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【1章】夜会と、心の声と、王太子

4.道中【それも悪くない……かな】

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 屋敷から約一時間半、王宮への道のりはまるで地獄のようだった。仲睦まじく会話をする父親とイアマの向かいの席で、オティリエはまったく口を開くことができない。


「ねえお父様、どうしてオティリエも同じ馬車なの? 一緒にいてもひとことも口を利かないし雰囲気が悪くなるだけじゃない?」

「ああ、すまなかったねイアマ。この子のためだけに別に馬車を出すのはもったいないと思ったんだ……それに世間体というものもある。今日だけだから我慢してくれるかい?」


 心の声で罵るよりも会話をしたほうが効果的にオティリエをいたぶることができると二人は知っているのだろう。これみよがしにオティリエを非難してくる。


(聞こえない、聞こえないんだから)


 別に自分が夜会への参加を希望したわけではない。悪いのは彼女を呼び寄せた王妃であり、それにこたえた父親だ。今さら一緒に馬車に乗るのが苦痛だとか目障りだとか言われても、オティリエにはなんの責任もない。


「それにしても、今夜の夜会は楽しみだわ。ヴァーリック様にお会いできるってこともあるけど、妃殿下にお会いするのだってわたくしははじめただもの。お二人ともあまり夜会にはお見えにならないから」

「そうだな。こんな機会は滅多にない。ほとんどの高位貴族が今夜という機会に賭けているといっても過言ではない。それに、上手くすればオティリエの厄介払いができるかもしれんぞ?」

「え……?」


 唐突に自分の名前を出されて、オティリエは思わず目を丸くする。


「厄介払いってどういうこと?」

「ほら。王宮にはいろんな仕事があるだろう?」

「もちろんそれは知っているわ。現にお兄様だって文官として働いていらっしゃるし、他にも騎士や侍女、下働きといった仕事があるのでしょう?」

「そのとおり。それだけ仕事が多岐にわたるのだから、もしかしたらオティリエ程度でもできることがあるんじゃないかと……紹介してもらえるかもしれないと思ってね。なにせ身分だけは高いのだから」


 二人の会話を聞きながら、オティリエは瞳を輝かせる。


(そうか。もしも仕事が見つかったら、あの家を出れるかもしれないんだ……)


 そんなことはこれまで考えてみたこともなかった。そもそも自室から出るのも一日に数回の引きこもり状態で未来に希望などまったく見いだせなかったし、打開策を考えるだけの心の余裕もなかったのだ。


(お姉様がいない場所に行けば、私を蔑む人間は誰もいなくなる……といいのだけど)


 父親や使用人たちがどこまで魅了の影響を受けているのかはわからない。――彼らがあんなふうになったのはもう何年も前のことなのだから。
 とはいえ、元々オティリエは彼らに嫌われていたというだけで、現在は魅了の影響をまったく受けていない可能性だってある。しかし――


【バカねぇ。叶わない夢なんて見ちゃって】


 イアマの声が頭のなかで響く。オティリエはハッと顔を上げた。


「だけどそれってオティリエが誰かに有用だと思われなきゃいけないってことでしょう? 無理よ、そんなの。陰気で受けこたえもろくにできないし、夜会に出たところで立っているのがやっとってところでしょう? 誰もこの子に価値なんて見出さないわ」


 残酷な言葉の刃がオティリエに現実を突きつける。


(お姉様の言うとおりだわ)


 これまでの人生でオティリエの価値を認めてくれた人間がどれほどいただろう? たとえはじめは褒めてくれても、みなすぐにオティリエの前からいなくなってしまう。今回のマナー講師がいい例だ。


(私を必要としてくれる人なんて誰もいない)


 仕事なんて見つかりはしないだろう。


「そうは言ってもイアマ、このままオティリエがずっと屋敷にいるよりもいいと思わないか?」

「そんなの、頃合いを見て金持ちの年寄りと結婚させればいいじゃない。そちらのほうがずっと家のためになると思うわ」


 ケラケラと楽しそうに笑いつつ、イアマはオティリエをそっと見る。


(それも悪くない……かな)


 多分。ここに居続けるよりはずっとマシだ。……そんなことはとても言えないと思いつつ、オティリエは心のなかでため息をついた。


(それにしても、王妃殿下っていったいどんなかたなんだろう?)


 父親の話によると王妃はアインホルン家の血縁者――父のいとこにあたるんだそうだ。アインホルンの血を引いている以上なにかしら能力を持っていそうではあるが、そういった噂は聞こえてこない。……もっとも、オティリエは他人との交流自体を断っているため、情報を手に入れるすべといえばこっそりと拝借した新聞ぐらいなのだが。


 そうこうしている間に、馬車は市街地へと入っていった。王都の美しい街並みを眺めつつオティリエは静かに息を呑む。


「ちょっと! そういうの、田舎臭いって思われるからやめてよね」

「え? え……と」

「その『すごい! 綺麗!』みたいな表情よ。おのぼりさんって感じがしてみっともない。見ていてすごくイライラするわ。こんなんでも、あなたは私の妹なのよ? あなたがおかしな行動をすれば、私まで笑われてしまうわ。もっとアインホルン家の一員としての自覚を持ちなさい」

「……すみません、お姉様」


 そんなことを言われても、オティリエにとってははじめて見る王都の街、外の世界なのだ。多少気分が高揚してしまうのは仕方がないことだろう。それでも、イアマと一緒にいる以上、そういった態度は微塵も出してはいけないらしい。今夜一日を乗り切れれば……そう思いつつ、オティリエの胃がキリキリと痛んだ。


「さあ、着いたぞ」


 王宮に到着すると、オティリエは父親とイアマに続いて馬車を降りた。ずらりと並んだ貴族たちの馬車、大勢の人々に思わず圧倒されそうになる。


(ダメダメ。驚いたり感動したりしたら、またお姉様に怒られてしまうわ)


 必死に平静を装いつつ、マナー講師に教わったとおりに立ち居振る舞う。すると周囲の――とりわけ男性からの視線を感じた。


【どこのご令嬢だ? ……儚げで守ってあげたくなるタイプだ】
【小さくて愛らしいな】
【紫色の瞳が神秘的で吸い込まれそうだ】


 視線と同じ方角から心の声が聞こえてきて、オティリエはドキッとしてしまう。


「さすが、イアマはどこへ行っても人気者だな。早速男性陣の熱視線を感じるぞ」

「当然ですわ、お父様」

(……って! なにを勘違いしているの!? 私じゃなくてお姉様に決まっているじゃない!)


 現にイアマは男性たちに向かって笑顔を振りまき、小さく手を振っている。彼女は魅了の能力など使わずとも男性を虜にすることができる美しい女性だ。オティリエとは根本的に違う。


(バカね。私なんて眼中にないのに)


 密かに息をつきつつ、オティリエは父親たちの後ろを歩く。


【なんで手を振られているんだ? 俺が見ていたのはあの令嬢じゃないんだけどなぁ……】


 そんな心の声が複数あがる。けれどそれは他の参加者たちの声にかき消されて、オティリエに届くことはなかった。
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