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6.生きててよかった!(……いや、死んでよかった?)
6.(END)
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「私には母親がおりません」
「知ってる。だからお祖父様である執事長のところに――わたしの屋敷に来たのよね」
「ええ。母は生前ディアブローゼ公爵家に侍女として勤めていたところ、現公爵と恋に落ち、私を身ごもったのです。けれど、身分の差から妻として受け入れてはもらえず……」
「まあ、そうでしょうね」
相手は公爵だもの。受け入れてもらえなくて当然というか、そのへんの事情についてはわからなくはない。
「そうして月日が経ち、公爵――父は妻を娶ったのですが二人の間には子ができず……私のところに話が回ってきた、というわけです」
「……そう」
状況はわかった。だけど、普通庶子を跡継ぎにするだろうか? 分家の優秀な人間を引き抜くのが妥当な気がするんだけど。
「公爵家に連なる人間のなかで私以上に優秀な人間はおりませんでしたし、公爵の妻――私の義母がたいそう私を気に入ってくださいまして」
「公爵夫人が?」
アンセルが優秀なのは疑いようのない事実だ。どこで学んできたのか、ありとあらゆる知識と技術を身につけているし、礼儀作法だったり領地経営術だったり投資だったり、そんじょそこらの貴族令息よりもすごい人だってわかってる。
だけど、公爵夫人に気に入られるなんて――いや、アンセル人に取り入ることとか、根回し関係が上手だけど! ともすれば憎んだり蔑まれたりしそうなものなのに、いったいどんな手を使ったのやら……。
「いいですか、お嬢様。あなたは私の妻になるんです」
考え込んでいたわたしにアンセルが言う。思わず心臓がドキッと跳ねた。
「でも……でもさ、そしたらグアダルーペ領は――ブレディン様はどうなっちゃうの?」
「心配ございません。私から資金援助をさせていただく手はずになっています。加えて、人的支援もさせていただきますので、婚約破棄の対価としては十分かと」
アンセルが微笑む。目頭が熱くなった。
「アイラ様のご実家も新たな取引先が見つかったらしいので、これから経済的に立て直していかれるでしょう。お二人の間に多少の身分の差はあれど、それを覆せるだけの想いがおありのようですから、お嬢様が心配することはございません」
「新たな取引先が見つかったらしいって……どう考えてもアンセルの差金だよね?」
「さあ、なんのことでしょう?」
おどけたように笑うアンセルを見ながら、いよいよ涙が込み上げてくる。
「アンセルはそれでいいの?」
「……どういうことです?」
「だって、わたしの願いを叶えるために色々と自分を犠牲にしているじゃない? 公爵になったら絶対に今より窮屈な生活を送る羽目になるし、せっかく投資で貯めたお金も投げ打ってしまって……しかも、結婚相手がわたしだなんて。本当に、いいの?」
不安でドキドキと心臓が鳴り響く。アンセルはほんのりと目を見開いたあと、わたしの手の甲にそっと口づけた。
「以前申し上げたでしょう? 外堀は私が責任を持って埋めます、と」
「うん、聞いた。だけどそれが、わたしのためにアンセルが自分を犠牲にすることだとは思ってなかったし」
「……お嬢様はバカですね」
アンセルは立ち上がり、わたしのことを抱きしめた。ふわりと香るシトラスの香り。思わず胸がキュッとなる。
「たとえお嬢様が望まずとも、私は今と全く同じことをしていました。お嬢様のため、というのはすべて建前です。私は自らの意志で外堀を埋めました。お嬢様が――マヤ様のことが好きだから」
アンセルの腕に力がこもる。瞳から涙がポタポタとこぼれ落ちた。
「ですから私は、どうしてもあなたと結婚したかったんです」
「……うん」
「十年かけてコツコツと準備をしてきました。けれど、まさか私が情報を得るまもなくブレディン様との婚約が決まるとは思わなくて。遅れを取ったのは一生の不覚です」
「アンセルでも失敗することがあるのね」
「面目ありません。今日まで黙っていたのはマヤ様を驚かせたかったから……お好きでしょう? サプライズが」
「そうだけど! ちょっとぐらい、なにを考えているか教えてくれたってよかったのに」
アンセルの唇が額に触れる。頬を撫でられ、思わずぎゅっと目をつぶる。アンセルがクスリと笑う声がして、わたしは彼を睨みつけた。
「……ねえ、わたしの気持ちは聞かないの?」
「はい。だって、私と一緒でしょう?」
チュッと触れるだけの口づけをされ、身体がブワッと熱くなる。
やっぱり、アンセルにはなにもかもお見通しらしい。ちゃんと隠していたはずなのに。……だって、アンセルと結ばれることはないって思っていたし。だけど――
「うん」
アンセルの言うとおり。わたしはアンセルのことが好きなんだもん。
前世を思い出すまでは彼と生きていく想像なんてできなかった。だけど、もしも自分の気持ちに素直になっていいのなら――わたしはアンセルと一緒に生きていきたいと思う。
これが原作通りの結末なのかはわからない。けれど、ここから先は筋書きのないわたし自身の人生だ。
「私がマヤ様を幸せにします。いつも何度でも、あなたの望む幸せをご覧に入れますよ」
アンセルが笑う。それはこれまで見たことないような飛び切りの笑顔で。
