179 / 188
30.それの何がいけませんの?
1.
しおりを挟む
俺は激しく困惑していた。
目の前には自身の兄で第一王子のローガンと、我らがノザランディア王国の国王である父が並んで座っている。二人ともダラダラと汗を掻き、酷く青褪めた表情だ。
「一体どうなさったのです?」
呼び出されてから既に十分。どちらも中々口を開こうとしない。何度も顔を見合わせながら口を噤み、首を横に振るということを繰り返している。
「父上? 一体何が……」
「ジェイデン。実は――――エルビナとローガンの婚約を解消したんだ」
「え?」
思わぬ言葉に目を瞠る。
エルビナは我が国の聖女であり、兄上の婚約者だ。十二歳の時に聖女の力に目覚めて以降六年間、聖女として、未来の王太子妃として、この城で生活をしている。
彼女の力は絶大で、人々の傷や病を自在に癒し、飢えを満たし、大地や運河、天災をも鎮めてしまう。当然、民からの人気や人望も厚く、今やエルビナなしにノザランディア王国は成り立たない。
そんなエルビナとの婚約を解消してしまうだなんて、正直言ってありえない。どうかしているとすら思う。
「今からでも遅くはありません。婚約解消を撤回すべきです。彼女は我が国に――――我が王室に必要な女性ですから」
万が一彼女が力を貸してくれなくなったら――――? 他国に奪われるなんて以ての外だ。
何としても繋ぎ留めなければいけない存在だというのに。
「分かってくれるのか、ジェイデン!? そうだ。エルビナは間違いなく我が王室に必要な女性だ! だが、事情があって…………ローガンと結婚させることはできない。絶対に、できない。
そこでだ、ジェイデン。
私はお前とエルビナを結婚させようと思っている」
「……は? 私、ですか?」
思わぬ話の展開に、俺は思わず身を乗り出す。父上は神妙な面持ちで頷きながら、小さくため息を吐いた。
「しかし、宜しいのですか? エルビナは納得してくれるのでしょうか? 俺はあくまで第二王子ですし……」
「もちろん! このことは既にエルビナも了承済みだ。
いやぁ、良かった。お前ならきっと大丈夫。
そうと決まれば話は早い。エルビナのところに行って、彼女と親交を深めてくれ!」
先程までとは打って変わり、父上は上機嫌に微笑む。
二人はこれ以上の事情を話す気がないらしい。急かすようにしながら、俺を部屋から追い立てる。
(何が何やら分からないが)
俺には拒否権はないらしい。
事の重大性は分かっているし、政略結婚に不満もないが、釈然とはしない。
いつになく口数の少ない兄上を振り返りつつ、俺は静かに部屋を後にした。
***
聖女エルビナは、城にほど近い大聖堂の中で、神に祈りを捧げていた。
光に透ける薄紅の髪、ルビーのように深く神秘的な紅の瞳。未だあどけなさが残るものの、雪のように白く美しい肌に薔薇色の頬、人形のように整った目鼻立ちをしていて、妖精や天使、女神の呼称がよく似合う。
そのあまりの美しさ故、彼女を一目見るだけで寿命が十年伸びると言われており、聖堂は今やちょっとした観光スポットになっている。滅多に人前に姿を現わさない王族の人間よりも余程、彼女の方が人気者だ。今だってそう。お祈りを終えるや否や、たくさんの人に囲まれている。
「ジェイデン様!」
俺の存在に気づいたらしい。エルビナがこちらに駆け寄ってきた。
「殿下に聖堂まで来ていただけるなんて光栄ですわ……! わざわざご足労いただき、ありがとうございます」
「いや。君の方こそ、いつもご苦労様。本当はもっと足を運びたかったのだけど」
これまで俺は、聖堂にはあまり立ち入らないようにしていた。
公務の棲み分けとでも言おうか――――彼女は兄上の婚約者だから、過度に交流を持ってはならない。
だから、これまでエルビナとは上辺だけの付き合いしかしてこなかった。
「突然のことで驚きましたでしょう? ジェイデン様には申し訳なく思っているのです。わたくし達の事情に巻き込んでしまって……」
「一体、何があったのです? 父上も兄上も、俺には何も話してくれなくて」
民から距離を取りながら、俺は尋ねる。すると、エルビナは大きな瞳を潤ませ、そっと俯いた。体格差のせいで表情が見えないが、泣いているのだろうか? 胸がつぶれるような心地がして、俺は彼女の肩を抱いた。
「何か、辛いことがあったのですね」
エルビナは応えない。静かに肩を震わせ、俯いたままだ。
沈黙は肯定を意味する。
俺は静かにため息を吐いた。
前々から、兄上の素行には問題があった。
婚約者が居ながら、他の令嬢にフラフラするのはもちろんのこと、夜会の際にエルビナのエスコートも碌にせず、時に悪口を吹聴する。
恐らくは、それらの行動がエスカレートしてしまったのだろう。婚約解消に至ったのも無理はない。
「兄上はどうかしています。あなたはこんなにも美しく、優しい人なのに」
