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言われるのを覚悟していた言葉は、予想外のところから降りかかった。
「ねえ、もういい加減頼らないでよ」
放課後、自分の教室で光司の部活が終わるのを待っていると現れたのは、光司の妹の由加だった。由加も頭が良いはずなのにこの高校へ来たのは、ひとえに兄の光司の後を追ってのことだ。昔から兄に羨望の眼差しを向ける由加は、俺に強い嫌悪と怒りに震える声を投げつけた。
「もう高二だよ!? もう小さな子供じゃないんだからさっ、いい加減お兄ちゃんから離れろよ!」
「ッ、ぁ……お、俺は……」
「そうやってゴニョゴニョ言うの、マジでウザイ! こっちが弱い者イジメしてるみたいになるじゃん!」
やりたくてビビっている訳じゃない。人から強い感情を向けられて萎縮してしまうのは、もはや反射のようなものだった。俺だって治したい……でも、なかなか治せない。
そんな俺に更に苛立った由加は舌打ちする。
「アンタさ、まだお兄ちゃんに手ぇ引いてもらってんだね? 今朝見てビビったわ、信じらんないキモすぎ。でももう、お兄ちゃんはアンタのじゃない」
よく意味が分からなくて眉を顰める俺に、由加が冷たい目をして口角をあげた。
「なんだ知らないの? お兄ちゃん、彼女できたんだよ。弓道部の部長で、めちゃくちゃ綺麗な人。みんなふたりを応援してる。アンタとは大違い」
なんだそれ、俺は何も聞いてない。
驚いて目を見開いた俺に由加は勝ち誇った顔で言った。
「あの手はもう、アンタは掴んじゃいけないの」
嘲るように笑う由加に、俺の目の前は真っ黒に塗り潰された。
いつの間にか由加は教室から消えていて、俺以外のひと気は無くなっていた。自分の荷物を持ってふらふらと立ち上がり教室を出る。
光司に彼女ができた。めでたいことだ。本当はもっと早くにできていてもおかしくなかった。何度も告白される光司を見てきた。でも、光司は彼女を作らなかった。その原因が俺だと言うことには気づいていた。
気づいていながらも『もういいよ』と言えなかったのは……。
「あれ、大原?」
滅多に呼ばれることのない自分の名前を呼ばれ思わず立ち止まる。
「ひとりなの? 珍しいね」
話しかけてきた人物の方へと視線を向けると、そこには派手な容姿をしたクラスメートが立っていた。確か、狸だか狐だか……
「とがわだよ、兎川」
笑いながら近寄ってくるソイツに、俺は思わず後ずさる。
「酷いなぁ、同じクラスになってもう半年くらい経つのに」
「ご、ごめ……」
「いいよ、今日覚えてくれたら許してあげる」
ニカッと白い歯を見せて笑うその顔は、やはり華やかだ。少し軽薄そうでチャラチャラとした雰囲気は、光司とは正反対だが人気がある。
「で、相方は?」
「相方?」
「ほら、いっつも一緒にいるイケメン。本宮くんだっけ」
「……ああ、ぁ……まだ、部活。弓道部の副部長で」
「弓道部? あ~! 噂の美男美女カップルか!」
そのセリフにビクッと肩が跳ね上がったかと思うと、俺の両目は大洪水を起こした。
「ぇえ!? ちょ、どした!?」
ボロボロボロボロ零れ落ちる涙は止められず、自分でもどうしてこんなに泣いているのか分からない。
「わっ、わかんっ、なっ」
「わわわわ、ちょ、ひとまずこっちおいでよ」
兎川に肩を支えられ、大泣きしながら連れて行かれたのは調理室だった。部屋の中には甘く香ばしい良い匂いが充満している。
「……い、良い匂い」
「ブッ!!」
思わず呟いた俺の隣で兎川が吹き出した。
「今の今まで大泣きしてたのに何それ」
「ご、ごめん」
「いや、泣き止んだならいいけどさ」
派手な容姿に似合わぬ優しさを意外に思い兎川を見上げると、にこりと笑みを向けられる。
「落ち着いたぁ?」
「あっ、うん……ありがとう」
「どういたしましてー! なんもしてないけどー!」
俺の肩を支えていた手を外し離れた兎川を見て、漸く俺は兎川が着ているものに目が向いた。
「エプロン?」
「ん? ああ、俺調理部だからね」
「調理部!?」
この、バスケとかサッカーとか華やかなスポーツか、もしくは帰宅部で帰りにゲーセン寄ってそうな兎川が!? 調理部!?
