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2章

俺が担当者ですか⁉

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そして翌日。
バンッ
「おはよう柳瀬君。聞いたよ、今回君がペンギンの香水を担当するんだって?」
「は?」
職員用のロッカールームに入ってきた浅見さんが、開口一番に俺に告げてきた。
「ちょっと何言ってるか分かんないんですが」
「えっ違うの?さっき企画課の子が「ペンギンの香水担当は柳瀬さんに決まったらしいですよー」って教えてくれたんだけど」
「初耳です」
「というか、俺まだ入ったばかりですよ?そんな新人が商品の企画なんて出来るわけないじゃないですか」
「俺もそう思ったんだけど「間違いない」って言われたしなぁ」
「根も葉もない噂ですよ」
俺は首をかしげる浅見さんとロッカールームを出て飼育室に向かって歩きながら断言した。
「でもなぁ・・・」
「大体、会議の時あれだけ女子たちが騒いでたんですし、ますます俺が担当だなんて信じられないっすね」
「でも事実だよ」
「し、島原館長⁉」
突然後ろから声をかけられ振り向くと、島原館長がいつもの温和な笑みを浮かべながら俺たちの後ろに立っていた。
「島原館長、おはようございます。こんな朝早くにバッグヤードでお会いするなんて珍しいですね」
「やあ浅見君、おはよう。私もたまにはみんなの仕事ぶりが見たくてね。そう言えば、バンドウイルカのアイちゃんの調子はどうだい?」
「ええ、少し風邪気味でしたが栄養剤を混ぜた食事を与えたところすっかり元気になりましたよ。おかげで今日のショーには出られそうです」
「そうかそうか、それはよかったよ。イルカのショーはお客さんたちに一番人気だからね。一頭でもいないと見に来ているお客さんは寂しいものだよ」
(ここの入館式の時も会議の時も思ったけど、人柄の良さそうな人だな。お客さんに対しても誠実そうだし、ちゃんと動物たちのことも把握してる)
(ここの面接を受ける前に一度ここに来た時も、積極的にお客さんと交流していたのを見かけた。そう言う館長の人柄が、この水族館の人気を支える一つなのかもしれないな)
うんうんと満足そうに浅見さんの話を聞いている館長を見ながら考えていると、ふいに館長が俺を見た。
「君がペンギン担当の柳瀬君だね。仕事にはだいぶ慣れたかい?」
「ええ。それよりも俺の事をご存じだったんですか?」
「私は館長だが、机に座ってばかりでは内部のことを把握することはできないと思っていてね。それでお昼は食堂にいるんだけど、その時に「小さな女の子に泣かれてしまった新人がいる」と話に聞いてね。それで君のことを知ったんだよ」
「ぷぷっ、柳瀬君すっかり有名人だね」
「まさか館長の耳にも入っていたとは思いませんでした」
「まあまあ、君は真面目そうだし力が入りすぎている所もあるんだろう。ゆっくりとお客さんとの接し方を学ぶといいよ」
「は、はぁ・・・」
「それはそうと、柳瀬君が商品担当になったのが事実ってどういうことです?」
「実は昨日、指原君から泣きつかれてね」
「指原リーダーが?」
指原リーダーというのは俺の先輩にあたる飼育員で、ペンギンエリアの統括や俺のような新人の指導をしている人だ。いつも周りを見渡しながら俺たちをサポートしてくれる、頼りがいのある人だと思っていたのだが・・・
「なんでも昨日の会議の後、「自分が商品担当になりたい」と女性職員からの応募が殺到したらしくて、これでは業務に支障が出ると言われてしまってね」
「うーん、確かに星川さんって整った顔してましたもんね。女性職員からしてみればお近づきになるチャンスを逃したくないと思うわけだ」
「あー・・・」
(たしかに顔はいいけど性格がなぁ・・・)
「私としては純粋に商品開発に力を貸してくれる人材を集めたいと思っていたから、このままにはしておけなくてね。それで担当者は男性にすることにしたんだが、なにぶんそんなことがあった後だったからか、だれもやりたがらなくてね」