「まぁ……! そんな風に思っていただけるのですか?」
「もちろんです。
これからは兄上の分まで、俺があなたを誰よりも大事に――――幸せにしますよ」
これは国のため、政略のための結婚だ。
けれど、彼女は素晴らしい女性だし、婚約者を大切にするのは当然のこと。これまで辛い思いをさせた分、俺がエルビナを甘やかしてやろうと心に決める。
「よろしくお願いいたします」
俺達は微笑みながら、握手を交わした。
目の前には自身の兄で第一王子のローガンと、我らがノザランディア王国の国王である父が並んで座っている。二人ともダラダラと汗を掻き、酷く青褪めた表情だ。
「一体どうなさったのです?」
呼び出されてから既に十分。どちらも中々口を開こうとしない。何度も顔を見合わせながら口を噤み、首を横に振るということを繰り返している。
「父上? 一体何が……」
「ジェイデン。実は――――エルビナとローガンの婚約を解消したんだ」
「え?」
思わぬ言葉に目を瞠る。
エルビナは我が国の聖女であり、兄上の婚約者だ。十二歳の時に聖女の力に目覚めて以降六年間、聖女として、未来の王太子妃として、この城で生活をしている。
彼女の力は絶大で、人々の傷や病を自在に癒し、飢えを満たし、大地や運河、天災をも鎮めてしまう。当然、民からの人気や人望も厚く、今やエルビナなしにノザランディア王国は成り立たない。
そんなエルビナとの婚約を解消してしまうだなんて、正直言ってありえない。どうかしているとすら思う。
「今からでも遅くはありません。婚約解消を撤回すべきです。彼女は我が国に――――我が王室に必要な女性ですから」
万が一彼女が力を貸してくれなくなったら――――? 他国に奪われるなんて以ての外だ。
何としても繋ぎ留めなければいけない存在だというのに。
「分かってくれるのか、ジェイデン!? そうだ。エルビナは間違いなく我が王室に必要な女性だ! だが、事情があって…………ローガンと結婚させることはできない。絶対に、できない。
そこでだ、ジェイデン。
私はお前とエルビナを結婚させようと思っている」
「……は? 私、ですか?」
思わぬ話の展開に、俺は思わず身を乗り出す。父上は神妙な面持ちで頷きながら、小さくため息を吐いた。
「しかし、宜しいのですか? エルビナは納得してくれるのでしょうか? 俺はあくまで第二王子ですし……」
「もちろん! このことは既にエルビナも了承済みだ。
いやぁ、良かった。お前ならきっと大丈夫。
そうと決まれば話は早い。エルビナのところに行って、彼女と親交を深めてくれ!」
先程までとは打って変わり、父上は上機嫌に微笑む。
二人はこれ以上の事情を話す気がないらしい。急かすようにしながら、俺を部屋から追い立てる。
(何が何やら分からないが)
俺には拒否権はないらしい。
事の重大性は分かっているし、政略結婚に不満もないが、釈然とはしない。
いつになく口数の少ない兄上を振り返りつつ、俺は静かに部屋を後にした。
***
聖女エルビナは、城にほど近い大聖堂の中で、神に祈りを捧げていた。
光に透ける薄紅の髪、ルビーのように深く神秘的な紅の瞳。未だあどけなさが残るものの、雪のように白く美しい肌に薔薇色の頬、人形のように整った目鼻立ちをしていて、妖精や天使、女神の呼称がよく似合う。
そのあまりの美しさ故、彼女を一目見るだけで寿命が十年伸びると言われており、聖堂は今やちょっとした観光スポットになっている。滅多に人前に姿を現わさない王族の人間よりも余程、彼女の方が人気者だ。今だってそう。お祈りを終えるや否や、たくさんの人に囲まれている。
「ジェイデン様!」
俺の存在に気づいたらしい。エルビナがこちらに駆け寄ってきた。
「殿下に聖堂まで来ていただけるなんて光栄ですわ……! わざわざご足労いただき、ありがとうございます」
「いや。君の方こそ、いつもご苦労様。本当はもっと足を運びたかったのだけど」
これまで俺は、聖堂にはあまり立ち入らないようにしていた。
公務の棲み分けとでも言おうか――――彼女は兄上の婚約者だから、過度に交流を持ってはならない。
だから、これまでエルビナとは上辺だけの付き合いしかしてこなかった。
「突然のことで驚きましたでしょう? ジェイデン様には申し訳なく思っているのです。わたくし達の事情に巻き込んでしまって……」
「一体、何があったのです? 父上も兄上も、俺には何も話してくれなくて」
民から距離を取りながら、俺は尋ねる。すると、エルビナは大きな瞳を潤ませ、そっと俯いた。体格差のせいで表情が見えないが、泣いているのだろうか? 胸がつぶれるような心地がして、俺は彼女の肩を抱いた。
「何か、辛いことがあったのですね」
エルビナは応えない。静かに肩を震わせ、俯いたままだ。
沈黙は肯定を意味する。
俺は静かにため息を吐いた。
前々から、兄上の素行には問題があった。
婚約者が居ながら、他の令嬢にフラフラするのはもちろんのこと、夜会の際にエルビナのエスコートも碌にせず、時に悪口を吹聴する。
恐らくは、それらの行動がエスカレートしてしまったのだろう。婚約解消に至ったのも無理はない。
「兄上はどうかしています。あなたはこんなにも美しく、優しい人なのに」
「まぁ……! そんな風に思っていただけるのですか?」
「もちろんです。
これからは兄上の分まで、俺があなたを誰よりも大事に――――幸せにしますよ」
これは国のため、政略のための結婚だ。
けれど、彼女は素晴らしい女性だし、婚約者を大切にするのは当然のこと。これまで辛い思いをさせた分、俺がエルビナを甘やかしてやろうと心に決める。
「よろしくお願いいたします」
俺達は微笑みながら、握手を交わした。
0
お気に入りに追加
1,075
あなたにおすすめの小説
甘い誘惑
さつらぎ結雛
恋愛
幼馴染だった3人がある日突然イケナイ関係に…
どんどん深まっていく。
こんなにも身近に甘い罠があったなんて
あの日まで思いもしなかった。
3人の関係にライバルも続出。
どんどん甘い誘惑の罠にハマっていく胡桃。
一体この罠から抜け出せる事は出来るのか。
※だいぶ性描写、R18、R15要素入ります。
自己責任でお願い致します。
大嫌いな令嬢
緑谷めい
恋愛
ボージェ侯爵家令嬢アンヌはアシャール侯爵家令嬢オレリアが大嫌いである。ほとんど「憎んでいる」と言っていい程に。
同家格の侯爵家に、たまたま同じ年、同じ性別で産まれたアンヌとオレリア。アンヌには5歳年上の兄がいてオレリアには1つ下の弟がいる、という点は少し違うが、ともに実家を継ぐ男兄弟がいて、自らは将来他家に嫁ぐ立場である、という事は同じだ。その為、幼い頃から何かにつけて、二人の令嬢は周囲から比較をされ続けて来た。
アンヌはうんざりしていた。
アンヌは可愛らしい容姿している。だが、オレリアは幼い頃から「可愛い」では表現しきれぬ、特別な美しさに恵まれた令嬢だった。そして、成長するにつれ、ますますその美貌に磨きがかかっている。
そんな二人は今年13歳になり、ともに王立貴族学園に入学した。
許婚と親友は両片思いだったので2人の仲を取り持つことにしました
結城芙由奈
恋愛
<2人の仲を応援するので、どうか私を嫌わないでください>
私には子供のころから決められた許嫁がいた。ある日、久しぶりに再会した親友を紹介した私は次第に2人がお互いを好きになっていく様子に気が付いた。どちらも私にとっては大切な存在。2人から邪魔者と思われ、嫌われたくはないので、私は全力で許嫁と親友の仲を取り持つ事を心に決めた。すると彼の評判が悪くなっていき、それまで冷たかった彼の態度が軟化してきて話は意外な展開に・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
【完結】美しい人。
❄️冬は つとめて
恋愛
「あなたが、ウイリアム兄様の婚約者? 」
「わたくし、カミーユと言いますの。ねえ、あなたがウイリアム兄様の婚約者で、間違いないかしら。」
「ねえ、返事は。」
「はい。私、ウイリアム様と婚約しています ナンシー。ナンシー・ヘルシンキ伯爵令嬢です。」
彼女の前に現れたのは、とても美しい人でした。
結婚して5年、初めて口を利きました
宮野 楓
恋愛
―――出会って、結婚して5年。一度も口を聞いたことがない。
ミリエルと旦那様であるロイスの政略結婚が他と違う点を挙げよ、と言えばこれに尽きるだろう。
その二人が5年の月日を経て邂逅するとき
男装の公爵令嬢ドレスを着る
おみなしづき
恋愛
父親は、公爵で騎士団長。
双子の兄も父親の騎士団に所属した。
そんな家族の末っ子として産まれたアデルが、幼い頃から騎士を目指すのは自然な事だった。
男装をして、口調も父や兄達と同じく男勝り。
けれど、そんな彼女でも婚約者がいた。
「アデル……ローマン殿下に婚約を破棄された。どうしてだ?」
「ローマン殿下には心に決めた方がいるからです」
父も兄達も殺気立ったけれど、アデルはローマンに全く未練はなかった。
すると、婚約破棄を待っていたかのようにアデルに婚約を申し込む手紙が届いて……。
※暴力的描写もたまに出ます。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
【完結】昨日までの愛は虚像でした
鬼ヶ咲あちたん
恋愛
公爵令息レアンドロに体を暴かれてしまった侯爵令嬢ファティマは、純潔でなくなったことを理由に、レアンドロの双子の兄イグナシオとの婚約を解消されてしまう。その結果、元凶のレアンドロと結婚する羽目になったが、そこで知らされた元婚約者イグナシオの真の姿に慄然とする。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる