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英雄の行く末 ⑦
しおりを挟む――お前は王都に戻れ。
「騎士団に戻るのならば私から連絡を入れておく」と話を続けられたが、頭が真っ白になり何も答えられない。
自分はもう必要ないということか。いや、初めから自分など団長には必要なかった。それでもここに置いてくれたのは、今にも死にそうな顔をしていた元部下への温情だった。
自分は居ては不都合な人間になってしまったのだ。
サリー・モウセンと結ばれるのなら、過去に体の関係があった男など近くに置いてはおけない。
しかも、こそこそと面会に行った前科もある。
死にたい、殺してもらいたいと久々に思った。しかし団長はいくら頼んでも自分を殺してはくれないだろう。
自分はどうすべきか。
気持ちを吐き出してどうにかなるのなら叫びたいが、それを聞いた団長に軽蔑されることを想像すれば、口からは短い息しか吐けない。
うまく息ができない。助けを求めるように団長を見たが、団長は自分を見ていなかった。
視線は自分の横の壁へと向けられている。
あそこの壁には何があっただろうかと、現実逃避をするように考えていると、団長はまた話し始めた。
「もうお前は、俺に縛られなくていい。騎士団の件、返事は後でいいから、じっくり考えてくれ。別の職がよければ、職種は限られるが紹介状を書くこともできる」
返事を待たずに団長は部屋を出ていった。
去り際、ほんの少し目が合った時、団長はどこか途方に暮れたような顔をしていた。
団長に切り捨てられたのは自分であるのに、まるで当人のような顔をしていた。
今までに見たことがない、英雄マニス・シュタートンの情けない顔。
こんな顔をさせたのがサリー・モウセンなのだと思えば、身勝手にも嫉妬に似た感情が湧き上がってしまいそうになる。
思い上がりも甚だしいと自分を戒める。
結局自分は騎士団にいた頃も、団長に目をかけてもらっているなどという、思い込みで図に乗り馬鹿をしでかし団長を巻き込み取り返しのつかない怪我を負わせてしまった。
そして今回も、自分が一番近くでお仕えしているなどという、おごった考えで下手を打った。
自分に対する甘さがいつも最悪の結果を生んでいるのだと分かっているが、直面した現実が辛く甘い夢物語を想像してしまう。
たった今出て行ったばかりの団長が「冗談だ。騙されたか?」と言って戻ってきてくれないだろうか、と。
そしてまた以前のように自分を抱いてくれるのだ。
ドアを暫く見つめていたが、空しさと情けなさに胸が軋んだだけだった。
じっくり考えろ、と言われてから十日ほど経ったが団長に返事をすることは出来ないでいた。
ここに留まるか留まらないかではなく、騎士団に戻るか戻らないか、返事は後者にしか求められていない。
返事をすればここから去らなくてはいけない。少しでも留まりたい一身で、返事の催促をされない為に団長と二人きりにならないよう避け続けた。
そんな無駄な足掻きをしている最中、もう一人、自分が避けなければならない人間、――サリー・モウセンと城の廊下で出くわしてしまった。
彼女の傍らに立つ侍女が乳鉢とヘラを盆に載せて持っている為、団長への面会が終わった後なのだろうと思われた。時間をずらしたつもりだったが、いつもより面会時間が長引いたようだ。
そんな些細なことにさえ傷付く自分が嫌で堪らない。
頭を下げ、足早に去ろうとすると呼び止められた。
「お待ちくださいリアム様、少しお痩せになられたようですが、お体に変調はありませんか?」
心配そうにこちらを見るサリー・モウセンに簡潔に「そんなことはありません」と返し、今度こそ、この場を去ろうと来た方向へ引き返し歩き出した。しかし背後からかけられた言葉に足を止めてしまった。
「あの、わたくし、三日後にここを立つことになりましたの。リアム様にもよくしていただいたので、お礼を申し上げたくて」
反射的に振り返り、何故ですかと詰め寄ろうとしたが、修道女をやめる手続きが必要なのかもしれないと思い直した。
「どれくらいで、戻って来られるのでしょうか」
ここに自分が留まれるタイムリミットを知るための質問だったのだが、サリー・モウセンはそれに対し一瞬困惑の表情を浮かべた。
