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深夜から降りだした雨足はなかなか弱まらない。暗闇の中で聞くアスファルトを打つ強い音は、嫌でもあの日を思い出させた。
生温い、雨独特の匂いが鼻につく。
『おれ、父ちゃんに……すてられた……』
ぽつんと灯る玄関の灯りの下。こぼれ落ちた言葉は、一体何を望んでいたのだろう。
篠突く雨の止むころに
「壱、もう起きて」
シャッ、と音を立てて流し込まれる朝日の眩しさに、思わず布団に潜り込む。
「あとちょっと……」
「ダメ、朝ごはん冷めちゃう」
「ンぅ~」
「壱」
「んう"ーーーーーっ!」
これ以上は無理だと観念して、ぬくぬくと気持ちのいい布団から両手足を伸ばして出した。その俺の上から光司が丁寧に布団をどかせると、冷たい空気が全身を遠慮なく襲った。
「さむっ」
「風邪ひくからすぐに着替えて」
「はぁい」
ちゃんとベッドから起きて立ち上がると、その俺の後ろから光司もついてきた。
部屋の中の明るさから、昨夜の雨の名残は全く感じられない。
「なに、下からすごい良い匂いする」
「昨日テレビで観たホットサンド」
「え、ベーコンチーズトマトバジルサンド!?」
階段で振り向き見上げたその先で、光司がにっこりと笑った。
「やったー! すぐ着替えてくる!」
「顔洗うの忘れないでね」
「はーーい!」
転げ落ちるようにして降りた階段。駆け込んだ洗面所で慌てて顔を洗って、すでに用意されていた制服のシャツに腕を通した。
今年の春で高校二年に上がった俺、大原壱と、同じ高校に通う同級生である本宮光司は幼馴染だ。
「うまっ」
「よかった。壱、こぼさないで。シャツ汚れるよ」
「ンむ」
伸ばされた光司の手によって口端についていたソースを拭き取られる。これじゃあまるで幼な子だ。
幼馴染がなぜこんな俺の家族のようなことをしているかというと……俺には本物の家族がいないから。母親は物心がついた時にはもういなくて、唯一側にいた父親も俺を置いて消えた。
この家の斜め前に住む光司は、俺がこの家に一人で住むことになったその日からずっと、こうして朝から晩まで俺の世話に来るようになった。
流石に寝る時は、光司も家に戻るんだけど。
「壱、歯磨いた?」
「磨いた」
「じゃあ行こうか」
「あ、弁当」
「俺が持ってるから大丈夫。……壱、」
玄関で、靴を履きおえると伸ばされる手。大丈夫だよ、と聞こえてきそうな優しい眼差しを見上げてその手を握る。
父親に捨てられてから、俺は極度に他人が怖くなった。人から向けられる“感情”が恐ろしくて仕方なかった。血の繋がった親にすら見捨てられる自分の価値が分からなくなり、ゴミ屑同然に思えた。
父が家から消えて暫くの間、全く外に出られなくて引きこもっていた俺に、光司は毎日会いにきてくれた。
初めは光司のことも信用できなくて、どうせお前も俺を捨ててどこかに行くんだと泣き喚いていた。でも、光司は俺を見捨てなかった。一日たりとも会いに来るのをやめる日はなく、やがて俺は光司の手を握れば外に出られるようになっていた。
行ってきまーす、とふたりで手を繋いで家を出る。高校二年にもなっていつまでこんな事をしているんだとも思うが、俺からはなかなか言い出せず今も駅に向かう道の途中までは、手を繋いだまま歩いている。
最寄り駅まで徒歩十五分。そこからほんの三駅で着く高校に通い始めてもうすぐ一年半が経つ。
電車を待つ間や、ホームに降りた時にこちらに向けられる視線の多さにも流石に慣れた。と、いうのも、
「壱、どうしたの」
「……いや、別に」
俺の隣を歩くこの幼馴染は、昔から色んなものの出来が良い。
俺に合わせて入った高校の偏差値は正直あまり高くなく、校則も他の学校に比べると緩い。みんな高校デビューだとかいって髪を明るく染めたり、制服を着崩したりピアスを開けたりと大勢の中で目立つのに必死だ。だが皮肉にもそんな輩の中で一番目立っているのは、生まれ持ったものだけで勝負している光司だった。
中学二年の夏にぐんと伸びた身長は、この間の身体測定でついに百八十を超えたことが判明した。
その長身が持つ容姿は甘く爽やかで、艶やかな黒髪にはいつだって天使の輪が輝いてサラリと揺れている。同じ黒髪でも、俺の固くて短いタワシのような髪とは大違いだ。
