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【3章】補佐官のお仕事(その1)
29.ヴァーリックの集めた才能
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「止まって! そっちに行ってはダメよ! お願いだから! 止まって!」
必死に声を張り上げながらオティリエは馬車に向かって走っていく。けれど、地面の揺れる音が、事態に気づいて逃げ惑う人々の喧騒が、馬のいななきが、オティリエの声を妨げてしまう。
【行け……そのまま進むんだ! もうすぐ俺の願いが叶う!】
「オティリエ、あの馬車で間違いない? 僕には声が聞こえなくて……」
「ヴァーリック様、はい! 間違いありません!」
先程までとは異なり、心の声がハッキリと聞こえる。オティリエはコクリとうなずいた。
「だけど、私じゃ彼を止められない。このままじゃ広場に突っ込まれちゃう……」
「大丈夫。絶対に止められるから。フィリップ」
「はい、ヴァーリック様」
そのとき、ヴァーリックの護衛として残っていたフィリップがオティリエたちをその場に押し留める。それから彼は加速する馬車の前へと躍り出ると、右手をスッと前に掲げた。
「フィリップさん!? そんな、馬車がもうあんなに近くにいるのに! あれじゃ正面からぶつかって――」
「大丈夫だよ、オティリエ。僕の従者はみんな素晴らしい能力を持っているんだ」
そう口にするヴァーリックの表情は自信に満ち溢れている。オティリエはおそるおそる馬車のほうをもう一度見た。――と、先程まで広場めがけて走っていた馬たちが唐突に足を止めているではないか。
【なぜだ!? どうして馬たちは急に足を止めた!? 止まるな! 動け! 走れ!】
バチン、バチンと馬を叩く痛ましい鞭の音が聞こえてくる。けれど、馬たちは微動だにせず、フィリップに向かって頭を垂れた。
「ヴァーリック様、そんな……信じられません。あんな状態で馬が止まるなんて」
「すごいだろう? 僕はフィリップを心から尊敬しているんだ。実は僕、かなりの動物好きでね。猫やら犬やら、捨てられた動物たちを保護して城で飼育してるんだ」
「はい、それは存じ上げております」
その話を聞いてオティリエは自分も捨て猫や犬と似たような立場なのではないかと思ったのだ。当然、しっかりと覚えている。
「だけど、残念ながら僕自身はあまり動物に好かれるほうではなくてね……。どれだけ可愛がってもすぐにそっぽを向かれてしまうんだ。それでも、どうしても彼らと仲良くなりたくて。そんなときに、動物に好かれる素晴らしい能力を持った騎士がいるって聞いたら重用したくなるだろう?」
ヴァーリックはそう言って護衛騎士――フィリップのほうを見る。彼は馬たちに頬ずりをされながら、オティリエたちのほうを向いて笑っていた。
「まあ、あそこまでくると『好かれる能力』というより『意のままに操れる能力』っていったほうが正しいけどね。フィリップは暴走している動物が相手でもあのとおり落ち着けることができるんだ。本当に唯一無二の才能だろう? 心底羨ましい。だから、彼が僕の従者になってくれてよかったって心から思うんだ」
ヴァーリックはフィリップを見つめつつ、まぶしそうに目を細める。オティリエは思わずハッと息を呑んだ。
『僕の能力って、自分自身でなにかができるわけじゃないんだよ? 母上なんて未来を視る能力があって、立派に国を守っているというのに、僕は他人の能力がなければなにもできない。腹立たしくて、悔しくて、拗ねていた時期がかなり長かったんだ。けれど、ないものねだりをしても仕方がない――ある日唐突にそう気づいてね。方向性を変えることにしたんだ。ないものは集めればいい。アインホルン家に限らず、僕はいろんな才能のある人たちを自分の元に集めることにしたんだ』
(そっか。ヴァーリック様が集めているのは補佐官たちだけじゃない。護衛騎士たちもヴァーリック様が能力に惚れ込んで集めた人たちばかりなんだわ)
オティリエははじめて会った夜にヴァーリックが話していたことを思い出す。
「オティリエの能力も同じだよ。誰にも真似できない唯一無二の才能だ。君がいたから事態に事前に気づくことができた」
「え? だけど私は心の声が聞こえただけで、実際に男性を止められたわけでもありませんし……」
「自分一人でなんでもできる必要はない。人にはそれぞれ、得意なことと苦手なことが存在する。大事なのは、必要なときに自分にできることを頑張ることだ。――オティリエが今日、そうしてくれたみたいにね。だから、自信を持って。焦らないで。ゆっくりと自分の能力と向き合ってほしい。僕は君を必要としているんだよ」
「ヴァーリック様……」