「めちゃくちゃ失礼なこと考えてんの丸わかり」
眉を下げて苦笑する兎川に、俺はもう一度謝った。兎川は特に怒った様子もなくへらりと笑う。
「まあ、部活っていっても運動部みたいに毎日ある訳じゃないけどね」
「毎日じゃないの」
「週二回かな」
調理室の中を見渡すと、九つある調理台のうち一つに材料が置かれていた。
「部員も少ないし、予算もあんまり貰えてない弱小部だから。真面目にやってんのは俺くらい」
「え、今日兎川だけ?」
そ、と苦笑して調理台に向かう兎川の後を追う。調理台の上には既に使われた痕跡のあるバターや卵の殻、汚れたボールが置かれていた。
「今日は何を作ったの」
「今日は無難にクッキー! もう焼けてるやつもあるから食ってみる?」
差し出された狐色のクッキーを手に取ると、まだ熱が冷めず熱かった。焼きたてだ。
「う、うまっ……」
「でしょー? 焼きたてサクサクっしょ。全部食っていいよ」
さっきまで泣いていたのに、今は口の中いっぱいにクッキーを頬張っているから現金なものだ。そうしてふと、思いつく。
「兎川は、普通の料理もできる?」
「普通の?」
「味噌汁とか、卵焼きとか……」
言い淀んだ俺の顔を、兎川がジッと見つめる。
「料理できるようになりたいの?」
俯いたまま、俺は首を縦に振った。
できれば、ちゃんと光司の口から聞きたかった。もう俺の世話はできないと、大切な人ができたからと……ハッキリ光司から聞かされたかった。でももう、仕方ない。
特に仲良くない兎川すら知っていた光司と弓道部部長の関係は、周りと交流が無い俺だけが知らなかった事実なのだろう。
俺は、もう光司の手を離さなければいけない。
「うん、俺……料理できるようになりたい」
少しの間だけ無言になった兎川は、しかし何かを納得したように大きく頷く。
「よし、じゃあ大原も明日から調理部来いよ。簡単なおかずから練習しようぜ!」
急に泣いたことや、なぜ料理を覚えたいのかも、兎川は何も聞いてこなかった。それがとてもありがたくて、ホッとして……俺は久しぶりに他人に向ける笑みを返した。
「ねえ、もういい加減頼らないでよ」
放課後、自分の教室で光司の部活が終わるのを待っていると現れたのは、光司の妹の由加だった。由加も頭が良いはずなのにこの高校へ来たのは、ひとえに兄の光司の後を追ってのことだ。昔から兄に羨望の眼差しを向ける由加は、俺に強い嫌悪と怒りに震える声を投げつけた。
「もう高二だよ!? もう小さな子供じゃないんだからさっ、いい加減お兄ちゃんから離れろよ!」
「ッ、ぁ……お、俺は……」
「そうやってゴニョゴニョ言うの、マジでウザイ! こっちが弱い者イジメしてるみたいになるじゃん!」
やりたくてビビっている訳じゃない。人から強い感情を向けられて萎縮してしまうのは、もはや反射のようなものだった。俺だって治したい……でも、なかなか治せない。
そんな俺に更に苛立った由加は舌打ちする。
「アンタさ、まだお兄ちゃんに手ぇ引いてもらってんだね? 今朝見てビビったわ、信じらんないキモすぎ。でももう、お兄ちゃんはアンタのじゃない」
よく意味が分からなくて眉を顰める俺に、由加が冷たい目をして口角をあげた。
「なんだ知らないの? お兄ちゃん、彼女できたんだよ。弓道部の部長で、めちゃくちゃ綺麗な人。みんなふたりを応援してる。アンタとは大違い」
なんだそれ、俺は何も聞いてない。
驚いて目を見開いた俺に由加は勝ち誇った顔で言った。
「あの手はもう、アンタは掴んじゃいけないの」
嘲るように笑う由加に、俺の目の前は真っ黒に塗り潰された。
いつの間にか由加は教室から消えていて、俺以外のひと気は無くなっていた。自分の荷物を持ってふらふらと立ち上がり教室を出る。
光司に彼女ができた。めでたいことだ。本当はもっと早くにできていてもおかしくなかった。何度も告白される光司を見てきた。でも、光司は彼女を作らなかった。その原因が俺だと言うことには気づいていた。
気づいていながらも『もういいよ』と言えなかったのは……。
「あれ、大原?」
滅多に呼ばれることのない自分の名前を呼ばれ思わず立ち止まる。
「ひとりなの? 珍しいね」
