上 下
52 / 57
【5章】王太子ヴァーリックの婚約者

52.あなたにも

しおりを挟む
 それからあっという間に数日が経った。オティリエはこれまでどおり、ヴァーリックの補佐官として穏やかな日常を送っている。
 ……あまりにも変化がないから、時々あのプロポーズは夢だったんじゃないかと思うほどだ。


(なんて、本当は嘘)


 オティリエがそんなふうに思えるのはヴァーリックが最大限に配慮をしてくれているからだ。
 彼自身から返事を急かすことはないし、他の補佐官たちにも同様の対応を求めたのだろう。結婚について言及されたのは心の声も含めて求婚の翌日だけだった。本当は気になっているだろうに……若干の申し訳無さを感じてしまう。

 とはいえ、オティリエは未だにこたえを出せていない。返事を急かされないことはとてもありがたかった。


「一体どうする気ですか?」


 と、背後から声が聞こえてきて、オティリエはビクリと肩を震わせる。


(あ……私のことじゃなかったのね)


 見ればエアニーが他の補佐官となにかを話し合っているところで、オティリエはホッと胸をなでおろした。


 とはいえ、あまり引き伸ばすべきでないことはたしかだ。こたえは決まっておらずとも、ヴァーリックを長く待たせるのは忍びない。……となると、断るべきなのだろうか? オティリエの胸がズキンと痛む。


(私がお断りしたら、ヴァーリック様はどんな反応をなさるかしら?)


 彼はとても優しい人だから。穏やかで温かい人だから。オティリエがどんな選択をしても、それを尊重してくれる気はしている。

 けれど、それで本当によいのだろうか?

 「わかったよ」と困ったような笑顔を浮かべて返事をするヴァーリックの顔を想像しつつ、オティリエはぐっと拳を握る。大好きなヴァーリックにそんな顔をさせていいのだろうか? 本当に後悔しないだろうか? そもそも、どうしてオティリエはこんなに迷っているのだろうか……?


「オティリエさん、仕事が終わったら少し話しをしませんか?」

「え? あ……エアニーさん」


 と、エアニーから声をかけられる。彼はオティリエを見つめつつ「たまにはお茶でもいかがでしょう?」と言葉を続けた。


(エアニーさんが私を誘うなんて……)


 彼がプライベートで誰かに声を書けるのははじめてだ。どんな話がしたいのか……心の声を聞いていなくとも察しはつく。


「私でよろしければ、是非」

「では、そのように」


 エアニーは返事を返すと、またすぐに仕事に戻った。


***


 就業後、エアニーについて城を出る。馬車に揺られること数分、オティリエはとあるタウンハウスの前にいた。


「ここは……?」

「ぼくの屋敷です。他の場所だと他人に会話を聞かれる可能性がありますし、落ち着いて話ができませんからね」


 応接室に入ると、すぐに侍女たちがお茶を運んできてくれた。人払いをされエアニーと二人きり。彼はすぐに本題を切り出した。


「ヴァーリック様とのこと、どうなさるおつもりですか?」


 あまりにも単刀直入に尋ねられ、オティリエはドキッとしてしまう。これまで誰にも……ヴァーリックにすら言及をされなかったことだ。

 しかし、エアニーに話を聞いてもらえば、自分一人では辿り着けなかった結論に到達できる可能性がある。オティリエはおそるおそる顔を上げた。


「……長くお待たせしてはいけないとわかっております。ですから、その……お断りしようかと考えていました」


 オティリエの返事を聞きながら、エアニーは大きく目を見開く。


「それは、どうして?」

「え? どうしてって……」

「ヴァーリック様がどれほどあなたを思っているか、わからないわけではないでしょう?」


 そう口にするエアニーの表情は苦しげだ。ヴァーリックがこれから感じるであろう痛みを、まるで自分のことのように感じているらしい。オティリエは「はい」と返事をしつつ、ほんのりとうつむいた。