「アンセル、わたし生きててよかった」
わたしも彼と一緒になって満面の笑みを浮かべるのだった。
「知ってる。だからお祖父様である執事長のところに――わたしの屋敷に来たのよね」
「ええ。母は生前ディアブローゼ公爵家に侍女として勤めていたところ、現公爵と恋に落ち、私を身ごもったのです。けれど、身分の差から妻として受け入れてはもらえず……」
「まあ、そうでしょうね」
相手は公爵だもの。受け入れてもらえなくて当然というか、そのへんの事情についてはわからなくはない。
「そうして月日が経ち、公爵――父は妻を娶ったのですが二人の間には子ができず……私のところに話が回ってきた、というわけです」
「……そう」
状況はわかった。だけど、普通庶子を跡継ぎにするだろうか? 分家の優秀な人間を引き抜くのが妥当な気がするんだけど。
「公爵家に連なる人間のなかで私以上に優秀な人間はおりませんでしたし、公爵の妻――私の義母がたいそう私を気に入ってくださいまして」
「公爵夫人が?」
アンセルが優秀なのは疑いようのない事実だ。どこで学んできたのか、ありとあらゆる知識と技術を身につけているし、礼儀作法だったり領地経営術だったり投資だったり、そんじょそこらの貴族令息よりもすごい人だってわかってる。
だけど、公爵夫人に気に入られるなんて――いや、アンセル人に取り入ることとか、根回し関係が上手だけど! ともすれば憎んだり蔑まれたりしそうなものなのに、いったいどんな手を使ったのやら……。
「いいですか、お嬢様。あなたは私の妻になるんです」
考え込んでいたわたしにアンセルが言う。思わず心臓がドキッと跳ねた。
「でも……でもさ、そしたらグアダルーペ領は――ブレディン様はどうなっちゃうの?」
「心配ございません。私から資金援助をさせていただく手はずになっています。加えて、人的支援もさせていただきますので、婚約破棄の対価としては十分かと」
アンセルが微笑む。目頭が熱くなった。
「アイラ様のご実家も新たな取引先が見つかったらしいので、これから経済的に立て直していかれるでしょう。お二人の間に多少の身分の差はあれど、それを覆せるだけの想いがおありのようですから、お嬢様が心配することはございません」
「新たな取引先が見つかったらしいって……どう考えてもアンセルの差金だよね?」
「さあ、なんのことでしょう?」
おどけたように笑うアンセルを見ながら、いよいよ涙が込み上げてくる。
「アンセルはそれでいいの?」
「……どういうことです?」
「だって、わたしの願いを叶えるために色々と自分を犠牲にしているじゃない? 公爵になったら絶対に今より窮屈な生活を送る羽目になるし、せっかく投資で貯めたお金も投げ打ってしまって……しかも、結婚相手がわたしだなんて。本当に、いいの?」
不安でドキドキと心臓が鳴り響く。アンセルはほんのりと目を見開いたあと、わたしの手の甲にそっと口づけた。
「以前申し上げたでしょう? 外堀は私が責任を持って埋めます、と」
「うん、聞いた。だけどそれが、わたしのためにアンセルが自分を犠牲にすることだとは思ってなかったし」
「……お嬢様はバカですね」
アンセルは立ち上がり、わたしのことを抱きしめた。ふわりと香るシトラスの香り。思わず胸がキュッとなる。
「たとえお嬢様が望まずとも、私は今と全く同じことをしていました。お嬢様のため、というのはすべて建前です。私は自らの意志で外堀を埋めました。お嬢様が――マヤ様のことが好きだから」
アンセルの腕に力がこもる。瞳から涙がポタポタとこぼれ落ちた。
「ですから私は、どうしてもあなたと結婚したかったんです」
「……うん」
「十年かけてコツコツと準備をしてきました。けれど、まさか私が情報を得るまもなくブレディン様との婚約が決まるとは思わなくて。遅れを取ったのは一生の不覚です」
「アンセルでも失敗することがあるのね」
「面目ありません。今日まで黙っていたのはマヤ様を驚かせたかったから……お好きでしょう? サプライズが」
「そうだけど! ちょっとぐらい、なにを考えているか教えてくれたってよかったのに」
アンセルの唇が額に触れる。頬を撫でられ、思わずぎゅっと目をつぶる。アンセルがクスリと笑う声がして、わたしは彼を睨みつけた。
「……ねえ、わたしの気持ちは聞かないの?」
「はい。だって、私と一緒でしょう?」
チュッと触れるだけの口づけをされ、身体がブワッと熱くなる。
やっぱり、アンセルにはなにもかもお見通しらしい。ちゃんと隠していたはずなのに。……だって、アンセルと結ばれることはないって思っていたし。だけど――
「うん」
アンセルの言うとおり。わたしはアンセルのことが好きなんだもん。
前世を思い出すまでは彼と生きていく想像なんてできなかった。だけど、もしも自分の気持ちに素直になっていいのなら――わたしはアンセルと一緒に生きていきたいと思う。
これが原作通りの結末なのかはわからない。けれど、ここから先は筋書きのないわたし自身の人生だ。
「私がマヤ様を幸せにします。いつも何度でも、あなたの望む幸せをご覧に入れますよ」
アンセルが笑う。それはこれまで見たことないような飛び切りの笑顔で。
「アンセル、わたし生きててよかった」
わたしも彼と一緒になって満面の笑みを浮かべるのだった。
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