よあけまえのキミへ

三咲ゆま

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一章 いずみ屋編

第二十話 謎の一派

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 思いのほか、神楽木家周辺の警固は厳しかった。

 雨京さんが雇ったと思われる屈強な番人たちが要所に配置され、定期的に周囲を巡回しているようだ。


 これは、うかつに家のまわりをうろつけないな――。

 関係者に見つかりでもしたら、きっとすぐに連れ戻されてしまう。

 私は隙を見て人気のない小路に身をかくし、息をひそめる。

 新選組にも見つかりたくないし、できるだけ目立たないように移動しなきゃ。


 意を決して、薄暗い小路を駆け抜ける。

 神楽木家から酢屋までは、急げば四半刻もかからずにたどり着けるはずだ。



 走って走って、やがて高瀬川沿いの見慣れた景色が見えてくる頃には、さすがに体が悲鳴をあげていた。


「いたた……」


 脇腹の傷口を押さえてしゃがみ込む。

 酢屋はもう、目と鼻の先だ。


「どうしたの? こんなところで」


 ふいに背後から声がかかり、私はびくりと体をふるわせる。

 おそるおそる振り返った先に立っていたのは――


「あ……長岡さん!」


「美湖ちゃん、もう出歩いても平気なの?」


 大きな風呂敷包みを背中に抱えた長岡さんは、涼しい顔でずかずかと距離を詰めて、私の脇腹をツンとつついた。


「いっ――!」


 思わず声が出そうになって、くちもとを押さえる。


「もしかしてここまで走って来た? 良くないよ、無理しちゃ」


「いえ、あの……急いでいたので」


 傍らに立つ柳の木を支えにして立ち上がり、目を伏せる。

 長岡さんはそんな私の頭にポンと手を置いて、幼い子供に語りかけるように口をひらいた。


「どこに行こうとしてたの?」


「えっと……その、酢屋さんに」


「そりゃ奇遇だね、自分もこれから酢屋に帰るとこなんだ。一緒に来る?」


 初めて会ったときと変わらない、やわらかい眼差しと落ち着いた声。

 自然とこちらの緊張をほぐす、不思議な雰囲気を持った人だ。


「ご一緒させてください……!」



 そうして、私たちは歩き出した。

 顔を上げて賑やかな通りを視界におさめれば、遠くない距離に酢屋さんののれんが見える。



「あれから龍さんが君のこと心配してたよ」


「龍さん……?」


「そ。坂本龍馬さん」


「坂本さんって、龍馬ってお名前なんですね!」


 知らなかった。

 かっこいい名前だなぁ。


「それであの、坂本さんか陸奥さんに会いたいんですけど、今酢屋にいますか?」


「少なくとも龍さんはいるよ、これから会う約束してるから」


「そうですか……! よかったぁ」


 留守だったらどうしようと心配していたけれど、ひとまずは安心だ。



「着いたよ」


 案内されたのは以前訪ねた時に出入りした正面戸ではなく、店の裏手の勝手口だった。


「さぁ、入って」


 そのまま背を押されて土間のほうへと案内される。

 ひやりとした敷石の上で草鞋をぬぎ、そっと家中へ上がらせてもらう。



「おじゃましまぁす……」


 シンと静まり返った室内をきょろきょろと見回しながら、声をあげる。


「美湖ちゃん、階段こっち。暗いから足元気をつけて」


「はいっ」


 足音もなく忍者のように段を上がっていく長岡さんに続いて、私もできるだけ静かにのぼるよう心がける。


 ミシ、ミシ……


 だめだ、どうしても音が出てしまう。

 階段をのぼりおえると、長岡さんは一番奥の部屋の中へと入っていく。



「美湖ちゃん、おいで。そのへんに座っていいからね」


 手招きされて足を踏み入れた部屋の中には山のように本が積まれ、何やら細かい字でみっちりと書き綴ってある文書や紙くずが散らばっている。

 この部屋ってたしか、前に来たときに通された――……。

 あのときよりも散らかっている気がするなぁとあたりを見回していると、本の山の陰からぬっと何かが起き上がった。


「長岡さん、帰ってたんですか……」


 寝癖がついた頭を押さえながら、気だるそうな声を出す男の人――。


「陸奥さん!」


「……あ……天野!?」


 隙間なく並べられた本の壁を隔てて視線がかち合うと、陸奥さんは飛び起きて机の上にある手拭いを頭に巻いた。

 まるで盗人のような姿だ。


「え? な、なんですかその格好は……」


「陽さん寝癖すごいからさー、あんまり人に寝起きを見られるの好きじゃないんだよ」


 可笑しそうににやにやと笑いを噛み殺して、長岡さんが口をひらく。

 陸奥さんが寝転んでいたらしい場所には布団が敷かれていないけれど、もしかして畳の上に横になって寝ていたのかな。


「どうしておまえが……何かあったのか?」


 手拭いを巻いた頭を押さえながら陸奥さんは立ち上がり、部屋の中央を占拠していた本をすみに寄せていく。


「はい、陸奥さんや坂本さんに相談したいことがありまして……」


「かぐら屋の主人は外出を許してくれたのか?」


「いえ、その……黙って飛び出して来ました」


 重々しく私がつぶやくと、陸奥さんはわずかに目を見開いて部屋を出ていく。


「顔を洗ってくる、少し待っていろ!」


 どたどたと大急ぎで階段を降りる音……。

 陸奥さんがこんなふうに慌てた様子を見せるのは珍しいな。



「神楽木さんのところ、黙って出てきちゃったのかぁ。そりゃちょっとまずいんじゃない? よっぽど深い理由があるのかな」


 部屋のすみで風呂敷をといて中の荷物を整理していた長岡さんが、こちらに視線を向けた。

 澄んだ深い目と正面から向き合うと、言葉には表せない独特の圧にさらされて身が縮む。


「はい、ゆずれない理由があって来ました」


 ぎゅっと両手を握りしめ、長岡さんの目をしっかりと見つめ返す。


「――そっか、そこまで言うなら力にならなきゃね。龍さんを呼んでくるよ」


 ふっと涼しく微笑んだ長岡さんは、立ち上がって私の肩に軽く手を置き、部屋を出ていった。

 ぽつんと一人になった部屋の真ん中で、私は大きく息を吐き出す。

 ようやくここまでたどり着いた。

 だけど、ここが終着点じゃない。

 これからだ。

 一刻もはやく中岡さんたちのもとへ報せに行かなきゃ――!



