15 / 44
【1章】夜会と秘密の共有者
15.嘲笑
しおりを挟む
月日が過ぎるのは存外早いもので、今夜は皇帝――アーネスト様主催の夜会。大広間は静かな熱気に包まれていた。
(すごい……圧巻だ)
アーネスト様の即位以降、後宮の外に出るのは初めてだ。恭しく頭を垂れた貴族や文官、騎士たちの間を通り抜け、他の妃たちと共にホールに立つ。
今は海外からの来賓を迎える準備を行っているらしく、会場には国内の貴族たちしかいない。それでも感じるプレッシャーは凄まじい。心臓が変な音を立てていたけれど、必死に背筋を伸ばして虚勢を張った。
「今からあんまり気張ると、途中でバてるわよ」
わたしのことをチラとも見ずに、ベラ様が言う。
今夜の彼女は、シンプル且つ大胆なデコルテの、深紅のドレスを身に纏っていた。長いシルバーピンクの髪は緩やかに纏め上げられ、真っ白なベラ様の背中が剥き出しになっている。胸元には大粒のルビー。ベラ様だからこそ似合う――――そんなコーディネートだった。
「ありがとうございます。頑張って調整します」
ベラ様だけに聞こえるぐらいの小さな声でそう口にしつつ、わたしは小さく息を吐く。この辺の塩梅は『慣れるしかない』とエスメラルダ様にも事前に助言を貰っている。ほんの少し気を緩めつつ、わたしは広間の中央をそっと覗き見た。
玉座に座って貴族たちの謁見に応じているアーネスト様は、普段の温厚で親しみやすい彼とは違っていた。君主としての威厳に満ちた佇まいはあまりにも美しくて、神々しくて、見ていて本当に惚れ惚れする。この場にロキが居たら、アーネスト様の素晴らしさを共有できただろうに――――そう思うけど、今は会場を動き回ることも、見回すこともできない。心の中に称賛の言葉を蓄積しようと決意し、わたしはこっそり拳を握った。
「――――まったく、貧相な身なりですこと。同じ妃として恥ずかしいですわ」
その時、ベラ様の向こう側からそんな声が聞こえた。明らかな嘲笑。ベラ様とエスメラルダ様の視線も一斉にそちらへと向かうのが分かる。――――ソフィア様だ。
「あぁ、当然お二人のことじゃございませんわ。そちらの平民上がりの妃擬きのことです」
今夜のソフィア様は初っ端から歯に衣着せぬ物言いだった。ご自身は薄水色のマーメイドラインのドレスに身を包み、耳元でサファイアのイアリングが揺れる。ベラ様に比べると、ものすごく保守的な仕上がりだ。けれど、この場に必要な華と、品の良さだけは十分に演出されているように感じられた。
(……なんだか、周りの視線を感じる)
皆、そうと分からないように振る舞っているが、会話は不自然に無くなっているし、チラチラとこちらを覗き見ているのが分かる。滅多に表舞台に出てこない、後宮の妃達に対する注目度は相当高いらしい。仲が悪いのなら尚更。そういう女性同士のドロドロを好む貴族が一定数いると、ロキから事前に聞いてはいたのだけど――――。
「こちらのドレスは、陛下がわたしのために選んでくださったものです。侮辱するのはお止めください」
大きく深呼吸をした後、わたしはそう口にする。ソフィア様が小さく息を呑む音が聞こえるが、彼女の表情は見ない。無駄な応酬を続ける気はないし、この一言で引き下がってくれればそれで良いもの。
「わっ……わたくしが申し上げたのはドレスのことではございませんわ」
けれど、ソフィア様はそう言ってこちらを向く。声を荒げているわけでもないのに、今や会場中の注目がわたし達へと集まってしまっていた。
「わたくしは……そう! あなたのその飾り気のなさを嘆いていたのです。こういう場では妃は、己の宮殿のモチーフである宝石を身に着けるものなの。なのにあなたときたら、安い小さな宝石を申し訳程度に身に着けただけ。それを貧相と言わずして、何と言えばいいのかしら。――――まぁ、これまで金剛宮に妃が立つことは無かった上、あなたは平民の出ですし? あんなに醜い石ですもの。身に着けたくとも身に着けられなかった――――そんな気の毒な事情は存じ上げていますけれど」
ソフィア様は水を得た魚の如く、一気にそう捲し立てる。わたしが顔を顰めると、ふふっと愉悦に満ちた笑い声が聞こえた。
(本当に、この人だけはどうしても好きになれそうにない)
どうしてここまで人の――わたしの上に立つことに固執するのだろう。同じような身分のエスメラルダ様は、寧ろ人を立てようとなさる。だから、恐らくはソフィア様の性格なのだと思う。
(だけど)
