英雄の条件

渡辺 佐倉

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嫁入り3

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元いた離宮へ戻るのを待っていたレオニードはぼんやりと外を眺めていた。
この場所では、好きに部屋の間を移動することもできない。
常に決まった通りに指示されたとおりに動かねばならなかった。

だから、こうやって控室で待ちぼうけを食らっている。

暴虐王と相対していた時間は周りを見るような余裕は無かったが、この部屋の彫刻はレオニードの国のものとかなり違っており、人と思われるものはみな不思議な形の帽子をかぶっていたし、竜のようなものも見える。

それは、レオニードに与えられた部屋の様式とかなり違って見える。

そこで、違和感があった。
彼に与えられた部屋は、どちらかというと自国の様式に近いものなのだ。

建物の配置も屋根の形も、柱の様子も何もかもがレオニードの生まれ育った故郷とは違っている。
なのに、完全に一致はしていないものの、レオニードの部屋は、使っている風呂は、食事は、彼の元々の生活に近いような気がした。
この国に来てユーリィの話を聞いた時、当たり前のように座ったソファーは故郷のものと似ていたからだ。

勿論働いている者の服装はこちらの文化なのだろう、袖のゆったりとしたものを着ている人間が多かったが、レオニードの国の生活に詳しい者がいたのかも知れない。
それが、輿入れた他国の姫君すべてに対する当たり前の対応なのか、それともこの皇帝だけが余りに沢山の人質をとらざるを得ない状況でのことなのかは知識の無いレオニードには分からなかった。

そのような事に気をかけるだけの余裕なんて無かったのだ。

人質としての価値が無いレオニードにだけなんてことは考えられないから全員にそうしているのだろう。
そう思ったレオニードは一つの違和感がかすめた。

レオニードはユーリィを守り切るために暴虐王と戦うつもりだった。
敵のことを知らずに戦い等できるはずがない。

わかりきっている筈の事実だった。それなのにレオニードは今まで気にかけてすらいなかった。

――ッチ

盛大な舌打ちをする以外ここでできる事は無い。
いっそ、地団駄でも踏んでしまいたい気分だったが、この場所でそれをやるわけにはいかなかった。

ここの場所が通常の宮殿の様式であるというのであればこれと違う点、そしてレオニードの故郷の様式と同じ部分がこの国のしたレオニードへの配慮なのだろう。
暴虐王が自分に興味が無い事はよくわかった。けれどそれが排斥の気持ちにいつ変わらないとも限らないのだ。
少しでも情報が欲しかった。

レオニードは部屋をすみからすみまで確認をしはじめた。

気になった彫刻があったため、思わず屈む。

その時、部屋の扉を開ける音がした。

「お疲れ様でした。」

声がした、ここに入ってきた人間は二人。それは足音でわかった。

従者は誰もいなかったし、レオニード屈んでいたため室内は不在だと思ったのだろう。
優しげな声に、どうやって先客がいる事を伝えようかと逡巡した。


「ああいう場所は、ホント肩がこるよ。」

足音でわかってはいたが、二人いる。もう一人が低いが優しげな声で言葉を返していた。
その声には聞き覚えがある。先ほど聞いた声とよく似ているのだ。

暴虐王と血縁関係のある誰か。立ち上がろうとした足をレオニードは止める。
本当に立ち上がって大丈夫だろうか。不敬として問題にならないのだろうか。
これが今までいた軍の施設であれば何が正しいのか分かった。けれどここは異国の宮殿だ。
しかも相手はあの暴虐王の血縁者かもしれない。もしかしたら皇族だ。

それでも、盗み聞きがばれるよりはマシだろう。レオニードは立ち上がろうとした。

「それにしても、男の嫁さんとはな。大丈夫か?」
「だいじょーぶ。別に婚姻なんて意味は無いだろう。」

――ぐらり。

足元が揺らいでしまった。今までそんなことは一度も無かった。それなのにも関わらずレオニードはドサリとしりもちをついた。おそらく先ほどまでの謁見で極度の緊張を強いられたせいだろう。
自分の体が思った通りに動かないことにレオニードはほんの少し狼狽えてしまった。

「何者だ!」

その音に、先ほどとはうって変わった剣呑とした声で怒鳴られる。

この国では同性同士の婚姻が法によって認められている。
けれど、実際のところ同性同士で婚姻を結ぶものは少数でしかない。特に、王侯貴族は。

男の嫁をもらった、この国の王宮にいる者など限られている。

真っ黒い影が一気に俺に近づく。それが、黒が彼の着ている黒い衣の色であることにようやく気が付いたときには、既に彼の手にした剣の切っ先が自分の首をかすめようとしているところだった。

剣をすんでのところで避けると、ああやはり、目の前にいる男は暴虐王本人だった。

あの優し気な声を出せる男が目の前で無表情でレオニードに剣を向けていた。


暴虐王は舌打ちをすると剣を引き抜いた。

その後ろで、ふう、と溜息をもう一人の男がついた。

「殺さないのかい?」

ニコリと笑いながら暴虐王に言う。ギクリと固まると暴虐王は「殺す意味がないだろ。」と返した。
暴虐王の言葉とは思えなかった。
判断が面倒で役人を殺したことがある。そういう噂のある人物が言う言葉だとレオニードには思えなかった。

