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【3章】補佐官のお仕事(その1)

24.オティリエの変化(前)

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 数刻後、オティリエは迎えの騎士に連れられてとある馬車へと向かった。馬車には先客がおり、オティリエを確認するなりニコリと微笑む。


「こんにちは、オティリエ。今日は来てくれてありがとう」


 そう口にする彼の表情は心底嬉しそうなもので。オティリエはドキドキしながら、深々と頭を下げた。


「ヴァーリック様……お礼を言うのはこちらのほうです。今日はよろしくお願いいたします」


 ヴァーリックはオティリエの手をとると、馬車のなかへとエスコートをしてくれる。オティリエが着席したのを合図に、二人をのせた馬車がゆっくりと走りはじめた。


「今日はいつもと違った印象だね」


 二人きりになるとすぐ、ヴァーリックが話題を振ってくれる。


「あ……服装ですか?」

「ううん。服も、髪型も、お化粧も。仕事のときとは違ってる」


 ヴァーリックはそう言ってオティリエのことをまじまじと見つめた。

 カランが選んだのは紫がかったピンクのシルクと、黒のレースが組み合わされたガーリッシュなドレスだ。プレンセスラインの柔らかなスカートに黒いレースの手袋、いつもよりかかとの高いエナメルの靴を合わせ、帽子でバランスをとっている。

 髪型は両サイドの髪をふんわりと巻いてからシニヨンにまとめた。

 お化粧はというと、カランがたっぷり時間をかけて艶肌を作り上げたあと、目の周りをあれこれ塗りたくられて人形のように大きな瞳ができあがった。頬紅と口紅はいつもより赤みの強いピンク。自分が自分じゃないみたいで、オティリエは少しだけ気が気じゃない。


(ヴァーリック様、どんなふうに思っていらっしゃるんだろう?)


 印象が違うとは言われたが、それ以外の感想が聞こえてこない。変だとか、似合わないとか、そういうことを思われていたらどうしよう? ――後ろ向きなことばかりを考えて、次第に顔がうつむいてしまう。


「ねえオティリエ、顔を上げて」


 オティリエが密かに困惑していると、ヴァーリックからそう声をかけられる。おそるおそる顔を上げたオティリエに、ヴァーリックはふわりと微笑んだ。


「僕がどう思っているか、知りたい?」

「え? それは……はい。知りたいです」


 人の気持ちなんてわからなければいいのに――ずっとずっとそう思って生きてきた。わからなければ傷つかない。苦しまなくて済む。自分の能力を呪ったことだってあったのに、オティリエは今、誰かの気持ちを知りたいと心から思っている。


「……オティリエがそんなふうに思えるようになって本当によかった」


 ヴァーリックが微笑む。オティリエは「え?」と小さく首を傾げた。


「出会ったばかりのオティリエははとにかく『心の声が嫌でたまらない』って感じだったからね。僕はよく考え事をするし、仮定や推測をすることがとても多い。混乱させるかもしれないと思って、できる限りオティリエに心の声を聞かせないようにしていたんだ」

「そうだったんですか?」


 ヴァーリックの心の声が聞こえないのは、オティリエに聞かれたくないことがあるからだと思っていた。しかし、よくよく考えれば、ヴァーリックははじめ『聞かれて困ることはない』と話していたし、オティリエのために能力を使ったり使わなかったりしていたということなのだろう。


「すみません、私ったら……。ヴァーリック様はそんなことまで考えてくださっていたんですね」

「謝る必要なんてないよ。僕が言わなかったし、聞かせなかっただけだからね。だけど、もうそんな必要はないのかな?」


 ヴァーリックから改めて尋ねられ、オティリエはこの一週間の自分の状況をきちんと振り返ってみる。


「えっと……そうですね。たしかに最近は、心の声があまり気にならなくなってきました。聞こえるけど聞こえないと申しましょうか。今なら夜会や人の多い場所でも怖くないと思う程度には慣れてきたと思います」


 同じ部屋で働く他の補佐官たちは、ありとあらゆる考え事をしながら仕事をしている。そのとき作成している書類の内容を心のなかでつぶやいている者もいれば、目の前の仕事をこなしながら次の仕事の段取りを考えている者、交渉を予定している文官とのやり取りをひたすらシミュレーションしている者もいるし、ふとしたときに婚約者の顔を思い浮かべて嬉しそうにしている補佐官もいる。

 そんな心の声たちに、はじめはオティリエも戸惑った。けれど、日が経つにつれ段々耳が、心が慣れていく。聞いているけれど聞いていない――聞き流すということを覚えたのだ。

 会話をしているときは別として、そうでないときは無意識に『聞かない』という選択ができるようになってきた気がする。もちろん、実家のようにみながオティリエに意識――とりわけ悪意を向けているわけではないという事情も大きいが、過去のオティリエには決してできなかったことだ。


「そうか。それはよかった」

「これがヴァーリック様のおっしゃっていた能力を磨くということなんでしょうか?」

「うん、そうだね。一人で過ごしていたら『意識的に聞かない』という経験はできないし、能力の使い方も模索できない。このあいだ僕に自分の能力を渡そうとしてくれたときみたいな実践も」

「はい! 全部、ヴァーリック様が私を連れ出してくださったおかげですね」

「それは違うよ」


 と、ヴァーリックが否定する。なぜ? と首を傾げると、ヴァーリックはそっと瞳を細めた。


「オティリエは屋敷で家族や使用人たちに立ち向かおうとしていただろう? あんなひどい環境で、それでも変わろうって、強くなろうともがいていた。だから今、君が変わりはじめているのは僕のおかげではない。オティリエ自身が頑張ったからだ。もっと自分に自信を持って。君は本当に頑張ったんだよ」


 ヴァーリックの言葉にオティリエの目頭が熱くなる。
 そんなふうに言ってもらえて嬉しくないはずがない。


(私、頑張ったんだ……)


 まだたったの一週間だけれど。他の人に比べれば小さな一歩かもしれないけれど。それでも己の努力を、変化を認めてくれる人がいる。

 だからこそ、オティリエにははっきりさせておきたいことがあった。
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