Oasis

楽川楽

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第3章

後編

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「そんなに警戒しないで。ちょっと話がしたいだけなんだ」

 ね? と笑いながら男が置いたお茶は、とても綺麗な黄緑色。

「……言っとくけど俺、口の利き方知らないよ」
「なんだ、そんなこと」

 向けられる笑みはやはり女の様だと思った。男はお茶を自身の分も机に置くと、ゆっくり俺の対面側に座る。その全ての動作が綺麗だった。
 こう言うのを育ちが良いと言うのだろうか。

「数馬さんは」
「時間がかかるからね、キミとは一緒に戻れない」

 俺たちがこの男、八島の車によって強引に連れて来られたのは、目玉が飛び出るほど巨大な豪邸。
 大きな門構えに、中に入れば剪定の行き届いた草木が並ぶ日本庭園。もちろん大きな池もあって、そこには濁りの無い綺麗な水と色鮮やかな大きな鯉。
 そこは、昔一度だけ道に落ちてる漫画雑誌で見たヤクザの家そのものだった。

 道中、八島も数馬さんも終始無言を貫き妙な空気が流れてた。そうして着くなりこの部屋に通され、数馬さんは一度だけ俺を見たかと思うとそのまま目を逸らし、酷い顔のまま迎えに現れたイカツイ男と共に何処かへ消えた。
 その場に残されたのは、俺とこのオカッパ頭の八島だけ。

「俺に聞きたい話って、なんなの」

 綺麗な色のお茶には手を伸ばさず、俺は八島を見た。

「ああそうだった。なに、簡単なことなんだけどね? キミと数馬くんの関係が詳しく知りたいんだ。どうやって仲良くなったのかな?」

 ニコニコしながら俺を見る目は、数馬さんとも、店の誰とも違う冷たい目だ。

「俺はあの人に拾われた」
「それは知ってるよ」
「だったら何が知りたい? 俺、頭悪りぃから遠回しじゃ分かんねぇよ」

 俺がそう言うと八島は笑って立ち上がった。そしてそのまま綺麗な動作で歩き、やがて俺の横へと腰を下ろす。

「じゃあハッキリ言おうね。どうやって彼に取り入った?」

 冷たい指が俺の頬を撫でる。

「私の知る数馬くんは、“執着”なんて言葉とは無縁な男でね。今まで誰一人として彼の内側に入ることは出来なかった。だがどうだい? 今ではキミにいたくご執心だ。毎日キミの元へ通っていると言うじゃないか。一体どうやったのか、皆興味津々なんだよ」
「……取り入ったって、何? 俺はただ拾われただけだ」
「そうして彼のお気に入りになった? ただそれだけで?」
「何が言いたい」
「怒らないで、私はただ純粋に知りたいだけ。彼はね、キミと出会うまでは私と同じだった。私と同じ目をしていた。誰も信じてない冷たい目だ」
「……アンタが冷たいのは目だけじゃない」

 頬を触る手を振り払うと、その手はそれ程遠くへ行く事無くすぐに戻って来た。
 そうしてさっきより強い力で俺の頬を固定する。

「数馬くんが今何してるか教えてあげようか」

 ガラス玉みたいな目が俺を見てた。
 あの人の目が“コレ”と同じだったなんて信じられない程、今の数馬さんには熱がある。
 俺をドロドロに溶かす、熱だ。

「数馬さんに酷いことすると許さねぇぞ」
「大丈夫だよ、気持ち良いことしかしてない」
「気持ち、良い?」
「いつもキミとしている事だよ」
「……それは、アンタがさっき脅したから?」
「違うよ、コレはキミと数馬くんが出会う前からの契約だ。彼は今、私の叔父の相手をしている」
「…………」

 俺が八島を睨み付けると、八島は余計に笑顔を深くした。

「ああ言ったゲイタウン一帯は、何処も私たちの様な人間の介入を嫌う。皆で一丸となってそういった類を追い出し、助け合い、あの場所を守ってる。けど、それは表面上だけの話だ。地下に潜れば話は変わってくる」
「手を、組んでるのか」
「表向きのトップは私だが、権力の大半は叔父が握っていてね…何をするにもまず、叔父を納得させなきゃならない。叔父は根っからの男色家で組み敷かれるのが大好きな変態だ。数馬くんがその相手をするのを条件に、うちは彼の店のケツモチをしているんだよ。彼が役を引き受けるそれまでは……叔父の相手は私がしていた」

