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番外・陰陽の恋
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※お話の中にBL同人誌が出てくるので、そういったシチュエーションが苦手な方はご注意願います。
僕たちが大学生でいられるのはあと二週間。
今日の春日部は機嫌が悪いようだ。
「すげぇ頭にきた」
帰ってきて早々、ただいまより先にそう言われた。
靴も脱がずにいたから「取り敢えず座ろ?」と腕を引っ張ってリビングまでつれてきた。ソファーに座らせて僕も隣に座る。
春日部は腕を組んで、トントンとせわしなく指を動かしてる。動いてる左手の人差し指の二本隣には僕とお揃いの指輪。ついこの間の指輪交換の儀式を思い出してニヤニヤしそうになる。
でもイライラしてる春日部の横でそんな顔をしたら「何笑ってんだよ」とデコピンを食らいそうだから我慢した。
春日部は直情的な方だから怒ることは珍しくない。
怒りは大抵すぐに収まるし短時間でケロリと忘れる。きっと今回もそんな感じだろう。
落ちついて、という意味で春日部の肩に手を置くと、少しだけ眉間に刻まれてたシワが薄くなった。
「で、何があったの?」
春日部はバッグから本を出して僕に渡してきた。
本、といってもページ数が少なく冊子よりは厚い程度の薄い本だった。
表紙には黒髪の男と茶髪の男が意味ありげに見つめあっている絵が描かれている。
タイトルは『陰陽(いんよう)の恋』
これは女性が好むタイプの本、――所謂、同人誌だろう。
春日部はどこでこれを手に入れたのか。
今日はゼミ生の集まりと言ってたからそこで誰かに渡されたのか。
「読んでみろよ」
やっと口を開いた春日部は、フンと鼻を鳴らして長い足を組みながら僕の方へと体を向けた。
どうやら春日部はこの本が気に入らなくて怒っているらしい。
◆◆
俺の名前は春部 京一。大学生。
俺は大学では知らない奴がいないほどの有名人だ。何で有名かって言うと『ヤリチン』でだ。
容姿に恵まれてるから女にやたらとモテて、昔から入れ食い状態だった。それは大学生になっても変わらなくて女を取っ替え引っ替えしてた。特定の彼女はいない。そんな『ヤリチン』の俺と本気で恋人になりたい奴もいないだろうし、そもそも欲しいとも思ってねぇ。
街を歩けばうるさいくらいにモデルにスカウトされるほどのイケメンの俺は相手に困ることも無くて何も不便は無い。
かなり爛れた生活を送っている自覚はあるけど、やべぇくらい性欲が強くて、性欲の赴くままに女と寝てた。
そんな俺にある日声をかけてきた男がいた。
女絡みで俺にイチャモンをつけてくる野郎は沢山いたからその手の類いかと初めは思った。
そいつは俺と一緒でかなりのイケメン。系統は違うけど中性的で顔がかなり整ってる綺麗系。どこか儚げな感じの。
こんな奴でも一人の女に固執すんのか、って思って話を聞いてみると女絡みじゃなかった。
どうやら俺自身のことで気になることかあるらしい。
町門 晴朝とその男は名乗った。
町門は、何もかも見透かすような真っ黒な瞳で俺を見ると奇妙なことを言った。
――君は淫魔に取り憑かれてるね。
こいつはやべぇヤツだ、
俺は壺や数珠の類いは間に合っていると返事をして、適当に話を終えた。
けど、背を向けて歩き出した時、投げ掛けられた言葉にドキリとしちまった。
――このまま性欲に流され続ければ、君は自我を失くして淫魔に体を乗っ取られるだろうね。
俺には身に覚えがあった。
乗っ取られる、って言われてあの感覚は正にそういうことかもしれねぇ、って。
最近、俺は女と寝てる時、変な感覚に襲われることが多々あった。
意識が所々飛んでる。あれ?俺いつの間に出したんだ?って思うときもある。
セックスが気持ち良すぎてトんだってワケじゃなく、心が体から離れてくような感じ。何かに押し出されて弾かれて、少し離れた位置から自分をぼんやり見てるような、やべぇ感覚。
あれって、もしかして乗っ取られかけてんのか…?