「だったら、どうして悩む必要があるのです? ヴァーリック様は口にも態度にも心の声にすら出さないでしょうが、あなたの返事を待っています。……想いにこたえてほしいと。あなたが「結婚する」とこたえてくれるのを願っています」


 胸がきゅっと苦しくなる。オティリエは「そうですね」と返事をした。


「だけど、ごめんなさい。多分私は――自信がないんです」

「自信?」


 エアニーに尋ね返され、オティリエは「ええ」と相槌を打つ。彼は首を傾げながらそっと身を乗り出した。


「それは……妃という仕事に対してですか? だとしたら、あなたほど適任者はいないと思います。補佐官として働いてきた実績もありますし、適応力、吸収力も申し分ない。心の声が聞こえるという唯一無二の能力がありますし、オティリエさんなら妃として十分にやっていけます。僕たち補佐官も、あなたになら心からお仕えできると、そう思っているんですよ」

「エアニーさん……」


 はじめて聞いた彼の本音。そんなふうに思ってくれていたのだと、オティリエは涙が出そうになってしまう。


「ありがとうございます。だけど……多分違うんです。私が不安に思っていることはそうじゃない」

「違う? とはどういう?」


 これまで漠然としていたオティリエの『不安』の形がだんだんとハッキリ見えてくる。エアニーが浮き彫りにしてくれたから――ようやく結論に辿り着けそうな気がしてきた。


「私はただ……ただヴァーリック様に幸せになってほしいんです。誰よりも、なによりも幸せになっていただきたいんです。だから……だから…………」


 言葉にすると涙が出る。エアニーは小さく目を見開き、それから困ったようにほほえんだ。


「そうですか」


 優しい声音。エアニーにはオティリエの気持ちが痛いほどわかるのだろう。きっとこの世界の誰よりも。彼の望みもまた、オティリエと同じはずだから。


「わかりました。もとより決めるのはオティリエさん自身です。けれど、その想いは早く……少しでも早くヴァーリック様に伝えてあげてください。今頃きっと、どうしてあなたが悩んでいるのか……こたえを出せずにいるのかを知りたがっていると思います。あの方はなんでもできるし強く見えますが、案外脆い部分がありますから」

「ヴァーリック様が?」


 そんなふうにはとても見えない。オティリエが驚くと、エアニーは「ええ」と小さくうなずく。


「本当ならひとこと『妃になれ』とお命じになればよかったのに……ヴァーリック様はきっと、あなたの心がほしかったんだと思います。オティリエさん自身に、自分を選んでほしかったんだと思います」


 エアニーの言葉に胸が軋む。まるでヴァーリックが隠している心の声を聞いているかのよう。けれど、本当のところは本人に聞かなければわからない。


(ヴァーリック様と話をしなくちゃ)


 どんな反応がかえってくるか不安でたまらない。けれど、エアニーの言うとおりオティリエの気持ちを伝えるべきなのだろう。


「最後にもう一つだけよろしいですか?」

「はい、なんでしょう?」


 オティリエが尋ねかえす。エアニーは優しくほほえむと、オティリエの手をそっと握った。


「オティリエさん、ぼくはヴァーリック様だけでなく、あなたにも幸せになってほしいと願っています」

「エアニーさん……」


 人はどうして他人の幸せを望むのか――オティリエは目を細め「ありがとうございます」と返事をするのだった。
しおりを挟む
感想 13

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

所詮、わたしは壁の花 〜なのに辺境伯様が溺愛してくるのは何故ですか?〜

しがわか
ファンタジー
刺繍を愛してやまないローゼリアは父から行き遅れと罵られていた。 高貴な相手に見初められるために、とむりやり夜会へ送り込まれる日々。 しかし父は知らないのだ。 ローゼリアが夜会で”壁の花”と罵られていることを。 そんなローゼリアが参加した辺境伯様の夜会はいつもと雰囲気が違っていた。 それもそのはず、それは辺境伯様の婚約者を決める集まりだったのだ。 けれど所詮”壁の花”の自分には関係がない、といつものように会場の隅で目立たないようにしているローゼリアは不意に手を握られる。 その相手はなんと辺境伯様で——。 なぜ、辺境伯様は自分を溺愛してくれるのか。 彼の過去を知り、やがてその理由を悟ることとなる。 それでも——いや、だからこそ辺境伯様の力になりたいと誓ったローゼリアには特別な力があった。 天啓<ギフト>として女神様から賜った『魔力を象るチカラ』は想像を創造できる万能な能力だった。 壁の花としての自重をやめたローゼリアは天啓を自在に操り、大好きな人達を守り導いていく。