 それからほどなくして。


「嬢ちゃん! よう来てくれた!!」


 嵐のようにどたばたと部屋に走り込んできた坂本さんに、私は思いきり抱きすくめられた。


「あ、はい……! お久しぶりです!」


「怪我の具合はどうじゃ!? いずみ屋も、大変じゃったのう……! 話す機会はこじゃんとあったがやのに、ろくに聞いてやれんでまっことすまんかった」


 坂本さんは私を強く抱き締めたまま、背中を優しくさすってくれる。


「そんな、謝らないでください……!」


「あれから心配でたまらんかったがじゃ! 不安に思っちゅうことも多いじゃろう、何でも相談しとおせ! お兄さんは嬢ちゃんの味方じゃ!」


 わしゃわしゃと私の頭を撫でて、力強い笑みを向けてくれる坂本さん。


 お兄さん……か。

 酢屋の二階から顔を出した坂本さんと、他愛ない会話を交わしていたころを思い出す。

 のんびりと温かくて、平和な日々だった。

 なんだか懐かしくて、変わらず接してくれる坂本さんの優しさに涙が込み上げてくる。



「天野、話があるんだろ? 聞かせてくれ」


「泣かない泣かない! ほら、お茶でも飲んで落ち着いて」


 涙をにじませて言葉につまる私を見兼ねたのか、廊下で再会を見守っていた二人が、なだれ込むように部屋へと入ってきた。

 湯飲みがのったお盆を抱えて、それぞれ私と坂本さんの隣に腰をかける。


「あ、はい……! お話します」


 私たちは、小さく円を描くように部屋の真ん中で顔をつきあわせた。

 それぞれの膝元に湯気があがる湯飲みが置かれると、三人の視線は私に集中する。



「今朝、神楽木家離れの縁柱にこんなものが突き立てられていたんです」


 私は懐にしまっておいた文と、風呂敷に包んでいた両刃の短刀を輪の中央に置いた。


「この短刀に文がくくりつけてありまして……中身はほとんど読めなかったんですが、一部にかすみさんの名が書いてあって……」


「クナイか、投げ入れるとしても、どこからだ? 塀の上か? これを飛ばして離れの柱に刺すのは、相当手慣れたやつじゃないと無理なんじゃないか」


 短刀を手にとって、陸奥さんは難しい顔で首をひねる。

 たしかに。

 もし塀によじ登って投げたとしたら、屋敷への侵入もたやすいはずだ。

 そう考えると、ぞっとする。

 人に向けて攻撃することもできたんだ――。


「それも気になるけんど、まずは文じゃな。読ませてもらってもえいかの?」


「はい」


 折り畳んだ文を拾い上げてガサガサと手元で広げると、坂本さんは目を細めて文面に向き合った。


「読み上げてよ、龍さん」


「おう、そうしよう」


 静かにお茶をすする長岡さんの提案にうなずいて、坂本さんはゴホンと一息つく。

 皆が聞きもらすまいと、耳をすませて背筋をただした。


「えー……やぎ……いや、やお? ううん……」


 出だしから首を傾げる坂本さんに拍子抜けして、私と長岡さんはずっこける。


「何を言ってるんです坂本さん! 見せてください!」


「いきなり読みづらい名が登場するんじゃ……ほれ」


「どれどれ?」


 陸奥さんと長岡さんが加わり、三人で顔を寄せ合い文をにらむ。