不安になったけど『淫魔』なんつー突拍子もねぇ町門の話を鵜呑みに出来るワケも無かったから、町門に返事もしないでその場から去った。
でも、体から心が抜けてくような奇妙な感覚はどんどん強くなってって、さすがにやべぇだろって思った。で、俺は町門に自分から連絡を取ることにした。
町門は別学部の人間だったが、探せばすぐに見つかった。中性的なイケメンってヒントだけで『儚げな美人男子こと・町門 晴朝』にたどり着いた。
話がしたいと言った俺に町門はこくりと頷いて、立ち話では済まないだろうから、と、大学から少し離れた場所にある古めかしい感じの喫茶店に連れていかれた。
そこはカフェ、ではなく正に純喫茶といった趣の場所で口髭を生やした寡黙そうな店主が一人いるだけだった。
店主はいらっしゃい、の代わりに町門と目を会わせ「ん」と頷いただけだった。
他に客はいない。
町門と向かい合って座って、少しするとコーヒーが運ばれてきた。
何と言って話を進めればいいか少し迷う。
自分の『症状』が思わしくないのは分かってる。けど、淫魔なんてファンタジー小説に出てくるような代物を信じられるわけがない。
でも、どこか浮世離れした雰囲気の町門にじっと見つめられて、男にしちゃ赤くて少し厚みのある蠱惑的な唇から言葉を紡がれると、そういった世界もあるのかもしれないと、ふと思ってしまう。
「君のことは春部って呼んでいい?」
俺は頷いた。
町門の方から話を振ってくれて助かった。
「じゃあ、そう呼ばせてもらうね。前にも春部に言ったけど僕には人ならざるものが見えるんだ。そして祓える。僕は陰陽師なんだ」
「……陰陽師」
「聞いたこと、ない?」
「映画とか小説でならあっけど、悪霊祓いみたいなことするやつだよな」
「うん、まぁ、そんな感じ。普段は依頼されて祈祷してるんだけど、たまたま目の前に淫魔なんて古めかしいものにがっつり取り憑かれてた人間が現れたから、物珍しさでつい声をかけちゃったんだ」
「そうか。それでアンタが祈祷だかお祓いだかをしてくれたら淫魔とやらは俺の体からいなくなるんだよな?」
「うーん、それがね、そんな簡単にはいかないかもしれない。今見た感じだと前より淫魔が春部の中に浸透してて――」
祓うには淫魔を弱らせてねぇとダメらしい。
弱らせる為には高額な壺でも買わなきゃなんねぇのか、って警戒したけど町門は俺に一ヶ月の禁欲生活を命じた。
淫魔のエネルギー源は人間の出す性的な快感物質。
それを遮断して飢餓状態になって俺の中から逃げ出そうとしたところを捕まえてお祓いをするらしい。
どのタイミングで淫魔が逃げ出すかわかんねぇから、俺は町門が独り暮らししてるマンションで一緒に住むことになった。
お祓い代金の代わりで、俺は町門の家の家事の一切を任された。
こうして他人同然の二人の奇妙な同居生活は始まった。
◆◆
数ページ読んだだけで既視感のある名前と顔の特徴を捉えた絵柄にピンときて、モデルが僕たちだってわかった。
これは大学関係者が描いたものなんだろう。
お揃いの指輪を僕たちが左手の薬指につけてることが大学では噂になってるから。
「あははー、これって同人誌だよね。僕たちがモデルなんてすごいね」
「あははー、じゃねぇんだよ。笑ってないで全部読め」
「あ、うん。でも、これ面白いかも。絵も綺麗で丁寧だし全ページカラーだし多分すごく人の手とお金がかかってるんじゃない?」
「チッ」
春日部の舌打ちに促されて続きを読んだ。
◆◆
