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ちりちり ★真木
しおりを挟む医師から中に入るように声を掛けられて、室内に一歩足を踏み入れた。
そこには医師の他に看護師も一人いたが、やはりというか本人が拒否しているせいなのか家族の姿は無かった。
ルイは頭に包帯を巻かれて、点滴をしている。
横になってはおらず、ベッドを起こし背をもたれさせて座っていたが、俺の姿を認めると目を真ん丸にして背を起こした。
すぐに傍へ駆け寄りたかったけど、ルイは8年ほどの記憶が抜けている。急に大人になった俺が近付いたらパニックになるかもしれない。
入口付近から声をかけた。
「ルイ、俺、真木。……わかるか?」
「……真木、く、ん?」
「そうだよ」
俺が頷くと、不安げだったルイの顔は緩んだ。そして見開かれていた瞳も細められ、そこから涙がポロリと溢れ落ちた。
「真木君っ、真木君っ」
ルイはベッドから降りてこちらへ来ようとして看護師に止められた。俺が駆け寄って傍に行くと、座ったまま俺の腰に手を回して抱きついてきた。
そして俺の名字を嗚咽混じりに何回も呼んだ。
俺に抱きつくルイの力は強くて、ぎゅうぎゅう締め上げられて少し苦しかった。でも温かい体温が伝わってきて、ちゃんとルイが生きていることを実感して安堵した。
頭を撫でようかと思ったけど、痛々しく包帯が巻かれているから止めた。
「ルイ、頭、痛いか」
ルイは俺に抱きついたまま鼻をすすりながら首を横に振った。
「でも、すごく怖いよ。真木君」
「……うん。何が怖いか話せるか?」
丸めている背中をそっと撫でると、ルイは抱きついている腕の力を少しだけ弱めて顔を上げて俺を見つめてきた。
泣き腫らし真っ赤になった瞳で縋るように見られて、俺は胸がぎゅっと締めつけられて痛かった。
頬についた涙の跡を指で拭ってやるとルイは堰を切ったように『怖いこと』を話し始めた。
「僕、体、おっきくなってる。ヘン。声もヘン。脇もおちんちんも毛が生えてる、ちりちりの……気持ち悪い。怖い。……病院も、なんか、やだ。怖い。あと……お母さん…と、お父さんと、お祖母ちゃんも、ここに来る? 会いたくない。怖い。……真木君、怖いよ」
ルイは昔から怖がりだった。
そうでなくても目を覚ましたら病院にいて、自分の体つきが急に変わっていしまっていたら、恐怖を覚えるのは仕方の無いことだ。
しかも、こんな精神状態の時に仲の良くない家族に会わなければいけない心配もあって、混乱してる。
俺はルイの恐怖を少しでも軽くしてやりたかった。
「ルイ、体が大きくなってるのは、慣れなくて怖いよな。俺もさ、大きくなっちゃって、声も低くなって、…ヘン、だよな?」
「ううん、そんなことない。……真木君は、すごく、かっこ良くなってる」
ルイは遠慮がちにそう言ってくれた。
確かにヘンかも、みたいな返事を想定していて、俺もヘンだから気にすんな、みたいな感じで諭そうと思ってたからちょっと気まずい。
ルイ少年の美的感覚には疑問符が浮かばざるを得ないが、純粋な瞳を向けてくるルイに「んなことあるかい」とツッコミを入れることも出来ずに、不思議な空気が流れてしまった。が、気を取り直す。
「俺も毛、生えてるから。ちりちりのヤツな」
「……ほんと?」
「ああ、だから俺とお揃いなんだよ。お揃いなら怖くないだろ?」
「……お揃い」
ルイが少しだけ表情を和らげてくれたのを見て、ホッとする。
「病院も怖いよな。俺も未だに怖い。今日の夜はここに泊まるから一緒に怖がろうぜ」
「えっ、一緒に? いいの?」
「大丈夫ですよね。先生」
医師と看護師は俺たちの会話を見守っていたけど、話を向けられると大きく頷いた。
「簡易ベッドもあるし、大丈夫ですよ」
ルイは「キャー」と歓声を上げた。
大人の声で子供のように奇声を上げて喜ぶ姿はアンバランスだったけど、微笑ましくもあって俺も医師も看護師もみんな笑った。
あと、もう一つの恐怖は俺には口出しが出来ない。と言うか踏み込んでいいものか、わからない。
いくらルイが会いたくないと言ったところで、家族と関わらないでいることなんて無理だ。
入院すれば保証人だっているし、お金だってかかる。退院してからのことも家族を頼らなくてはならなくなるだろう。
だから、家族に抱える恐怖については俺は何も和らげてあげることが出来なかった。
それでもルイは俺との『お泊まり』がよほど嬉しいのか笑顔を見せてくれた。
ルイがすっかり落ち着いたのを見て医師と看護師は病室を出ていった。
暫くルイと、とりとめの無い話をしていると、看護師がやってきてもう一度、医師と話してほしいと俺に伝えてきた。
ルイを看護師に任せてさっきの診察室へ向かったのだが、そこには医師だけでなく、もう一人五十代半ばくらいの女性が椅子に座っていた。
ルイの母親。
何も聞かなくても、そうわかるほど面差しが似ている。
きっちりとしたスーツに身を包んだ、ルイの母親と思しき女性は俺を見ると席を立ち、お辞儀をし自己紹介をしてきた。
やはり女性はルイの母親だった。
どうしても抜けられない仕事があったこと、それで病院に来るのが遅れたこと、俺に世話になったことへの詫びを伝えてきた。
きっちりとした大人の対応だ。
でも、息子の症状を聞いている割りに落ち着き過ぎているように思えて、引っ掛かかりを感じてしまう。
俺はルイと10年ほどの付き合いがあるけど、ルイの口から母親のことで良い感情が語られたところ、――そもそも家族のことを語ること自体が無いに等しいが――を見たことが無かった。
そのせいで、どうしても穿った見方をしてしまう。
俺も自己紹介をして、改めて三人で話をした。
治療方針を一通り説明された後、医師から「さて、それで、どうしましょうか」と話を振られた。
俺とルイの母親両方に問いかけているようだったけど、どうする、と言われても俺は何と答えていいのかわからない。
ルイの母親の方を見ると、目が合った。
そして頭を下げられた。
「類を、お願いします」
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