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【本編 第一章】 デルギベルク戦役編

【第二十九話】 ※レハール視点

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 出撃の準備は、ほとんど完了していた。
 
 レハールが小隊長になってから、初めての実戦である。不安は無かった。
 
 唯一気掛かりだったのは、指揮下の兵のほとんどが新兵であることだった。
 
 調練は充分やってきたと思う。
 
 時にはレハール自身が直接、新兵を指揮して集団戦の調練をやったりもした。
 
 自分でも厳し過ぎると思うほど、過酷な調練をしてきたつもりである。
 
 しかし、調練はどれだけ厳しくしても、調練である。実戦はもっと厳しく、そして非情なのだ。
 
 十六で、兵になった。
 運動神経が他よりも良いという理由だけで、偶然出会った軍の将校に兵になれ、と言われたのだ。
 
 兵になれば、食い物に困ることは無い。
 給料も高く、大家族であった家庭をやしなってもなお、余るくらいだった。
 
 初陣は、十八の時だった。
 当時からハウゼー帝国の財政は傾いており、各地で反乱が勃発していた。
 
 その時はまだ正規兵は全て帝国の指揮下にあり、あくまで国軍として反乱を鎮圧していた。
 
 レハールの初陣も、そういった民衆反乱の鎮圧だった。
 
 出撃を言い渡された時、余裕だと思った。
 自分は正規兵としてしっかりとした武器と防具を装備しており、敵はただの農民や平民である。
 
 何より、数はこちらが圧倒的に多い。
 
 しかし、いざ戦闘が始まると、その考えは打ちのめされた。
 
 必死さが、まず違う。
 
 暴徒化した民衆は、死ぬ気で立ち向かってくる。剣や槍を持っていなくても、クワやカマなどの農具を振り回したりして襲ってくるのだ。
 
 夢中で、応戦した。
 
 抵抗する者は殺せと命令されていた。
 
 兵士にとって、命令は絶対である。
 
 殺せと言われれば、殺す。
 国のために死ねと言われれば、死ぬ。
 
 それが、兵士というものだ、と教わってきた。
 
 それまで、頭では分かっていた事であったが、狂ったように襲ってくる民衆を目の当たりにして、どうしたら良いのか分からなくなった。
 
 どうやって戦ったのか、覚えていなかった。
 しかし、何人の民をこの手で殺したのかは、はっきりと覚えている。
 
 十四人。
 そのうちの三人が、十歳にも満たない子供だった。
 
 気付いたら、全身が血で染まり、何千という死体で地が覆われていた。
 
 その中に、家族の死体もあった。
 
 自分が兵士になった後、給料のほとんどを家族に仕送りとして送っていたはずだった。
 しかし、そのお金は直属の上官が着服していて、家族には一切届いていなかったのだ。
 
 それで食う物に困った家族は、反乱に加担した。
 
 初陣で帰還した後、祖父母から聞かされて知ったことだった。
 
 何が正しいことなのか。
 その時、分からなくなった。
 
 正義とは、何なのか。
 
 国家を護るためなら、国民を殺戮さつりくしても良いのか。
 
 悩んだ。
 
 今でも、悩んでいる。
 
 自分の中で、結論は出せそうになかった。
 
 初陣から時が経ち、四十になった今、千人の指揮をする小隊長になった。
 
 あれほど残酷な経験をしても尚、軍人を続けたのは、それしか食う道が無かったからである。
 
 自分が殺した十四という人数は、ずっと忘れないだろう。
 相手の顔を覚えていないのが、唯一の救いだと思う事にした。
 
 兵士は、民を守るために存在している。
 
 それを、忘れないようにしていた。
 
 
 ◇◇◇◇◇
 
 
 ハイゼ・バルナンという青年が、自分の副官になった。
 今後ずっとという事ではなく、今回の出兵に限ってである。
 
 秘めた能力を持っていそうな若者だと思った。
 
 外城の騒ぎでひと目見た時から、そう感じていた。
 
 それが、部下のガルツァーと立ち合っているのを見て、確信に変わった。
 
 武術の能力は、凄まじかった。
 武器を使わせても、かなう者はこの街には居ないだろう。
 
 武術もさることながら、戦術家としても非凡なものを持っていた。
 
 口頭で情報を伝えただけで、現在の戦況をほぼ完璧に把握し、有効策まで提示してきた。
 
 この国に限らず、この大陸全土が、乱世の真っ只中だった。
 
 ハイゼのような青年が、この世界を変えていくのかもしれない。
 
 
 レハールは、そう確信した。
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