一ヶ月の禁欲なんて大したことねぇだろって思ってた。そんなもんで淫魔がもたらしてるらしい奇妙な感覚から抜け出せんだから楽勝じゃん、って。
でも考えてみれば俺は一ヶ月も女を抱いてないことなんか過去にない。さすがに溜まりすぎてキツくなってきた。自分で抜くのも禁止にされてっから頭がおかしくなりそうだった。
近くにいる町門に手を出しちまおうか、なんて考えたことは一度や二度じゃねぇ。
身の危険を察したのか察してねぇのかわかんねぇけど、町門は俺をスポーツに誘って一緒に汗を流したり、レジャー施設に遊びに行ったりと気を紛らわせることに協力してくれた。
そうやって、一ヶ月、俺は禁欲生活を続けることができた。
その頃には町門との生活にも慣れて友人と呼べるような関係になってた。
町門とは淫魔が出ていったら一緒に住む理由がなくなる。それが少し寂しく感じるくらい、町門は俺にとって大事な存在になってた。
そんな気持ちでいたせいなのか、淫魔祓いは思ったようには進まなかった。
禁欲一ヶ月を過ぎても淫魔は俺の体から逃げ出す気配がなかった。
淫魔は俺の体をいたく気に入ってるらしい。
今までに俺が生成した快感物質とやらの質が良過ぎて、中毒状態みたいになってて飢餓状態に陥っても必死に俺の体にしがみついてるようだ。
俺の体の中に淫魔がいる状態じゃ浄化させることはできない。
浄化どころか、このまま欲を溜めた俺が夢精でもしようものなら淫魔は快感物質を得て元気を取り戻してしまう。
そうなれば俺は乗っ取られて自我を失う。
青ざめた俺に町門は一つだけ方法がある、と言った。
逃げ出した淫魔を捕まえて浄化するのではなく、町門の体に淫魔を移し替えそのまま浄化する。
そうすれば体内で淫魔は徐々に弱体化し消滅するらしい。
そんなことして町門の体に負担がかかんじゃねぇかと心配になった。でも町門は「それは大丈夫だから」と淀みなく言って、俺は安心した。
ただ、町門の体に淫魔を移す方法に倫理的な問題があるらしい。
淫魔を町門に移すには俺と体を繋げた状態じゃなきゃ出来ない。
つまりセックス。
俺が精を放つ瞬間、飢餓状態で久々の餌に油断した淫魔を町門が霊力を使い吸い上げる。
町門は俺を救う為に、方法を示してくれた。健康上の問題は無いとは言え、町門は男とセックスしなきゃなんねぇ。
それでも「僕は大丈夫だから」そう言って白い肌を桃色に染め、潤んだ瞳を町門は向けてきた。
正直、すげぇムラムラした。
「あ、言い忘れたけど、もちろん春部が掘られる方だからね?」
「え、あ……はい」
◆◆
『春部』が『町門』にガンガンに攻められて顔を真っ赤にして喘いでる。ハートマークをいっぱい飛ばしながら。
確かに表紙には18禁のマークがあった。
チンポは描かれてないしエロ本ってほど露骨じゃないけど。
これで春日部は怒っていたのだろうか。
確かに絵とは言え、ちょっとこれは恥ずかしいかもしれない。
描いてるのが女の人、多分大学関係者だと思うと特に。
本を閉じようとすると、春日部が次のページを捲った。
「これ見ろよ。マジで信じらんねーよ。クソッ」
◆◆
僕は町門晴朝。大学生、陰陽師。
大学一のヤリチン野郎に叶わぬ恋をして、嘘を吐いて、体を合わせた。
その罰として、淫魔は徐々に僕の体を蝕んでいくだろう。
――さよなら、春部。
◆◆
この本の最後のシーンは二人が大学ですれ違う場面だった。
『春部』は女の子の肩を抱いていて『町門』は少し俯き加減にその前を通っている。
目も合わず、まるで二人は他人のようにすれ違い、そしてfin