そんな大事な話を何故俺に…?そう思ってポカンとしていると、八島が急に俺へ覆いかぶさってきた。

「そう言えばキミは、弟の相手もしたそうだね」
「一回だけだ」
「弟はここで“雌”にされる度に『トイ』と口にする」
「最後までヤれなかったからだろ」
「それでも。“諦めきれない何か”がキミにはある。違うかい? キミの何処にそんな人を惹きつける魅力があるんだろう」

 知るか!! と叫びたいのを堪え口元をキュッと結ぶと、それを咎めるように頬に乗っていた手の親指が唇をなぞった。

「キミを抱けば私にも何か分かるかな?」
「…………」
「聞いていたよね? 数馬くんとの取引の話。彼とは今、新しいビジネス契約を結ぼうとしているところだ。きっと直ぐにでも色良い返答が欲しいだろうが、まだ検討中でね」
「俺がアンタと寝れば、その契約の話を決めてくれるってことか」
「何だ、思っていたよりお利口じゃないか」

 倒してきた体を更に密着させた八島は、唇をなぞった手を首筋に流し、曝け出された肩のラインを辿る。
 こんな時になって漸く、数馬さんの選ぶ服の好みを恨んだ。

 何とか体を離そうと八島の胸元に手を置き力を入れるが、その和服を纏った体はビクともしない。指先からも程よい筋肉の弾力が伝わってきた。カナリ鍛えているようだ。

「弟相手にヤッてりゃ良いだろっ」

 吐き捨てるように言うと、俺を見下ろす顔が口角を上げる。

「私は近親愛者でも、同性愛者でもないからね。アレは“組”の雌だ。私のではないよ」
「だったら何で俺にこんなこと!」

 八島は動かしていた手をピタリと止めると、俺の顔をマジマジと見た。

「何だ、知らないのかい? 数馬くんはゲイではないんだよ? それに多分、バイでもない」
「え?」
「彼が自ら進んで男に手を出すなんて、私が知る限りキミが初めてだ」

 だからそこ、知りたい。
 そう言って八島が本格的に俺へと手を伸ばす。

「キミが承諾すれば、私も数馬くんとの契約を呑んであげる。どうする?」
「んっ、」

 首筋に顔を埋めたかと思うと耳たぶを柔く食む。見た目は女の様だけど、耳元で囁く声の甘さは正しく女を誑かす“男”のソレだ。
 どうする? と選択する余地を与えた様に見せかけて、でも矢張りここへ来る時と同じく、そこに拒否させる隙間は全くなかった。

 だが。

「電話をさせて下さい」
「え?」

 八島がキョトンとしながら顔を上げる。

「俺は数馬さんのモノです、俺が勝手に判断するわけにはいかない。ちゃんと数馬さんに聞かないと」

 覆い被さられたままゴソゴソとポケットを漁っていると、その手を八島に掴まれる。

「どうして? 電話なんてしなくても、数馬くんの為になる事くらい判断つくでしょう?」
「俺がアンタと寝れば、契約が取れる」
「そう、数馬くんが欲しくて仕方ない話を持ち帰れるんだ」
「それでも」

 それでも、俺は数馬さんのモノだ。

「確認が要る」
「だから、何故? 少しの判断も許されないとでも? 全てが数馬くんのモノだとでも? 拾われた恩義はそれ程に大きいと?」

 八島の声が苛立っているのが分かった。何に苛立ったのかは分からないが……。

「言っただろ、俺はバカだって。アンタの弟を相手した時も、ユッキーと練習しようとした時も、俺はそれが数馬さんに対しての“サイゼン”ってヤツだと思ってた」

 でも、違った。
 結果はどちらも数馬さんを怒らせる羽目になり、何一つとして喜ばすことが出来なかった。
 おまけに俺はボッコボコの血まみれだ。

「殴られるのが怖いのかい」
「怖く無いって言ったら嘘になる。でも、それは従う理由じゃない」
「じゃあ、どうして?」

 その問いに、俺はそっと目を伏せた。

「悲しそうな、寂しそうな目をするから」
「……え?」

 俺が間違った選択をした時数馬さんは、俺を殴り、蹴り、暴言を吐き、酷く犯す。
 とても濃い、悲しい色の目をして。

「俺はもう数馬さんを悲しませたくない。でも、いつも俺の判断はあの人を悲しませる。だからもう、俺は自分で勝手に決めたりしない。全部あの人の思う様に動く」
「じゃあ、今電話して何て話すつもり? キミに彼を上手く説得出来るとでも?」

