上 下
56 / 94
【本編 第一章】 デルギベルク戦役編

【第五十五話】

しおりを挟む
 八回目の攻撃を終えて、敵陣から離脱した。
 
 既に、全身が血で染まっている。
 
 敵の矢が当たらない所まで距離を取ってから、損害を報告させた。
 
 さっきの突撃で、九騎が欠けていた。
 
 残っている騎馬は、六十騎だけだった。
 
「ハイゼ! もうそろそろ限界だ!」
 
 全身を赤く染めたヘルケルトが、馬を寄せて言った。
 
「分かっているが、敵軍が前進を再開したんだ。少しでも注意を引かないと」
 
 そうは言ったが、自分でも無理だと分かっていた。
 
 ここまで数が減ってしまえば、もう最初ほどの攻撃力はもう無い。
 
 敵陣の深くまで突き進めば話は別だが、それだと抜け出せなくなる。
 
 ガルツァーが指揮する歩兵部隊は、五度は攻撃を仕掛けている。
 見たところ、残っている兵は六百くらいだろう。
 
「うああああぁぁぁぁぁぁ!」
 
 馬に乗っていた兵が一人、突然叫び出した。
 
 打ち倒される仲間を見続けて、狂ったのだろう。
 新兵の中には、こうやって心がこわれる者が出る。
 
 死の恐怖に、負けたのだ。
 
 狂った兵は、叫びながら剣を振り回し始めた。
 周りにいた兵は心配そうな目を向けて距離を取る。
 
 ああなると、元に戻ることはほとんどない。
 落ち着いたとしても、抜け殻のような人間になる。
 
「ヘルケルト、殺せるか」
 
 あくまで冷静に、ヘルケルトに問う。
 
 彼は驚いた顔で、俺を見た。
 
「本気で言ってるのか、ハイゼ」
 
「心がこわれてしまっている。もう治らない」
 
 ヘルケルトは歯を食い縛り、嵐威を強く握りしめていた。
 
「無理だ、俺には出来ない。仲間を殺すなんて」
 
 ヘルケルトは情に厚い男だったが、この状況ではそれは欠点だった。
 
 剣を振り回して味方を傷付ければ、それこそ損しかない。
 
「分かった」
 
 それだけ言い、馬に乗ったまま暴れる兵に近寄った。
 
「おい、待てよ、本当に、」
 
 ヘルケルトが必死に呼び止めようとしていたが、俺は無視して狂った兵の首を刎ねた。
 
 叫び声は消え、胴体が馬から落ちた。
 
 誰も、声を出せずに唖然としている。
 
「レハール小隊長は言ったはずだ、愚か者で死ぬな、と。狂って死ぬな。そうやって死ぬくらいなら、敵と刺し違えて死ね」
 
 俺は剣の血を拭い、鞘に収めた。
 
 やはり、そろそろ限界だ。
 
 これ以上突撃を繰り返しても、有効ではない。
 
「おい、ハイゼ」
 
 ヘルケルトが肩を掴もうと腕を伸ばして来たので、逆に掴んで馬から落とした。
 
「なぜ殺したと言いたいのだろう。これは戦なんだ、甘い考えは辞めろ」
 
 ヘルケルトは身体を起こし、俺を見上げていた。
 
 訳の分からない感情が、不意に込み上げてきた。
 
 俺だって、殺したくて味方の首を刎ねたんじゃない。戦ではそれが当たり前なのだ。
 ならば、自分の価値観は捨て、最も効果的に動くしかない。
 
 初めての実戦で、どこか思考が鈍っている。
 
 指揮官として、これで良いのだろうか。
 
「あれは」
 
 誰かが、声を上げた。
 
 千騎ほどの騎馬隊が、こちらに駆けてくる。
しおりを挟む

処理中です...