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【5章】王太子ヴァーリックの婚約者
47.会いたかった
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王妃の下で仕事をはじめてからあっという間に数日が過ぎた。
(ふぅ……なかなかに疲れるわね)
招待客のリストアップは完了し、オティリエは今ひたすら招待状を書いている。文面は決まっているものの、丁寧かつ美しい文字を書かねばならないし、一文字でも間違ったらその時点で書き直し。必要な枚数は何十枚にも及ぶため、結構疲れてしまうのだ。
(ヴァーリック様……元気にしているかしら?)
こんなに長い間顔を合わせていないのは補佐官に採用されてからはじめてのこと。ヴァーリックの声が、笑顔が、存在が、恋しくなってしまう。
(なんて、そんなふうに思っているのは私だけよね)
ふふっと自虐的に笑いつつ、オティリエはグッと背伸びをした。
王妃の手伝いは身体的・精神的な負担が少ないうえ、定時であがるように指導を受けている。このため、王妃の手伝いを終えたあと、ヴァーリックの補佐官としての仕事をすることだって本当は可能だった。
けれど、オティリエがそんな提案をしたら他の補佐官に――ヴァーリックに気を使わせてしまうだろう。そう思うと、執務室に行くこと自体がはばかられるのだ。
(だけど……会いたいな。ヴァーリック様の顔が見たいな)
迷惑になるかもしれない。そうとわかっていてもなお、自分の欲求を優先させてしまいたくなる。
(少しだけ……ほんの少しだけだから)
目指すはヴァーリックの執務室。行き先変更だ。
道すがら、どうしてヴァーリックの執務室に来たのか尋ねられたときの言い訳を必死に考え、イメージトレーニングをくりかえす。気になる書類があったとか、言いようはいくらでもある。心の声が聞こえるオティリエなら簡単に対処ができるはずだ。
一瞬だけ『ヴァーリックに会いたかったから』と正直に打ち明けることも考えた。けれど、さすがに恥ずかしすぎるし、万が一笑い飛ばされたら立ち直れない。他の補佐官に聞かれるのもためらわれる。……そのぐらい、オティリエにとってヴァーリックに会いたいという気持ちは切実で真剣な想いだった。
「ああ、オティリエさん。なんだか久しぶりですね」
執務室につくとすぐにヴァーリックの護衛であるフィリップたちに声をかけられる。オティリエは彼らに向かって会釈をしてから、ほっと胸をなでおろした。
(よかった。フィリップさんがここにいるってことは、ヴァーリック様は間違いなくお部屋にいらっしゃるわ)
ノックをしてから部屋に入ろう――彼女がそう思ったそのときだった。
「フィリップ! 今、オティリエって言った!? オティリエは? まだそこにいる? いるなら――」
「え!? ……と、ヴァーリック様?」
執務室の扉が唐突に開き、ヴァーリックが勢いよく顔を出す。たっぷり見つめ合うこと数秒。ヴァーリックは頬を真っ赤に染め、それからゆっくりと視線をそらす。
「あ……あの」
「ごめん」
「え!? えっと……」
どうして謝られてしまうのだろう? オティリエは困惑しつつキョロキョロと視線をさまよわせる。
「オティリエの名前が聞こえた気がして。もしもオティリエが通りがかったなら呼び止めてもらおうと思って……それで急いで部屋を飛び出したんだけど」
はあ、と長いため息をつきつつ、ヴァーリックは恥ずかしそうに顔を伏せた。
【あーーあ……カッコ悪い。どれだけオティリエに会いたかったんだよ、僕】
「え?」
他の誰にも……オティリエ以外に見えないよう、ヴァーリックがチラリと顔を上げる。真っ赤な頬に眉間にシワの寄った悔しげな表情、瞳はかすかに潤んでおり、見ているこちらがドキッとしてしまう。
(ヴァーリック様が私に会いたがっていた?)
