ローレライに口付けを

渡辺 佐倉

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最初自分がおかしいということに気が付いたのは、思い出そうと思っても思い出せない。

ジンクスというものに近いのかもしれない。
自分の歌を聞いたものがすぐに死んでいく。

要はそういう事がおこる。

誕生日のお祝いの歌を聞いた母が亡くなり、自分の歌を聞いた友達の乗っているバスが事故を起こす。
ありえないから、今すぐここで歌ってみろよと言ったクラスメイトは突然心臓発作を起こした。

笑えもしない偶然だと思いたかった。けれど、何度も何度も繰り返される偶然に次第にそういうものだと思い込むようになった。

歌と話声の違いが分からず言葉を発さなくなってからすぐ、心臓発作を起こした友人の親族だという男があらわれた。
彼の言い分は、こうだった。

彼を殺した責任を取って欲しい。

男はそう言った。

「なに、ある場所で一曲歌って欲しいだけだ。」

まるで、当たり前の事の様に言われて驚く。
自分が彼を殺したと信じるなら願わない内容で、そうでなければ意味の無い行為を頼まれている。

「別にまた、噂を流してもいいんだよ。」

多分自分の事を調べているのだろう。過去に暮らしていた場所にいられなくなった事情も知っていそうな言い方をした。

「君はただ、歌うだけだ。
『歌なんかで誰も死ぬわけないだろ?』」

少なくとも、この男が友人の縁者だということは確かなのだろう。
友人と最後に交わした言葉を言われる。

それで頷いた俺が馬鹿だったのだ。

大きなホテルのパーティー会場で歌う手はずだった。
けれどその歌は途中までしか歌えなかった。

そのホテルで大きな火災が起きたのだ。
だから、俺の歌を聞いた人のうち何人が死んだのかはよく知らない。

けれど、燃え盛る火の中俺の事をかばってくれた同年代の男の顔だけは忘れられそうになかった。





「ああ君かい?」

そう言って振り返る男が、何故自分の転校先である高校の美術室にいるのかが分からない。

結局、あの時住んでいた町にはいられなかった。
引っ越しをして、二回目の高校2年生になろうとしている時だった。

転校先の高校は部活動は必須ということで一つずつ案内をしてもらっている途中だった。

あの時俺の事をかばってくれた男が目の前にいる。
あの時と同じように半ば興奮した目でこちらを見つめる。

火事だったので、そんな眼差しでこちらを見ているのだと思っていた。

けれど、もしかしたらこの男は違うのかもしれない。

「ああ、やっと会えた。
俺のローレライ。」

次にこの男が口にした言葉にそれは確信に変わる。
口角を上げて微笑んでいるのに、狂気の滲む目でこちらを見る男の顔が恐ろしい。

そんな俺の表情を見ても、気にした様子も無く笑っている目の前の男が怖い。

「ああ、あの時の歌声を今も思い出すよ。」

恍惚に塗られた表情で言われ、ギクリと震える。
きっと歌うことを依頼した男と同じように、もう調べているのだろう。

別に俺の歌は上手くない。
数える位しか歌った事が無いのだ。日々練習をしている人のものとは明らかに違う。

「赤羽君。新しい作品のインスピレーションを語っているのかい?」

同行してくれた先生が言う。

「彼は、絵の方面ではちょっとした有名人でね。」

天才画家ってやつだよと言われる。
彼がどんな人なのかは知らない。画家だと言われても信じられない。

そもそも、この出会いが偶然なのか、それとも赤羽と呼ばれる男の手によるものなのかが分からない。

「先生。是非二人きりで話をさせてもらえませんか?」

赤羽の申し出に先生は勿論と頷く。
赤羽の笑みは普通ではない。言っていることも明らかにおかしいのに、先生はむしろ喜ばしいことの様にふるまう。

二人きりになった。

美術室は油絵具の匂いがして、息が詰まりそうだ。

「あの美しい歌声をもう一度聴けるのなら、俺は死んでもいいと思っているんだ。」

何もかも知っている人間の言葉だった。
復讐か、それとも非科学的だと否定されるのか。想像していたのはそんなものばかりだったので戸惑う。
それとも嘘を付いて無茶苦茶なことを言うのが彼にとっての復讐なのだろうか。


「なあ、もう一度君の歌を聞かせてくれないか。
愛してるんだ。」

うっとりと言われる。

無理だ。
無理に決まっている。

それに愛してると伸ばされた左手がケロイドになっていることにももう気が付いていた。

自分はこの人を殺そうとして、この人がそれなのに俺の事をかばった証だ。
だから、邪険にすべきじゃないのは分かっていても、べっとりと張り付く様な視線も、とろける様な口調も、今の自分と赤羽の状況に合わず奇妙だ。
それが少し恐ろしいのだろう。

一歩後ずさると、普段から持ち歩いているメモ帳に「何故?」と書く。

そこで初めて赤羽が残念そうな笑顔を浮かべた。

「もしかして、声がでないのかい?」

とても残念そうに言う赤羽の言葉に、思わず頷く。
実際は出ないのではなく、出さないのだが結果は別に変らないだろう。


恨まれた方がまだマシだ。という碌でもない感情がわいてしまってしようがない。

「また、俺のために歌える様になるといいね。」

赤羽はそういうと、微笑んだ。
自分の逃げも、声が出るということも何もかも見透かしている様な笑みで、俺は何も答えられなかった。
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