない。心のままに誰かを愛し、愛されてみたい。狭い後宮から飛び出し、もう一度、広い世界を見てみたい。
天龍様は微笑みながら、力強くうなずいた。
「一緒に行こう。私が桜華を自由にするよ」
それはあまりにも甘すぎる誘惑の言葉。抗うことなんて絶対にできない。
生まれてはじめて自分以外の誰かの唇に触れる。
柔らかくて温かい。――それから、ほんの少し甘くてしょっぱい。
止めどなく流れる涙を天龍様が優しく拭う。
(わたくしは天龍様と、幸せになりたい)
心の底からそう思った。
恐ろしいほどの静寂、澄んだ空気。今夜も星々は美しく流れ続けている。星たちが集まる先には美しい一人の男性――天龍様が佇んでいた。
「桜華」
わたくしを見つけるなり、彼は嬉しそうに微笑んだ。たったそれだけのことだけれど、胸がざわめく。わたくしは駆け足で天龍様の元へ向かった。
「申し訳ございません、天龍様。まさかお待たせしてしまうとは……」
「いいんだ。待ちきれなくて、私が早く来てしまっただけなのだから」
天龍様がわたくしの頬をそっと撫でる。わたくしは思わずギュッと目をつぶった。
「私とのこと、考えてくれた?」
「はい。けれど……まだ答えが出せていないのです」
わたくしにはまだ、わたくしが神華様の生まれ変わりだなんて信じられない。あるいはそれが本当でも、わたくしは神華様と違って、本当にただの人間だ。一緒にいるうちに『この女性じゃない』と――違う、嫌いだと思われてしまったら、きっとものすごく悲しい。立ち直れない。
それに、わたくしが龍晴様を想う気持ちは本物だった。少なくとも、わたくしはそう思っている。
それなのに、昨日の今日で、龍晴様から天龍様に心変わりするなんて――そんな女を好きになれるものだろうか? 軽いと、浅はかだと、そう思われはしないだろうか?
だけど――――そんなふうに思っている時点で、わたくしはきっと、天龍様の手を取りたいのだと思う。
わたくしはずっと、女性として誰かに求められてみたかった。
愛されてみたかった。
幸せになりたかった。
そんな本心に気づくにつれ、わたくしはどこまでもただの人間なのだと思い知らされる。
「桜華――私はずっと桜華のことを見てきたよ」
天龍様が微笑む。いつの間にか、わたくしの瞳からは涙が零れ落ちていた。彼はそれを拭いつつ、わたくしのことをギュッと抱きしめる。胸がとても苦しくなった。
「もしも君が神華じゃなくても、私は絶対に桜華のことを好きになっていた。一途で、ひたむきで、他人の心の機微に敏感で――弱さも狡さも許すことのできる優しい女性だ。いつも己の心の声を飲み込んで、相手の心を受け入れている。けれどもう、苦しまなくていいんだ。許さなくていいんだ。私の側で、素直な気持ちを吐き出していい。遠慮も配慮も、なにもいらない。桜華は桜華らしく、自分の想いを大切にしていいんだよ」
「どうして……? どうして天龍様にはわたくしの気持ちがわかるのですか?」
「当然だよ。好きな人のことだから。知りたい、理解できるようになりたいと思うだろう?」
天龍様の言葉にハッと目を見開く。
わたくしはずっと、誰かに――龍晴様にそんなふうに言ってほしかった。だから、彼に気持ちをわかってもらえてとても嬉しい。
「だけど天龍様、あなたならきっとおわかりになるでしょう? わたくしがどれほど、醜い心の持ち主なのか……」
けれど嬉しい思うのと同じだけ、わたくしは己の醜さに気づかれたくなかったのだとも思う。
「わたくしは嫉妬心の塊なのです。ただの人間――女なのです」
「知っているよ。けれど、私は醜いとは思わない。ありのままの君でいい。そんな部分も引っ括めて私は桜華のことが好きだ。大好きだ。私の手で、君を幸せにしたいと思っている」
「――出会ったばかりのあなたに惹かれるような軽薄な女でも?」
「軽薄? そんなふうには私は思わないよ。むしろ光栄だ。けれど、そうだな……もしも理由が必要なら、私たちが惹かれ合うのは運命だからと言い訳をすればいい。実際そうなのだから」
天龍様は少しずつ少しずつ、わたくしを自由にしてくれる。ありのままのわたくしを受け入れて、わたくしが彼に惹かれてもいい理由を用意して、たくさんの逃げ道を与えてくれた。――逃げることを許してくれた。
「いいのかな……?」
後宮から――龍晴様から逃げ出してもいいのだろうか? 許されるだろうか?
わたくしはこのまま、誰にも愛されずに終わりたくない。心のままに誰かを愛し、愛されてみたい。狭い後宮から飛び出し、もう一度、広い世界を見てみたい。
天龍様は微笑みながら、力強くうなずいた。
「一緒に行こう。私が桜華を自由にするよ」
それはあまりにも甘すぎる誘惑の言葉。抗うことなんて絶対にできない。
生まれてはじめて自分以外の誰かの唇に触れる。
柔らかくて温かい。――それから、ほんの少し甘くてしょっぱい。
止めどなく流れる涙を天龍様が優しく拭う。
(わたくしは天龍様と、幸せになりたい)
心の底からそう思った。
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