「それで困った指原君が「星川さんとは年も近いですし、新人ですが真面目なので、これからの経験に活かしてくれると思います」と君を推薦してきたんだ。私としても君のような若い感性を持った子に頼むのが一番いいと思ってね。それで承認したんだよ」
「待ってください、俺何も聞いてないです」
「そうなのかい?昨日その話をした後、指原君が君に連絡すると言っていたけどなぁ」
「・・・いえ、来てないですね」
「おや。まあでも、決まってしまったものは仕方ない」
ポンッ
「頑張ってね。期待しているよ。今日の昼食後が星川君との最初のミーティングだから、遅れないようにね」
「わ、わかりました」
そう言うと、島原館長はニコリと笑いながら去っていった。
「柳瀬君、大抜擢だね~。これは頑張らないと」
「めちゃくちゃやりたくない・・・」
「まあまあそう言わずに。俺も手伝えることがあれば手伝うからさ!」
「いえ、浅見さんは自分の仕事してください」
「冷たい!柳瀬君俺の事嫌いなの⁉」
横でブツブツと文句を言っている浅見さんの声を聞き流しながら、俺は内心冷や汗が止まらなかった。
(またあの人と関わることになるなんて・・・)
《水族館で俺を見ても話しかけるなよ》
「話しかけるどころか、バリバリ関わることになったなんて言えねぇ・・・」
「ん?どうしたの?」
「なんでもないです・・・」
俺は午後のミーティングをどうやったら避けられるか考えながら、足取り重くペンギンたちの元へ向かった。

そして迎えた星川さんとの最初のミーティング。
背中の冷や汗が止まらない俺を、向かい側の席で腕を組み、足の長さを見せつけるかのように優雅に足を組みながら、星川さんが俺をこれまで見たことがないほど冷たい目で見つめていた。
 「・・・それで?」
 「お、俺としてもさすがに上司からの命令には逆らえないというか・・・」
 「ほう?それでお前はのこのことと俺の前に現れたってわけか」
 「俺もどうにかして避けられないか考えたんですけど、無理でしたね」
 「・・・ハァ」
 星川さんは必死に弁解する俺を見ながらため息をつくと、椅子に深く座りなおした。
 ギッ
 「まあいい・・・俺としては少々役不足に思うが、お前も少しはここにいるんだし何かしら役には立つだろ」
「が、頑張ります・・・」
至極面倒そうに肩をすくめると、星川さんが部屋に設置されていたホワイトボードの前に立った。
「それじゃあまず、今後の予定についてだが・・・」
「期間は3か月。その間に担当者から各エリアの様子や動物たちについて教わりながら、香りの方向性や瓶のデザインについて考えなくてはいけない」
「瓶に関しては、うちの店の瓶デザインを担当してる職人に試作を出してもらう関係で、最低でも1か月は時間が欲しいところだな。そう考えると、2ヶ月で香りの方向性を考えなくてはいけない計算になる。結構なタイトスケジュールだが、やれないことはないだろう。それに・・・」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「なんだ?」
「俺、香水の専門的なことはさっぱりなんですけど、動物の生態と香水の香りって何か関係があるんですか?それだけだったら、本なりネットなりで調べた方がより詳しく分かるかもしれませんけど・・・」
「お前・・・馬鹿なのか?」
星川さんは俺の言葉を聞くと、やれやれと頭を押さえた。
「香水の専門的な知識についてはお前には「まったくもって」期待してない。逆に中途半端にかかわられた方が迷惑だ」
「それはそうですけど・・・」
「あと動物の生態と香りについてだがな。たとえば、お前は「限定商品」と聞いてどんなことを思い浮かべる?」
「そりゃ、そこでしか買えないものだとか、その場所を思い出せるようなものとか・・・あっ」
「そうだ。ただ俺が本を読んだだけでは、基本的な生態を知れてもその場所だからという限定感や特別感を出すことは難しい。特に香りは人間の五感の一つである「嗅覚」に関わることだ。だからこそ、その場所や時に合ったものを作り出さなくては意味がないんだ」