「……このシーンってさ、時間的にいつのものなんだろ。町門が春部とセックスした前? 後? 前だったら切ない片想いシーンの回想ということになるけど、後だったら、町門は霊力で自分に対する記憶を春部から消したのかも、って疑問が出るね。余韻が残るような終わり方だよね」
あともう一つこの話では明らかにされてないことがある。
『町門』が吐いた嘘とは、何か。
体に害がないと言ったことなのか、それとも『春部』との初めての会話、――淫魔に取り憑かれている――のことなのか。
『春部』と接点を持ちたいが為に『町門』は淫魔を取り憑かせたのではないか。
多分前者が真実だろう。でも『町門』が僕ならば、後者である確率は半々になる。
「ハァ? んなこと、どーでもいい! 町屋はこれ見て腹立たねぇのかよ」
「え……まぁ、ちょっと恥ずかしい気はするけど本名使われたワケじゃないし、写真を使われたわけでもないから僕はそこまで、かな…」
「あぁ? そんなん全っ然、カンケーねぇから」
「えー?」
「これ、ちゃんと見たか? バッドエンドだぞ? なんで俺と町屋をモデルに使ったくせに引き裂いてんだよ! すげぇ頭にくる。町門もだけど、春部だって可哀想過ぎんだろ!」
「そう言われるとそうだね。やっぱりハッピーエンドにしてほしいよね」
これ創作物だし、なんて無粋なことは言わない。
春日部は今日も可愛くて最高。
「だよな! だから言ってきた」
「え? 何を? 誰に?」
「製作者に文句。これ持ってたゼミ生を問い詰めたら、うちの大学の漫画サークルのヤツ等が描いたってゲロったから、そのままサークルのたまり場に乗り込んだ」
「すごい」
「俺の顔見て逃げ出しやがったから一人捕まえて、説教してやった」
「わぁ」
「そんで、回収してハッピーエンドに描き換えろって言ったんだけど、泣きながら無理って言われて、しょうがねぇから『陰陽の恋2』を出すことで勘弁してやった。今度は絶対ハッピーエンドにしろよって何度も念、押しといたから」
「そうだったんだ」
勝手にモデルにしたことを怒られるかと思いきや、バッドエンド(サッドエンド?)に納得がいかず描き直せと言われることになるなんて、その場面を想像するとカオスだ。
「……町屋が家にいんのに早く帰って来なくてごめんな」
春日部は怒りを全部ぶちまけたからなのか落ち着いたようだ。
「僕は大丈夫だよ。……そう言えば、おかえり、ってまだ言ってなかった」
「あ、俺のせいだ。悪い。……ただいま」
僕が両手を広げると、少しだけ照れ笑いをしてハグを受け入れてくれた。
ふざけて「いい子だね」って撫でながら、つむじや耳、額や鼻にやみくもにキスをしてると、春日部は擽ったそうに笑って「お返し」と唇にキスをくれた。
さっきまで怒ってたのに、もう笑ってる。
真っ直ぐに感情が出るところが僕は大好きで、笑ってても怒ってても春日部が愛しくてキュンとする。
「ねぇ、春日部」
「ん?」
「怒ってる春日部見たら僕の中の淫魔が暴れ出したんだけど、責任取ってくれる?」
「っ、変なこと言うなって……あ、バカっ……まだ明るいだろ…ダメだ、…アッ」
「もう、ガチガチだね? あははー、大好きだよ、春日部」
「ん……俺も……好き」
――僕たちはハッピーエンドを毎日繰り返す。
――番外・陰陽の恋【完】――
僕たちが大学生でいられるのはあと二週間。
今日の春日部は機嫌が悪いようだ。
「すげぇ頭にきた」
帰ってきて早々、ただいまより先にそう言われた。