「でも、もう返してはやれないのは分かっているだろう。」

暴虐王はしゃがむようにして腰を降ろした。
のろのろと立ち上がるレオニードと視線が合った。

「何故見ない振りをしなかった?」

平坦な声だ。先ほどの柔らかな声と全く違う、感情のこもらない声だった。
興味なさそうに視線をそらしたお目通りの時の声と視線と一緒だとレオニードは思った。

見ないフリをすることが正解だったのだと、その時初めて気が付いた。
聞き間違いであればどれだけ良かっただろう。

「そうできればよかった。」

今わかっていることは二つ。
あのまま隠れていれば、レオニードとユーリィは国に返される予定だったこと。
暴虐王の先ほどの態度は帝国にとって隠しておきたかったこと。

それを知ってしまったレオニードは国へは帰れない。

せめて、ユーリィだけでも国に帰してやりたかった。
そもそも、自分達を国に返す予定だった事すら知らなかったのだからどうしようもないのだけれど、少し前に戻れるのなら戻りたかった。

「俺達を返すつもりなのなら、このまま返してもいいでしょう?
どうせ誰も信じやしませんよ。」

レオニード自身信じられないのだ。
夢だと言われたらそちらの方を信じてしまいそうな気さえする。
あの、冷たい態度の男があんな砕けて優し気な声を出すとはレオニードだって思わなかった。
今目の前にいたって、混乱しているのだ。
あの暴虐王が優し気で明るい人間でしたと言っても、誰も信じないだろう。

「そういう訳にもいかない事くらい王族なら分かるだろう。」

暴虐王はレオニードの言葉をバッサリと切り捨てる。
けれど、つい最近まで皇位継承権どころか王族としてさえ認められていなかったのだ。
王族だからと言われても、納得ができるものではない。

道理など分かるはずが無い。
分からないし、わかりたくもない理屈なのだろうとレオニードは思った。

けれど、なんと説明すればよいのか分からない。
王族であれば理解できる理屈があるのだろうか。

もう一人いた男が暴虐王に耳打ちをした。
それからレオニードをちらりと見る。
それで、ああ、自分のことを説明したのだと分かる。

レオニードが元々王族でないという事くらい、調べていないはずが無いのだ。
王族として育てられず平民として生きてきた人間。それを知られている。
この男は世の中で相当な恨みを買っているはずだ、まずい人間を近づけるはずが無い。彼に近づくあらゆる人間は調べられている。
軍ですら経歴調査があったのだ。

軍人として働いていた事はある。自分の懐に入れる人間の情報を調べつくす事が常識なのは身にしみている。
経歴をさかのぼりにくいようにすらしていないのだろう。送り出されたときのあのあわただしさとやる気の無さを考えると、そうだろうなとレオニードは考えた。

「民が、国のために供物にされたということか。」

暴虐王はまるで独り言の様に言う。

「供物になるつもりは無い。」
「けれど、弱い国の責任を自分で取ろうと、この国に来たことは変わりないだろう?」
「俺が責任を取らなければならないのはこの命とたった一人の側仕えだけだ。」

レオニードは弱いという部分にも何も感じなかった訳ではない。けれど、それよりも馬鹿馬鹿しい自国の見栄のために送り込まれた事を責任とは思いたくなかった。

「へえ。」

暴虐王の言葉遣いが先ほどのように一瞬崩れる。
何が彼の琴線に触れたのかは分からなかった。

「じゃあ、我が国がそなたに帝王学を授けよう。」
「は?」

思わずレオニードは声を出してしまった。
どこをどうするとそうなるのかレオニードには理解できなかった。

「そんな事大丈夫なのか?」
「国内の些事に、いちいち誰かの許可を求める様なことを必要とすると思っているのか?」
「はあ……。」

軍にいたころレオニードにとって上官は絶対だった。それと同じ理屈の上位版なのだろう。
皇帝というのは多分そういうもの。そう思うしかない。
少なくともこの人は世界のかなりの部分を自分のものとしているのだ。人一人に何かを教えるくらい造作も無い。

「朕は皇帝なりとでも言うと思ったか?」
「なんじゃそりゃ。
いや、今の方が少なくとも好感が持てる。」

暴虐王は一瞬目を見開くとそれから目を細めて「そうか。」とだけ言った。
レオニードは、つい同僚に話しかける様な話し方になってしまっている事には、禄に気がついてもいなかった。
軍にいた時もそんな事は一度も無かった。それなのに、まるで心を許した友人のように暴虐王に話しかけてしまったのを、居室まで送られた後、ようやく気がついたのだ。




白いを超えて真っ青な表情でユーリィが待っていた。
隊に新たに入ってきていた新人を思い出してレオニードは思わず表情が緩む。

大体はちびって禄でもないことになるのだが、ユーリィの状況は少し違っていた。
半分涙目になって「ご無事でなによりです。」とユーリィは言った。

それで、ああ、それほど心配かけたのだと気が付けた。
今の今まできちんと気が付けていなかったのだ。

このままでは駄目だとレオニードは強く思った。

「剣が欲しいな。」

こういう時はいつも鍛錬ばかりしていた。
今だけ何も考えないで体を動かしたかった。

「棒でもお探ししましょうか?」
「いや、大丈夫。今日は早めに休もう。
ユーリィも早めに寝るように。」
「はい。」

涙目のままユーリィは笑顔を浮かべた。
レオニードはこの時あまりにも何も持っていなかった。

だから失敗したのだ。この子をこの場所から助け出すことができなかった。
せめてこの場所での安全くらい手に入れてやりたかった。
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