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17.それは勘弁してほしい
5.
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そんなことが続いたある日のこと。
「破談⁉ 兄様とヴァレリア様が⁉」
「……ああ。先方からそのように申し渡された」
苦々し気な表情で伯爵が言う。ルルは思わず目を見開いた。
「だっ……だけど、あんなに上手くいっていたじゃありませんか! わたくしが何度邪魔しても……っ、と」
「――――おまえが二人の結婚を邪魔しようとしていたことは知っている。だが、あちらの翻意はそれとは関係ないとのことだ」
はぁ、とため息を吐きつつ、伯爵は大仰に項垂れる。
「正式な婚約が未だだったのは、双方にとって幸いだった。経歴に瑕がつかないからな。カインの方が翻意するかもしれないと、そう思っていたのだが――――」
そう口にする伯爵の表情は大層暗い。ルルは唇を尖らせつつ、胸に大きな蟠りを抱えていた。
「どうした? 随分浮かない表情じゃないか。おまえはカインの結婚を阻止したかったのだろう? この話を聞いたら喜ぶに違いないと思っていたのだが……」
「――――――そう、ですね。その筈だったのですけど」
答えながら、ルルはそっと胸を押さえた。
(どうしてこんなに、胸が苦しいのでしょう?)
考えつつ、ルルはギュッと目を瞑る。彼女の脳裏に浮かんだのは、兄のカインではなかった。
「何で……?」
これまでずっと、十何年もの間、ルルの心を占拠していたカインの姿が今は見えない。浮かび上がるのは兄とは真逆の――――別の誰かの姿だった。
「旦那様、実は……」
侍女の一人が、伯爵に向かってそっと耳打ちをする。小さな騒めきが聞こえ、それが段々とこちらに近づいてくる。
「――――失礼いたします」
男性の声が室内に響き渡る。その瞬間、ルルはパッと顔を上げた。
「アベル様……」
呟きながら、ルルは密かに瞳を潤ませた。先程まで頭に浮かんでいた人物が、今まさに、彼女の目の前に現れたのである。
「突然の訪問、申し訳ございません。妹がカイン様との婚約を破談にしたと聞きまして……。居ても立っても居られなくて――――」
そう言ってアベルは膝を突く。
「伝えたいことがあるんです。今……どうしても、お伝えしたい」
(……一体、何なのでしょう?)
ヴァレリアの気持ちだろうか?ルルは戸惑いつつも、父親の隣でアベルを見つめた。
「――――正直俺は、妹が居ればそれで良かった。他には何も要らないと、そう思っていました。
けれど、ルル様――――あなたと共に過ごす内に、俺は考えが変わりました」
「……え?」
思わぬ話の展開に、ルルは大きく目を見開く。伯爵も娘とアベルとを交互に見つめた。
「妹とカイン様の結婚が破談になったことで――――俺はかなり戸惑いました。妹の結婚が破談になってしまえば良い……ずっとずっと、そう思っていたのです。喜んで然るべきでした。
それなのに、俺の胸を占領したのは『ルル様にもう会うことができない』という現実と、深い悲しみだったのです。
クルクルと変わるルル様の表情が……屈託のない笑みが――――明るい声がもう聞けないのだと思うと、胸が引き裂かれそうな心地がして。妹の結婚が決まった時より、苦しくて堪りませんでした。
いつの間にかルル様は、俺にとって掛け替えのない大切な人になっていたのです」
アベルはルルの手を握り、真っ直ぐに彼女を見つめる。
「ルル様……どうか俺と、結婚してくださいませんか?」
その瞬間、ルルが大きく息を呑む。
震える声音、熱っぽく揺れ動く紫色の瞳が、彼の想いを物語っていた。
「――――わたくしも、同じです」
瞳に涙を滲ませつつ、ルルはアベルに歩み寄る。
「兄様だけ……兄様が居れば、他には何も要らないと思っていました。あんなにカッコいい人は他には居ないって。
だけど……アベル様はこんなわたくしを受け入れてくれました。一緒に悩んだり、苦しんだり、喜んだり、悲しんだり――――そんな風に自分を真っ直ぐに見せてくれるアベル様に、わたくしは心惹かれたのです」
ルルはそう言って満面の笑みを浮かべる。アベルも目を丸くしつつ、穏やかな笑みを浮かべた。
「ちょっ……ちょっと、待ってくれ!」
その時、部屋の入り口から慌てふためいた声音が聞こえた。カインだった。顔面蒼白のまま汗をダラダラと搔き、カインは急いでルルの元へと駆け寄る。
「兄様! 一体、どうなさって……」
「ルル! 心惹かれただなんて、そんなまさか……まさかだよな? ルルはこの家を出たりしないだろう? ずっと兄様の側に居るよな、な?」
カインはルルの腕に縋りつくと、今にも泣きださん勢いで捲し立てる。
「兄様、わたくしは……」
「兄様が! 兄様がずっと側に居てやる! だからおまえは結婚なんてしなくて良い! 結婚して妻が出来ても、兄様はずっとおまえだけのものだ! この家で共に暮らせば良い! なぁ、そうだろう?」
ルルの中で、何かが大きな音を立てて壊れていく。隙間風が心の中に吹きすさぶような、そんな感覚がした。
「ごめんなさい、兄様」
ルルはそう言ってアベルのことを抱き締める。断末魔のようなカインの声が邸内に木霊した。
「破談⁉ 兄様とヴァレリア様が⁉」
「……ああ。先方からそのように申し渡された」
苦々し気な表情で伯爵が言う。ルルは思わず目を見開いた。
「だっ……だけど、あんなに上手くいっていたじゃありませんか! わたくしが何度邪魔しても……っ、と」
「――――おまえが二人の結婚を邪魔しようとしていたことは知っている。だが、あちらの翻意はそれとは関係ないとのことだ」
はぁ、とため息を吐きつつ、伯爵は大仰に項垂れる。
「正式な婚約が未だだったのは、双方にとって幸いだった。経歴に瑕がつかないからな。カインの方が翻意するかもしれないと、そう思っていたのだが――――」
そう口にする伯爵の表情は大層暗い。ルルは唇を尖らせつつ、胸に大きな蟠りを抱えていた。
「どうした? 随分浮かない表情じゃないか。おまえはカインの結婚を阻止したかったのだろう? この話を聞いたら喜ぶに違いないと思っていたのだが……」
「――――――そう、ですね。その筈だったのですけど」
答えながら、ルルはそっと胸を押さえた。
(どうしてこんなに、胸が苦しいのでしょう?)
