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自信
しおりを挟む「本当に、すみませんでした。」
お隣さんが、僕と会うのに指定してきた場所は、自宅だった。
その部屋は以前、透視していた時と物の配置が全く変わっていなかった。
この部屋にいる青山さんを見る度に、胸が苦しくなっていたことを思い出す。
「もういいって。」
青山さんはそう言って笑い、僕と自分の前にそれぞれコーヒーの入ったカップを置いた。
青山さんは、あっけなく僕を許した。
しかも、あの日のことを僕に謝ってくれた。『あの時、爽子ちゃんの部屋に居たんだよね。なんかごめんね』と。
僕は、この人が憎くて抹殺しようとしたのに、そのことを言っても、大したこと無さそうに笑って許してくれた。
自分なら、そんなに簡単に許せるだろうか。
僕は以前、中身ならこの人に勝てるのではないかと思っていた。爽子さんを泣かせるサイテーな人間で、性欲に囚われていて軽薄。
でも、それが酷い勘違いだったことに気がついてしまった。
「せめて、何か願いを叶えさせてもらえませんか。」
僕の気が済まないから、せめて何か願いを叶えたい。
「いいよ。願いなんて叶えて貰っても、見返りなんて払えないよ。」
「契約じゃないんで、代償なんていらない、です。」
「んー、ホント?じゃあちょっと考える。」
そう言って青山さんはコーヒーカップに口を付けた。
暫く沈黙が続いて、僕は気になっていたこと、――知らなければいいことを耐えられずに聞いてしまった。
「あのっ、……ディルに、契約の代償で、何を渡したんですか?」
「あー、俺が持ってた、唯一キレイなものだったらしいよ。今じゃ、ホントにそんなものあったのか分かんないけど。」
僕がじっと青山さんを見つめていると、何かを誤魔化すように苦笑いをして、またコーヒーを口に含んだ。
「ま、いらないもんだったから。それより、叶えたい願いって何でもいいんだよね?」
この話は終わり、とばかりにそう言って、青山さんは願い事を語りだした。
その願いは、僕にはハードルの高いものだった。
けれど誰かを傷付けるわけでもなく、地位や名声といった類いのものでもなかった。
ある意味、欲にはまみれていたけれど。
青山さんの指示は細かくて大変だったけど、僕の頭の中は違うことで占められていた。
青山さんは、爽子さんのことが好きだったのだろう。
ディルが持って行ったのは、きっと、その"想い"だ。
僕の欠片を取り去った後も、青山さんは切ない顔をして爽子さんを見ていた。
拓夫さんの家から帰る車の中でも、僕と爽子さんを繋ぐ手錠を悲しげな瞳で見つめていた。
ディルは青山さんと欠片が『融合』しかけていたと言っていた。
僕の欠片は『乗っ取る』つもりでいたはずなのに。
融合しかけていたのは、欠片の想いと、青山さんの爽子さんを想う気持ちが、共鳴したからではないのだろうか。
――もしも僕があそこに封印されていなければ、あの部屋はいわく付き物件などではなく、誰か違う人が住んでいただろう。
そうすれば、爽子さんはストーカーなのがバレることもなく、普通に出会い、二人は今頃恋人同士、だったのかもしれない。
そんな想像をして胸がズキズキと痛んだ。
**********
僕は、青山さんの部屋から出てすぐ、ディルの暮らす高級マンション――契約の代償で手にいれたらしい――に転移した。
人間用の鍵の他に、ディルは『人外用の鍵』もしていたが、僕はそこを無理にこじ開けた。
複雑な術がかかっていたけど、爽子さんの部屋に施してきたものに比べれば子供騙しのようなものだった。
「……あんたねぇ、玄関から入ってきなさいよ、びっくりするじゃない。ったく、ロックも壊しちゃって、また術をかけ直さなきゃなんないじゃない。」
「ディル、青山さんから何を代償で貰ったの。」
「はぁ?藪から棒になんなのよ。」
ディルはいつもの調子で言い返してきたけれど、青山さんの名前を出した時、一瞬だけ眉が動いたのを僕は見逃さなかった。
「爽子さんへの恋する気持ちを、奪ったの。」
「……取り敢えず座れば?」
ソファーに座ることを勧められた。
長居するつもりはなかったけど、座らなければ話を続ける気がないようだったので、しっかりとした固さのあるソファーに腰を下ろした。