 馬鹿にした様な目を向ける八島に、俺は鼻で笑ってやった。
 だって、説得なんて必要ない。判断するのは数馬さんなんだから。

「八島さんとセックスして契約を決めて良いかって聞くだけだよ」

 そうして俺が数馬さんから渡されていた古びた携帯でコールし始めると、覆い被さっていた体を適当にズラした八島がその背を震わせ始めた。

「ッ、……くっ、」
「……あれ、出ないな」
「ぶっ!! あはっ! あはははははっ!」

 急に爆笑し始めた八島に、驚いて俺は通話を切る。

「な、なに……」
「何だろう、初めてだこんなの。キミ面白いね! なるほど、ああ、コレなら私でも夢中になるかもしれない」

 腹を抱えて笑い続ける八島に俺がタジタジになっていると、八島はその目に浮かんだ涙を拭いながら、先ほどまで見せていた冷たい笑みを引っ込ませ柔らかく笑った。

「もう良いよ、帰してあげる」
「え? でも……数馬さんは、」
「言っただろう? 彼は今、それこそ腰を振るのに忙しい。叔父はとんだ淫乱だからね、まだまだ放して貰えないさ。電話にだって出られないよ、きっと」
「あ……そっか」

 俺は手に握りしめた携帯を見つめた。
 数馬さんは今、俺の知らない誰かを抱いてる。そう思ったら、心臓の周りをギュッと掴まれる様な感覚が襲った。

「何だ、虐め甲斐のある顔をするじゃないか」
「は?」
「無自覚か……、たちが悪いな」

 そう言って八島が初めてお茶を口にし、一息に一杯を飲み干す。しかも、俺に出したやつだ。

「それ、俺のじゃないの」
「どうせ飲まないだろう? 勿体無いからね。さ、それより帰り支度を整えようか。車を用意させるから待っていて」

 そうして八島が俺の隣から立ち上がった時だった。


 ───バンッ!!


 部屋のドアが凄い勢いで開き、そこには整っていたはずの髪を乱した数馬さんが立っていた。その手には携帯が握り締められている。

「あれ? 数馬くん、なん「糸!!」」

 八島さんの存在を完全にスルーして彼の前を通り過ぎると、数馬さんは俺を抱き上げた。

「か、数馬さん!? ちょっ、」
「八島さん、今日はこれで失礼します」

 数馬さんがそこまで言った時、その部屋の内線がけたたましく鳴り響いた。
 八島と数馬さんが同時にその電話を見る。

「お相手は明日、必ず」

 電話を見たまま呟いた数馬さんの言葉に、八島がふっと笑みを零した。その目はまだ鳴り続ける電話を見ている。

「来月の約束の日で構わないよ」
「しかし……」
「叔父には私から言っておく。元々今日はイレギュラーだったんだ、気にしなくて良い」

 それと、と言って電話から視線を外した八島は、和服の胸元から細長い封筒を取り出した。

「これ、契約書。中々に良い条件を出せたと思うよ。連絡は今月中にでもくれれば良い」

 はあ!? と驚いた俺に、八島は子供みたいに舌をペロッと出した。


◇ 


 八島が手配してくれた車の中、俺たちは矢張り無言だった。かと言って話しかける内容も見つからず…ただひたすらぼうっと外を眺める。

「あれ?」

 そうして見慣れぬ景色にふと気付いた。

「この車、店に向かってないですよ!?」

 あと二時間もすれば開店時間を迎える。
 その前にやっておく事は幾らでもあって、実際マネージャーはとっくに店に居る頃だ。寄り道なんかしてる時間はない。
 この車は八島の物だ、もしかしたら何か騙されたのだろうか?