考えつつ、ルルはギュッと目を瞑る。彼女の脳裏に浮かんだのは、兄のカインではなかった。
「何で……?」
これまでずっと、十何年もの間、ルルの心を占拠していたカインの姿が今は見えない。浮かび上がるのは兄とは真逆の――――別の誰かの姿だった。
「旦那様、実は……」
侍女の一人が、伯爵に向かってそっと耳打ちをする。小さな騒めきが聞こえ、それが段々とこちらに近づいてくる。
「――――失礼いたします」
男性の声が室内に響き渡る。その瞬間、ルルはパッと顔を上げた。
「アベル様……」
呟きながら、ルルは密かに瞳を潤ませた。先程まで頭に浮かんでいた人物が、今まさに、彼女の目の前に現れたのである。
「突然の訪問、申し訳ございません。妹がカイン様との婚約を破談にしたと聞きまして……。居ても立っても居られなくて――――」
そう言ってアベルは膝を突く。
「伝えたいことがあるんです。今……どうしても、お伝えしたい」
(……一体、何なのでしょう?)
ヴァレリアの気持ちだろうか?ルルは戸惑いつつも、父親の隣でアベルを見つめた。
「――――正直俺は、妹が居ればそれで良かった。他には何も要らないと、そう思っていました。
けれど、ルル様――――あなたと共に過ごす内に、俺は考えが変わりました」
「……え?」
思わぬ話の展開に、ルルは大きく目を見開く。伯爵も娘とアベルとを交互に見つめた。
「妹とカイン様の結婚が破談になったことで――――俺はかなり戸惑いました。妹の結婚が破談になってしまえば良い……ずっとずっと、そう思っていたのです。喜んで然るべきでした。
それなのに、俺の胸を占領したのは『ルル様にもう会うことができない』という現実と、深い悲しみだったのです。
クルクルと変わるルル様の表情が……屈託のない笑みが――――明るい声がもう聞けないのだと思うと、胸が引き裂かれそうな心地がして。妹の結婚が決まった時より、苦しくて堪りませんでした。
いつの間にかルル様は、俺にとって掛け替えのない大切な人になっていたのです」
アベルはルルの手を握り、真っ直ぐに彼女を見つめる。
「ルル様……どうか俺と、結婚してくださいませんか?」
その瞬間、ルルが大きく息を呑む。
震える声音、熱っぽく揺れ動く紫色の瞳が、彼の想いを物語っていた。
「――――わたくしも、同じです」
瞳に涙を滲ませつつ、ルルはアベルに歩み寄る。
「兄様だけ……兄様が居れば、他には何も要らないと思っていました。あんなにカッコいい人は他には居ないって。
だけど……アベル様はこんなわたくしを受け入れてくれました。一緒に悩んだり、苦しんだり、喜んだり、悲しんだり――――そんな風に自分を真っ直ぐに見せてくれるアベル様に、わたくしは心惹かれたのです」
ルルはそう言って満面の笑みを浮かべる。アベルも目を丸くしつつ、穏やかな笑みを浮かべた。
「ちょっ……ちょっと、待ってくれ!」
その時、部屋の入り口から慌てふためいた声音が聞こえた。カインだった。顔面蒼白のまま汗をダラダラと搔き、カインは急いでルルの元へと駆け寄る。
「兄様! 一体、どうなさって……」
「ルル! 心惹かれただなんて、そんなまさか……まさかだよな? ルルはこの家を出たりしないだろう? ずっと兄様の側に居るよな、な?」
カインはルルの腕に縋りつくと、今にも泣きださん勢いで捲し立てる。
「兄様、わたくしは……」
「兄様が! 兄様がずっと側に居てやる! だからおまえは結婚なんてしなくて良い! 結婚して妻が出来ても、兄様はずっとおまえだけのものだ! この家で共に暮らせば良い! なぁ、そうだろう?」
ルルの中で、何かが大きな音を立てて壊れていく。隙間風が心の中に吹きすさぶような、そんな感覚がした。
「ごめんなさい、兄様」
ルルはそう言ってアベルのことを抱き締める。断末魔のようなカインの声が邸内に木霊した。
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