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【本編 第一章】 デルギベルク戦役編

【第四十六話】 ※ジゴン視点

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 半里(二百五十メートル)先に、七万の敵軍が展開していた。
 
 あの敵軍と対峙たいじして、もう丸二日は経っている。
 
 対してこちらは、一万の軍である。
 
 兵卒へいそつのジゴン・フルーバーは、死を覚悟していた。
 
 正面の七万が攻めてきたら、食い止められるわけがないのだ。
 
 一応、防御陣を敷いてはいたが、最前列にいる自分は、間違いなく死ぬ。
 
 出撃した当初は、敵軍の数は教えられなかった。
 せいぜい一万で守りきれる程度の数だろう、と楽観視していたのだ。
 
 しかし、実際には七万の敵がやって来た。
 
 あんな大軍を目の当たりにしたのは、もちろん初めてである。
 地面を、覆い尽くしている。
 
 徐々に距離を詰めてくる敵軍を見て、軍ではない別の生き物が動いているような感覚に襲われた。
 
 あの七万全員が、自分たちを殺そうとしている。
 
 何も喉を通らなくなった。
 水を飲んでも、吐き気をもよおす。
 
 死ぬのが決まると、人はこうなるのか。
 同じような状態の兵が、他にも多く居た。
 
 陽が出て明るいうちは最前列でたてを構え、暗くなると両軍が下がって休む。
 
 夜襲の心配もあったが、絶えず斥候せっこうが出ているし、見張りもいる。
 
 休めるうちに、休むべきだ。
 
 楯を構えながら敵軍を見ていると、何やら違和感を覚えた。
 
 敵軍の内側が、活発に動いている。
 
 多分だが、少しずつ陣形も変わってきている。
 
 今まで感じていた以上の恐怖が、自分を襲ってくる。
 
 敵が、攻めようとしているのだ。
 
 陽が、西にだいぶ傾いていた。
 あと一刻(三十分)もしたら、日は暮れるはずだ。
 
 敵軍に変化が起きてから、こちらの軍は落ち着きが無くなった。
 陣形の後方で、慌ただしい気配がする。
 
 前方にいる兵の顔は、どれも暗かった。死を覚悟している顔である。
 
 上官の話によると、味方の本隊五万は、明日の夕方に合流してくるらしいという。
 五万が合流して六万になっても、敵軍の方が多い事に変わりはない。それでも、今よりはましだった。
 
 しかし、どうやら間に合わないようだ。
 
 どんなに硬く防戦しても、もって四刻(二時間)だろう。
 それでも、最前列の自分は真っ先に死ぬのだ。
 
 敵軍はゆっくりと前進し、敵兵それぞれが見分けられるくらいの距離になった。
 
 ついに、戦闘が始まる。
 
 始まると同時に、自分は死ぬ。
 
 汗が、目の横を流れ落ちる。
 
 気付けば、背中は汗で濡れている。
 
 楯を掴む力が、強くなった。
 
 敵はまだ近付いてくる。
 
 死が、近付いてくる。
 
 大きく、つばを飲み込んだ。
 その音が、異様に大きく耳に響いた。
 
 足が震える。
 手も震える。
 
 死ぬ。
 もうすぐ、死ぬ。
 
「あれは!」
 
 やや後ろに居た兵が、声を上げた。
 
 皆が横に顔を向けたので、ジゴンもそっちを見た。
 
 百騎ほどが、こちらに駆けてくる。
 
 味方だった。
 
 周りの兵たちは、声を上げた。ほとんど歓声だった。
 
 敵軍も、足を止めている。
 
 助かった。
 
 自分が尿を漏らしている事に、ジゴンは初めて気付いた。
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