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羨望 ※エンリ視点

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いつもの時間に社長宅に赴くと、社長はまだ起床していないとオスの若者ヒカルに言われた。重要な用件は無いので、書類を渡してもらうように頼み、社に戻ることにした。

社長が寝過ごすなど珍しいが、昨晩はクローバーへの制裁を科す日だということを前もって教えられていた。帰りが遅かったのだろう。警備員から無事帰宅したことは確認済みなので心配はない。ただ一点、完遂できたのか、ということを確認したいが、去勢剤の件は若きオスには黙っているように言われているので、様子を聞くことはできない。

「何か言付けはありますか?」

書類を渡す際にそう訊ねられ、無いと返事をしたがあることに気付き、動きが止まってしまった。
目の前のオスの首元には、薔薇の花びらを思わせる痣が出来ている。それはつけて間もない状態のキスマーク、であった。

書類を渡す手が止まってしまった私を、若きオスは不思議そうに見ていたが、視線の先が自分の首元にあるのに気がつくと、暫し何かに思考を巡らせた後、真っ赤になりそこを手で覆い隠した。
そして、これは違うんですと慌てた様子で否定するが、その姿こそが何かがあったということを肯定しているに他ならない。

このオスは社長ボスから情けを頂いたのだ。

いつの間にそんな関係に?
そんな気配は今までになかったことを考えれば、昨晩が初めてか。クローバーに制裁を科し、動揺したか、もしくは気持ちが昂り、このオスと関係を持ったのだろうか。

しかし、それを何故隠す必要があるのか。
自分は、ミツコ・マイカトールと枕を共にしたのだと見せびらかせばいいではないか。

公の場にはほとんど姿を表さないミステリアスな孤高の実業家。その姿を見たものは、まだうら若き麗人が本当に大企業を束ねる人物なのかと驚く。
くすみのない長さのある金髪はほどよくカールし、小さく整った顔を縁取っている。腰は折れそうに細く胸は熟れた果実のようにたわわで、丸く上がった尻は情欲をそそられる。

そんな権力も美貌も兼ね備えた人間に自分は選ばれたのだと、感動に打ち震えていればいいものを。それがたとえ一夜限りのものだとしても。

羨望のあまり何も言葉を発せずにいると、オスの若者は首筋を押さえたまま視線を伏せた。

「……大丈夫です。私は、ちゃんとわきまえています。」

――弁える?
このオスは何を弁えると言うのか。
社長の性愛の対象はオスのみで、その権利を得ているのは自分だけなのに。
社長は昔からオスシュゼ様を羨み傷付けた人間に容赦がなかった。仕事が出来、付き合いも長い身内であったとしてもバッサリと切り捨てた。
そうはなりたくなくて、常にお側にいたくて、私こそがここまできたのに。
内心の苛立ちを知らないオスは、私に"年老いたオス"のことを教えてほしいと言ってきた。

「シュゼさんは、どうして死の間際、ミツコに他のオスを救うように言ったのでしょうか。」

何故このようなことを聞いてくるのか予想はつく。
このオスは身体を欲される悦びを知り、昔の恋人と自分を重ね、愛する人を残して死にゆかねばならない気持ちを想像したのだ。そして考え方の違いに愕然としたのだ。
かつての私がそうだったように。……尤も私は情けを頂けた訳ではないが。

「……確かに、私のようなオスを愛して、救ってやってくれ、とシュゼ様は最期に仰いました。それは恋人の死によって社長が自暴自棄になり、自死をしてしまわないように、目標をくださったのだと思います。」

「……凄い、ですよね。俺、…私には理解出来ないんです。なぜ、自分のいない世界で愛しい人が、誰かに心を砕くのを良しとできるのか。」
「……。」

私だったなら、一緒に連れていくだろう。
しかし老いたオスはそうしなかった。相手社長がそれを心の底では望んでいたに関わらず。いや、望んでいたのを知っていたからこそ、生きる糧を授けた。
私はその時、初めて老いたオスの愛の深さを知った。それまでは、社長と暮らすオスのことを、快く思っていなかった。もちろんそれを顔や行動に出したりはしなかったが、心の底では、なんの能力もない老いぼれのオスのくせに社長の寵を一身に受け、守られているなど図々しい、と思っていた。けれど老いたオスは守られていただけではなかった。二人は互いになくてはならない存在だった。老いたオスは社長の心の支えでもあったのだ。恋人としてはもちろん、時には親のように、必要ならば庇護を受けなければならない子のように、愛情を与えていた。それは社長がミツコ・マイカトールとして生きる為に必要なものだった。

決して好意的に思っていたわけではないのに、死の間際に立ち会い、年老いたオスの深い愛を知り、私は涙した。
最期に生きる目標を与えただけでなく『愛している』という言葉を残さず、縛ることをしなかった潔さに。
オスだから選ばれたのではない。"シュゼ様"だから社長の一番傍にいることを許されていたのだ。

この若きオスもそういった存在になっていくのだろうか。

一月ほど前、私が社長にクローバーの経済状態と、子どものオスに対する所業を報告をする時、若きオスがその場に同席した。私はそれを妨げたかったが、社長は許した。
オスの子ども対するあまりに酷い仕打ちを報告すれば、社長は取り乱し涙を流すだろう。それを見せたくなかった。それに、若きオスが怒り悲しめば更に社長の感情は掻き乱される。社長の為にも同席してほしくはなかったのだ。
しかし、若きオスは報告書の内容を聞いても一切動じなかった。予想の範囲内のことだったのだろうか、事実を知っても一瞬瞳を伏せただけだった。そればかりか、若きオスは心を乱した社長に手を差し伸べ宥めた。それによって社長は最善の判断をすることが出来た。
あの時、私だけでは殺人を思い止ませることは出来なかっただろう。
若きオスとの間に信頼関係がなければそうはいかなかっただろう。二人の距離は確実に近付いているのだと感じた。

それなのに本人は、自分がそう恋人になることを恐れ多いことだと『弁えて』しまっている。私から見ればなんと勿体ないことをとは思うが、自信のない人間ではミツコ・マイカトールと共に歩んで行くことは出来ないのだから仕方がない。

そもそも三倍も人生を生きてきたシュゼ様と、まだ若いこのオスでは考え方が違うのも当たり前で比べても仕方がない。しかし、それをアドバイスとして言ってやれるほどには、私は人間が出来ていない。


この世にはメスしか愛せない気の毒な人間がいるのだという。だからオスしか愛せない人間がいたって理屈上はおかしくない。そう割り切り、社長に対する想いを尊敬や崇拝に書き換えた。信頼の置ける一番の部下であることに励んできた。それに不満はないしやり甲斐もある。

それでも、たまに神を呪ってしまう。何故『わたくしのボス』がよりによって異性愛者ヘテロなのかと。
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