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『違う』『違う』『違う』
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クローバーがこの世からいなくなっても、シュウはショック状態から抜け出すことが出来なかった。
食事はかろうじてしているが、塞ぎ込み元気が全くない。
いつも何かに怯えるように不安げで、時折思い出したように『いやだ』だとか『違う』という言葉を泣きながら私に訴えた。その度に大丈夫だと宥めているが、あまり効果はない。
あんなに行きたがっていた外の世界にも、敷地内の庭でさえ、彼は行こうとしなくなった。完全に屋敷内に引き籠ってしまったのだ。
暫くすれば落ち着く、との医師の診断は外れ、一月経っても元気になる気配がない。
医師を変えても少し強い安定剤を置いていくだけ。
どうしたらいいのか分からなくなって、悩みすぎて私も医師に安定剤を処方されそうになった。
そんな中、ヒカルはシュウととことん向き合ってくれた。日中の受験勉強の時間を減らし、気分転換をさせてくれたり、根気強く話を聞いてくれたりした。
シュウは私には言えなくても、ヒカルにだったら話せることがあったようだ。
そして、とある日、ヒカルはシュウの気持ちがやっと理解できた、と私の元にやってきた。加えて、助けてあげられる方法も分かったかもしれない、と。
シュウの心の奥底にあるものがヒカルには分かったのだと言う。
早く答えを知りたい私に対してヒカルは、一瞬だけ言葉を詰まらせた。
「……シュウを救うのは、そんなに難しいことなの?なんでも協力するから言って、ヒカル。」
藁にでも縋る思いだった。
「……協力、つーより、アンタじゃなきゃ出来ねぇ気がする。」
「何でもするわ!」
それがどんなに人道に反したものでも、シュウの笑顔を取り戻す為なら、私はやる。
ヒカルは私が即答したことで、ホッとしたような、それでいて少しだけ困ったような顔をして『アンタはそう言うだろうな』と小さく呟いた。
それから少しの沈黙の後、ヒカルは口を開いた。
「まず、助ける方法よりも先に、シュウの気持ちを説明させてくんねぇか。アンタにちゃんと理解してもらいてぇんだ。」
ヒカルは、シュウが時折言う『違う』という言葉に少し引っ掛かりを感じていたのだという。
私はシュウが『違う』と繰り返すのは、悪い夢として無かったことにしたいのに、それがなかなか出来なくて苦しんでいる為だと思っていた。しかし違っていたようだ。
「シュウは違うという言葉を自分に言い聞かせてたんだ。アンタに何度分かっていると言わても、クローバーにされた行為を100%否定することが、シュウには出来てねぇんだ。」
「それって、忘れたいのに忘れられない、ということではないの?」
私が思っていることと同じことのように思ったが、ヒカルは首を振った。
「シュウは、過去のことを、本当は自分が望んでしたことなんじゃねぇかと思ってる。それを否定したいんだ。」
シュウが、望んでしたこと……?
「そんな訳ないわ。だってその行為はとても苦しいものだったのでしょう?」
「……間違いなくシュウは辛ぇ思いをした。……でも、俺も分かるんだけど、性的な虐待や暴力を受け続けると、感覚が麻痺してくんだ。そうしているうちによ、精神を守る為の防衛本能だと思うんだけど、無意識に脳が僅かな快感を拾い上げちまうんだ。痛みや嫌悪感はもちろんあんだけど、逃げ道を探す、つーか、まぁ、現実逃避だよな、それをしちまう。シュウは僅かな快感に縋って、辛い行為を乗り切ってきたんだ。そのことをここに来てから無意識に封印してたんだろうな、シュウは。でもクローバーに会ったことで思い出しちまった。それで過去の自分に嫌悪感を感じて、『あれは違う、楽しんでなんていない』って否定したくて、でも出来なくて苦しんでる。」
――僅かな快感に縋る。
そうだったとしても、それはシュウのせいなんかじゃないのに。
私は、違うを繰り返すシュウに『大丈夫、わかってる』と繰り返した。でも何も分かっていなかったのだ。
しかし今は、打ちひしがれている場合ではない。
「……シュウの気持ちは分かったわ。それで、どうやったらシュウを助けられるか、私に何が出来るのかを教えて。」
私が縋る思いでヒカルを見ると、彼は何かを言いかけたが、口を引き結んでしまった。
『助ける方法』とは、そんなに言いづらいことなのだろうか。
暫し見つめ合う形になり、焦れた私がもう一度『お願い、教えて』と言うと、ヒカルは何かを決意するように口を開いた。
「……シュウは、正しいセックスを知るべきだと、俺は思う。」
正しい、セックスを知る…?
予想していたようなこと、――例えば環境を変えて療養させるとか、――とは全然違うことを言われて混乱する。
理解が追い付かずに私は何も言えないでいたが、ヒカルは話を続けた。
「俺も、以前はシュウと同じようなことを思ってたんだ。甚振られて酷い目に遇ってもしょうがない、自分だって少しは性的な快感を得て、楽しんでんだからって。でも、違うんだってことが、分かった。……アンタに、抱いてもらってから。……本当のセックスつーのは、泣きたくなるくらい気持ち良くて、幸せなもんなんだって分かった。俺がそれまでしてたのはセックスなんかじゃねぇただの暴力で、自分は被虐趣味でも何でもねぇんだって、理解できて心の底からホッとした。俺はアンタに助けられたんだ。……それって言葉でいくら説明されても、分かんねぇことなんだよ。だから……。」
ヒカルは言葉に詰まったが、言いたいことは分かった。
シュウにも『気持ちよくて幸せなセックス』をさせるべきだ。
――私が。
「……分かったわ。」
同じ悩みを抱えていたヒカルが言うのだから、これが今のところ考えられる一番の方法で、それを体験させてあげられる一番の適任者は、間違いなく、私だ。
セックスをするには、シュウは精神的にもまだ少し早いかもしれない。しかし、一刻も早く呪縛を解いてやらなくては、シュウが歪んだ性癖を抱えてしまうかもしれない。
様々な気持ちは置いておくことにし、事実だけを頭の中で整理し、私は心を決めたのだった。
食事はかろうじてしているが、塞ぎ込み元気が全くない。
いつも何かに怯えるように不安げで、時折思い出したように『いやだ』だとか『違う』という言葉を泣きながら私に訴えた。その度に大丈夫だと宥めているが、あまり効果はない。
あんなに行きたがっていた外の世界にも、敷地内の庭でさえ、彼は行こうとしなくなった。完全に屋敷内に引き籠ってしまったのだ。
暫くすれば落ち着く、との医師の診断は外れ、一月経っても元気になる気配がない。
医師を変えても少し強い安定剤を置いていくだけ。
どうしたらいいのか分からなくなって、悩みすぎて私も医師に安定剤を処方されそうになった。
そんな中、ヒカルはシュウととことん向き合ってくれた。日中の受験勉強の時間を減らし、気分転換をさせてくれたり、根気強く話を聞いてくれたりした。
シュウは私には言えなくても、ヒカルにだったら話せることがあったようだ。
そして、とある日、ヒカルはシュウの気持ちがやっと理解できた、と私の元にやってきた。加えて、助けてあげられる方法も分かったかもしれない、と。
シュウの心の奥底にあるものがヒカルには分かったのだと言う。
早く答えを知りたい私に対してヒカルは、一瞬だけ言葉を詰まらせた。
「……シュウを救うのは、そんなに難しいことなの?なんでも協力するから言って、ヒカル。」
藁にでも縋る思いだった。
「……協力、つーより、アンタじゃなきゃ出来ねぇ気がする。」
「何でもするわ!」
それがどんなに人道に反したものでも、シュウの笑顔を取り戻す為なら、私はやる。
ヒカルは私が即答したことで、ホッとしたような、それでいて少しだけ困ったような顔をして『アンタはそう言うだろうな』と小さく呟いた。
それから少しの沈黙の後、ヒカルは口を開いた。
「まず、助ける方法よりも先に、シュウの気持ちを説明させてくんねぇか。アンタにちゃんと理解してもらいてぇんだ。」
ヒカルは、シュウが時折言う『違う』という言葉に少し引っ掛かりを感じていたのだという。
私はシュウが『違う』と繰り返すのは、悪い夢として無かったことにしたいのに、それがなかなか出来なくて苦しんでいる為だと思っていた。しかし違っていたようだ。
「シュウは違うという言葉を自分に言い聞かせてたんだ。アンタに何度分かっていると言わても、クローバーにされた行為を100%否定することが、シュウには出来てねぇんだ。」
「それって、忘れたいのに忘れられない、ということではないの?」
私が思っていることと同じことのように思ったが、ヒカルは首を振った。
「シュウは、過去のことを、本当は自分が望んでしたことなんじゃねぇかと思ってる。それを否定したいんだ。」
シュウが、望んでしたこと……?
「そんな訳ないわ。だってその行為はとても苦しいものだったのでしょう?」
「……間違いなくシュウは辛ぇ思いをした。……でも、俺も分かるんだけど、性的な虐待や暴力を受け続けると、感覚が麻痺してくんだ。そうしているうちによ、精神を守る為の防衛本能だと思うんだけど、無意識に脳が僅かな快感を拾い上げちまうんだ。痛みや嫌悪感はもちろんあんだけど、逃げ道を探す、つーか、まぁ、現実逃避だよな、それをしちまう。シュウは僅かな快感に縋って、辛い行為を乗り切ってきたんだ。そのことをここに来てから無意識に封印してたんだろうな、シュウは。でもクローバーに会ったことで思い出しちまった。それで過去の自分に嫌悪感を感じて、『あれは違う、楽しんでなんていない』って否定したくて、でも出来なくて苦しんでる。」
――僅かな快感に縋る。
そうだったとしても、それはシュウのせいなんかじゃないのに。
私は、違うを繰り返すシュウに『大丈夫、わかってる』と繰り返した。でも何も分かっていなかったのだ。
しかし今は、打ちひしがれている場合ではない。
「……シュウの気持ちは分かったわ。それで、どうやったらシュウを助けられるか、私に何が出来るのかを教えて。」
私が縋る思いでヒカルを見ると、彼は何かを言いかけたが、口を引き結んでしまった。
『助ける方法』とは、そんなに言いづらいことなのだろうか。
暫し見つめ合う形になり、焦れた私がもう一度『お願い、教えて』と言うと、ヒカルは何かを決意するように口を開いた。
「……シュウは、正しいセックスを知るべきだと、俺は思う。」
正しい、セックスを知る…?
予想していたようなこと、――例えば環境を変えて療養させるとか、――とは全然違うことを言われて混乱する。
理解が追い付かずに私は何も言えないでいたが、ヒカルは話を続けた。
「俺も、以前はシュウと同じようなことを思ってたんだ。甚振られて酷い目に遇ってもしょうがない、自分だって少しは性的な快感を得て、楽しんでんだからって。でも、違うんだってことが、分かった。……アンタに、抱いてもらってから。……本当のセックスつーのは、泣きたくなるくらい気持ち良くて、幸せなもんなんだって分かった。俺がそれまでしてたのはセックスなんかじゃねぇただの暴力で、自分は被虐趣味でも何でもねぇんだって、理解できて心の底からホッとした。俺はアンタに助けられたんだ。……それって言葉でいくら説明されても、分かんねぇことなんだよ。だから……。」
ヒカルは言葉に詰まったが、言いたいことは分かった。
シュウにも『気持ちよくて幸せなセックス』をさせるべきだ。
――私が。
「……分かったわ。」
同じ悩みを抱えていたヒカルが言うのだから、これが今のところ考えられる一番の方法で、それを体験させてあげられる一番の適任者は、間違いなく、私だ。
セックスをするには、シュウは精神的にもまだ少し早いかもしれない。しかし、一刻も早く呪縛を解いてやらなくては、シュウが歪んだ性癖を抱えてしまうかもしれない。
様々な気持ちは置いておくことにし、事実だけを頭の中で整理し、私は心を決めたのだった。
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