まさか。そんなことがあっていいのだろうか? にわかには信じがたいことだ。
……けれど、彼がオティリエの名前が聞こえただけで飛んできてくれたこと、切なげな表情に心の声が、ヴァーリックの気持ちを如実に表している。
「あの、私、仕事のことが気になって……」
事前に用意しておいた言い訳の言葉を紡ぎながら、オティリエはほんのりとうつむいていく。
「こんなに執務室に顔を出さないのははじめてだから……だから……」
違う。本当は全然そうじゃない。
ヴァーリックに会いたくて、居ても立ってもいられなくて、あれこれ言い訳まで用意してここまで来たのだ。彼は本心を打ち明けてくれたのに。オティリエはそれでいいのだろうか? 誤魔化して、嘘をついて、それで本当にいい?
オティリエは首を横に振り、顔を上げる。それからまっすぐにヴァーリックの顔をのぞきこんだ。
(嘘です。本当は仕事なんて関係なくて。……私もヴァーリック様に会いたかったんです)
ヴァーリックの手をギュッと握り、オティリエは心のなかで小さくそうつぶやいた。
彼は目を丸くすると、泣きそうな表情でそっと笑う。
【オティリエ……嬉しいよ、すごく。本当に会いたかった】
触れ合っているのは手のひらだけなのに……まるで全身を力強く抱きしめられているかのようなそんな感覚。
嬉しいのに苦しい。胸が熱くて、クラクラとめまいがして、全身が麻痺してしまったかのよう。相反するなにかがオティリエのなかで激しく暴れまわっている。
そもそも、しばらく顔を合わせていなかったのはヴァーリックだけではない。エアニーたち補佐官だって条件は同じだ。それなのに、オティリエが会いたいと思っていたのは……焦がれていたのはヴァーリックだけだ。
(どうして? どうして私はヴァーリック様に会いたくてたまらなかったんだろう? ……どうしてヴァーリック様は私に会いたいって思ってくれたんだろう?)
心臓がドキドキと鳴り響く。オティリエはヴァーリックと見つめ合いながら自問自答を繰り返すのだった。
(ふぅ……なかなかに疲れるわね)
招待客のリストアップは完了し、オティリエは今ひたすら招待状を書いている。文面は決まっているものの、丁寧かつ美しい文字を書かねばならないし、一文字でも間違ったらその時点で書き直し。必要な枚数は何十枚にも及ぶため、結構疲れてしまうのだ。
(ヴァーリック様……元気にしているかしら?)
こんなに長い間顔を合わせていないのは補佐官に採用されてからはじめてのこと。ヴァーリックの声が、笑顔が、存在が、恋しくなってしまう。
(なんて、そんなふうに思っているのは私だけよね)
ふふっと自虐的に笑いつつ、オティリエはグッと背伸びをした。
王妃の手伝いは身体的・精神的な負担が少ないうえ、定時であがるように指導を受けている。このため、王妃の手伝いを終えたあと、ヴァーリックの補佐官としての仕事をすることだって本当は可能だった。
けれど、オティリエがそんな提案をしたら他の補佐官に――ヴァーリックに気を使わせてしまうだろう。そう思うと、執務室に行くこと自体がはばかられるのだ。
(だけど……会いたいな。ヴァーリック様の顔が見たいな)
迷惑になるかもしれない。そうとわかっていてもなお、自分の欲求を優先させてしまいたくなる。
(少しだけ……ほんの少しだけだから)
目指すはヴァーリックの執務室。行き先変更だ。
道すがら、どうしてヴァーリックの執務室に来たのか尋ねられたときの言い訳を必死に考え、イメージトレーニングをくりかえす。気になる書類があったとか、言いようはいくらでもある。心の声が聞こえるオティリエなら簡単に対処ができるはずだ。
一瞬だけ『ヴァーリックに会いたかったから』と正直に打ち明けることも考えた。けれど、さすがに恥ずかしすぎるし、万が一笑い飛ばされたら立ち直れない。他の補佐官に聞かれるのもためらわれる。……そのぐらい、オティリエにとってヴァーリックに会いたいという気持ちは切実で真剣な想いだった。