「やせ……じゃない?」


「しき、かもしれません」


 陸奥さんと長岡さんも首をひねっている。

 何なんだろう一体。


「あのう、どうしたんですか?」


「いやぁ、すまん。弓矢の矢に生きると書く奴がおって、読みがよう分からんがじゃ……埒があかんき、とりあえずやぎでいくか」


「はあ……」


 やぎにしろ、やせにしろ、聞かない名前だ。

 何者なんだろう。



『やぎ一派の潜伏先を記す。奴らが揃ってこの場に集うのは四ツ以降。神楽木かすみもこの場所に軟禁されている――』



「潜伏先!! やっぱりかすみさん、その地図の場所に!?」


 身を乗り出して、坂本さんに詰め寄る。


「そのようじゃのう、場所は東山の方か」


「その、やぎ一派っていうのは、いずみ屋を襲った浪士たちで間違いないの?」


 長岡さんがそう言って首を傾げるのにつられて、私も首をひねる。


「どうでしょうか? 浪士は三人組で、水瀬と深門は分かるんですが、もうひとりの名は知らなくて……」


 三人目の男は、どんなやつだったっけ。

 一番口数が少なくて目立たなかったからほとんど覚えていない。

 顔すら思い出せないくらいだ。


「三人目が、やぎなんじゃないか?」


 陸奥さんが口をひらくと、あとの二人もそうだろうと頷き合う。


「とにかく、中岡さんたちに会ってそのあたりの話もしたいんです。彼らの居場所を教えてくれませんか? 中岡さんの住まいか、田中さんの住まいか――……」


 私がそう懇願しながら頭を下げると、静かに文とにらめっこしていた坂本さんが、意を決したようにうなずいて立ち上がる。


「案内しちゃるき、ちっくと待っとってや」


 坂本さんは文を折り畳んで私に返して、そのまま部屋を出ていった。

 支度をしに行ったのかな。



「……天野、あとは坂本さんに任せてお前はここに残ってもいいんだぞ。ここから先は危険だ」


 陸奥さんが、心配そうな眼差しでこちらを見つめる。


「いえ、私も行きます。かすみさんを助けに行くって約束しましたから」


 不安はあるし、正直怖い。

 だけど、ここまで来て人まかせにはしたくない。

 私は自分を奮い立たせるように腹の底から声を出して、陸奥さんをまっすぐに見つめ返した。



「頑固な子だね。神楽木家を飛び出してくるくらいだし、よっぽどだよ」


 静かに笑いながら、長岡さんはせっせと木箱に何かを詰めている。


「薬箱……もしや、長岡さんも行くつもりですか?」


「うん、怪我人が出るかもしれないしね。一応ついて行くよ」


 陸奥さんの問いに淡々と返事をする長岡さんは、ふらりと往診にでも出かけるような口ぶりだ。


「あの、もしかしたら長岡さんも危ない目にあうかもしれません……! 一緒に来てくださるなら、お薬の前にまず身を守るものを」


 どう見ても丸腰な長岡さんは、見ていて不安になる。


「心配無用、自分の身くらいはなんとか守れるよ――それより、ついでに美湖ちゃんの傷の具合も診てあげよう。着物脱いで」


「え!?」


 中身の整理が終わったらしく、薬箱を抱えた長岡さんがにっこりと笑って私の目の前に片膝をつく。


 ――いま、ここで!?


 私はあわてて周囲を見回す。

 陸奥さんと目が合った。



「……」


 すぐさま視線をはずしてそっぽを向いた陸奥さんは、こちらに背を向けて本の陰に腰を下ろす。


「あの、長岡さん! さっきゆきちゃんが手当てしてくれたばかりなので大丈夫です!」


「いや、べつに恥ずかしがることないよ。さっきお腹押さえて痛そうにしてたから、気になってね」


 やけに慣れた手つきで着物の帯をほどきにかかる長岡さん。


「いえ、ちょっ……! ここでは嫌です!! 大丈夫ですから!!」


「平気平気、すぐ終わるって」


 てきぱきと帯をひっぺがし、着物に手をかける長岡さんの手際のよさといったらない。

 あまりにも脱がし慣れすぎている……!


「ピンピンしてますからご心配なくっ!!」


「念のための診察さ。痛くしないよ、大丈夫」


 胸元を隠しながら必死に着物を守り抜こうとする私と、その手をほどこうとする長岡さん。

 どちらも譲らない。



「何事じゃーーーー!!」


 そんな攻防は、部屋に飛び込んできた坂本さんの叫びで終幕となった。


「美湖ちゃんが、なかなか脱がなくてねー」


 困ったもんだよね、と爽やかな笑顔を向ける長岡さんの胸ぐらを掴んで、坂本さんはがくがくと揺さぶる。


「何を言いゆうがじゃ、おんしはーー!! 変態か!? 変態なんじゃな!?」


「あの、長岡さんは一応傷の手当てをしようとしてくれて……」


 すごい剣幕で長岡さんを問い詰める様子を見て、さすがに一言入れる。

 このままだと失神するまで振り回しそうだ。


「なんじゃ、そうやったんか……しかしのう、無理やり脱がせるんは良うないぜよ」


「はいはい、分かったよ。そんなに嫌がるなら今はやめとこう」


 首もとを押さえてケホケホと咳をする長岡さんを見て、少し騒ぎすぎたかなと反省する。


「すみません、この一件が落ち着いたら手当てしてください」


「そうだね。それじゃ、早めにけりをつけようか」


 長岡さんは私の肩に軽く手を置いて、それから坂本さんに視線をおくる。

 坂本さんはこくりとうなずいて腰に差した刀の柄に手をそえた。


「すまんかったのう謙吉。嬢ちゃん、着物を直してすぐに出発じゃ」


「はいっ……!」


 乱れた着物を大急ぎでただし、身だしなみを整える。

 そうしている間に坂本さんは、私が担いできた風呂敷を持ち上げて廊下へと出ていった。

 薬箱を持った長岡さんもそれに続く。


「……下まで見送りを」


 本の陰に身を隠していた陸奥さんがのそりと姿をあらわして、二人のあとを追う。

 私も急いで帯を結び、その背中を追いかけた。




「それじゃ、留守番よろしくね、陽さん」


 店を出てすぐの通りまで見送りに出てくれた陸奥さんに、三人で別れをつげる。


「……やはり、おれも行きましょうか」


 一人留守番をすることに負い目を感じているのか、陸奥さんは目をふせてそう切り出した。


「いんや、おんしは残って仕事じゃ! 揉め事に首を突っ込むんは好かんじゃろ?」


 坂本さんは気にするな、と笑いとばして陸奥さんの肩をたたく。


「すみません……無事を祈ってます。天野も、無理はするなよ」


「はいっ! 陸奥さん、またお会いしましょう!」


 ぺこりと頭を下げて、笑みを向ける。

 陸奥さんは、眉を下げて少し心配そうに微笑み返してくれた。


「あ……そういえば寝癖、きれいになおってますね!」


「……今はそんなこと、どうでもいいだろう。早く行け」


 いつもの気だるそうなツッコミを聞けたところで、こちらも自然と口元がゆるむ。


「ちゃんとお布団で寝たほうがいいですよ。それじゃ、いってきます!」



 私は元気に手を振って、わずかに先を歩く坂本さんや長岡さんのほうへと走り出した。



 それからは、足の速い二人に着いていくのに必死だった。

 三条河原町から北へ北へ。

