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【1章】引きこもり魔女、森を出る

ルナリザーとの会談

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 陛下との謁見から数時間後、一行は会談の会場である国境・ルナリザー国にある拠点城へと出発した。表向きは両国間の王都からの距離が考慮された形だが、実際はルナリザーがサンソレイユを疑っていることがその理由だった。
 国境までは遠く数日に渡る長旅だったが、城から離れられることや途中に国内の領地を視察できるためか、ルカはそれなりに楽しそうだった。


「しかし、やはり疲れたな」


 ようやく到着した会談会場の控室で、ルカは大きく伸びをした。
 現在控室にいるのは全部で四人。ルカとクリス、それからアランとミシェルだった。同行させた騎士や世話役の侍女たちは、国境の手前の街に待機をさせている。


「実は、いつか移動魔法を完成したいと思っているのです。そうしたらルカ様の負担を少しは軽減できるかなぁって……」


 ミシェルはルカから旅行用のマントを預かりながら、ポツリと漏らす。


「そんなことが可能なのですか⁉」


 すると、クリスがすぐさま興奮気味に身を乗り出した。
 ミシェルは穏やかに微笑むと、ポケットから杖を取り出した。


「クリスったら……どんな魔法も先人たちの研究や実践の賜物なのですよ? 実は、短距離の物の移動ならば既に成功していまして」


 ミシェルは空中に向かって小さな魔方陣を描く。それから、少し離れた所に立つと、懐から羊皮紙を取り出した。そこには先ほど描いたものと全く同じ魔方陣が描かれている。


「見ていてくださいね」


 ミシェルが杖で魔方陣を軽く叩くと、二つの魔方陣が眩い光を放つ。それからミシェルは、側に置いてあった本を一冊手に取ると、魔方陣の描かれた羊皮紙へ近づけた。次の瞬間、ミシェルの手のひらから本は消えていて。代わりに先ほど描いた方の魔方陣から本が飛び出した。


「すごいな……初めて見る魔法だ」


 ルカはミシェルの移動させた本を手に取ると、パラパラとめくって見せた。


「あまり期待を持たせてはいけないと今までお見せしていなかったのですが、やはりお疲れのようでしたので……いつか完成させられたらなぁ、と」


 申し訳なさそうに笑うミシェルに、ルカはニコリと微笑んだ。


「いや、十分だ。しかし自分からハードルを上げるんだから、ミシェルはやっぱり面白いな」

「いっいえ! そんなつもりでは……」


 焦り頬を染めるミシェルを撫でながら、ルカは思案顔を浮かべた。


「ところで、ミシェルは祖母から魔法を学んだと言ったか」

「はっ……はい、その通りです。あとはおばあさまが亡くなってからは、家にあった魔術書を読み漁りましたが、それが何か……?」


 ルカの質問の意図がわからないまま、ミシェルはコクコクと頷く。


「いや……これまでミシェルに見せてもらった魔法や知識……これは今、国にある魔術学校で学ぶ範囲を遥かに凌駕している。ミシェルの祖母が元はどのような方だったか知っているか?」

「いえ……祖母はあまり自分のことを話しませんでしたから。あっ、でも昔、魔術学校の教鞭を振るっていたと聞いたことがあるような」

「なるほどな。昔は今よりも魔術に対する規制が弱かった。国同士の争いも今より酷かったから、戦場に出ることができる魔女の育成も必要だったと聞く」


 ルカの神妙な面持ちに、ミシェルはひっそりと息を呑む。


「その時代に教鞭を振るっていたのなら、きっとミシェルの祖母は相当優秀な魔女だったんだろう。そんな人が攻撃魔法が今では禁忌扱いされていると知らないはずがない。それでもミシェルに教えたのにはきっと、孫娘を守りたい一心だったんだろう」

「そう……なのでしょうね」


 そう答えつつ、ミシェルはそっと俯く。
 祖母は元々、ミシェルが外の世界に出ることを禁じていた。そんな彼女に他者を攻撃するための魔法を教えたのは、外からの侵略者を森から追い出すためだったのかもしれないし、もしかするとミシェルがこうして、森から飛び出した時を見越したのかもしれない。


「祖母の魔法を実践する機会が訪れるのでしょうか?」


 己の手のひらを見つめながら、ミシェルが呟く。
 人を傷つける覚悟はあるし、怖くもない。けれど、できればそんな機会が来なければ良いとミシェルは思った。


「まぁ、心配するな。ルナリザーの連中も決して言葉の通じない相手ではない。今回の会談は互いに今後の動きを牽制するためのものだ。それに、会談の相手が私が指名されたのにも意味がある――」


