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6章

約束

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《最近また見らへんけど、仕事忙しいんか?女の子たち寂しがってんで》
《悪い、当分クラブには顔出さない》
《そうか~。まあまた来るときは連絡してや》
「了解、と」

星川さんの事を好きだと自覚した後。
俺はクラブに行くのをやめた。
今まではクラブで都合のいい女を探して、性欲を発散すればいいだけだったが、自覚した今、そう言うことをする気にもなれなかった。
(それによりも、あの人の傍にいてあげたいと思う)
「自分にこんな感情があるなんてな……」

思い返せば、あの夜、星川さんの横顔を見た瞬間から、惹かれていたのかもしれない。
柔らかなクッションのような手触りの女とは違う、ごつごつとした筋肉のある躰。蕩けるような媚びる目ではなく、最後の瞬間までこちらをじろりと見つめる目を思い出すと、腰がずくりと疼きだす。
星川さんは俺の気持ちには気づいているのかもしれない。だが、あれからマメに店に行くようになり、明らかに変わった俺の態度を見ても何も言わなかった。
(何も言わないなら、チャンスはあるのかもしれない)
カランカラン
俺は知らずに上がっていた口角を手で隠すと、いつものように扉を開けた。
「お疲れ様です、星川さん」
「……ああ」
扉を開けると、店の端にある来客用の椅子に座っていた星川さんがチラリとこちらに目を向けた。
「今日は大丈夫でしたか?」
「ああ。それとなく知り合いに聞いてみたんだが、翔真は仕事の関係で結構忙しくしてるみたいだ」
「そうなんですね。それならずっと忙しくしておけばいいものを……」
「まあ、あいつも俺の先生につくほど腕はいいからな。周りが放っておかないんだろう」

あの夜の後、俺はこれ以上星川さんが傷つかないように、3つの提案をした。
1つは店の上で寝泊まりするのではなく、シェアハウスに戻ること。
2つ目は、何かあった時のために、俺が毎日店まで迎えに行くという事。
そして、怪我の治療を俺にさせることだ。

最初は女のように守られたくない、怪我ぐらい頬っておけば治ると意地を張っていた星川さんだったが、俺が意思を曲げないことを知ると、最終的には頷いていくれた。
そのおかげか、最近では店の前をうろついていた滝沢も見なくなり、精神的に不安定だった星川さんも前のように軽口を叩けるぐらいには元気になっていた。
「そうだ、あれは買って来てくれたか?」
「ええ、いきなり「牛乳買って来い」って連絡が来たんで驚きましたよ」
「ああ、ちょっと手が離せなかったからな」
そう言うと、星川さんは自分の膝を見た。そこにはタオルが置かれており、時折小さく動く。
「それは?」
「まあ見てみろ」
言われるがまま星川さんに近づきタオルを覗き込むと、毛むくじゃらの塊が見えた。
「ニャア」
「猫、ですか?」
「ああ、朝店に来た時にどこからか泣き声がしてるなとは思っていたんだ。それで裏口を覗いてみたら、こいつがいたんだ」
毛玉のようなものがもぞりと動き、コバルトブルーの瞳でこちらを見上げている。
「けっこう汚れてますし、捨て猫ですかね?」
「多分な。長毛種のようだし、どこかで飼われてたんだろうとは思うが、この様子だと捨て猫になって長い事経ってるみたいだ」
毛は長い事ブラッシングされていないせいか縮れており、目の周りも目ヤニが付いている。もともとは白かったのだろうが、汚れているせいで灰色になっている。
「だから、牛乳なんですね」
「ああとりあえず腹が減ってるみたいだし、何か食べさせたくてな」
猫は星川さんの膝が落ち着くのか、特に暴れたりもせずじっとしていた。買ってきた牛乳を皿に移し、驚かさないように鼻先に持っていくと、嬉しそうに飲み始めた。
「捨てられたようなこいつを見た時、どうしても頬っておけなかったんだ」
「星川さん……」
「ボロボロになった姿が俺に見えてな……」
そう言うと少し寂しそうに笑いながら、飲み続ける猫を見つめる。
「この子をどうするつもりですか?」
「こいつの飼い主を探す。それでも見つからなかったら、俺が飼うよ。こいつももう独りぼっちは嫌だろうしな」
「そうですね……」
(傷は治っても、まだ心は治りきってないんだな……)
そう言って優しく猫を撫でる星川さんを、俺は黙って見続けた。

数日後。
俺たちは近所の動物病院などを回り、猫の飼い主を探した。だがやはり飼い主は現れず、猫は星川さんの店の看板猫となった。
「ニャー」
「すっかり元気になったみたいだな、マサムネ」
「元気が良すぎて困るぐらいだ」
あの日捨てられていた猫は、マサムネと名付けられた。汚れも取れて真っ白になったマサムネは、店にくる客たちにも好評で、立派に看板猫としての地位を確立していた。
「ニャア」
「俺が分かるのか?」
「ニャー!」
あの日牛乳を買ってきた俺に多少の恩を感じているのか、マサムネは俺に友好的だった。手を差し出せばすり寄ってくるし、撫でても毛を逆立てることもない。
(動物好きとしては嬉しい限りだな)
「お前、頭がいいんだな」
「……そろそろ、帰る時間だ」
「ニャァ⁉」
俺が撫でていると、星川さんがマサムネ抱き上げる。その顔は少し不機嫌そうで、俺は首を傾げた。
「どうかしたんですか?」
「……別に」
「そ、そうですか」
(俺、何かしたか?)
ぷりぷりと怒った顔の星川さんは、そのままマサムネを部屋に戻した。
「マサムネもシェアハウスに連れて帰れればよかったんですが……」
「八代がまさか猫アレルギーでは仕方ないだろう」
店を出てシェアハウスに戻りながら、俺たちはあの時の事を思い出し苦笑した。

マサムネを拾ったあの日、俺たちはマサムネをそのまま店に置いていくわけにはいかず、シェアハウスに連れて帰った。
「二人ともお帰……っクシュッ!」
「どうした八代、風邪か?」
「なんで、猫……ッシュン!」
「星川さん、その子を連れていったん外に出てください!」
「あ、ああ……」
マサムネを抱いて外に出ること数分。
「あ~大変な目に合った……」
「すみません、まさか八代さんが猫アレルギーだとは思ってませんでした」
目を真っ赤に腫らして鼻をすする八代さんに、俺はティッシュを渡しながら謝った。
「猫自体は嫌いじゃないんだけどね。こればっかりはどうしようもなくて……」
「これからは連れて帰りませんから」
「そうしてもらえると助かるよ……」

「マサムネには申し訳ないですが、我慢してもらうしかないですね」
「ああ、そうだな」
夏も中盤にさしかかり、夜でも少し蒸し暑い。遠くで鳴くセミの音を聞きながら、俺たちは人気のない道を歩いていた。
「そう言えば最近、妙に水族館に子供が増えたと思ったら秋休みなんですね」
「秋休み?今の学生はそんなのがあるのか?」
「ええ、11月の中旬から12月の頭までの1週間みたいですけど。おかげで香水の売り上げも伸びているみたいですよ。俺たちのペンギンも好評ですし」
「へぇ、それはよかったじゃないか」
俺がそう言うと星川さんはニヤリと笑ってこちらを見てくる。
「それにしても子供が増えたとなると、お前は働きずらいんじゃないか?また泣かれるかもしれないしな」
「何で知ってるんです……いや、やっぱりいいです」
大方、島原館長から聞いたのだろう。機嫌良さそうに少し前を歩く星川さんを見ながら俺は小さく苦笑した。
「それにしても秋休みか……学生の特権だな」
「そういえばお店は水曜日の定休日しかないですよね。長く休みたいとか思わないんですか?」
「別に行きたいところもないし、別にいいかと思って特に設けてないな」
「なら、秋休み取ったらどうですか?たまにはゆっくり休むのもいいですよ」
「秋休みか……」
俺がそう言うと星川さんは顎に手を当てて考え始めた。
「そうだな、マサムネもいるしまとまった休みもたまにはいいかもな。誕生日も近いし」
「そうですよ、たまには休みましょ……今なんて?」
さらりと言われた言葉に、一瞬理解が遅れる。
「だから誕生日だよ」
「だ、誰の?」
「俺のに決まってるだろ。12月4日は俺の誕生日だ」
「お祝いしましょう」
「はあ⁉」
俺の言葉に思い切り眉を顰める。
だが、俺は諦めなかった。
「せっかくの誕生日ですよ?盛大にお祝いしましょう」
「嫌だね。祝われるような歳でもないし、この歳で恥ずかしすぎるだろ」
「いいじゃないですか。俺なんか、いまだに友達から顔面ケーキされますよ」
「お、お前そんな事するつもりか……?」
じりりと後ずさる星川さんを道端の壁に追い詰めながら、ニコリと笑う。
「お祝い、しましょう」
「お、お前顔が怖いぞ!それに近い!」
「せっかく休みにするんですよね?なら俺にお祝いさせてください」
「それならシェアハウスでやれば……」
「マサムネも一緒に?それは八代さんが可哀想じゃないですか」
「だ、だけど……」
壁に肩が当たり慌てる星川さんに顔を寄せながら、俺は小さく囁いた。
「俺にお祝いさせてください」
「う、うぅ……」
「いいですよね?」
「わかった、から……!」
了承の言葉に近づけていた顔を離すと、星川さんは顔を真っ赤にさせながらこちらを睨む。
「お前、ずるいぞ!」
(ケーキに料理、この間美味しいって言っていたワインも用意して……)
(当日が楽しみだな)
目の前で喚く星川さんの声を聞き流しながら、俺は嬉々として計画を立て始めた。
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