 できるだけ人目につかないよう、京育ちの私でもあまり通ったことのないような狭い裏道を無言で突き進む。


 賑やかな宿場町から遠く離れて、いくらかのどかな景色が広がってきた頃、私はふと不安になった。


「ここまで来ると宿もあまり見当たりませんね、今向かっているのは誰の住まいですか?」


「嬢ちゃんが会いたがっちゅう三人じゃ、全員同じ場所におる」


 先頭を歩く坂本さんがこちらを振り返って、心配ないと微笑んでみせる。


「え!? そうなんですか!? 坂本さんや長岡さんたちみたいに、中岡さんたち三人も同じ宿に下宿してるんですね」


 知らなかった。

 だけど、その方が都合がいいな。


「宿というか、藩から借りてる屋敷でね……そこにたくさん浪士仲間が住んでるんだよ。けっこうな大所帯さ」


「ええ!? なんですか、それ!?」


 長岡さんの説明に目を丸くする。

 浪士さんたちが集まって共同生活?

 長屋みたいな感じなのかな……。


「慎太の考えに賛同して集った仲間たちじゃ。まぁ、仕事仲間の集団やち思っちょってくれたらええ」


「へぇ……」


 また仕事仲間か。

 よく分からないけど、その集団の中で水瀬たちも生活していたんだろうな。


「あ、そうだ。慎太っていうのは……?」


「中岡のことぜよ。中岡慎太郎で、慎太」


「へぇ、中岡さんの……!」


 そういえば今まで知らなかったな。

 坂本さんの名前も分かったし、これでこの人たち六人の名前はバッチリだ。



「見えてきた、あそこだよ」


 歩きながら長岡さんがななめ前方を指差す。

 そちらに目を向けると、確かにある。

 思っていたよりもずっと立派な屋敷が。


「ここですか!? すごい!」


 塀越しに見ても敷地は広いし、建物も新しい。

 周辺は田んぼが多くて生活するには少し不便かもしれないけど、空気が澄んだきれいなところだ。


「ごくろうさん! 通してもらうぜよー」


 門の前に立つ番人らしき浪士さん二人に軽く手を上げて挨拶しながら、坂本さんはずかずかと敷地へ入っていく。


「坂本さん! 長岡さんも……隊長にご用ですか?」


「そうだよ。今、中岡さんいる?」


 長岡さんが立ち止まって門番さんに尋ねると、槍を片手に立つ二人が同時に「はい」と返事をした。


「それで、この娘は何者ですか?」


 長岡さんに続いて門をくぐろうとした私は、着物の襟をぐっと掴まれていぶかしげな視線をあびる。


「あの、中岡さんに会いに……」


「隊長に? なんだ、女中でも雇ったのか?」


 首をひねる門番さんたち二人の間に坂本さんが割って入る。


「客人じゃ、入れてやっとおせ」


 そう言って掴んだままの襟首を離すように促してくれたおかげで、私はやっと解放された。


「うーん……坂本さんのツレなら大丈夫か」


「どうぞ中へ」


 まだ少し歓迎されていない様子だけど、屋敷へと続く道は目の前に開けた。


「いくよー、美湖ちゃん」


 もたついている私を振り返り、長岡さんが声をかけてくれる。


「はいっ!」


 二人の背中に向かって、私は小走りで駆け出した。

 敷地内は視界が開けていて左右に広く、解放感がある。

 真新しい雰囲気のきれいな屋敷に加えて、なかなか立派なつくりの長屋のような建物も見える。

 これは確かに大人数が住める場所だと、静かに感心しながらあたりを見回した。

 途中数人の浪士さんたちとすれ違ったけれど、皆坂本さんや長岡さんに笑顔で挨拶をする。

 そしてそのあと、私を見て首を傾げる。


 ……何だかちょっと、居づらいところだな。

 こんなにたくさん浪士さんが集まると、少しこわい。


 上を見上げると、灰色の雲が不安を煽るように空を覆っていた。

 また一雨きそうだ。


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