 するとルカの言葉を遮るように、コンコンコン、と部屋の戸がノックされた。


「時間だな」


 ルカが踵を返すと、その後ろにクリスとアランが続いていく。ミシェルはそっとクリスの後ろに続いた。


 会談会場は豪奢だが窓のない、控室よりも少し広い程度の小部屋だった。外へ会話を漏らさないようにと壁も厚く、特殊な造りをしているのがミシェルにも分かった。
 ルナリザー側の代表者たちは既に入室しており、ルカたちが部屋へ入ると同時に、起ち上って出迎える。

 人数はミシェル達同様四人。ひと際美しい服に身を包んだ、身分の高そうな黒髪の青年が一人と、騎士装束に身を包んだ男性が二人、それからローブを身に纏った年配の女性が一人だった。今回の会談の目的を鑑みるに、この女性はルナリザー側が雇っている魔女なのだろうと予想した。


「お久しぶりです、ジェゾ王子」


 ルカはそう言って手を差し出した。ジェゾ王子と呼ばれた相手方の代表は、無表情のままルカへと手を差し出し握手を交わす。けれど、ジェゾはぶっきら棒に「どうも」と口にする程度で礼を欠いている。ルカはそんなことは意に介さない様子で、用意された自分の椅子へと腰掛けた。

 二人は互いの国の経済や気候等、当たりさわりのない話題を選びながら、言葉を交わしていく。けれど、会談開始から数分後、先手必勝とばかりにルカは本題を切り出した。


「あなたの弟君……第3王子が行方不明になった件について、お聞かせいただけないでしょうか」


 ルカは普段よりも、聊か丁寧な口調だった。
 ジェゾは無表情のままゆっくり目を瞑ると、小さくため息を吐く。


「……弟が消えたのは、ある月のない夜のことでした。その日の弟は、朝から様子がおかしかった。ですから夕食の後、私とすぐ下の弟とで、第3王子……エイダンの様子を見に行くことにしたのです。けれど、外から声を掛けても全く反応が無く、部屋には鍵が掛かっていた。人嫌いの弟の部屋にはスペアもないため、我々は仕方なくドアを蹴破りました。けれど、部屋の中に弟はいなかった。窓にもきっちりと鍵が掛けられており……ただ、主が不在な部屋がそこにあったのです」

「――――弟君が外から鍵を掛けて、自ら出掛けて行ったという可能性は?」


 ジェゾの話を一通り聞いてから、ルカが問いかける。室内に先程までとは違う緊張感が漂っていた。


「当然その可能性も考えました。アレは、我々兄弟たちの中で一番優秀なくせに、王家としての自分を毛嫌いしていましたら……。公務が面倒になって、どこかに遊びに出掛けたのかもしれない。そう思ってしばらくは何も公表せず、様子を見ていたのです。けれど、その数日後、思わぬことが起きました」


 そう言ってジェゾが取り出したのは、焦げた羊皮紙だった。炭のように真っ黒に焦げ、全く何が書いてあるかは分からないというのに、何故か紙の原型は綺麗に留めている不気味な一品だ。


「弟が消えた日から、エイダンの部屋には常時警備を付けていました。けれどある日、警備のものの知らぬ間に、弟の机にこの紙が置かれていた。……いえ、正確には燃える前の紙が置かれていたのです。我々が羊皮紙を手にした途端、文字が光りました。そして紙に書かれているのと同じ内容が、聞いたことも無い女の声で読み上げられたのです」


 余程不気味だったのだろう。ジェゾの顔色は悪く、忌々し気に眉間に皺を寄せていた。


「『エイダン王子はもういない。次の王たる者を喪ったルナリザーに将来はないだろう』――――そう、女は言いました。次の瞬間、まるで雷のような光りに羊皮紙が包まれたかと思うと、こうして黒焦げ状態になっていた、というわけです」

「……お話をお聞きする限り、エイダン王子が行方不明になったのは、やはり魔法が絡むのでしょうね」


 ルカが小さなため息を吐きながら、そう漏らした。


(なんだか気味が悪い話ですね……)