しかし、すぐにいつもの微笑みの表情に戻り「いいえ」と返事をした。
「わたくしの勤めは終わりました。神の御許に戻り、皆様の幸せを祈る生活に戻りたいと思います」
静かだがはっきりとした口調で、迷いは含まれていないように感じた。
「っ、そんなっ、サリーさんは団長を置いて行かれるのですかっ」
人前では団長ではなくマニス様と呼ぶように心がけていたが、そんな余裕はなくなっていた。
「マニス様の火傷痕はもうすっかり良くなられましたし、心ゆくまで祈りを捧げることも出来ました」
「でもっ、サリーさんは団長から引き留められたんですよね。それなのに、なんで、……なんで戻ってしまわれるんですか」
「あの、リアム様、落ち着いてください。わたくし達には何か誤解があるのかもしれません」
落ち着くことなど出来ないし、そもそも誤解など無い。
そんなことよりマニス・シュタートンから懇願され、求められているというのにサリー・モウセンの心は動かなかったという事実に愕然とした。
「……教会ですか?」
「ええと、ごめんなさい、教会が、いかがなさったのですか?」
「教会はこの地にもあります。マニス様に頼めばきっと、もっと立派な教会だって建ててくれます。だから」
「リアム様、引き留めていただけることはとても光栄に思います。……そして、確かに、どこに居ても神に祈りを捧げることは出来るでしょう。しかし、わたくしの戻る場所は家族の眠る地に程近い、聖エルテム修道院だけなのです」
「そんな……」
団長が辺境伯としてこの地を長く離れられないのと同じ、サリー・モウセンにも教会を離れられない理由がある。
膝からガクリと崩れ落ち、自分の顔を両手で覆った。
どうにもならないことなのか。
まだ何か自分でも説得出来る言葉はないかと考えても出てこない。
もう団長の元から離れたくないなどと思ったりしない。団長が悲しい思いをするくらいならば自分はどうなったっていい。だから、どうか……。
団長の想いをどうにかして叶えたい一身だった。
床に手を着き頭を下げた。
「お願いしますっ、せめてあと数ヵ月でもいいんですっ」
叫ぶように願い出るもサリー・モウセンからは戸惑うような声しか返ってこない。
頭を下げたまま何度も「お願いします」と叫んだ。いい返事がもらえるまでそうするつもりだった。
しかし、何度目かの絶叫の時、自分の肩に手が触れた。
女の柔らかな小さい手では無かった。皮が厚く大きな左手。
「リアム、やめるんだ」
低く響きのいい声でそう言われて頭を上げると団長がいた。その後ろには怯えた顔の侍女がいた。彼女が団長を呼んできたらしい。
「団長、すみません」
役に立てなかった申し訳なさと、約十日ぶりにまともに顔を見たことで涙腺が崩壊した。
ごめんなさい、好きです、ごめんなさい、好きです。
その二つの言葉がぐるぐると頭の中を巡り、口を開くと気持ちが溢れ出てしまいそうだった。
唇を噛み締めて団長を見上げると、団長は涙でぐしゃぐしゃに濡れているであろう自分の頬に手を伸ばそうとして、止めた。
その行動を誤魔化すように少し苦笑いをすると、自分の正面に向き合い、転んで泣いている小さな子にでも対するように優しく語り始めた。
「大丈夫だ、リアム」
これから団長が話すことの中で理解できたのはこの冒頭の言葉だけだった。
「お前は知らないのかもしれないが、王都と聖エルテム修道院は馬で1時間ほどの距離しかない。騎士団所有の早馬を使えばもっと早く着ける。お前は乗馬が好きだし、通えない距離じゃないだろう? それに、私にはそこそこの金があるし、この地を隣国との貿易拠点として栄えさせる予定もある。教会を買収し、修道女を一人破門にさせるくらい、なんてことは無い。神の前で結婚式は出来なくなるだろうが、なぁに、代わりに英雄マニス・シュタートンがお前たち二人の立会人になってやる。だから、泣くんじゃない、リアム」
「何をおっしゃってますの」と悲鳴のような女性の声が響く中、団長はそれが聞こえていないかのように自分だけを黒曜石の瞳で捉えている。
「私は、リアムの為だったら何でもしてやると決めたんだよ」
胸が痛くなるような笑顔にどこか狂気じみた仄暗さが混じっているように感じるのは気のせいだろうか。
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