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30.それの何がいけませんの?

1.

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 俺は激しく困惑していた。

 目の前には自身の兄で第一王子のローガンと、我らがノザランディア王国の国王である父が並んで座っている。二人ともダラダラと汗を掻き、酷く青褪めた表情だ。


「一体どうなさったのです?」


 呼び出されてから既に十分。どちらも中々口を開こうとしない。何度も顔を見合わせながら口を噤み、首を横に振るということを繰り返している。


「父上? 一体何が……」

「ジェイデン。実は――――エルビナとローガンの婚約を解消したんだ」

「え?」


 思わぬ言葉に目を瞠る。

 エルビナは我が国の聖女であり、兄上の婚約者だ。十二歳の時に聖女の力に目覚めて以降六年間、聖女として、未来の王太子妃として、この城で生活をしている。

 彼女の力は絶大で、人々の傷や病を自在に癒し、飢えを満たし、大地や運河、天災をも鎮めてしまう。当然、民からの人気や人望も厚く、今やエルビナなしにノザランディア王国は成り立たない。

 そんなエルビナとの婚約を解消してしまうだなんて、正直言ってありえない。どうかしているとすら思う。


「今からでも遅くはありません。婚約解消を撤回すべきです。彼女は我が国に――――我が王室に必要な女性ですから」


 万が一彼女が力を貸してくれなくなったら――――? 他国に奪われるなんて以ての外だ。
 何としても繋ぎ留めなければいけない存在だというのに。


「分かってくれるのか、ジェイデン!? そうだ。エルビナは間違いなく我が王室に必要な女性だ! だが、事情があって…………ローガンと結婚させることはできない。絶対に、できない。
そこでだ、ジェイデン。
私はお前とエルビナを結婚させようと思っている」

「……は? 私、ですか?」


 思わぬ話の展開に、俺は思わず身を乗り出す。父上は神妙な面持ちで頷きながら、小さくため息を吐いた。


「しかし、宜しいのですか? エルビナは納得してくれるのでしょうか? 俺はあくまで第二王子ですし……」

「もちろん! このことは既にエルビナも了承済みだ。
いやぁ、良かった。お前ならきっと大丈夫。
そうと決まれば話は早い。エルビナのところに行って、彼女と親交を深めてくれ!」


 先程までとは打って変わり、父上は上機嫌に微笑む。
 二人はこれ以上の事情を話す気がないらしい。急かすようにしながら、俺を部屋から追い立てる。


(何が何やら分からないが)


 俺には拒否権はないらしい。
 事の重大性は分かっているし、政略結婚に不満もないが、釈然とはしない。

 いつになく口数の少ない兄上を振り返りつつ、俺は静かに部屋を後にした。


***


 聖女エルビナは、城にほど近い大聖堂の中で、神に祈りを捧げていた。

 光に透ける薄紅の髪、ルビーのように深く神秘的な紅の瞳。未だあどけなさが残るものの、雪のように白く美しい肌に薔薇色の頬、人形のように整った目鼻立ちをしていて、妖精や天使、女神の呼称がよく似合う。

 そのあまりの美しさ故、彼女を一目見るだけで寿命が十年伸びると言われており、聖堂は今やちょっとした観光スポットになっている。滅多に人前に姿を現わさない王族の人間よりも余程、彼女の方が人気者だ。今だってそう。お祈りを終えるや否や、たくさんの人に囲まれている。


「ジェイデン様!」


 俺の存在に気づいたらしい。エルビナがこちらに駆け寄ってきた。
 

「殿下に聖堂まで来ていただけるなんて光栄ですわ……! わざわざご足労いただき、ありがとうございます」

「いや。君の方こそ、いつもご苦労様。本当はもっと足を運びたかったのだけど」


 これまで俺は、聖堂にはあまり立ち入らないようにしていた。
 公務の棲み分けとでも言おうか――――彼女は兄上の婚約者だから、過度に交流を持ってはならない。
 だから、これまでエルビナとは上辺だけの付き合いしかしてこなかった。


「突然のことで驚きましたでしょう? ジェイデン様には申し訳なく思っているのです。わたくし達の事情に巻き込んでしまって……」

「一体、何があったのです? 父上も兄上も、俺には何も話してくれなくて」


 民から距離を取りながら、俺は尋ねる。すると、エルビナは大きな瞳を潤ませ、そっと俯いた。体格差のせいで表情が見えないが、泣いているのだろうか? 胸がつぶれるような心地がして、俺は彼女の肩を抱いた。


「何か、辛いことがあったのですね」


 エルビナは応えない。静かに肩を震わせ、俯いたままだ。

 沈黙は肯定を意味する。
 俺は静かにため息を吐いた。

 前々から、兄上の素行には問題があった。
 婚約者が居ながら、他の令嬢にフラフラするのはもちろんのこと、夜会の際にエルビナのエスコートも碌にせず、時に悪口を吹聴する。
 恐らくは、それらの行動がエスカレートしてしまったのだろう。婚約解消に至ったのも無理はない。


「兄上はどうかしています。あなたはこんなにも美しく、優しい人なのに」

「まぁ……! そんな風に思っていただけるのですか?」

「もちろんです。
これからは兄上の分まで、俺があなたを誰よりも大事に――――幸せにしますよ」


 これは国のため、政略のための結婚だ。

 けれど、彼女は素晴らしい女性だし、婚約者を大切にするのは当然のこと。これまで辛い思いをさせた分、俺がエルビナを甘やかしてやろうと心に決める。


「よろしくお願いいたします」


 俺達は微笑みながら、握手を交わした。
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