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王子3

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「今日は、弟殿下の誕生パーティーだけど、行かなくていいのかい?」
 野茨は残念ながら本の内容はあまり頭に入って来なかった。
 そんなこと聞いてくる人はいなかった。野茨が疎まれているのは周知の事実だったからだ。
「俺はいらない王子だから」
 夜露が今までにない驚いた顔をしている。
 それから、今度こそ泣いてしまうんじゃないかという表情をしていた。
 悲しい顔だった。
 絶望しているというのはこういう顔なのだろうか。
 何故赤の他人であろうこの人がそんな顔をしているのか野茨には分からなかった。
「お兄さんはなんでそんなに泣きそうなの?」
 野茨が聞くと夜露は「俺はお兄さんって程若くは無いよ」と言って少しだけ笑った。
「もしかして、お兄さん魔法使い!?」
 魔法使いはそれ以外の人間よりも長命だ。
 だからそうかもしれないと聞いた野茨の言葉に、夜露は悲しそうな顔で笑い返した。
 それを野茨は肯定だととった。
 魔法使いの見た目は年齢とは関係ない。
 もしかしたらこの人は自分の父親よりも長い年月を過ごしているのかもしれない。

 けれど、この人が魔法使いだとして、不思議なことが野茨にはあった。
 魔法使いは国の宝だ。
 それなのに、なぜこんな簡素な恰好をしているのだろう。
 魔法使いというのは大体ゆったりとした服装でそこには豪華な刺繍が入っている。
 こういう恰好が好きな人なのだろうか。
 それとも事情があるのだろうか。
 こんなさびれた場所にいるのも不思議だった。
 魔法使いと言うのは王宮に来るたびに接待をされている筈だからだ。

 ねえ、と野茨が聞こうとした時それは目に入った。
 なぜ今まで気が付かなかったのかわからない。
 彼の足首からのびているのは足輪とそこにつながる鎖だった。

 まるで罪人をつなぐ様な足枷と鎖だった。
 薄汚れたそれは、だからこそそれなりに長い期間彼の足につけられているのだと分かる。
 彼はどのくらいの期間ここにいるのだろうか。
 野茨はごくんと唾を飲み込んだ。
 ふふ、と優し気な声で夜露が笑う声がした。
「おじさんは悪い魔法使いなんだよ」
 それから、あまりにも普通のことを話す様に夜露は言った。
 けれど彼が罪人だとはどうしても野茨には思えなかった。
 悪い魔法使いというにはこの人は優しすぎる気がした。

 だけどきっとこの人がそう言うならそうなのだろう。
 実際彼は鎖で繋がれてここに閉じ込められている様だった。
 けれど、そんな人の話は聞いたことが無い。
 だれもここに罪人がいるなんて話はしていなかったし、ここは囚人のための施設でもない。
 本当に危ない人間を王城に置いておくとも思えない。
 悪い人間は僻地にある専用の施設に入るのだと野茨はもう知っていた。

 夜露はそんな野茨の考えはどうでもいいという様に、にっこりと笑った後、真剣な顔をして夜露は野茨を見た。
「君はいらない王子なんかじゃないよ」
 野茨と目を合わせて夜露は言い聞かせる様に言った。
 とても真剣な表情と口調だった。
「君はちゃんと祝福を受けている。
 君には美貌だって、力だって話術だってなんだってある筈だよ。
 君を見ればみんな君の虜になるはずだし、君と話せば君にみんな夢中になるはずだよ」
「本当に? お兄さんも?」
「……ああ、俺もそうだね」
 泣いてしまいそうな位そうだよ。と夜露は付け加えた。
「あなたの名前は?
あなたも僕を祝福してくれる?」
 野茨に言われて夜露はギクリと固まる。
 けれど、しばらく逡巡した後「俺の名前は夜露。他の人には言っちゃ駄目だよ」と答えた。
 とてもきれいな名前だと夜露は思った。
 夜露の黒い髪の毛ときれいに輝く黒い瞳の様な名前だ。
「……祝福。そうだね。
祝福をしてもいいのか」
 夜露が何を言っているのか野茨には分からなかった。
 祝福については、その時の思い付きだった。
 彼が言う通り本当に野茨に皆が夢中になるのであれば、勇気が欲しかった。
 けれど夜露は真剣に祝福について考えているようだ。
「でも魔法の対価がここには無いんだ」
「あっ……。じゃあこれは?」
 野茨が取り出したのは数日前おやつのケーキに入っていた陶器製のフェーブという小さなマスコットだった。
 野茨はもう魔法というものには対価が必要だと知っていた。
 対価は宝物ならいい。野茨が今持っている宝物はこれだけだ。

 ケーキに入っていた時は嬉しくてずっと持っていようと思ったけれど、この不思議な魔法使いの魔法が見られるならこの宝物を差し出しても惜しくないと思った。
 金銀財宝じゃないから、気持ちばかりのものになってしまうかもしれないけれど、これを対価に魔法をかけてくれないだろうか。
 そうしたら、誰かに笑いかけて、話しかける勇気がもてるかもしれない。
 魔法使いは手のひらにおかれた花の形をしたフェーブを眺めると、聞き取れない呪文をいくつか唱えた。
 きれいな魔法陣が一瞬煌めいた気がした。
「あなたの愛する人があなたから遠ざかりません様に」
 静かに夜露は言った。
 手のひらにのっていたはずのフェーブは消えてしまった。
 野茨は夜露の、高すぎず低すぎない不思議な声が好きだと思った。
「ねえ、もっとお話をして!」
 野茨は夜露にねだった。
「じゃあ――」
 夜露は本棚の中から一冊の本をもってきて開いた。
 中には美しい挿絵とそれから野茨にはまだ分からない難しい言葉が沢山書かれていた。
 夜露が話してくれたのは、一人の王様の話だった。
 空の星になった王様の話だ。
「夜空を見上げてみるといいよ。丁度ダイヤモンドみたいな形をした形をした星座だよ」 そう夜露は言った。
 王様の話よりもダイヤモンドみたいだという方が気になった。
 ダイヤモンドという宝石は野茨も知っている。想像してみたらとても夜露に似合う宝石なのかもしれない。
「ダイヤモンドかあ」
「ダイヤモンドが好きなのかい?」
 静かな声で夜露が言う。
 宝石は別に好きではない。ただ野茨は夜露に似合うと思っただけだ。それをそのままいうのも恥ずかしくて野茨は「星が好きなんです」と答えた。
 夜露は楽しそうに目を細めると、「ダイヤモンド型の中の一番明るい星が本物のダイヤモンドみたいにキラキラと輝いていてきれいだよ」と言った。
 ダイヤモンドは魔法使いにしか研磨できない特別な石だ。
 そんな美しい星があるのかと野茨は思わず身を乗り出すようにして夜露の話を聞いていた。
 そんな野茨に夜露は優し気に微笑んだ。
 けれどそれはどこかさみし気な微笑みだった。

 夜露は誰でも野茨に夢中になると言った。
 野茨が話しかければ彼の笑顔もさみし気じゃなくなるだろうか。
 野茨はそう考えながら夜露のお話を時間が許す限りずっと聞いていた。
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