性格は穏やかが服を着て歩いているようなもので、ほとんど一緒に暮らしているような状態の俺ですら光司が激しく怒ったところはまだ見たことがない。……ごく稀に、変なところで不機嫌スイッチが入る時はあるが。
スポーツでもなかなかに才能があって、二年に上がった時点で弓道部の副部長の座を勝ち取った。マイナー競技である弓道部に、今年新入部員がなんと二十五名も入ったのだが。そのほとんどが光司目当てで入ったと噂の的になっている。
俺の家に入り浸り状態であることは、光司の両親も黙認している。俺の境遇に同情してくれていることや、光司の真面目さを信用しているからだろうけど……流石に高校選びでは大いに揉めた。
見た目だけでなく頭の中も優秀である光司は、本来俺と同じ高校に通うべきではなかったのだ。
『どこの学校からでもT大に合格するから』
そう言って両親を説得してまで、光司は俺に合わせて学校を選んだ。流石に俺だってそれには反対したけど、
『どの高校に行くかなんて、俺の自由でしょ?』
意外と頑固なアイツの決めたことを覆すことは、存外難しかった。
幼稚園で出会って以来の仲で、かれこれ十年来の付き合いになるわけだが、なにも光司は昔からこんなに過保護だったわけじゃない。幼馴染とはいえ、昔は他の友達と然程変わらない距離感で付き合っていたはずだった。
そんな俺たちの距離感がバグったのは、間違いなく俺が父親に捨てられ一人ぼっちになった日からだ。
引きこもりになった俺に毎日食事の用意をして、洗濯をして、風呂の準備をする。自分が学校に通う時間以外の全てを俺に費やしていたと言っても過言じゃない。
家族での外出や旅行にも、俺が同伴でない限り行かなくなってしまった。それを一つ年下の光司の妹──由加に随分と責められ、今も責め続けられている。
まるで家族のように……いや、それ以上の関係で過ごす俺たちは、やはり普通ではない。普通ではないと分かっているし、いつか光司への甘えを断ち切らなくてはいけないことも分かっている。
でも、あと少しだけ。あと、もう少しだけ。
せめて光司から『もう頼らないで』と言われ手を離されるその日までは……この優しさを手放したくなかった。
生温い、雨独特の匂いが鼻につく。
『おれ、父ちゃんに……すてられた……』
ぽつんと灯る玄関の灯りの下。こぼれ落ちた言葉は、一体何を望んでいたのだろう。
篠突く雨の止むころに
「壱、もう起きて」
シャッ、と音を立てて流し込まれる朝日の眩しさに、思わず布団に潜り込む。
「あとちょっと……」
「ダメ、朝ごはん冷めちゃう」
「ンぅ~」
「壱」
「んう"ーーーーーっ!」
これ以上は無理だと観念して、ぬくぬくと気持ちのいい布団から両手足を伸ばして出した。その俺の上から光司が丁寧に布団をどかせると、冷たい空気が全身を遠慮なく襲った。
「さむっ」
「風邪ひくからすぐに着替えて」
「はぁい」
ちゃんとベッドから起きて立ち上がると、その俺の後ろから光司もついてきた。
部屋の中の明るさから、昨夜の雨の名残は全く感じられない。
「なに、下からすごい良い匂いする」
「昨日テレビで観たホットサンド」
「え、ベーコンチーズトマトバジルサンド!?」
階段で振り向き見上げたその先で、光司がにっこりと笑った。
「やったー! すぐ着替えてくる!」
「顔洗うの忘れないでね」
「はーーい!」
転げ落ちるようにして降りた階段。駆け込んだ洗面所で慌てて顔を洗って、すでに用意されていた制服のシャツに腕を通した。
今年の春で高校二年に上がった俺、大原壱と、同じ高校に通う同級生である本宮光司は幼馴染だ。
「うまっ」
「よかった。壱、こぼさないで。シャツ汚れるよ」
「ンむ」
伸ばされた光司の手によって口端についていたソースを拭き取られる。これじゃあまるで幼な子だ。
幼馴染がなぜこんな俺の家族のようなことをしているかというと……俺には本物の家族がいないから。母親は物心がついた時にはもういなくて、唯一側にいた父親も俺を置いて消えた。
この家の斜め前に住む光司は、俺がこの家に一人で住むことになったその日からずっと、こうして朝から晩まで俺の世話に来るようになった。
流石に寝る時は、光司も家に戻るんだけど。
「壱、歯磨いた?」
「磨いた」
「じゃあ行こうか」
「あ、弁当」
