上 下
143 / 188
24.その一言が聞けなくて

1.

しおりを挟む
 窓際の特等席でオレンジ色に染まりつつある本のページを捲りながら、ノエミはそっと顔を上げた。

 広々とした図書館。その席の殆どが空いている。けれど、いつからか、ノエミの隣にはいつも一人の男子生徒――――侯爵令息のジュール・ドゥ・コンドルセが座るようになっていた。

 柔らかなブロンドヘア、宝石のように明るく透き通った碧い瞳、彫刻のように整った目鼻立ちに、女生徒のみならず誰もが目を奪われる。
 どこか近寄りがたい雰囲気の彼だが、ひとたび声を掛けられれば、相手がどんな身分だろうと平等に接するし、人当たりも良い。文武両道で、将来は同級生であるジャスティン殿下の側近になることが期待されている。

 そんなジュールに対し、ノエミは入学当初から、憧れにも似た感情を抱いてきた。

 彼に近づくたび、優しく微笑まれるたび、たった一言言葉を交わせただけでも、心臓がドキドキとときめいたし、嬉しくて堪らなかった。胸に広がる砂糖菓子のような優しい甘さを、誰にも打ち明けることなく、大事に育て、胸にしまおうとそう思っていた。


 そんな二人の関係が変わったのは、入学をして、二度目の春を迎えた頃のことだった。



「ここ、座っても良い?」


 ノエミがいつも放課後を過ごす図書館で、ジュールがそんな風に声を掛けてきた。思わぬ出来事に息を呑みつつ、ノエミはニコリと微笑んだ。


「もちろんです! だけど、珍しいですね。ジュール様が図書館にいらっしゃるなんて」


 ジュールは講義中、放課後を問わず、ジャスティン殿下の側に居ることが多い。こうして単独行動している彼を見掛けるのは珍しいことだった。


「これまでも時々は本を借りに来ていたんだよ? 短時間しか居られなかったけど、ノエミ嬢がいつもここに居るのは知っていたんだ。とても勉強熱心だよね」


 ジュールはそう言って微笑みながら、ノエミの顔を覗き込む。ノエミの心臓がトクトクと大きく鳴り響いた。


「熱心だなんて……わたしが今読んでるの、恋愛小説ですよ? 単に読書が好きなんです。不真面目な生徒ですから、好きなことばかりして過ごしてるんですよ」


 ノエミは隣に腰掛けたジュールへ控えめに目を遣りつつ、ケラケラと笑って見せる。

 けれど、それは半分本当で半分は嘘だった。

 ノエミの両親は超がつくお人好しで、困っている人が居ると放っておけない質だ。
 領民たちのために手を貸すだけならまだしも、素性の知れない人間にまでお金を貸し、持ち逃げされることもしばしば。そんなことが続いた結果、ラヴァリエール伯爵家は財政難に陥っていた。

 だからノエミには、他の令嬢のような刺繍や外国語といったお金のかかる習い事はできない。持参金も碌に期待できないノエミには縁談も来ないため、卒業後、自力で生きて行けるように、今の内に出来る限り知識を身に着ける必要があった。


「そっか。俺も好きだよ、小説」


 そう言ってジュールは屈託なく笑う。普段見せる隙のない雰囲気とは違っていて、ノエミはドギマギしてしまう。

 講義以外でジュールと会話を交わすのは初めてだった。こんな風に隣り合って座ることだって、当然初めてのこと。手を伸ばせば触れ合えるような近しい距離。互いの心臓の音まで聞こえてしまいそうだ。


「――――そろそろ閉館の時間です」


 けれど、幸せな時間は長くは続かなかった。
 ジュールが訪れたのは閉館も間際のこと。二人はすぐにここを出て、寮に帰らなければならない。


(ツいてない。折角ジュール様とお話しができたのになぁ)


 こんな偶然、二度とないだろう。ノエミは小さくため息を吐きつつ、ジュールの方をチラリと見上げる。


「――――仕方がないから出ようか」


 困ったように笑いながら、ジュールはごく自然にノエミへと手を差し出す。驚きに目を見開くノエミを前に、ジュールは優しく微笑み続けた。


(ここは……手を繋ぐのが正解、なんだよね?)


 降ってわいた幸福に戸惑いつつ、ノエミはおずおずと手を伸ばす。ジュールは満足気に目を細めると、ノエミの手を取り歩き始めた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

大嫌いな令嬢

緑谷めい
恋愛
 ボージェ侯爵家令嬢アンヌはアシャール侯爵家令嬢オレリアが大嫌いである。ほとんど「憎んでいる」と言っていい程に。  同家格の侯爵家に、たまたま同じ年、同じ性別で産まれたアンヌとオレリア。アンヌには5歳年上の兄がいてオレリアには1つ下の弟がいる、という点は少し違うが、ともに実家を継ぐ男兄弟がいて、自らは将来他家に嫁ぐ立場である、という事は同じだ。その為、幼い頃から何かにつけて、二人の令嬢は周囲から比較をされ続けて来た。  アンヌはうんざりしていた。  アンヌは可愛らしい容姿している。だが、オレリアは幼い頃から「可愛い」では表現しきれぬ、特別な美しさに恵まれた令嬢だった。そして、成長するにつれ、ますますその美貌に磨きがかかっている。  そんな二人は今年13歳になり、ともに王立貴族学園に入学した。

結婚して5年、初めて口を利きました

宮野 楓
恋愛
―――出会って、結婚して5年。一度も口を聞いたことがない。 ミリエルと旦那様であるロイスの政略結婚が他と違う点を挙げよ、と言えばこれに尽きるだろう。 その二人が5年の月日を経て邂逅するとき

【完結】王子妃教育1日無料体験実施中!

杜野秋人
恋愛
「このような事件が明るみになった以上は私の婚約者のままにしておくことはできぬ!そなたと私の婚約は破棄されると思え!」 ルテティア国立学園の卒業記念パーティーで、第二王子シャルルから唐突に飛び出したその一言で、シャルルの婚約者である公爵家令嬢ブランディーヌは一気に窮地に立たされることになる。 シャルルによれば、学園で下級生に対する陰湿ないじめが繰り返され、その首謀者がブランディーヌだというのだ。 ブランディーヌは周囲を見渡す。その視線を避けて顔を背ける姿が何人もある。 シャルルの隣にはいじめられているとされる下級生の男爵家令嬢コリンヌの姿が。そのコリンヌが、ブランディーヌと目が合った瞬間、確かに勝ち誇った笑みを浮かべたのが分かった。 ああ、さすがに下位貴族までは盲点でしたわね。 ブランディーヌは敗けを認めるしかない。 だが彼女は、シャルルの次の言葉にさらなる衝撃を受けることになる。 「そして私の婚約は、新たにこのコリンヌと結ぶことになる!」 正式な場でもなく、おそらく父王の承諾さえも得ていないであろう段階で、独断で勝手なことを言い出すシャルル。それも大概だが、本当に男爵家の、下位貴族の娘に王子妃が務まると思っているのか。 これでもブランディーヌは彼の婚約者として10年費やしてきた。その彼の信頼を得られなかったのならば甘んじて婚約破棄も受け入れよう。 だがしかし、シャルルの王子としての立場は守らねばならない。男爵家の娘が立派に務めを果たせるならばいいが、もしも果たせなければ、回り回って婚約者の地位を守れなかったブランディーヌの責任さえも問われかねないのだ。 だから彼女はコリンヌに問うた。 「貴女、王子妃となる覚悟はお有りなのよね? では、一度お試しで受けてみられますか?“王子妃教育”を」 そしてコリンヌは、なぜそう問われたのか、その真意を思い知ることになる⸺! ◆拙作『熊男爵の押しかけ幼妻』と同じ国の同じ時代の物語です。直接の繋がりはありませんが登場人物の一部が被ります。 ◆全15話+番外編が前後編、続編(公爵家侍女編)が全25話+エピローグ、それに設定資料2編とおまけの閑話まで含めて6/2に無事完結! アルファ版は断罪シーンでセリフがひとつ追加されてます。大筋は変わりません。 小説家になろうでも公開しています。あちらは全6話+1話、続編が全13話+エピローグ。なろう版は続編含めて5/16に完結。 ◆小説家になろう4/26日間[異世界恋愛]ランキング1位!同[総合]ランキングも1位!5/22累計100万PV突破! アルファポリスHOTランキングはどうやら41位止まりのようです。(現在圏外)

【完結】美しい人。

❄️冬は つとめて
恋愛
「あなたが、ウイリアム兄様の婚約者? 」 「わたくし、カミーユと言いますの。ねえ、あなたがウイリアム兄様の婚約者で、間違いないかしら。」 「ねえ、返事は。」 「はい。私、ウイリアム様と婚約しています ナンシー。ナンシー・ヘルシンキ伯爵令嬢です。」 彼女の前に現れたのは、とても美しい人でした。

幼馴染、幼馴染、そんなに彼女のことが大切ですか。――いいでしょう、ならば、婚約破棄をしましょう。~病弱な幼馴染の彼女は、実は……~

銀灰
恋愛
テリシアの婚約者セシルは、病弱だという幼馴染にばかりかまけていた。 自身で稼ぐこともせず、幼馴染を庇護するため、テシリアに金を無心する毎日を送るセシル。 そんな関係に限界を感じ、テリシアはセシルに婚約破棄を突き付けた。 テリシアに見捨てられたセシルは、てっきりその幼馴染と添い遂げると思われたが――。 その幼馴染は、道化のようなとんでもない秘密を抱えていた!? はたして、物語の結末は――?

【完結】昨日までの愛は虚像でした

鬼ヶ咲あちたん
恋愛
公爵令息レアンドロに体を暴かれてしまった侯爵令嬢ファティマは、純潔でなくなったことを理由に、レアンドロの双子の兄イグナシオとの婚約を解消されてしまう。その結果、元凶のレアンドロと結婚する羽目になったが、そこで知らされた元婚約者イグナシオの真の姿に慄然とする。

許婚と親友は両片思いだったので2人の仲を取り持つことにしました

結城芙由奈 
恋愛
<2人の仲を応援するので、どうか私を嫌わないでください> 私には子供のころから決められた許嫁がいた。ある日、久しぶりに再会した親友を紹介した私は次第に2人がお互いを好きになっていく様子に気が付いた。どちらも私にとっては大切な存在。2人から邪魔者と思われ、嫌われたくはないので、私は全力で許嫁と親友の仲を取り持つ事を心に決めた。すると彼の評判が悪くなっていき、それまで冷たかった彼の態度が軟化してきて話は意外な展開に・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

冷徹義兄の密やかな熱愛

橋本彩里(Ayari)
恋愛
十六歳の時に母が再婚しフローラは侯爵家の一員となったが、ある日、義兄のクリフォードと彼の親友の話を偶然聞いてしまう。 普段から冷徹な義兄に「いい加減我慢の限界だ」と視界に入れるのも疲れるほど嫌われていると知り、これ以上嫌われたくないと家を出ることを決意するのだが、それを知ったクリフォードの態度が急変し……。 ※王道ヒーローではありません

処理中です...