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【1章】立志編
ただいま
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「ひっでぇ話だな、それ!」
アダルフォが用意した馬車の中、わたしはエメットに事情を説明していた。
「じゃあ、これまでライラが俺達に向けて書いた手紙も、俺達がライラのために書いた手紙も、全部国王に隠されてたってこと?」
「そういうこと」
思い出すのも腹立たしく、わたしは備え付けのクッションを握りしめつつ、眉間にグッと皺を寄せる。
「理由は? 陛下はどうしてそんなことをしたんだ?」
「そんなの知らないわ! だって、聞いたところで、到底理解なんて出来ないもの。
大体、送る気がないなら最初からそう言えって話じゃない? こっちは送られる前提で一生懸命に手紙を書いているのに、酷い裏切りだわ」
言いながらイライラを募らせるわたしを、エメットは馬みたいに宥めた。
「しっかし、さっきのドレス姿を見た時は、ライラはすっかり変わってしまったんだなぁなんて思ってたけど、そんなこと無かったな」
「当たり前じゃない。人間、たったの数か月で変わったりしないわ」
王宮にいる間色んなことを学ばせてもらったおかげで、知識だけはたくさん蓄積されたけれど、根っこの部分はそう簡単には変わらない。
やっぱり人間は『誰から生まれた』かじゃなくて『どう育てられた』かの方がずっとずっと影響が大きいのだと思う。だって、わたしは陛下――――王家の血を継ぐものらしいけど、全然似てると思わなかったし、王族らしい考え方なんて出来なかったもの。
今のわたしを形作ったのは生物学上の父でも祖父でもない。育ててくれたお父さんとお母さん、それからわたしの側に居てくれた人達だ。
「やっぱりわたしはドレスよりこういう格好の方が楽だし性に合ってるわ。身体がスッキリと軽くて気持ち良いの」
「ふぅん……さっきの格好も似合ってはいたけどな」
「えっ……嘘! エメットが褒めてくれるなんて思わなかったわ」
驚きに目を見開けば、エメットは恥ずかし気に頬を染め、フイと顔を逸らす。
「……やっぱり言わなきゃ良かった」
「ごめんごめん。あまりにも新鮮だったから、つい。
だけど、ありがとう。似合ってたって言って貰えて嬉しい」
エメットはお世辞を言うタイプじゃないし、もう二度とあんな格好をすることは無いだろう。そう考えると、エメットにあの姿を見て貰えて良かった、って思う。
「別に、俺なんかに褒めてもらわなくても、ライラには婿候補が何人もいるんだろう?」
「へ?」
半ば拗ねたような表情で、エメットはこちらを流し見る。わたしは瞼を瞬かせつつ、エメットに先を促した。
「新聞で話題になってたぞ。姫君は将来の伴侶に一体誰を選ぶのか――――ってさ」
「何それ」
わたしが知らない間に、そんなことまで噂が出回っていたらしい。噂――――というよりも、王室がある程度の情報操作をしているのだろうから、敢えて流した情報、というのが正しいだろう。
「信じられない! そんなことまで噂になってるなんて」
「それだけじゃないぞ。二か月後に迫った式典で、ライラが正式に王太女に指名されることも、その時におまえの婚約者が発表されるってことまで詳細に報道されてる。おまえ、何も知らなかったの?」
「知らないわ。誰も教えてくれないもの」
アダルフォやシルビア、ランハートやバルデマー、ついでに講師たちだって、誰もそんなことは教えてくれない。恐らくはわたしを慮ってのことだろうけど、知らないところであれこれ言われるのは気持ちが良いものではないし、こうして城から脱出した今、どんなことを言われるのか考えると頭が痛くなる。
「なあ、ライラ。お前、本当に城を出て良かったのか? 後悔しない?」
「後悔? そんなの、する筈がないでしょう? 逆にどうしてそう思うの?」
「いや、だってさ、綺麗なドレスとか宝石とか沢山貰えるし、美味いもの沢山食えて、ふかふかのベッドで眠れて、カッコいい貴公子たちに求婚迄されるんだろう? 良いこと尽くしじゃん? 実家で少しゆっくりして、気持ちが落ち着いたらさ、城に戻った方が良いんじゃ――――」
「一日中勉強漬けで、外に出ることも許されなくて、育ててくれたお父さんとお母さんに手紙すら送れなくて、結婚しないという自由もないのよ?」
言えばエメットはウっと唇を噤む。わたしはため息を吐きつつ、車窓の外を眺めた。
「わたしはね、服は今着ているようなシンプルなもので良いし、宝石はお父さんから貰える玩具みたいな子ども用のジュエリーの方が良い。お母さんの作った温かいご飯を家族みんなで囲んで、寝返りしたら落ちちゃいそうな小さなベッドで眠って、毎日笑って過ごしたい。人並みの幸せがあればそれで良いの。お姫様の幸せなんて求めてない。何と言われても戻るつもりは無いわ」
「…………そうか」
それっきり、エメットは一言も喋らなくなった。
元々貴族が好きじゃないエメットがあんなことを言ったのは、ひとえに国を心配しているからだろう。
(わたしが居なくなったら後継者が居なくなるもんね)
だけど、直系がいないってだけで、王位を継げる人間は他にも存在する。ランハートやゼルリダ様も、わたしと同じ、王の血を継ぐものだ。このままわたしが戻らなければ、二人やランハートの父親が次期後継者となるだろう。
(まぁ、ランハートは嫌がるだろうけど)
元々己に正直で『王太子は面倒くさいから王配の方が良い』と言うような人間だ。だけど、ゼルリダ様は数年間の結婚生活で子どもが出来なかったから、別の誰かと再婚したとして、跡継ぎが生まれるかは分からない。そう考えると、次期国王として指名される可能性はランハートたちよりも低くなると思う。
(……それにしても、ゼルリダ様はどうしてわたしの手紙を届けてくれたんだろう?)
わたしは彼女に嫌われている――――多分それは間違いない。それなのに、そんなわたしの願いを叶えてくれた――――その理由がわたしには分からない。
(本当は『ありがとう』って言えたら良かったんだけど)
直接お礼を言う機会は今後訪れないだろう。せめて、手紙を送ろうか――――そんな風に思いながら、わたしは窓の外を眺めた。
エメットたちと駆け回った懐かしい街並みが、少しずつ少しずつ近づいてくる。殆どの家が既に灯りを落としていて、シンと静まり返っているけれど、どこか温かくて優しい。
「わたし、帰って来たんだ……」
心臓がトクントクンと鼓動を刻む。嬉しさと興奮と――――それからほんの少しの不安。
(この街は――――お父さんとお母さんは――――――再びわたしを受け入れてくれるのかな?)
そう思うと、足が竦むし息が上手く吸えなくなる。
やがて、わたしの家の前で、馬車がゆっくりと停車した。
「お疲れ様でした、ライラ様」
アダルフォが扉を開け、わたしをエスコートしてくれる。
「ありがとう、アダルフォ」
きっと物凄く疲れているだろうに、嫌な顔一つせず、優しく微笑んでくれるアダルフォに、胸が温かくなった。
「どうしよう。お父さんもお母さんも、やっぱり寝てるよね……」
事前に何も知らせていなかったのだから当然だけど、家の灯りは全て消えていた。きっと二人とも、ぐっすりと眠っているだろう。
「あーー……取り敢えず家来る? お前がこれまで使ってたベッドよりは数段劣るけど、馬車の中で寝るよりはマシだろう? アダルフォさんも、今から帰るのはキツイでしょうし、家はすぐそこですから」
「そうだね。お父さんとお母さんを起こすのも忍びないし、そうさせてもらうのが良いかも」
そんなことを話していたその時、家の奥――――両親の寝室の灯りがポッと灯った。
(あっ……)
もしかして――――そんな想いを胸に、わたしは玄関へと駆け寄る。そうしている間にも灯りが段々と増えていき、わたしが扉へ手を掛けた瞬間――――
「ライラ!」
温かな声音と共に、わたしは両親から抱き締められていた。
「お父さん……」
瞳からじわりと涙が滲む。
「お母さん……」
パジャマから香る石鹸の臭い。久方ぶりに感じる人のぬくもり。小刻みに震えている二人の身体に、わたしは思い切り縋りついた。