「……そうよ。アオヤマからもらったのは、お嬢ちゃんに対する恋心よ。……あれはものすごく美しかったわ。多分初恋ね。」
ディルは瞳を細め、うっとりとした顔をした。
『誰かを想う気持ち』は、取り出すとすぐに消えてしまう。消えるまでの一瞬の間に見せる情景が美しいのだと、昔、ディルは言っていた。
例えようがないが、無理に例えるなら、花火みたいなものだ、と。
その情景を思い出しているのだろう。
僕は、なんて言って欲しかったのか。
嘘を吐かないディルに八つ当たりをしてしまいそうだった。
爽子さんは、自分が魔女になったと自覚した時、涙を流した。
後悔したのかもしれない。
普通に結婚して子どもを産んで、幸せな家庭を持つ将来を捨てたことに。
爽子さんが払った代償は大きすぎる。
色々なものを捨てさせた僕は、何を返せるんだろう。
青山さんは本気で爽子さんを好きだった。
だから、僕よりも爽子さんを幸せに出来たんじゃないのか。
そんなこと考えたくないのに、ネガティブなことばかりが頭に浮かんでくる。
情けない顔をしている僕に気が付き、ディルは呆れたように溜め息を吐いた。
「どうしてショックを受けてるの。じゃあ、お嬢ちゃんの方から、代償を貰えば良かったのかしら?そしたら、あんたはお嬢ちゃんを忘れたままで、こんなとこで暗い顔をして悩むこともなかったでしょうね。」
ディルの言葉に、グサリと胸を刺された。
爽子さんが、僕を好きになってくれたことは、記憶を思い出した今となっては奇跡みたいなことだって思える。
その想いがもしもディルによって奪われていたら――
再会した後、爽子さんは僕に沢山の『好き』を伝えてくれた。言葉だったり態度だったり、触れたときの温度だったり。
それが、全部無かったことになる。
「っ、絶対に、いや、だ。」
絞り出すように、そう言うとディルは少しだけ眉を下げ、優しく諭すような口調で話し始めた。
「アザリシェルム、あんたはまだまだ子どもね。そうやって不安になるのは、自分に自信がないからよ。」
「自信なんて、ない。」
あれば、真っ直ぐ爽子さんの所に帰ってる。
「でも、それだとお嬢ちゃんが可哀想だわ。」
僕が何も言えずに俯くと、ディルはソファーの隣に移動してきて、顔を覗き込んできた。
「じゃあ、どうするつもり?幸せに出来る自信がないから、手放す?それならアタシが貰ってあげましょうか?お嬢ちゃんにだったら、血ぐらい毎日飲ませてあげられるもの。案外いい考えかもしれないわ。きっと、毎日楽しくなるわね。」
ディルは顎に指を添え口元にほんのり笑みを浮かべて、何かを想像している。
おそらく、爽子さんと一緒に暮らす想像。
――爽子さんが、ディルから魔力をもらう姿が頭に浮かぶ。
僕からそうしたように、うっとりとした顔で、甘いアルコール度数の高いお酒を飲むように、ディルの唾液を啜る。そして、足りない、もっと頂戴と唇を噛み、血と舌を絡ませ深いキスをする。
そんなの、絶対に、嫌だ。
爽子さんに、僕以外の魔力を受け入れてほしくない。
想像するだけで、身が焼かれてしまいそうだ。
そんなことになったら僕は狂う。
「ディル、そんなこと、冗談でも言うの、やめ、て。」
湧き上がる黒い感情をなんとか押し込めると、ギリリと奥歯が鳴った。
「あんた、なんて顔してんのよ。アタシはまだ死にたくないわよ?……もう、そんな顔するくらいだったら、今すぐ家に帰んなさいよ。あんたが、ちょっとしたことで不安になってグズグズ悩んだって、お嬢ちゃんはもうあんたの魔女なんだからね。今もきっと首を長くして、あんたのことを待っていてくれているはずよ。」
ディルは、猫のような目で僕を睨んだ。
ディルは魔力で、僕には敵わない。
それなのに、わざと僕の――悪魔の、忌諱に触れるような言い方をした。
僕を奮い立たせる為に。
「うん。そうだ。ディルの言う通りだよね。爽子さんは僕の、僕だけの魔女なんだ。」
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「……えっと、さっき、弟、って聞こえたような。違うよね、聞き間違いしたみたい。」
「ん?聞き間違いじゃないわよ。あんた知らなかったの?アタシ、アザリシェルムの、お兄さん、なのよ。」
「え、えええーー!?」
――全然、知らなかった。
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