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8.女騎士アビゲイルの失態

3.

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 それからしばらくは穏やかな日々が続いた。

 ロゼッタとライアンは馬が合うらしい。気づけばいつも行動を共にしていた。
 部屋で本を読むにも、森を散策するにも、何をするにも二人一緒。傍から見ていて微笑ましいくらいだ。

 本当は結婚を控える身であるロゼッタが、他の男性と仲良くすることは問題がある。けれどアビゲイルは、こんなにも楽しそうなロゼッタを見たことが無かった。

 幸いここにいるのは、アビゲイルとトロイの二人だけだ。たまにライアンの従者が食材を届けに来たり、何某かの報告をしに来るものの、決して長居はしないし、詮索もしない。ならば今しか許されぬ幸せに主が身を投じることを見逃すべきなのではないか。そう考えた。


「なぁ、アビゲイル。おまえ、一体いつまでここに隠れるつもりなんだ?」


 ある時、トロイがそう尋ねてきた。今はトロイと二人きり。読書を楽しむ主たちのために、茶を準備している所だ。


「――――――必要なだけ。あの方の安全が保障されるまでだ」


 小さくため息を吐きながら、アビゲイルが唇を引き結ぶ。

 恐らくあの日、ロゼッタ達を襲ったのは敵対国の刺客たちだ。
 ロゼッタはもうすぐ隣国の王子と結婚する。共に敵国へ対抗するため、同盟を結ぶための政略結婚。

 刺客たちはロゼッタを亡き者にし、二人の結婚を防ぐことで、同盟を白紙に戻したかったのだろうというのがアビゲイルの考えだった。


(王女様が襲われたことはどこまで伝わっているのだろうか)


 あの時の従者たちは皆、殺されてしまった。残っているのはロゼッタとアビゲイルの二人だけだ。

 もしかすると今頃、ロゼッタが廟に到着していないことを神職者たちが報告している頃かもしれない。


(どうやって確認する?どうやって……)

「そんな難しい顔するなよ」


 顰め面をして押し黙ったアビゲイルの頭を、トロイがクシャクシャと撫でた。


「別に、早く出ていけって言ってるわけじゃない。あんなに楽しそうな主を初めて見たし、俺たちはあと1ヶ月はここにいるから」


 はじめの方こそ掴みどころがなく、意地悪に見えたトロイだが、一緒に過ごしていくうちに案外優しい人だと分かってきた。

 男の中に混じって対等に騎士をしてきたアビゲイルは、人に優しくされ慣れていない。こういう風に甘やかされると、何だか心がむず痒かった。


「って、あと1ヶ月でここを出るのか?」

「あぁ。ここには一応禊に来ているんだ。……形だけだけど」

「そうか」


 アビゲイルたちに残されたタイムリミットは思ったよりも長くないらしい。
 用意の終わったティーセットを盆に載せ、アビゲイルは一人、重い足取りでロゼッタたちの元に向かった。

 アビゲイルが部屋に入ると、ロゼッタとライアンは神妙な面持ちで何かを話していた。


(一体どんな話をしているんだろう?)


 アビゲイルは首を傾げながら、ゆっくりと二人に近づいていく。


「――――――はい。私はまだ、結婚相手にお会いしたことが無いのです」


 ロゼッタは困ったような表情で、そんなことを口にしていた。どうやらまだ、アビゲイルの存在に気づいていないらしい。


(えぇっ……!)


 アビゲイルはロゼッタの口を塞ぎたくなった。


(王女様のことだから、身分は明かしていないだろうし、お相手のことも話してはいないだろう。でも、でも!)


 ロゼッタはきっと、ライアンのことを慕っている。決して叶うことのない初恋だ。

 けれど今、婚約のことを打ち明けなければ、ロゼッタは少しでも楽しい時間を引き延ばすことができたはずだ。

 甘い恋の思い出を宝物にして、隣国に嫁いで行けた。それなのに、どうして打ち明けてしまったのか。

 ライアンは悲しげに笑いながら、黙ってロゼッタの話を聞いている。
 ロゼッタは、切なげに目を細めると、とんでもないことを口にした。


「ライアン様が私の結婚相手だったら良かったのに」

(え……?)


 その瞬間ガシャンと盛大な音を立てて、ティーセットが宙を舞った。

 アビゲイルはとてもじゃないが、己の聞いたことが信じられなかった。開いた口が塞がらず、ただ呆然と立ち尽くす。


「アビゲイル!」


 ようやくアビゲイルの存在に気づいたロゼッタは、頬を紅く染め、恥ずかしそうに顔を逸らす。ライアンは少しだけ驚いたような表情をしたものの、困ったように笑っている。


(私ったら何を……)


 アビゲイルは気を取り戻すと、ティーセットを片付け、急いで部屋を後にした。
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