「ああ、オティリエさん。なんだか久しぶりですね」
執務室につくとすぐにヴァーリックの護衛であるフィリップたちに声をかけられる。オティリエは彼らに向かって会釈をしてから、ほっと胸をなでおろした。
(よかった。フィリップさんがここにいるってことは、ヴァーリック様は間違いなくお部屋にいらっしゃるわ)
ノックをしてから部屋に入ろう――彼女がそう思ったそのときだった。
「フィリップ! 今、オティリエって言った!? オティリエは? まだそこにいる? いるなら――」
「え!? ……と、ヴァーリック様?」
執務室の扉が唐突に開き、ヴァーリックが勢いよく顔を出す。たっぷり見つめ合うこと数秒。ヴァーリックは頬を真っ赤に染め、それからゆっくりと視線をそらす。
「あ……あの」
「ごめん」
「え!? えっと……」
どうして謝られてしまうのだろう? オティリエは困惑しつつキョロキョロと視線をさまよわせる。
「オティリエの名前が聞こえた気がして。もしもオティリエが通りがかったなら呼び止めてもらおうと思って……それで急いで部屋を飛び出したんだけど」
はあ、と長いため息をつきつつ、ヴァーリックは恥ずかしそうに顔を伏せた。
【あーーあ……カッコ悪い。どれだけオティリエに会いたかったんだよ、僕】
「え?」
他の誰にも……オティリエ以外に見えないよう、ヴァーリックがチラリと顔を上げる。真っ赤な頬に眉間にシワの寄った悔しげな表情、瞳はかすかに潤んでおり、見ているこちらがドキッとしてしまう。
(ヴァーリック様が私に会いたがっていた?)
まさか。そんなことがあっていいのだろうか? にわかには信じがたいことだ。
……けれど、彼がオティリエの名前が聞こえただけで飛んできてくれたこと、切なげな表情に心の声が、ヴァーリックの気持ちを如実に表している。
「あの、私、仕事のことが気になって……」
事前に用意しておいた言い訳の言葉を紡ぎながら、オティリエはほんのりとうつむいていく。
「こんなに執務室に顔を出さないのははじめてだから……だから……」
違う。本当は全然そうじゃない。
ヴァーリックに会いたくて、居ても立ってもいられなくて、あれこれ言い訳まで用意してここまで来たのだ。彼は本心を打ち明けてくれたのに。オティリエはそれでいいのだろうか? 誤魔化して、嘘をついて、それで本当にいい?
オティリエは首を横に振り、顔を上げる。それからまっすぐにヴァーリックの顔をのぞきこんだ。
(嘘です。本当は仕事なんて関係なくて。……私もヴァーリック様に会いたかったんです)
ヴァーリックの手をギュッと握り、オティリエは心のなかで小さくそうつぶやいた。
彼は目を丸くすると、泣きそうな表情でそっと笑う。
【オティリエ……嬉しいよ、すごく。本当に会いたかった】
触れ合っているのは手のひらだけなのに……まるで全身を力強く抱きしめられているかのようなそんな感覚。
嬉しいのに苦しい。胸が熱くて、クラクラとめまいがして、全身が麻痺してしまったかのよう。相反するなにかがオティリエのなかで激しく暴れまわっている。
そもそも、しばらく顔を合わせていなかったのはヴァーリックだけではない。エアニーたち補佐官だって条件は同じだ。それなのに、オティリエが会いたいと思っていたのは……焦がれていたのはヴァーリックだけだ。
(どうして? どうして私はヴァーリック様に会いたくてたまらなかったんだろう? ……どうしてヴァーリック様は私に会いたいって思ってくれたんだろう?)
心臓がドキドキと鳴り響く。オティリエはヴァーリックと見つめ合いながら自問自答を繰り返すのだった。
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