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【3章】黒幕と契約妃

28.新たな動き

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「本当に、ミーナ様が無事で良かったですわ」


 そう言ってエスメラルダ様が笑う。今日は事件以来初めて翠玉宮に来ていた。ベラ様も一緒だ。三人でお茶をするのは、入内以降初めてのことになる。


(もしかしたら、ソフィア様に配慮する必要がなくなったからかなぁ)


 そんなことを思いつつ、わたしはホッとため息を吐く。右と左、どちらを見ても眼福な美しさだ。さすがは後宮。アーネスト様の自慢のお妃様である。


「ありがとうございます。ご心配をお掛けして、申し訳ございません」


 こんな格下妃(というか本当は妃ですらないのだけれど)にまで心を配ってくれる二人の優しさに、わたしは恐縮しきりだ。
 前帝――アーネスト様のお父様が国を治めていた時、その寵愛を争って、妃同士が激しくいがみ合っていると先輩宮女から聞いていた。だから、アーネスト様のお妃様もきっとそうだと思っていたのに、蓋を開けてみれば、そういう枠に当てはまったのはソフィア様だけだった。


「ミーナ様が謝る必要無いわ。悪いのは全部、ソフィア様ですもの」


 そう言ってベラ様がため息を吐く。大変悩まし気な、色っぽいため息だった。こちらまで胸が桃色に染まる様な心地がしつつ、わたしは大きく息を吸う。花の香りを煮詰めたみたいな甘ったるい香りがした。こんなの、男性が吸ったら一発でノックアウトだ。


(なのに、あんまり聞かないのよね。アーネスト様がベラ様の元に通っていらっしゃるって話)


 侍女たちがわたしを気遣って話さないだけなのかもしれない。だけどそれ以前に、アーネスト様自身が『ベラの宮殿には殆ど足を運んだことがない』とそう言っていた。『誰かに殺されるかもしれない』と慎重にならざるを得ない今回の人生ならともかく、一度目すらあまり足を運んでいない理由はよく分からない。


(わたしなら足繁く通うだろうに)


 というか、殆どの男性がそうすると思う。こんなに色っぽくて綺麗な人だもの。夢中になって然るべきだとそう思う。


「しかし、重臣たちは殊の外安堵したことでしょう。ミーナ様には大きな期待が寄せられていますもの」

「期待、ですか?」


 何のことか分からず、わたしはそっと首を傾げる。すると、ベラ様がふふ、と笑みを漏らした。


「妃に寄せられる期待と言えば、当然、お世継ぎですわ。陛下の即位から早八月。そろそろ誰かが身籠っても良い頃合いですもの」

(ごめんなさい。わたしが妊娠することは無いんです!)


 心の中でそう叫びつつ、心が変な音を立てる。
 本当のことを話してしまいたいけど、大好きなこの二人も、アーネスト様を殺した人間である可能性は拭えない。それに、どこからどう話が漏れるか分からないもの。事実を知るのはわたしとアーネスト様、それからロキの三人だけで良い。


「我が国の皇族は、代々子が出来にくいのですわ。でなければ、何代にも渡って後宮制度を保ってきたのに、皇族がアーネスト様一人だなんて、あり得ませんもの」


 そう口にしたのはエスメラルダ様だった。表情がどことなく憂いを帯びている。


(本当は、エスメラルダ様がお世継ぎを産むのが一番良いんだろうなぁ)


 やんごとない高貴なお生まれに、穏やかで高貴な人柄。知性も教養も誰よりも秀でている。きっと、エスメラルダ様の子どもならば、素晴らしい皇帝になると分かるもの。

 それに、考えたくはないけど、もしもアーネスト様が前回同様命を狙われたら――――もしも犯人の目論見が上手くいってしまったら――――皇族の血が絶えることになる。リスクはあれど、今のうちにお世継ぎを得るための努力をした方が良いのは間違いない。


「――――申し訳ございません。アーネスト様にはもっとお二人の元にも通われるよう、わたしからお伝えしますので」


 なんだかとてつもなく申し訳ない気持ちに駆られて、わたしはそう口にする。すると、エスメラルダ様は目をきょとんと丸くし、ややして首を横に振った。


「まぁ、ミーナ様……そんなこと、気になさる必要はございませんのよ?」


 そう言ってエスメラルダ様はチラリと背後へ視線を遣る。そこには憮然とした表情のコルウス様がいた。護衛のため、今日は同席を許されたらしい。


「あたしも。好き勝手させてもらっているし、今のままで特に不満はないもの」


 ベラ様もそう言って艶っぽい笑みを浮かべる。


「けれど、お世継ぎのことを思えば、絶対そちらの方が良いなぁと…………」


 というか、元々そういう話だったはずだ。二人ははたと目を丸くし、それから扇でそっと口元を隠す。ややしてコホンと小さく咳払いをし、エスメラルダ様はそっとわたしを覗き見た。


「実はそのことで、少しばかり動きがあるようなのです」

「動き、ですか?」

「ええ。……先日、蒼玉宮の妃の座が空席になってしまいましたでしょう? それで、重臣の娘を一人、妃として入内させるという話が上がっているそうなのです」


 その途端、心臓がドクンと大きく跳ねた。息が苦しい。思考がちっとも纏まらない。まるで毒を飲んだときのように、身体の機能が狂っていた。


「そう、ですか」


 どのぐらいの時間が経ったのだろう。やっとの思いでそんな返事をする。
 

(アーネスト様に新しい妃が)


 絶望感が勢いよく押し寄せる。そんなこと、考えたことも無かった。
 ううん。新しい妃が来たとしても、本当は何も変わらない。だって、わたしは契約妃だもの。アーネスト様にメリットがあるから、妃として存在しているだけ。それなのに、どうしてこんなに胸が疼くのか。


(結局わたしは――――アーネスト様が自分のところに来てくれることに優越感を感じていたんだ)


 理由はどうあれ、アーネスト様は金剛宮に頻繁に通ってくれる。例えそれが契約があるから、その間だけだとしても、わたしはとても嬉しかった。エスメラルダ様とベラ様が相手なら、アーネスト様が通われても辛くはない。それはきっと、知らずに抱いていた優越感があったからなのだと、そう思う。


(わたし……すごく嫌な女だ)


 恥ずかしくて、自分が嫌で堪らない。何が『お二人の元にも通われる様に』だ。本当に思い上がりも甚だしい。


(新しい妃が入内したら)


 アーネスト様はそちらに通われるようになるかもしれない。前回の人生にはいなかった人だから、命を狙われる心配が無いし。もしかしたらアーネスト様は、心からの愛情を注がれるかも。


「それは――――喜ばしいことです。アーネスト様が早くお世継ぎに恵まれると良いですね」


 そう口にしつつ、胸が引き裂かれるような心地がした。
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