「おかえりなさい、ライラ」
その一言だけで、わたしには十分だった。
「ただいま」
大粒の涙を流しながら、わたしはしばらくの間、お父さんとお母さんの腕に抱かれていた。
アダルフォが用意した馬車の中、わたしはエメットに事情を説明していた。
「じゃあ、これまでライラが俺達に向けて書いた手紙も、俺達がライラのために書いた手紙も、全部国王に隠されてたってこと?」
「そういうこと」
思い出すのも腹立たしく、わたしは備え付けのクッションを握りしめつつ、眉間にグッと皺を寄せる。
「理由は? 陛下はどうしてそんなことをしたんだ?」
「そんなの知らないわ! だって、聞いたところで、到底理解なんて出来ないもの。
大体、送る気がないなら最初からそう言えって話じゃない? こっちは送られる前提で一生懸命に手紙を書いているのに、酷い裏切りだわ」
言いながらイライラを募らせるわたしを、エメットは馬みたいに宥めた。
「しっかし、さっきのドレス姿を見た時は、ライラはすっかり変わってしまったんだなぁなんて思ってたけど、そんなこと無かったな」
「当たり前じゃない。人間、たったの数か月で変わったりしないわ」
王宮にいる間色んなことを学ばせてもらったおかげで、知識だけはたくさん蓄積されたけれど、根っこの部分はそう簡単には変わらない。
やっぱり人間は『誰から生まれた』かじゃなくて『どう育てられた』かの方がずっとずっと影響が大きいのだと思う。だって、わたしは陛下――――王家の血を継ぐものらしいけど、全然似てると思わなかったし、王族らしい考え方なんて出来なかったもの。
今のわたしを形作ったのは生物学上の父でも祖父でもない。育ててくれたお父さんとお母さん、それからわたしの側に居てくれた人達だ。
「やっぱりわたしはドレスよりこういう格好の方が楽だし性に合ってるわ。身体がスッキリと軽くて気持ち良いの」
「ふぅん……さっきの格好も似合ってはいたけどな」
「えっ……嘘! エメットが褒めてくれるなんて思わなかったわ」
驚きに目を見開けば、エメットは恥ずかし気に頬を染め、フイと顔を逸らす。
「……やっぱり言わなきゃ良かった」
「ごめんごめん。あまりにも新鮮だったから、つい。
だけど、ありがとう。似合ってたって言って貰えて嬉しい」
エメットはお世辞を言うタイプじゃないし、もう二度とあんな格好をすることは無いだろう。そう考えると、エメットにあの姿を見て貰えて良かった、って思う。
「別に、俺なんかに褒めてもらわなくても、ライラには婿候補が何人もいるんだろう?」
「へ?」
半ば拗ねたような表情で、エメットはこちらを流し見る。わたしは瞼を瞬かせつつ、エメットに先を促した。
「新聞で話題になってたぞ。姫君は将来の伴侶に一体誰を選ぶのか――――ってさ」
「何それ」
わたしが知らない間に、そんなことまで噂が出回っていたらしい。噂――――というよりも、王室がある程度の情報操作をしているのだろうから、敢えて流した情報、というのが正しいだろう。
「信じられない! そんなことまで噂になってるなんて」
「それだけじゃないぞ。二か月後に迫った式典で、ライラが正式に王太女に指名されることも、その時におまえの婚約者が発表されるってことまで詳細に報道されてる。おまえ、何も知らなかったの?」
「知らないわ。誰も教えてくれないもの」
アダルフォやシルビア、ランハートやバルデマー、ついでに講師たちだって、誰もそんなことは教えてくれない。恐らくはわたしを慮ってのことだろうけど、知らないところであれこれ言われるのは気持ちが良いものではないし、こうして城から脱出した今、どんなことを言われるのか考えると頭が痛くなる。
「なあ、ライラ。お前、本当に城を出て良かったのか? 後悔しない?」
「後悔? そんなの、する筈がないでしょう? 逆にどうしてそう思うの?」
「いや、だってさ、綺麗なドレスとか宝石とか沢山貰えるし、美味いもの沢山食えて、ふかふかのベッドで眠れて、カッコいい貴公子たちに求婚迄されるんだろう? 良いこと尽くしじゃん? 実家で少しゆっくりして、気持ちが落ち着いたらさ、城に戻った方が良いんじゃ――――」