彼にはオティリエが焦っていることなどお見通しだったのだろう。優しい言葉をかけられて、オティリエは思わず泣きそうになる。なにより、ヴァーリックから必要とされていることが、オティリエには嬉しくてたまらなかった。
「くそっ! くそっ!」
と、馬たちを動かすことを諦め、馬車から一人の男性が降りてくる。げっそりと痩せ細った中年の男性だ。見れば、彼の手には刃渡りの短い刃物が握られていた。
「ヴァーリック様、見てください! 男性が!」
「大丈夫だよ。素人がナイフを振り回したところで、訓練を積み重ねた騎士には決して敵わない。フィリップは騎士としても優秀なんだ。なんといっても僕の護衛騎士だからね」
ヴァーリックの言葉どおり、フィリップは男性からいともたやすくナイフを奪うと、地面にグイッと組み伏せる。「よし」と小さくつぶやき、ヴァーリックはニコリと微笑んだ。
「お手柄だよ、オティリエ。君がいなかったらたくさんの人々が負傷していたと思う。事件を未然に防げてよかった。……犯行を企んでいたあの男性のためにも。本当にありがとう」
「いえ、そんな……。ヴァーリック様のお役に立てたなら嬉しいです」
こんなふうにお礼を言われることにはまだ慣れない。しかも、定型的な事務処理を終えたときとは言葉の重みが違っている。あまりの照れくささにオティリエはそっと下を向いた。
「あとのことはフィリップたちに任せて大丈夫だ。疲れただろう? 僕たちはそろそろ城に戻ろうか?」
ヴァーリックがオティリエの肩をポンと叩く。オティリエは少しだけ迷ったあと、首をそっと横に振った。
「よかったら少しだけ……少しだけ、あの男性と話ができませんか?」
「え? だけど……」
【いくら武器を奪って無力化しているとはいえ、あんな恐ろしいことを企んでいた男性だ。オティリエと直接会話をさせるのは少し不安だな。彼の心の声を聞いてオティリエが傷つくのは嫌だし、きっとものすごく疲れているはずだ。正直、これ以上負担をかけたくない】
ヴァーリックの心の声が聞こえてくる。おそらく彼は自分の考えがオティリエに聞こえていると気づいていないのだろう。言おうか言うまいか迷っているのが伝わってくる。
(ヴァーリック様ご自身も疲れていらっしゃるのだわ)
そのせいでオティリエの能力を弾ききれていない。
けれど、それでも……オティリエはヴァーリックの顔をまっすぐ見つめた。
「知りたいんです。あの人の心を。どうしてあんなにも追い詰められていたのかを……」
ヴァーリックが目を丸くする。
「オティリエ……」
「いえ、私が知ってどうこうできる話じゃないかもしれないし、そういう仕事を専門にしている人がいるってことも知っています。だけど私には、あの人が心のなかで叫んで、もがいて、泣いていたのがずっと聞こえていたから。だから……」
心の声が聞こえるオティリエだからこそわかることがあるのではないか? ――おこがましくもそんなふうに思ってしまうのだ。
ヴァーリックはそっと瞳を細めると、オティリエの頭を優しく撫でる。
「わかった、行こう」
「……! ありがとうございます! あの、わがままを言ってすみません。ヴァーリック様は私を気遣ってくださったのに」
「そんなこと思わないよ。僕はむしろ、オティリエのそういうところがすごく好きだ」
「え?」
なんのけなしに紡がれた『好き』という言葉。けれど、オティリエに対する威力は絶大だ。
(好きって……好きって…………いえいえ、特別な意味じゃないってわかってますけど! できればもう少し別の言葉をチョイスしていただきたかったなぁ、なんて)
ただの言葉の綾。こんなときに過剰反応すべきではない……そうとわかっていながら、オティリエの心臓はバクバクと鳴り響くのだった。
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先程までとは異なり、心の声がハッキリと聞こえる。オティリエはコクリとうなずいた。
「だけど、私じゃ彼を止められない。このままじゃ広場に突っ込まれちゃう……」
「大丈夫。絶対に止められるから。フィリップ」
「はい、ヴァーリック様」
そのとき、ヴァーリックの護衛として残っていたフィリップがオティリエたちをその場に押し留める。それから彼は加速する馬車の前へと躍り出ると、右手をスッと前に掲げた。
「フィリップさん!? そんな、馬車がもうあんなに近くにいるのに! あれじゃ正面からぶつかって――」
「大丈夫だよ、オティリエ。僕の従者はみんな素晴らしい能力を持っているんだ」
そう口にするヴァーリックの表情は自信に満ち溢れている。オティリエはおそるおそる馬車のほうをもう一度見た。――と、先程まで広場めがけて走っていた馬たちが唐突に足を止めているではないか。