広間の中の幾人か、こっそりと彼女に同調するように笑っている。きっとこれが、貴族の持つ階級意識という奴なのだろう。
(別に、今更傷ついたりしない)
それが当たり前の世の中だもの。だからこそ身分制度があるわけだし、笑われるのも蔑ずまれるのも慣れっこだ。そう思うのだけど――――。
「――――今、俺の妃を笑ったのは誰だ?」
広間にそんな冷ややかな声が響く。
誰の声かなんて、確認しなくてもすぐに分かる。
「アーネスト様……」
思わずそう呟くと、アーネスト様は悠然と立ち上がり、真っ直ぐにわたし達の元へと歩いてくる。ソフィア様が青ざめ、後退る気配がする。広間の空気が一気に凍り付いた。
(すごい……圧巻だ)
アーネスト様の即位以降、後宮の外に出るのは初めてだ。恭しく頭を垂れた貴族や文官、騎士たちの間を通り抜け、他の妃たちと共にホールに立つ。
今は海外からの来賓を迎える準備を行っているらしく、会場には国内の貴族たちしかいない。それでも感じるプレッシャーは凄まじい。心臓が変な音を立てていたけれど、必死に背筋を伸ばして虚勢を張った。
「今からあんまり気張ると、途中でバてるわよ」
わたしのことをチラとも見ずに、ベラ様が言う。
今夜の彼女は、シンプル且つ大胆なデコルテの、深紅のドレスを身に纏っていた。長いシルバーピンクの髪は緩やかに纏め上げられ、真っ白なベラ様の背中が剥き出しになっている。胸元には大粒のルビー。ベラ様だからこそ似合う――――そんなコーディネートだった。
「ありがとうございます。頑張って調整します」
ベラ様だけに聞こえるぐらいの小さな声でそう口にしつつ、わたしは小さく息を吐く。この辺の塩梅は『慣れるしかない』とエスメラルダ様にも事前に助言を貰っている。ほんの少し気を緩めつつ、わたしは広間の中央をそっと覗き見た。
玉座に座って貴族たちの謁見に応じているアーネスト様は、普段の温厚で親しみやすい彼とは違っていた。君主としての威厳に満ちた佇まいはあまりにも美しくて、神々しくて、見ていて本当に惚れ惚れする。この場にロキが居たら、アーネスト様の素晴らしさを共有できただろうに――――そう思うけど、今は会場を動き回ることも、見回すこともできない。心の中に称賛の言葉を蓄積しようと決意し、わたしはこっそり拳を握った。
「――――まったく、貧相な身なりですこと。同じ妃として恥ずかしいですわ」
その時、ベラ様の向こう側からそんな声が聞こえた。明らかな嘲笑。ベラ様とエスメラルダ様の視線も一斉にそちらへと向かうのが分かる。――――ソフィア様だ。
「あぁ、当然お二人のことじゃございませんわ。そちらの平民上がりの妃擬きのことです」
今夜のソフィア様は初っ端から歯に衣着せぬ物言いだった。ご自身は薄水色のマーメイドラインのドレスに身を包み、耳元でサファイアのイアリングが揺れる。ベラ様に比べると、ものすごく保守的な仕上がりだ。けれど、この場に必要な華と、品の良さだけは十分に演出されているように感じられた。
(……なんだか、周りの視線を感じる)
皆、そうと分からないように振る舞っているが、会話は不自然に無くなっているし、チラチラとこちらを覗き見ているのが分かる。滅多に表舞台に出てこない、後宮の妃達に対する注目度は相当高いらしい。仲が悪いのなら尚更。そういう女性同士のドロドロを好む貴族が一定数いると、ロキから事前に聞いてはいたのだけど――――。
「こちらのドレスは、陛下がわたしのために選んでくださったものです。侮辱するのはお止めください」
大きく深呼吸をした後、わたしはそう口にする。ソフィア様が小さく息を呑む音が聞こえるが、彼女の表情は見ない。無駄な応酬を続ける気はないし、この一言で引き下がってくれればそれで良いもの。
「わっ……わたくしが申し上げたのはドレスのことではございませんわ」
けれど、ソフィア様はそう言ってこちらを向く。声を荒げているわけでもないのに、今や会場中の注目がわたし達へと集まってしまっていた。
「わたくしは……そう! あなたのその飾り気のなさを嘆いていたのです。こういう場では妃は、己の宮殿のモチーフである宝石を身に着けるものなの。なのにあなたときたら、安い小さな宝石を申し訳程度に身に着けただけ。それを貧相と言わずして、何と言えばいいのかしら。――――まぁ、これまで金剛宮に妃が立つことは無かった上、あなたは平民の出ですし? あんなに醜い石ですもの。身に着けたくとも身に着けられなかった――――そんな気の毒な事情は存じ上げていますけれど」