話しかけてきた人物の方へと視線を向けると、そこには派手な容姿をしたクラスメートが立っていた。確か、狸だか狐だか……
「とがわだよ、兎川」
笑いながら近寄ってくるソイツに、俺は思わず後ずさる。
「酷いなぁ、同じクラスになってもう半年くらい経つのに」
「ご、ごめ……」
「いいよ、今日覚えてくれたら許してあげる」
ニカッと白い歯を見せて笑うその顔は、やはり華やかだ。少し軽薄そうでチャラチャラとした雰囲気は、光司とは正反対だが人気がある。
「で、相方は?」
「相方?」
「ほら、いっつも一緒にいるイケメン。本宮くんだっけ」
「……ああ、ぁ……まだ、部活。弓道部の副部長で」
「弓道部? あ~! 噂の美男美女カップルか!」
そのセリフにビクッと肩が跳ね上がったかと思うと、俺の両目は大洪水を起こした。
「ぇえ!? ちょ、どした!?」
ボロボロボロボロ零れ落ちる涙は止められず、自分でもどうしてこんなに泣いているのか分からない。
「わっ、わかんっ、なっ」
「わわわわ、ちょ、ひとまずこっちおいでよ」
兎川に肩を支えられ、大泣きしながら連れて行かれたのは調理室だった。部屋の中には甘く香ばしい良い匂いが充満している。
「……い、良い匂い」
「ブッ!!」
思わず呟いた俺の隣で兎川が吹き出した。
「今の今まで大泣きしてたのに何それ」
「ご、ごめん」
「いや、泣き止んだならいいけどさ」
派手な容姿に似合わぬ優しさを意外に思い兎川を見上げると、にこりと笑みを向けられる。
「落ち着いたぁ?」
「あっ、うん……ありがとう」
「どういたしましてー! なんもしてないけどー!」
俺の肩を支えていた手を外し離れた兎川を見て、漸く俺は兎川が着ているものに目が向いた。
「エプロン?」
「ん? ああ、俺調理部だからね」
「調理部!?」
この、バスケとかサッカーとか華やかなスポーツか、もしくは帰宅部で帰りにゲーセン寄ってそうな兎川が!? 調理部!?
「めちゃくちゃ失礼なこと考えてんの丸わかり」
眉を下げて苦笑する兎川に、俺はもう一度謝った。兎川は特に怒った様子もなくへらりと笑う。
「まあ、部活っていっても運動部みたいに毎日ある訳じゃないけどね」
「毎日じゃないの」
「週二回かな」
調理室の中を見渡すと、九つある調理台のうち一つに材料が置かれていた。
「部員も少ないし、予算もあんまり貰えてない弱小部だから。真面目にやってんのは俺くらい」
「え、今日兎川だけ?」
そ、と苦笑して調理台に向かう兎川の後を追う。調理台の上には既に使われた痕跡のあるバターや卵の殻、汚れたボールが置かれていた。
「今日は何を作ったの」
「今日は無難にクッキー! もう焼けてるやつもあるから食ってみる?」
差し出された狐色のクッキーを手に取ると、まだ熱が冷めず熱かった。焼きたてだ。
「う、うまっ……」
「でしょー? 焼きたてサクサクっしょ。全部食っていいよ」
さっきまで泣いていたのに、今は口の中いっぱいにクッキーを頬張っているから現金なものだ。そうしてふと、思いつく。
「兎川は、普通の料理もできる?」
「普通の?」
「味噌汁とか、卵焼きとか……」
言い淀んだ俺の顔を、兎川がジッと見つめる。
「料理できるようになりたいの?」
俯いたまま、俺は首を縦に振った。
できれば、ちゃんと光司の口から聞きたかった。もう俺の世話はできないと、大切な人ができたからと……ハッキリ光司から聞かされたかった。でももう、仕方ない。
特に仲良くない兎川すら知っていた光司と弓道部部長の関係は、周りと交流が無い俺だけが知らなかった事実なのだろう。
俺は、もう光司の手を離さなければいけない。
「うん、俺……料理できるようになりたい」
少しの間だけ無言になった兎川は、しかし何かを納得したように大きく頷く。
「よし、じゃあ大原も明日から調理部来いよ。簡単なおかずから練習しようぜ!」
急に泣いたことや、なぜ料理を覚えたいのかも、兎川は何も聞いてこなかった。それがとてもありがたくて、ホッとして……俺は久しぶりに他人に向ける笑みを返した。
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