「イチゴを甘いと感じるか酸っぱいと感じるかは人それぞれだろう?それと同じことだ」
「なる、ほど?」
(なんとなくわかるような、分からないような・・・)
「・・・まあいい」
「とにかく、俺が香水を調合するのにかかる時間も考えたら、あまり多くの時間はない。俺はほかのエリアとの話し合いもあるからな。その点、お前は一応同じ家に住んでるってことで、時間外で話しても問題ないだろう。よかったな、これで業務中は動物たちに集中できるぞ」
「それって業務後に仕事があるってことじゃないですか!」
「仕方ないだろう、俺も店の仕事もあるからそう時間が取れないんだよ」
「そんな・・・」
「まあ、お前はエリアの動物について俺に教えてくれればいい。そう言えば、お前どこのエリアなんだ?」
(ここまで喋っておいて、俺の担当を知らなかったのかこの人。本当に俺に興味ないんだな)
ホワイトボードに書き込みながら聞いてきた星川さんに呆れながら、俺はその背中に返答した。
「俺はペンギンエリアですよ」
ピタッ
「・・・は?」
「今なんて?」
「?だからペンギンエリアですって」
俺の言葉に今までさらさらと動いていたペンが止まった。そして、今まで背を向けていた星川さんが目を丸く開き、まるでブリキの人形のようにぎくしゃくとした動きでこちらを振り返った。
「お、お前がペンギンエリアだと?」
「そうですよ、ペンギンたちの世話をしてます」
「ペンギン・・・ペン、ギン・・・フッ」
アハハハハッ!
「お前が、ペンギンたちの世話を?超絶似合わないな!ハハッ」
星川さんが考え込んだかと思うと、突然俺を指さしながら笑いだした。
「なっ⁉余計なお世話です!飼育員に似合う似合わないなんてないでしょう!」
「た、たしかにな。それにしても、その顔でペンギン・・・ブフッ」
「笑わないでください!」
(失礼すぎるだろ!確かに俺にペンギンなんて似合わないかもしれないけど)
「エリアはお前が志願したのか?ペンギンエリアにしてくださいって」
笑いを残したまま聞いてくる星川さんに苛立ちを覚えながら、俺は自分の顔に熱が集まるのを感じた。
「ッ!別にそんな事、星川さんに関係ないでしょう」
「関係ないことはない。これから一緒に商品を作るパートナーなんだ、知っておいてもいいだろ?」
ハァ
「・・・ええそうですよ、小さい頃からペンギンが好きなんです」
幼い頃、地元の小さな水族館で見たペンギンたち。水の中で悠々と泳ぐ姿に丸みのあるフォルムを持つ彼らを見た時から、俺はペンギンに夢中だった。南極で過ごす彼らは、時に他の動物に捕食されることもある。そんな時、群れの中の一羽が犠牲になることで、群れ全体の被害を最小限に抑えようとするのだ。自分の事だけでなく群れ全体を常に考え、時には自分の命を懸けて行動する姿は、幼い俺にとってはとても眩しいものに見えた。
(同じ種類である人が苦手な俺は、そんなペンギンたちが羨ましいとすら思ってしまう)
(周りからは散々「似合わない」だの「柄じゃない」など言われてきた。どうせこの人も同じことを考えてるんだろう)
「似合わないと思ってます?それぐらいわかってますよ、でも」
「そんなことは思ってない」
「それよりも、希望通りのペンギンのエリアになれてよかったな」
星川さんは俺を見ながらニヤリと笑うと壁にかかっていた時計を見た。
「さてと。今日はここまでだな。明後日にはシェアハウスに戻るつもりだから、続きはその時にするとしよう」
「分かりました」
「じゃあ、俺はこのまま他のエリアの担当者と会ってくる。真面目に仕事しろよ、ペンギン大好きな柳瀬君」
「やめてください!」
ヒラヒラと後ろ手に手を振る星川さんを見送りながら、俺は痛みだした頭を押さえたのだった。

こうして俺と星川さんによる、ペンギンエリアのコラボ香水製作が始まったのだが。
1週間たっても、俺たちは何も決まっていない状態だった。
バンッ
「お前が持ってきた案を読んだが・・・全部ボツだ」
「なんでですか!星川さんが「ペンギンの匂いについて教えろ」って言うから、それを元に作ったのに!」
「だからといって「魚の匂い」「海水の匂い」はないだろう。こんな磯臭い香水が売れると思ってるのか!」
「ペンギンは意外と臭いがキツイ動物なんです。魚を生のまま食べるから、どうしても魚の匂いが残りますし、お尻にある尾油線から出る油は防水や保湿の効果がある一方、匂いも強烈なんですよ」
「そうかもしれないが、それを馬鹿正直に香水の匂いにしようと考えるお前の頭が理解できないんだ。お前は体中から生臭さをまといながら生活したいのか?」
「飼育員なら別に気にしません」
「俺は一般的な感覚について話してるんだが?」
バチバチバチ
こんな風に、仕事後の時間を使って俺と星川さんは毎日案を練っていたのだが、俺の案は気に入らないらしく、いつも最後には喧嘩になってしまっていた。
「俺だってさすがにそんな香水はないとは思ってますが、俺が案を出しても星川さんが全部ダメだって言うんじゃないですか」
「俺の名前が出る以上、中途半端なものは出せないんだ。もっともらしい理由を並べてどこにでもある香りを出してきた以前の案も気に入らないが、お前のその突拍子もない案もいい加減どうにかならないのか?」
「まあまあ二人とも。そんなケンカしてもいい案は浮かばないよ?」
「それよりも少し休憩したらどうかな?」
「八代・・・」
「ありがとうございます」
俺たちがリビングでにらみ合っていると、八代さんがお盆にコーヒーと紅茶を乗せて持ってきてくれた。
「紅茶?」
「ああ、星川は紅茶派なんだよ。コーヒーは苦手らしい」
「留学中は紅茶を飲む機会が多かったからな。すっかり染みついたんだ」
「なるほど」
「それにしても2人が商品開発かぁ。偶然とはいえ、同じ家に住む2人が同じ仕事をするとは思わなかったよ」
「俺も思ってもいませんでしたよ」
八代さんが机の上に散らばる提案書を見ながらそう言った。
「でも時間的にはもう結構ヤバいんでしょ?」
「ああ。もう一週間にもなるが、ここまで何も決まってないと今後に支障が出そうだ。柳瀬、お前もっと真剣に考えろよ」
「俺だって真剣に考えていますよ」
「ならもっとイメージを膨らませろ。お前だって香水を付けるんだし、想像ができないわけじゃないだろ。例えば、俺の店で買ったあの香水。あれを最初に嗅いだ時何を思った?」
「ええっと・・・」
「甘さと爽やかさ、ですかね」
「ならその甘さはどんな甘さだ?爽やかさは?」
(甘さ・・・でも砂糖やシロップみたいに胸焼けしそうな甘さじゃない。何と言うか果物が近かった気がする。でもその奥に爽やかな香りもあったな。清涼感のある香りというか)
「果物のような甘さに清涼感・・・あ、ミントが近い気がします」
「へえ、鼻がいいじゃないか。確かにあの香水には柑橘系の果物とアクセントにペパーミントが使われている。それ以外にもいろいろと調香しているが、この2つの匂いが代表だ」
「柳瀬君すごいね~」
「では次に、香りを嗅いだ時にどんな事を思い浮かべた?」
「どんな事というと?」
「例えば昔の記憶でもいいし、場所や感情でもいい。なにか思わなかったか?」
「うーん。そう言うのは特にはなかったですね」
「じゃあ使っているときにも何も思わなかったか?」
「使ってるとき・・・」
 その時、俺はクラブでひっかけた女とホテルに行ったときのことを思い出した。
そしてイク直前に星川さんの顔を思い出したことも。
「ツッ!」
「お?柳瀬君どうしたの?顔が真っ赤だけど」
「柳瀬?」
「な、何でもないです!あはは・・・」
「それよりも、早く香りを決めちゃわないと」
(俺が星川さんの顔を思い出してイッたなんて、間違えても言えねぇ・・・)
怪訝そうに俺を見る八代さんと星川さんの目から逃げるように、俺はテーブルに置かれた企画案の書かれた紙を見つめ続けた。
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