ソフィア様は水を得た魚の如く、一気にそう捲し立てる。わたしが顔を顰めると、ふふっと愉悦に満ちた笑い声が聞こえた。
(本当に、この人だけはどうしても好きになれそうにない)
どうしてここまで人の――わたしの上に立つことに固執するのだろう。同じような身分のエスメラルダ様は、寧ろ人を立てようとなさる。だから、恐らくはソフィア様の性格なのだと思う。
(だけど)
広間の中の幾人か、こっそりと彼女に同調するように笑っている。きっとこれが、貴族の持つ階級意識という奴なのだろう。
(別に、今更傷ついたりしない)
それが当たり前の世の中だもの。だからこそ身分制度があるわけだし、笑われるのも蔑ずまれるのも慣れっこだ。そう思うのだけど――――。
「――――今、俺の妃を笑ったのは誰だ?」
広間にそんな冷ややかな声が響く。
誰の声かなんて、確認しなくてもすぐに分かる。
「アーネスト様……」
思わずそう呟くと、アーネスト様は悠然と立ち上がり、真っ直ぐにわたし達の元へと歩いてくる。ソフィア様が青ざめ、後退る気配がする。広間の空気が一気に凍り付いた。
10
お気に入りに追加
1,054
あなたにおすすめの小説
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
【コミカライズ決定】地味令嬢は冤罪で処刑されて逆行転生したので、華麗な悪女を目指します!~目隠れ美形の天才王子に溺愛されまして~
胡蝶乃夢
恋愛
婚約者である王太子の望む通り『理想の淑女』として尽くしてきたにも関わらず、婚約破棄された挙句に冤罪で処刑されてしまった公爵令嬢ガーネット。
時間が遡り目覚めたガーネットは、二度と自分を犠牲にして尽くしたりしないと怒り、今度は自分勝手に生きる『華麗な悪女』になると決意する。
王太子の弟であるルベリウス王子にガーネットは留学をやめて傍にいて欲しいと願う。
処刑された時、留学中でいなかった彼がガーネットの傍にいることで運命は大きく変わっていく。
これは、不憫な地味令嬢が華麗な悪女へと変貌して周囲を魅了し、幼馴染の天才王子にも溺愛され、ざまぁして幸せになる物語です。
婚約破棄されなかった者たち
ましゅぺちーの
恋愛
とある学園にて、高位貴族の令息五人を虜にした一人の男爵令嬢がいた。
令息たちは全員が男爵令嬢に本気だったが、結局彼女が選んだのはその中で最も地位の高い第一王子だった。
第一王子は許嫁であった公爵令嬢との婚約を破棄し、男爵令嬢と結婚。
公爵令嬢は嫌がらせの罪を追及され修道院送りとなった。
一方、選ばれなかった四人は当然それぞれの婚約者と結婚することとなった。
その中の一人、侯爵令嬢のシェリルは早々に夫であるアーノルドから「愛することは無い」と宣言されてしまい……。
ヒロインがハッピーエンドを迎えたその後の話。
この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
殿下が恋をしたいと言うのでさせてみる事にしました。婚約者候補からは外れますね
さこの
恋愛
恋がしたい。
ウィルフレッド殿下が言った…
それではどうぞ、美しい恋をしてください。
婚約者候補から外れるようにと同じく婚約者候補のマドレーヌ様が話をつけてくださりました!
話の視点が回毎に変わることがあります。
緩い設定です。二十話程です。
本編+番外編の別視点
【1/23取り下げ予定】あなたたちに捨てられた私はようやく幸せになれそうです
gacchi
恋愛
伯爵家の長女として生まれたアリアンヌは妹マーガレットが生まれたことで育児放棄され、伯父の公爵家の屋敷で暮らしていた。一緒に育った公爵令息リオネルと婚約の約束をしたが、父親にむりやり伯爵家に連れて帰られてしまう。しかも第二王子との婚約が決まったという。貴族令嬢として政略結婚を受け入れようと覚悟を決めるが、伯爵家にはアリアンヌの居場所はなく、婚約者の第二王子にもなぜか嫌われている。学園の二年目、婚約者や妹に虐げられながらも耐えていたが、ある日呼び出されて婚約破棄と伯爵家の籍から外されたことが告げられる。修道院に向かう前にリオ兄様にお別れするために公爵家を訪ねると…… 書籍化のため1/23に取り下げ予定です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる