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3章
打ち上げと一夜の過ち
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香水の完成が近づくにつれ、最初に会った時のようなギスギスした空気はなくなり、知り合い以上友人未満ぐらいの関係になっていた。
星川さんの嫌味な口調にも慣れてきたせいか、俺の中の星川さんの印象が「厭味ったらしい人」から「ツンデレな人」に変わってきたこともあるのだろう。
最近ではどちらからともなく仕事終わりに待ち合わせては食事に行ったり、休日が被った時はシェアハウスで映画を見たりするようになった。
(明日は休みか……またクラブにでもいくか?でもな……)
俺がそんなことを考えながら数人の同僚とバックヤードで掃除をしていると、裏口の扉が開き、見覚えのあるブロンドヘアが顔を覗かせた。
「すみません、柳瀬はいますか?」
「星川さん?こんな所に来るなんて珍しいですね」
「ああ、実はお前を探しているって言ったら、たまたまお前の居場所を知ってるやつに会ってな。「星川さんも関係者なんで大丈夫ですよ」って言って少しだけ入らせてもらった」
「そうなんですね。今行くんでちょっと待ってください」
俺はそう言うと、手に持っていたモップを壁に立てかけ、扉から顔を出したままの星川さんに近づいた。
「何かあったんですか?もしかして香水に何か問題でも?」
「あ、いや。香水には問題はないんだが……」
そう言うと、星川さんは俺の後ろをチラリと見た。振り返ると、さっきまで掃除をしていた同僚たちが興味深そうにこちらを見ている。
バチッ
「……ちょっと出てきます」
「あ、うん!こっちは任せて」
「そ、そうね!」
俺が目が合った同僚にそう言うと、同僚の女性は大げさなほど大きく頷いた。その様子に内心ため息をつきながら扉を出ると、こちらを見ながらニヤニヤと笑う星川さんの顔があった。
「なんだお前、嫌われてるのか?」
「そうハッキリ言わないでくださいよ。傷つくんで」
「そうは見えないけどな。それで?喧嘩でもしたのか?」
「……前に子供に泣かれたことがあったんです。どうもその時に「子供を睨みつけた」って誤解されたみたいで、それからちょっと気まずいだけですよ」
「へぇ、あそこのガラスはマジックミラーみたいになってるから目が合うことなんてないのにな」
「ああなるほど。だからお前、エリアに出る時は帽子を深くかぶってるのか」
「そうです……って、なんで星川さんがそれを知ってるんですか?」
(俺がエリアに出た時なんてそんなにないはずなのに)
「そ、それは……」
俺がそう聞くと、星川さんはギクリと肩を揺らして慌てて顔の前で手を振った。
「た、たまたまだ!前にお前を見かけた時になんでなのか気になっただけだから!」
「もしかしてこっそり見に来てたんですか?」
「違う!」
フッ
「まあ、俺はもう気にしてないんでいいんですけどね。同僚たちも仕事の時は変に避けたりしないでちゃんとしてくれてますし」
「お前が気にしてないなら別にいいんだが……」
「それよりどうしてここに来たんですか?さっきの様子からして香水の件ですよね?」
俺は考えこんでいる星川さんの気を逸らすように問いかけた。
「ああ、実はこれを見せたくてな」
「これは……!」
星川さんが取り出したのは、先日俺たちがデザインした香水瓶だった。蛍光灯の光の下でキラキラと光る香水瓶は、まるで宝石箱のように煌めいている。キャップ部分には可愛いペンギンが誇らしげに立っており、ポンプ部分と下の瓶の間には濃淡の違うブルーのリボンが華を添えている。本体部分はドロップ型になっており、縦のストライプ模様が入っていてまるで氷のようなデザインになっている。
「完成したんですね」
「ああ、お前が提案したキャップ部分のペンギンもいい感じだろ。下はシンプルな方がいいって言っていたが、縦のストライプ模様が入っていてもいいんじゃないかと思ってな。俺が手を加えてみたんだ」
「すごくいいと思います。なんというか、しっくりくると言うかこれなら手に取ってもらえそうです」
「ああ、俺もそう思う。さっき完成したって連絡があったからすぐに取りに行ったんだが、見たらすぐにでもお前にも見せたくなってな。仕事中に悪いとは思ったが、共同制作者としてお前に一番に見てもらいたくて」
「嬉しいです。本当に完成したんですね」
(なんか感動するな……)
俺が香水瓶を見ながらこれまでの苦労を噛みしめていると、星川さんがゴホンッと咳ばらいをした。
「それでだな……その、お前明日休みだろ?」
「ええそうですけど……」
「その……ちょっと気は早いが、打ち上げでもどうだ?」
(星川さんの口からそんな言葉が出るなんて……)
「いいですね。でも、他の担当者たちとも一緒となると当日は難しいと思いますよ」
「あ?何言ってるんだ。俺とお前だけだぞ」
「え?」
俺が驚いて星川さんを見ると、やれやれと肩をすくめながら星川さんが俺を見下ろした。
「お前には一番手がかかったから、この機会に俺への労いを込めて奢らせてやろうと思ってな。それにちょうど明日は俺も休みだし、たまにはお前と酒を飲んでもいいかなって気になったしな」
「ああ、そういう……」
(俺の方こそ、あんたの普段の暴言に対して労ってほしいくらいなんだが……)
「でも、今日は仕事が多くて遅くなりそうなんで、前みたいに店に行ったりとかはできないと思いますよ」
「チッ、使えない奴だな。となると、シェアハウスでやるしかないか。八代にもなんだかんだ手伝ってもらっていたしな」
「あ、それは無理だと思います。今日朝出ていくときに八代さんが、「今日は友達を連れていくから騒がしいかも~」って言ってました」
「最悪だ……。となると、残るは……」
星川さんは眉間に皴を寄せながら悩むと、俺を見ながら大きなため息をついた。
ハァ
「仕方ない、俺の家でやるか」
「えっ⁉俺の家ってまさか、星川さんの店の上の部屋ってことですか?」
「他にどこがあるんだよ。場所がないんだから仕方ないだろ。いいか、仕事が終わったらどこかで酒とツマミでも買って店まで来いよ。あ、俺ワインしか飲めねぇから、変に安いワイン買ってくるなよ」
「俺、ワインとか飲んだことないからどれが良いとか分かんないんですけど」
「なら、あとで近場で買えるワインの店のURLでも送っとく。それならいいだろ?」
「いや、そう言う問題じゃ……」
「じゃあな、頼んだわ」
「え、ちょっと⁉」
星川さんはそう言うと、呆然とする俺を残して機嫌良さそうに去っていった。
「結局俺が全部準備するのかよ……」
(人使いが荒すぎる)
ピロン♪
「まさか……」
ツナギに入れていた携帯の着信音が鳴り俺が恐る恐る開くと、そこにはお店のURLと「俺がいつも飲んでるやつ」と写真付きのメッセージが届いていた。
フッ
「……これは早く仕事終わらせて買いに行かないとな」
こうして星川さんの突然の提案に驚いたものの、内心では打ち上げを楽しみにしている自分に笑いながら、俺は残りの仕事をいかに早く済ませられるか考え始めたのだった。
この時の俺は浮かれていた。
これから起こる、様々な出来事も知らずに。
そして、この出来事が俺の人生、さらには価値観さえも変えることになろうとは、この時の俺は夢にも思っていなかった。
カランカラン
俺が扉を開けると、星川さんは持っていた羽箒をカウンターに置いて振り向いた。
「お疲れ様です」
「来たか。遅くなるって言ってたけど結構早かったじゃないか」
「星川さんが送ってきた店、閉店時間が終業ギリギリだったんで急いで終わらせたんですよ」
俺はワインの入った紙袋とコンビニのビニール袋を星川さんに見せながら言った。
「へぇ、それは大変だったな。ほら上がれよ」
「お邪魔します」
俺はそう言うと星川さんと一緒に店の奥へと向かった。20段ほど階段を登ると、目の前に茶色の簡素な玄関扉が現れた。
ガチャッ
「掃除はしてないが我慢してくれ」
「えぇ……って、全然汚くないじゃないですか」
星川さんの部屋は、まるでホテルのような生活感のないワンルームだった。ソファやベッドにデスクなど基本的なものはそろっているが、全体的に家具が少なく本当に住んでいるのか不安になるぐらいだ。唯一生活感があるのは、部屋の中央に鎮座するソファにかけられたTシャツとスウェットぐらいだろう。
「店の上だから広さはあるが、持て余し気味なんだ」
「そうなんですね。あ、でもこの机だけは物が多いような……」
「それは仕事机だからな。その上のやつには触わるなよ。零れでもしたら1週間は匂いが消えないからな」
ベッドと反対側の壁側に置かれたアンティークの机には、大小様々な瓶や乾燥した花々、そして大量のハンカチが置かれていた。
「これは?」
「それは調香した香りを嗅ぐために使っている。ムエットと呼ばれる試香紙でもいいんだが、俺は昔ながらの方法が好きでな。修行中は俺の師匠がそうやっていたのもあるが」
「へえ、そうなんですね」
「まあその話は追々な。とりあえず座れよ」
星川さんはそう言うと、キッチンの棚から皿とグラスを取り出した。そして俺が買ってきたワインを見るとニヤリと笑った。
「このワインがないと始まらないからな」
「星川さんってワイン派だったんですね」
「フランスで先生にしこたま飲まされてな。「ワインが飲めなきゃ教えない」って言うから無理やり飲んでたんだ。そのうちワインにも慣れてすっかりワインしか飲めなくなったってわけだ」
「俺はビールばっかりなんで、正反対ですね」
「ハッ、みたいだな。さあ、乾杯しようぜ」
「何にですか?」
「もちろん香水の完成にだろ」
俺たちはソファに横並びに座ると、グラスを合わせた。
「香水の完成に」
「完成に」
「「乾杯!」」
カンッ
そして俺たちは酒を飲みながらいろんな話をした。
仕事の話や趣味の話をしているうちに、以外にも俺たちの好みが似ている事に気が付いた。
「へぇ、お前も洋画の方が好きなんだな」
「そうですね。学生時代はよくDVDを借りてきて一日中映画を見たりしてましたね」
「あー分かる。俺も学生時代にはよく見てたな。そう言えば、お前はどんな映画見てたんだ?コメディーにアクション、それともラブストーリーか?」
アルコールが回ったのかいつもよりも機嫌が良さそうな星川さんは、グラスを持ちニヤリと笑いながら俺に聞いてきた。
「揶揄わないでくださいよ。普通になんでも見てましたよ。中でも「グランバレーの夜」って映画は俺のお気に入りでした。ディスクが擦り切れるぐらい見ましたよ」
「「グランバレーの夜」だって⁉」
俺がそう言うと、星川さんは俺の方に身を乗り出しながら目を輝かせた。
「俺もあの映画好きなんだよ!主人公が片思いのヒロインを車に乗せてグランバレーに沈む夕日をずっと見つめるシーンとかいいよな!」
「あのシーンはいいですよね。あと、実はヒロインと主人公が昔一度会っていたって分かった瞬間は何度見てもたまりませんよね」
「分かるわ~。なあ、今からあの映画見ないか?お前と話していたら見たくなってきた」
「いいですね!」
「確か昔買ったディスクがあったはず……」
そう言うと、星川さんは本棚からDVDを取り出し再生ボタンを押した。
そして、どれだけ時間が経ったのだろう。
電気の消えた部屋には、テレビの光だけが辺りを照らしている。
画面にはヒロインが主人公をベッドに押し倒し、胸を大胆に見せつけながら迫っていた。
《私、レオンの事が好きなの!だから、私を受け入れて……っあ》
《だ、だめだシャロン……っ!》
(ここのシーンって結構リアルなんだよな……)
(そう言えば、星川さんって彼女とかいるのか?)
俺は画面で睦み合う主人公たちを冷静に見ながらふと疑問に思った。
(まあいい大人だしさすがに経験ぐらいあると思うけど、今までそういう話も聞いたことないな)
俺はそう思いながら、隣にいる星川さんを横目で見た。
すると。
《んっ……あっ》
《ハァ……シャロン……っ!》
「……っ」
星川さんはソファに置いていたクッションを胸に抱きながら、耳を真っ赤にさせながら目が離せない様子で画面を見ていた。
グラスを持った手は力を込めて握っているせいか白くなっている。頬が赤いのはアルコールのせいだけではないだろう。
(まじか……まさか、これぐらいで本気で照れるなんて)
「っ……んっ……」
よく見ると、星川さんの身体は微かに揺れている。
(酔ったのか?いやでも、揺れているのは頭じゃなくて……腰?)
(どうしよう。目が、離せない)
アルコールで溶けた思考では、目を外すということも思いつかず、俺はただただ星川さんの横顔を見つめ続けた。
バチッ
目が合った瞬間、星川さんの顔がさらに赤くなるのが、テレビの微かな光でも分かった。
「なっ……!何見てんだよ」
「もしかして恥ずかしいんですか?何回も見てるのに?」
柄にもなく顔を真っ赤にしながらこちらを睨みつける星川さんに、体の奥にある熱がずくりと蠢くのを感じながら、俺は僅かに星川さんに近づいた。
「だって」
(なんで、こんなに目が離せないんだ)
熱に浮かされたように思考がまとまらない。
「今日は、お前がいる……から」
直後、俺は星川さんの腕を掴みソファに押し倒した。バランスを崩した星川さんは驚いた顔で、自身に覆いかぶさってきた俺を見つめた。
「なっ、何やってるんだ⁉」
「何って、押し倒してます」
「だから何で――!」
「だって、星川さんの勃ってるみたいだから」
ごりっと太股に当たっている固い感触は――確かめてみるまでもない。
「それは……映画のせいだから」
「へぇ、星川さんってずいぶんと純粋なんですね。もしかして経験ないとか?」
「お前、酔っぱらいすぎだろ……っあ」
こちらをじろりと見つめる星川さんのスラックスを下から上になぞると、小さく声を上げながらビクリと肩を震わす。
「――星川さん」
「柳……」
名前を呼ぼうとした星川さんを唇で阻む。
「……ぅんっ」
少しカサついた唇を重ねて強引に唇をこじ開ける。奥に縮こまっていた星川さんの舌を見つけると、咥内を這い回すように舌を絡めた。
「柳せ……っあ」
「でも俺も人の事言えないな。もうこんなんだから」
「んっ……」
そのまま腰を引き寄せると、勃ちあがっているものに気が付いたのか信じられない様子で俺を見つめる。
「お前、なんで……」
「……さあ、なんででしょうね。同じ男なら分かるんじゃないですか」
潤んだ目を見開き、恐ろしさに喉を鳴らす星川さんの目に映る自分の姿は、今まで見たことがないような深い欲情の色を浮かべている。
「それで?このまま続けてもいいんですか?」
「それは……」
「厭なら断ってください。でも、何も言わないなら……」
そっと腰に手を回すと大げさなほど腰が跳ねる。
「このままキスします」
星川さんの嫌味な口調にも慣れてきたせいか、俺の中の星川さんの印象が「厭味ったらしい人」から「ツンデレな人」に変わってきたこともあるのだろう。
最近ではどちらからともなく仕事終わりに待ち合わせては食事に行ったり、休日が被った時はシェアハウスで映画を見たりするようになった。
(明日は休みか……またクラブにでもいくか?でもな……)
俺がそんなことを考えながら数人の同僚とバックヤードで掃除をしていると、裏口の扉が開き、見覚えのあるブロンドヘアが顔を覗かせた。
「すみません、柳瀬はいますか?」
「星川さん?こんな所に来るなんて珍しいですね」
「ああ、実はお前を探しているって言ったら、たまたまお前の居場所を知ってるやつに会ってな。「星川さんも関係者なんで大丈夫ですよ」って言って少しだけ入らせてもらった」
「そうなんですね。今行くんでちょっと待ってください」
俺はそう言うと、手に持っていたモップを壁に立てかけ、扉から顔を出したままの星川さんに近づいた。
「何かあったんですか?もしかして香水に何か問題でも?」
「あ、いや。香水には問題はないんだが……」
そう言うと、星川さんは俺の後ろをチラリと見た。振り返ると、さっきまで掃除をしていた同僚たちが興味深そうにこちらを見ている。
バチッ
「……ちょっと出てきます」
「あ、うん!こっちは任せて」
「そ、そうね!」
俺が目が合った同僚にそう言うと、同僚の女性は大げさなほど大きく頷いた。その様子に内心ため息をつきながら扉を出ると、こちらを見ながらニヤニヤと笑う星川さんの顔があった。
「なんだお前、嫌われてるのか?」
「そうハッキリ言わないでくださいよ。傷つくんで」
「そうは見えないけどな。それで?喧嘩でもしたのか?」
「……前に子供に泣かれたことがあったんです。どうもその時に「子供を睨みつけた」って誤解されたみたいで、それからちょっと気まずいだけですよ」
「へぇ、あそこのガラスはマジックミラーみたいになってるから目が合うことなんてないのにな」
「ああなるほど。だからお前、エリアに出る時は帽子を深くかぶってるのか」
「そうです……って、なんで星川さんがそれを知ってるんですか?」
(俺がエリアに出た時なんてそんなにないはずなのに)