「一日中勉強漬けで、外に出ることも許されなくて、育ててくれたお父さんとお母さんに手紙すら送れなくて、結婚しないという自由もないのよ?」
言えばエメットはウっと唇を噤む。わたしはため息を吐きつつ、車窓の外を眺めた。
「わたしはね、服は今着ているようなシンプルなもので良いし、宝石はお父さんから貰える玩具みたいな子ども用のジュエリーの方が良い。お母さんの作った温かいご飯を家族みんなで囲んで、寝返りしたら落ちちゃいそうな小さなベッドで眠って、毎日笑って過ごしたい。人並みの幸せがあればそれで良いの。お姫様の幸せなんて求めてない。何と言われても戻るつもりは無いわ」
「…………そうか」
それっきり、エメットは一言も喋らなくなった。
元々貴族が好きじゃないエメットがあんなことを言ったのは、ひとえに国を心配しているからだろう。
(わたしが居なくなったら後継者が居なくなるもんね)
だけど、直系がいないってだけで、王位を継げる人間は他にも存在する。ランハートやゼルリダ様も、わたしと同じ、王の血を継ぐものだ。このままわたしが戻らなければ、二人やランハートの父親が次期後継者となるだろう。
(まぁ、ランハートは嫌がるだろうけど)
元々己に正直で『王太子は面倒くさいから王配の方が良い』と言うような人間だ。だけど、ゼルリダ様は数年間の結婚生活で子どもが出来なかったから、別の誰かと再婚したとして、跡継ぎが生まれるかは分からない。そう考えると、次期国王として指名される可能性はランハートたちよりも低くなると思う。
(……それにしても、ゼルリダ様はどうしてわたしの手紙を届けてくれたんだろう?)
わたしは彼女に嫌われている――――多分それは間違いない。それなのに、そんなわたしの願いを叶えてくれた――――その理由がわたしには分からない。
(本当は『ありがとう』って言えたら良かったんだけど)
直接お礼を言う機会は今後訪れないだろう。せめて、手紙を送ろうか――――そんな風に思いながら、わたしは窓の外を眺めた。
エメットたちと駆け回った懐かしい街並みが、少しずつ少しずつ近づいてくる。殆どの家が既に灯りを落としていて、シンと静まり返っているけれど、どこか温かくて優しい。
「わたし、帰って来たんだ……」
心臓がトクントクンと鼓動を刻む。嬉しさと興奮と――――それからほんの少しの不安。
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そう思うと、足が竦むし息が上手く吸えなくなる。
やがて、わたしの家の前で、馬車がゆっくりと停車した。
「お疲れ様でした、ライラ様」
アダルフォが扉を開け、わたしをエスコートしてくれる。
「ありがとう、アダルフォ」
きっと物凄く疲れているだろうに、嫌な顔一つせず、優しく微笑んでくれるアダルフォに、胸が温かくなった。
「どうしよう。お父さんもお母さんも、やっぱり寝てるよね……」
事前に何も知らせていなかったのだから当然だけど、家の灯りは全て消えていた。きっと二人とも、ぐっすりと眠っているだろう。
「あーー……取り敢えず家来る? お前がこれまで使ってたベッドよりは数段劣るけど、馬車の中で寝るよりはマシだろう? アダルフォさんも、今から帰るのはキツイでしょうし、家はすぐそこですから」
「そうだね。お父さんとお母さんを起こすのも忍びないし、そうさせてもらうのが良いかも」
そんなことを話していたその時、家の奥――――両親の寝室の灯りがポッと灯った。
(あっ……)
もしかして――――そんな想いを胸に、わたしは玄関へと駆け寄る。そうしている間にも灯りが段々と増えていき、わたしが扉へ手を掛けた瞬間――――
「ライラ!」
温かな声音と共に、わたしは両親から抱き締められていた。
「お父さん……」
瞳からじわりと涙が滲む。
「お母さん……」
パジャマから香る石鹸の臭い。久方ぶりに感じる人のぬくもり。小刻みに震えている二人の身体に、わたしは思い切り縋りついた。
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