【なぜだ!? どうして馬たちは急に足を止めた!? 止まるな! 動け! 走れ!】
バチン、バチンと馬を叩く痛ましい鞭の音が聞こえてくる。けれど、馬たちは微動だにせず、フィリップに向かって頭を垂れた。
「ヴァーリック様、そんな……信じられません。あんな状態で馬が止まるなんて」
「すごいだろう? 僕はフィリップを心から尊敬しているんだ。実は僕、かなりの動物好きでね。猫やら犬やら、捨てられた動物たちを保護して城で飼育してるんだ」
「はい、それは存じ上げております」
その話を聞いてオティリエは自分も捨て猫や犬と似たような立場なのではないかと思ったのだ。当然、しっかりと覚えている。
「だけど、残念ながら僕自身はあまり動物に好かれるほうではなくてね……。どれだけ可愛がってもすぐにそっぽを向かれてしまうんだ。それでも、どうしても彼らと仲良くなりたくて。そんなときに、動物に好かれる素晴らしい能力を持った騎士がいるって聞いたら重用したくなるだろう?」
ヴァーリックはそう言って護衛騎士――フィリップのほうを見る。彼は馬たちに頬ずりをされながら、オティリエたちのほうを向いて笑っていた。
「まあ、あそこまでくると『好かれる能力』というより『意のままに操れる能力』っていったほうが正しいけどね。フィリップは暴走している動物が相手でもあのとおり落ち着けることができるんだ。本当に唯一無二の才能だろう? 心底羨ましい。だから、彼が僕の従者になってくれてよかったって心から思うんだ」
ヴァーリックはフィリップを見つめつつ、まぶしそうに目を細める。オティリエは思わずハッと息を呑んだ。
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(そっか。ヴァーリック様が集めているのは補佐官たちだけじゃない。護衛騎士たちもヴァーリック様が能力に惚れ込んで集めた人たちばかりなんだわ)
オティリエははじめて会った夜にヴァーリックが話していたことを思い出す。
「オティリエの能力も同じだよ。誰にも真似できない唯一無二の才能だ。君がいたから事態に事前に気づくことができた」
「え? だけど私は心の声が聞こえただけで、実際に男性を止められたわけでもありませんし……」
「自分一人でなんでもできる必要はない。人にはそれぞれ、得意なことと苦手なことが存在する。大事なのは、必要なときに自分にできることを頑張ることだ。――オティリエが今日、そうしてくれたみたいにね。だから、自信を持って。焦らないで。ゆっくりと自分の能力と向き合ってほしい。僕は君を必要としているんだよ」
「ヴァーリック様……」
彼にはオティリエが焦っていることなどお見通しだったのだろう。優しい言葉をかけられて、オティリエは思わず泣きそうになる。なにより、ヴァーリックから必要とされていることが、オティリエには嬉しくてたまらなかった。
「くそっ! くそっ!」
と、馬たちを動かすことを諦め、馬車から一人の男性が降りてくる。げっそりと痩せ細った中年の男性だ。見れば、彼の手には刃渡りの短い刃物が握られていた。
「ヴァーリック様、見てください! 男性が!」
「大丈夫だよ。素人がナイフを振り回したところで、訓練を積み重ねた騎士には決して敵わない。フィリップは騎士としても優秀なんだ。なんといっても僕の護衛騎士だからね」
ヴァーリックの言葉どおり、フィリップは男性からいともたやすくナイフを奪うと、地面にグイッと組み伏せる。「よし」と小さくつぶやき、ヴァーリックはニコリと微笑んだ。
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ヴァーリックの心の声が聞こえてくる。おそらく彼は自分の考えがオティリエに聞こえていると気づいていないのだろう。言おうか言うまいか迷っているのが伝わってくる。
(ヴァーリック様ご自身も疲れていらっしゃるのだわ)
そのせいでオティリエの能力を弾ききれていない。
けれど、それでも……オティリエはヴァーリックの顔をまっすぐ見つめた。
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ヴァーリックが目を丸くする。
「オティリエ……」
「いえ、私が知ってどうこうできる話じゃないかもしれないし、そういう仕事を専門にしている人がいるってことも知っています。だけど私には、あの人が心のなかで叫んで、もがいて、泣いていたのがずっと聞こえていたから。だから……」
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「え?」
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