「ねぇ、数馬さっ……!?」

 焦って数馬さんを振り向いた途端止まる車。数馬さんは短くドライバーに挨拶をすると、俺の腕を乱暴に掴んで後部座席から出て行く。

「数馬さん! 数馬さん!?」

 引っ張られ連れて行かれたのは巨大なマンション。多分、数馬さんの自宅だ。
 噂に聞いていた通り、エントランスから黄金色が溢れる豪華な造りのそこを荒々しい歩みで通り過ぎ、手前ではなく奥まった場所にあるエレベーターに乗り込んだ。

 途端、呼吸を奪われる。

「んうっ! ん、はぁっ、んっ、んんっ」

 喰い尽くす様なそれは、いつもの様でいていつもの彼らしくない。また俺は何か失敗したのだろうかと、恐る恐る閉じてしまっていた目を開けた。
 その瞬間、再び腕を引かれエレベーターの中から連れ出される。

 殆んど引きずられる様にしてフロアを歩き、俺は数馬さんの指から指紋を読み取ったドアの中に投げ込まれた。





 ベッドなんかじゃない。俺たちはそのまま冷たい床に倒れ込んだ。
 仰向けに倒れた俺の首元に、覆い被さった数馬さんが顔を埋める。
 ここでヤるのかな…? そう思ったが何か数馬さんの様子がおかしい。

「数馬さん?」
「………何された」
「え、」
「電話を寄越したろ」
「あ、それは関係無いって言うか何ていうか……俺、結果的になんもされてないです」

 何もされていない。
 確かにそう言ったのに、数馬さんは俺のシャツをたくし上げると素肌に手を這わせた。

「ぁっ……ん、……」

何 かを確かめる様に滑る手に、ピクリピクリと従順に反応する肌。もうこのカラダは数馬さんの体温を覚えきってしまったから、触れられればどうしても期待で跳ねてしまう。
 いつもならそんな俺の反応に気を良くして喰い付くところなのに、今日の数馬さんはそのまま手を引き抜いてしまった。

 俺を掻き抱く様に抱きしめる。

「気付いてた」
「え……?」
「八島がお前に興味持ってること。一人で置いて行けば何かされることを、俺は気付いてた」

 八島の叔父を抱くことは仕事の内だと理解している。今更その条件を呑んだことに後悔などない。だが……。

「約束外だと跳ね除けることも本当は出来た。でも今は、新しい契約を取れるかどうかの大事な時期だった」
「数馬さん、俺は大丈夫だから。あそこで何かあったとしても、俺はアンタを恨んだりしねぇよ? それがアンタの意思なら、俺はそれで良いんだから」
「良くねぇっ!!!」

 ───ダンッ!!

 ツルツルとした石の床を数馬さんが殴った。どれだけ力を入れたのか、石がひび割れ数馬さんの皮膚を傷つける。

「数馬さん、ダメだよ手がっ、」
「テメェは何も知らねぇからンな事が言えんだ! あの男はヤると言ったら必ずやヤる、どんな非道な手を尽くしてでもなぁ。お前が八島の機嫌を損ねてりゃ、最悪組員全員に輪姦まわされてたかもしんねんだよ! 俺はそれを分かってて置いていった、仕事取る為になぁ!!」
「数馬さん……」
「ンなこと望んじゃいねぇのに、失くすところだった……失くすところだった!!」
「数馬さんっ!!」


 ───俺は汚ねぇ……


 そう呟いた数馬さんは、顔を歪ませ、初めて俺の前で泣いた。
 床を殴り続ける手を止めたかったけど、仰向けに倒れたままじゃどうにも出来ない。
 俺は必死で数馬さんの頭を抱き締めた。

「大丈夫、大丈夫だから。結果的にアンタは何も失くしてない、俺は無事にここに居る、そうだろ? 俺はアンタを悲しませる様なことは絶対にしないよ、絶対に絶対だ。どんな事があっても、それだけは絶対にしない。誓うよ、誓うから……だから頼むよ」

 泣かねぇで、数馬さん……

 こんな時こそ俺のカラダで何もかも忘れさせてあげたいのに、まだ俺にはそんなテクはないし誘い文句も分からない。
 だからただ、冷たい床の上で二人抱き合った。ずっとずっと抱き合ってた。

 そうしてこの日、俺は初めて仕事を休んだのだった。



END
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