「そ、それは……」
俺がそう聞くと、星川さんはギクリと肩を揺らして慌てて顔の前で手を振った。
「た、たまたまだ!前にお前を見かけた時になんでなのか気になっただけだから!」
「もしかしてこっそり見に来てたんですか?」
「違う!」
フッ
「まあ、俺はもう気にしてないんでいいんですけどね。同僚たちも仕事の時は変に避けたりしないでちゃんとしてくれてますし」
「お前が気にしてないなら別にいいんだが……」
「それよりどうしてここに来たんですか?さっきの様子からして香水の件ですよね?」
俺は考えこんでいる星川さんの気を逸らすように問いかけた。
「ああ、実はこれを見せたくてな」
「これは……!」
星川さんが取り出したのは、先日俺たちがデザインした香水瓶だった。蛍光灯の光の下でキラキラと光る香水瓶は、まるで宝石箱のように煌めいている。キャップ部分には可愛いペンギンが誇らしげに立っており、ポンプ部分と下の瓶の間には濃淡の違うブルーのリボンが華を添えている。本体部分はドロップ型になっており、縦のストライプ模様が入っていてまるで氷のようなデザインになっている。
「完成したんですね」
「ああ、お前が提案したキャップ部分のペンギンもいい感じだろ。下はシンプルな方がいいって言っていたが、縦のストライプ模様が入っていてもいいんじゃないかと思ってな。俺が手を加えてみたんだ」
「すごくいいと思います。なんというか、しっくりくると言うかこれなら手に取ってもらえそうです」
「ああ、俺もそう思う。さっき完成したって連絡があったからすぐに取りに行ったんだが、見たらすぐにでもお前にも見せたくなってな。仕事中に悪いとは思ったが、共同制作者としてお前に一番に見てもらいたくて」
「嬉しいです。本当に完成したんですね」
(なんか感動するな……)
俺が香水瓶を見ながらこれまでの苦労を噛みしめていると、星川さんがゴホンッと咳ばらいをした。
「それでだな……その、お前明日休みだろ?」
「ええそうですけど……」
「その……ちょっと気は早いが、打ち上げでもどうだ?」
(星川さんの口からそんな言葉が出るなんて……)
「いいですね。でも、他の担当者たちとも一緒となると当日は難しいと思いますよ」
「あ?何言ってるんだ。俺とお前だけだぞ」
「え?」
俺が驚いて星川さんを見ると、やれやれと肩をすくめながら星川さんが俺を見下ろした。
「お前には一番手がかかったから、この機会に俺への労いを込めて奢らせてやろうと思ってな。それにちょうど明日は俺も休みだし、たまにはお前と酒を飲んでもいいかなって気になったしな」
「ああ、そういう……」
(俺の方こそ、あんたの普段の暴言に対して労ってほしいくらいなんだが……)
「でも、今日は仕事が多くて遅くなりそうなんで、前みたいに店に行ったりとかはできないと思いますよ」
「チッ、使えない奴だな。となると、シェアハウスでやるしかないか。八代にもなんだかんだ手伝ってもらっていたしな」
「あ、それは無理だと思います。今日朝出ていくときに八代さんが、「今日は友達を連れていくから騒がしいかも~」って言ってました」
「最悪だ……。となると、残るは……」
星川さんは眉間に皴を寄せながら悩むと、俺を見ながら大きなため息をついた。
ハァ
「仕方ない、俺の家でやるか」
「えっ⁉俺の家ってまさか、星川さんの店の上の部屋ってことですか?」
「他にどこがあるんだよ。場所がないんだから仕方ないだろ。いいか、仕事が終わったらどこかで酒とツマミでも買って店まで来いよ。あ、俺ワインしか飲めねぇから、変に安いワイン買ってくるなよ」
「俺、ワインとか飲んだことないからどれが良いとか分かんないんですけど」
「なら、あとで近場で買えるワインの店のURLでも送っとく。それならいいだろ?」
「いや、そう言う問題じゃ……」
「じゃあな、頼んだわ」
「え、ちょっと⁉」
星川さんはそう言うと、呆然とする俺を残して機嫌良さそうに去っていった。
「結局俺が全部準備するのかよ……」
(人使いが荒すぎる)
ピロン♪
「まさか……」
ツナギに入れていた携帯の着信音が鳴り俺が恐る恐る開くと、そこにはお店のURLと「俺がいつも飲んでるやつ」と写真付きのメッセージが届いていた。
フッ
「……これは早く仕事終わらせて買いに行かないとな」
こうして星川さんの突然の提案に驚いたものの、内心では打ち上げを楽しみにしている自分に笑いながら、俺は残りの仕事をいかに早く済ませられるか考え始めたのだった。
この時の俺は浮かれていた。
これから起こる、様々な出来事も知らずに。
そして、この出来事が俺の人生、さらには価値観さえも変えることになろうとは、この時の俺は夢にも思っていなかった。
カランカラン
俺が扉を開けると、星川さんは持っていた羽箒をカウンターに置いて振り向いた。
「お疲れ様です」
「来たか。遅くなるって言ってたけど結構早かったじゃないか」
「星川さんが送ってきた店、閉店時間が終業ギリギリだったんで急いで終わらせたんですよ」
俺はワインの入った紙袋とコンビニのビニール袋を星川さんに見せながら言った。
「へぇ、それは大変だったな。ほら上がれよ」
「お邪魔します」
俺はそう言うと星川さんと一緒に店の奥へと向かった。20段ほど階段を登ると、目の前に茶色の簡素な玄関扉が現れた。
ガチャッ
「掃除はしてないが我慢してくれ」
「えぇ……って、全然汚くないじゃないですか」
星川さんの部屋は、まるでホテルのような生活感のないワンルームだった。ソファやベッドにデスクなど基本的なものはそろっているが、全体的に家具が少なく本当に住んでいるのか不安になるぐらいだ。唯一生活感があるのは、部屋の中央に鎮座するソファにかけられたTシャツとスウェットぐらいだろう。
「店の上だから広さはあるが、持て余し気味なんだ」
「そうなんですね。あ、でもこの机だけは物が多いような……」
「それは仕事机だからな。その上のやつには触わるなよ。零れでもしたら1週間は匂いが消えないからな」
ベッドと反対側の壁側に置かれたアンティークの机には、大小様々な瓶や乾燥した花々、そして大量のハンカチが置かれていた。
「これは?」
「それは調香した香りを嗅ぐために使っている。ムエットと呼ばれる試香紙でもいいんだが、俺は昔ながらの方法が好きでな。修行中は俺の師匠がそうやっていたのもあるが」
「へえ、そうなんですね」
「まあその話は追々な。とりあえず座れよ」
星川さんはそう言うと、キッチンの棚から皿とグラスを取り出した。そして俺が買ってきたワインを見るとニヤリと笑った。
「このワインがないと始まらないからな」
「星川さんってワイン派だったんですね」
「フランスで先生にしこたま飲まされてな。「ワインが飲めなきゃ教えない」って言うから無理やり飲んでたんだ。そのうちワインにも慣れてすっかりワインしか飲めなくなったってわけだ」
「俺はビールばっかりなんで、正反対ですね」
「ハッ、みたいだな。さあ、乾杯しようぜ」
「何にですか?」
「もちろん香水の完成にだろ」
俺たちはソファに横並びに座ると、グラスを合わせた。
「香水の完成に」
「完成に」
「「乾杯!」」
カンッ
そして俺たちは酒を飲みながらいろんな話をした。
仕事の話や趣味の話をしているうちに、以外にも俺たちの好みが似ている事に気が付いた。
「へぇ、お前も洋画の方が好きなんだな」
「そうですね。学生時代はよくDVDを借りてきて一日中映画を見たりしてましたね」
「あー分かる。俺も学生時代にはよく見てたな。そう言えば、お前はどんな映画見てたんだ?コメディーにアクション、それともラブストーリーか?」
アルコールが回ったのかいつもよりも機嫌が良さそうな星川さんは、グラスを持ちニヤリと笑いながら俺に聞いてきた。
「揶揄わないでくださいよ。普通になんでも見てましたよ。中でも「グランバレーの夜」って映画は俺のお気に入りでした。ディスクが擦り切れるぐらい見ましたよ」
「「グランバレーの夜」だって⁉」
俺がそう言うと、星川さんは俺の方に身を乗り出しながら目を輝かせた。
「俺もあの映画好きなんだよ!主人公が片思いのヒロインを車に乗せてグランバレーに沈む夕日をずっと見つめるシーンとかいいよな!」
「あのシーンはいいですよね。あと、実はヒロインと主人公が昔一度会っていたって分かった瞬間は何度見てもたまりませんよね」
「分かるわ~。なあ、今からあの映画見ないか?お前と話していたら見たくなってきた」
「いいですね!」
「確か昔買ったディスクがあったはず……」
そう言うと、星川さんは本棚からDVDを取り出し再生ボタンを押した。
そして、どれだけ時間が経ったのだろう。
電気の消えた部屋には、テレビの光だけが辺りを照らしている。
画面にはヒロインが主人公をベッドに押し倒し、胸を大胆に見せつけながら迫っていた。
《私、レオンの事が好きなの!だから、私を受け入れて……っあ》
《だ、だめだシャロン……っ!》
(ここのシーンって結構リアルなんだよな……)
(そう言えば、星川さんって彼女とかいるのか?)
俺は画面で睦み合う主人公たちを冷静に見ながらふと疑問に思った。
(まあいい大人だしさすがに経験ぐらいあると思うけど、今までそういう話も聞いたことないな)
俺はそう思いながら、隣にいる星川さんを横目で見た。
すると。
《んっ……あっ》
《ハァ……シャロン……っ!》
「……っ」
星川さんはソファに置いていたクッションを胸に抱きながら、耳を真っ赤にさせながら目が離せない様子で画面を見ていた。
グラスを持った手は力を込めて握っているせいか白くなっている。頬が赤いのはアルコールのせいだけではないだろう。
(まじか……まさか、これぐらいで本気で照れるなんて)
「っ……んっ……」
よく見ると、星川さんの身体は微かに揺れている。
(酔ったのか?いやでも、揺れているのは頭じゃなくて……腰?)
(どうしよう。目が、離せない)
アルコールで溶けた思考では、目を外すということも思いつかず、俺はただただ星川さんの横顔を見つめ続けた。
バチッ
目が合った瞬間、星川さんの顔がさらに赤くなるのが、テレビの微かな光でも分かった。
「なっ……!何見てんだよ」
「もしかして恥ずかしいんですか?何回も見てるのに?」
柄にもなく顔を真っ赤にしながらこちらを睨みつける星川さんに、体の奥にある熱がずくりと蠢くのを感じながら、俺は僅かに星川さんに近づいた。
「だって」
(なんで、こんなに目が離せないんだ)
熱に浮かされたように思考がまとまらない。
「今日は、お前がいる……から」
直後、俺は星川さんの腕を掴みソファに押し倒した。バランスを崩した星川さんは驚いた顔で、自身に覆いかぶさってきた俺を見つめた。
「なっ、何やってるんだ⁉」
「何って、押し倒してます」
「だから何で――!」
「だって、星川さんの勃ってるみたいだから」
ごりっと太股に当たっている固い感触は――確かめてみるまでもない。
「それは……映画のせいだから」
「へぇ、星川さんってずいぶんと純粋なんですね。もしかして経験ないとか?」
「お前、酔っぱらいすぎだろ……っあ」
こちらをじろりと見つめる星川さんのスラックスを下から上になぞると、小さく声を上げながらビクリと肩を震わす。
「――星川さん」
「柳……」
名前を呼ぼうとした星川さんを唇で阻む。
「……ぅんっ」
少しカサついた唇を重ねて強引に唇をこじ開ける。奥に縮こまっていた星川さんの舌を見つけると、咥内を這い回すように舌を絡めた。
「柳せ……っあ」
「でも俺も人の事言えないな。もうこんなんだから」
「んっ……」
そのまま腰を引き寄せると、勃ちあがっているものに気が付いたのか信じられない様子で俺を見つめる。
「お前、なんで……」
「……さあ、なんででしょうね。同じ男なら分かるんじゃないですか」
潤んだ目を見開き、恐ろしさに喉を鳴らす星川さんの目に映る自分の姿は、今まで見たことがないような深い欲情の色を浮かべている。
「それで?このまま続けてもいいんですか?」
「それは……」
「厭なら断ってください。でも、何も言わないなら……」
そっと腰に手を回すと大げさなほど腰が跳ねる。
「このままキスします」
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作品はすべて個人サイト(http://lyze.jp/nyanko03/)からの転載です。
徐々に移動していきたいと思いますが、作品数は個人サイトが一番多いです。
よろしくお願いいたします。
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