【完結】胃袋を掴んだら溺愛されました

成実
恋愛
前世の記憶を思い出し、お菓子が食べたいと自分のために作っていた伯爵令嬢。  天候の関係で国に、収める税を領地民のために肩代わりした伯爵家、そうしたら、弟の学費がなくなりました。  学費を稼ぐためにお菓子の販売始めた私に、私が作ったお菓子が大好き過ぎてお菓子に恋した公爵令息が、作ったのが私とバレては溺愛されました。

駆け落ちした姉に代わって、悪辣公爵のもとへ嫁ぎましたところ 〜えっ?姉が帰ってきた?こっちは幸せに暮らしているので、お構いなく!〜

あーもんど
恋愛
『私は恋に生きるから、探さないでそっとしておいてほしい』 という置き手紙を残して、駆け落ちした姉のクラリス。 それにより、主人公のレイチェルは姉の婚約者────“悪辣公爵”と呼ばれるヘレスと結婚することに。 そうして、始まった新婚生活はやはり前途多難で……。 まず、夫が会いに来ない。 次に、使用人が仕事をしてくれない。 なので、レイチェル自ら家事などをしないといけず……とても大変。 でも────自由気ままに一人で過ごせる生活は、案外悪くなく……? そんな時、夫が現れて使用人達の職務放棄を知る。 すると、まさかの大激怒!? あっという間に使用人達を懲らしめ、それからはレイチェルとの時間も持つように。 ────もっと残忍で冷酷な方かと思ったけど、結構優しいわね。 と夫を見直すようになった頃、姉が帰ってきて……? 善意の押し付けとでも言うべきか、「あんな男とは、離婚しなさい!」と迫ってきた。 ────いやいや!こっちは幸せに暮らしているので、放っておいてください! ◆小説家になろう様でも、公開中◆

【完結】今世も裏切られるのはごめんなので、最愛のあなたはもう要らない

曽根原ツタ
恋愛
隣国との戦時中に国王が病死し、王位継承権を持つ男子がひとりもいなかったため、若い王女エトワールは女王となった。だが── 「俺は彼女を愛している。彼女は俺の子を身篭った」 戦場から帰還した愛する夫の隣には、別の女性が立っていた。さらに彼は、王座を奪うために女王暗殺を企てる。 そして。夫に剣で胸を貫かれて死んだエトワールが次に目が覚めたとき、彼と出会った日に戻っていて……? ──二度目の人生、私を裏切ったあなたを絶対に愛しません。 ★小説家になろうさまでも公開中

【取り下げ予定】お幸せに、婚約者様。私も私で、幸せになりますので。

ごろごろみかん。
恋愛
仕事と私、どっちが大切なの? ……なんて、本気で思う日が来るとは思わなかった。 彼は、王族に仕える近衛騎士だ。そして、婚約者の私より護衛対象である王女を優先する。彼は、「王女殿下とは何も無い」と言うけれど、彼女の方はそうでもないみたいですよ? 婚約を解消しろ、と王女殿下にあまりに迫られるので──全て、手放すことにしました。 お幸せに、婚約者様。 私も私で、幸せになりますので。

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

探さないでください。旦那様は私がお嫌いでしょう?

雪塚 ゆず
恋愛
結婚してから早一年。 最強の魔術師と呼ばれる旦那様と結婚しましたが、まったく私を愛してくれません。 ある日、女性とのやりとりであろう手紙まで見つけてしまいました。 もう限界です。 探さないでください、と書いて、私は家を飛び出しました。

処理中です...