 ミシェルはトネールを撫でながら俯いた。
 ここ数日、国中のあらゆる魔術書を読み漁ったが、人を消したり、手紙に魔力を込めたりといった魔法の記載はなかった。恐らくは表に出ることのない黒魔術か、誰かが新たに作り上げた魔法だろう。
 もしかするとそれは、ミシェルが先程ルカに説明した移動魔法と原理は同じなのかもしれない。彼の役に立てばと思ったあの魔法も、使い方を間違えれば恐ろしい脅威になる。そう自覚をするに、ミシェルはブルリと身体を震わせた。


「ふん、魔法が絡んでるなんて一目瞭然だろう? そんな分かり切ったことのために、わざわざ私まで引っ張り出したのかい? つまらないことで年寄りをこき使うなんて、王族っていうのは本当に横柄だねぇ」


 沈黙を破ったのは、しわがれた甲高い声だった。皆が一斉に顔を上げる。声の主は老婆――ルナリザー側の魔女だった。


「そうは言ってもリリー殿! まだ犯人も目的も、何も分かっていないのですよ」

「それがどうした? あるのはエイダンが魔法絡みの事件でいなくなったっていう純然たる事実であって、こんなところで話し合ったところで解決できるはずないだろう?」

「それは……その通りですが」


 ジェゾ王子は不機嫌そうに目を細めながら、チラチラとルカやミシェルを見つめてくる。何やら意味ありげな視線に、クリスとアランがそっと身を乗り出した。


「……あぁ、そうか! すまなかったねぇ、つまらない人間は私だったよ! そうかい、そうかい。これがこの会談の目的だったんだねぇ?」

「リリー殿、一体何を……」

「うんうん、ジェゾ王子が聞けないなら、私が変わってやろう。『おまえたちが王子を攫ったんだろう? 』と、そう聞きたかったんだねぇ。そうすれば、このツマラナイ会談が早く終わる。そういうこっちゃ」

「リリー殿!」


 反対側で繰り広げられる応酬を、ルカを含めた一同は固唾を飲んで見守っていた。


(確かに『次の王たる者を喪ったルナリザーに将来はないだろう』と告げられたなら、サンソレイユを疑うのは道理にかなっているのかもしれません)


 ミシェル達の国――――サンソレイユとルナリザーは、戦争には至っていないものの、現状あまり良い関係にない。領地争いは生じていないが、経済的にも文化的にもほぼ同位にあって、互いに優位に立ちたいと競り合っている――――そんな状況なのだという。


(あからさまな軍事衝突を避けつつ、且つ敵国を出し抜くには、内部から相手を崩すのが有効だって、ディーナが言ってたから)


 ルナリザー側は、サンソレイユが後継者であるエイダン王子を消し去り、国の滅亡を狙っていると考えている、ということなのだろう。


(それにしても)


 ルナリザーの魔女は見かけ通り、とんでもない人物だった。
 あくまで遠回しにサンソレイユを牽制し、交渉を優位に進めようとしているジェゾ王子の意向を無視し、全てを台無しにしてしまった。
 サンソレイユ側だってそうだ。こうもあからさまに疑惑を口にされてしまっては、駆け引きどころではなくなってしまう。


(いえ、ルカ様としては『うちは関係ない』と口にしやすいのかもしれませんけど)


 今後の関係性の構築については、一から策を練り直さねばならない。何だかミシェルは色んな人が気の毒でならなかった。
 トネールは不機嫌そうに鼻を鳴らし、ミシェルの膝から飛び降りると、老婆こと魔女を睨んだ。碧い瞳が鋭い光を放っている。すると、トネールの視線に気づいたのだろう。顔を真っ赤に染めて怒り狂うジェゾを余所に、リリーがトネールの元へと駆け寄った。


「おやおや……この子は…………何だか懐かしい魔力を感じるね。主人はそこの小娘かい?」


 リリーはおずおずとトネールに手をかざす。その表情はどこか嬉しそうな、けれど怯えているような、そんな顔だった。


「はっ……はい! 私がその子の……トネールのパートナーです」


 ミシェルは恐る恐る声を上げた。リリーはしばらくミシェルを眺めていたが、やがて驚いたように目を見開くと、ニヤリと妖しく笑った。


「なるほど……そうかい。歴史は繰り返すんだねぇ」


 何やら含みのある魔女の言葉に、ミシェルは身体を震わせる。ルカと、それからミシェルを交互に見ながら、リリーは笑い声を上げた。皆が顔を見合わせながら、眉間に皺を寄せる。静かな会談会場に、陽気な魔女の不気味な笑い声が木霊していた。 
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