「俺が持ってるから大丈夫。……壱、」
玄関で、靴を履きおえると伸ばされる手。大丈夫だよ、と聞こえてきそうな優しい眼差しを見上げてその手を握る。
父親に捨てられてから、俺は極度に他人が怖くなった。人から向けられる“感情”が恐ろしくて仕方なかった。血の繋がった親にすら見捨てられる自分の価値が分からなくなり、ゴミ屑同然に思えた。
父が家から消えて暫くの間、全く外に出られなくて引きこもっていた俺に、光司は毎日会いにきてくれた。
初めは光司のことも信用できなくて、どうせお前も俺を捨ててどこかに行くんだと泣き喚いていた。でも、光司は俺を見捨てなかった。一日たりとも会いに来るのをやめる日はなく、やがて俺は光司の手を握れば外に出られるようになっていた。
行ってきまーす、とふたりで手を繋いで家を出る。高校二年にもなっていつまでこんな事をしているんだとも思うが、俺からはなかなか言い出せず今も駅に向かう道の途中までは、手を繋いだまま歩いている。
最寄り駅まで徒歩十五分。そこからほんの三駅で着く高校に通い始めてもうすぐ一年半が経つ。
電車を待つ間や、ホームに降りた時にこちらに向けられる視線の多さにも流石に慣れた。と、いうのも、
「壱、どうしたの」
「……いや、別に」
俺の隣を歩くこの幼馴染は、昔から色んなものの出来が良い。
俺に合わせて入った高校の偏差値は正直あまり高くなく、校則も他の学校に比べると緩い。みんな高校デビューだとかいって髪を明るく染めたり、制服を着崩したりピアスを開けたりと大勢の中で目立つのに必死だ。だが皮肉にもそんな輩の中で一番目立っているのは、生まれ持ったものだけで勝負している光司だった。
中学二年の夏にぐんと伸びた身長は、この間の身体測定でついに百八十を超えたことが判明した。
その長身が持つ容姿は甘く爽やかで、艶やかな黒髪にはいつだって天使の輪が輝いてサラリと揺れている。同じ黒髪でも、俺の固くて短いタワシのような髪とは大違いだ。
性格は穏やかが服を着て歩いているようなもので、ほとんど一緒に暮らしているような状態の俺ですら光司が激しく怒ったところはまだ見たことがない。……ごく稀に、変なところで不機嫌スイッチが入る時はあるが。
スポーツでもなかなかに才能があって、二年に上がった時点で弓道部の副部長の座を勝ち取った。マイナー競技である弓道部に、今年新入部員がなんと二十五名も入ったのだが。そのほとんどが光司目当てで入ったと噂の的になっている。
俺の家に入り浸り状態であることは、光司の両親も黙認している。俺の境遇に同情してくれていることや、光司の真面目さを信用しているからだろうけど……流石に高校選びでは大いに揉めた。
見た目だけでなく頭の中も優秀である光司は、本来俺と同じ高校に通うべきではなかったのだ。
『どこの学校からでもT大に合格するから』
そう言って両親を説得してまで、光司は俺に合わせて学校を選んだ。流石に俺だってそれには反対したけど、
『どの高校に行くかなんて、俺の自由でしょ?』
意外と頑固なアイツの決めたことを覆すことは、存外難しかった。
幼稚園で出会って以来の仲で、かれこれ十年来の付き合いになるわけだが、なにも光司は昔からこんなに過保護だったわけじゃない。幼馴染とはいえ、昔は他の友達と然程変わらない距離感で付き合っていたはずだった。
そんな俺たちの距離感がバグったのは、間違いなく俺が父親に捨てられ一人ぼっちになった日からだ。
引きこもりになった俺に毎日食事の用意をして、洗濯をして、風呂の準備をする。自分が学校に通う時間以外の全てを俺に費やしていたと言っても過言じゃない。
家族での外出や旅行にも、俺が同伴でない限り行かなくなってしまった。それを一つ年下の光司の妹──由加に随分と責められ、今も責め続けられている。
まるで家族のように……いや、それ以上の関係で過ごす俺たちは、やはり普通ではない。普通ではないと分かっているし、いつか光司への甘えを断ち切らなくてはいけないことも分かっている。
でも、あと少しだけ。あと、もう少しだけ。
せめて光司から『もう頼らないで』と言われ手を離されるその日までは……この優しさを手放したくなかった。
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