靴も脱がずにいたから「取り敢えず座ろ?」と腕を引っ張ってリビングまでつれてきた。ソファーに座らせて僕も隣に座る。
春日部は腕を組んで、トントンとせわしなく指を動かしてる。動いてる左手の人差し指の二本隣には僕とお揃いの指輪。ついこの間の指輪交換の儀式を思い出してニヤニヤしそうになる。
でもイライラしてる春日部の横でそんな顔をしたら「何笑ってんだよ」とデコピンを食らいそうだから我慢した。
春日部は直情的な方だから怒ることは珍しくない。
怒りは大抵すぐに収まるし短時間でケロリと忘れる。きっと今回もそんな感じだろう。
落ちついて、という意味で春日部の肩に手を置くと、少しだけ眉間に刻まれてたシワが薄くなった。
「で、何があったの?」
春日部はバッグから本を出して僕に渡してきた。
本、といってもページ数が少なく冊子よりは厚い程度の薄い本だった。
表紙には黒髪の男と茶髪の男が意味ありげに見つめあっている絵が描かれている。
タイトルは『陰陽(いんよう)の恋』
これは女性が好むタイプの本、――所謂、同人誌だろう。
春日部はどこでこれを手に入れたのか。
今日はゼミ生の集まりと言ってたからそこで誰かに渡されたのか。
「読んでみろよ」
やっと口を開いた春日部は、フンと鼻を鳴らして長い足を組みながら僕の方へと体を向けた。
どうやら春日部はこの本が気に入らなくて怒っているらしい。
◆◆
俺の名前は春部 京一。大学生。
俺は大学では知らない奴がいないほどの有名人だ。何で有名かって言うと『ヤリチン』でだ。
容姿に恵まれてるから女にやたらとモテて、昔から入れ食い状態だった。それは大学生になっても変わらなくて女を取っ替え引っ替えしてた。特定の彼女はいない。そんな『ヤリチン』の俺と本気で恋人になりたい奴もいないだろうし、そもそも欲しいとも思ってねぇ。
街を歩けばうるさいくらいにモデルにスカウトされるほどのイケメンの俺は相手に困ることも無くて何も不便は無い。
かなり爛れた生活を送っている自覚はあるけど、やべぇくらい性欲が強くて、性欲の赴くままに女と寝てた。
そんな俺にある日声をかけてきた男がいた。
女絡みで俺にイチャモンをつけてくる野郎は沢山いたからその手の類いかと初めは思った。
そいつは俺と一緒でかなりのイケメン。系統は違うけど中性的で顔がかなり整ってる綺麗系。どこか儚げな感じの。
こんな奴でも一人の女に固執すんのか、って思って話を聞いてみると女絡みじゃなかった。
どうやら俺自身のことで気になることかあるらしい。
町門 晴朝とその男は名乗った。
町門は、何もかも見透かすような真っ黒な瞳で俺を見ると奇妙なことを言った。
――君は淫魔に取り憑かれてるね。
こいつはやべぇヤツだ、
俺は壺や数珠の類いは間に合っていると返事をして、適当に話を終えた。
けど、背を向けて歩き出した時、投げ掛けられた言葉にドキリとしちまった。
――このまま性欲に流され続ければ、君は自我を失くして淫魔に体を乗っ取られるだろうね。
俺には身に覚えがあった。
乗っ取られる、って言われてあの感覚は正にそういうことかもしれねぇ、って。
最近、俺は女と寝てる時、変な感覚に襲われることが多々あった。
意識が所々飛んでる。あれ?俺いつの間に出したんだ?って思うときもある。
セックスが気持ち良すぎてトんだってワケじゃなく、心が体から離れてくような感じ。何かに押し出されて弾かれて、少し離れた位置から自分をぼんやり見てるような、やべぇ感覚。
あれって、もしかして乗っ取られかけてんのか…?
不安になったけど『淫魔』なんつー突拍子もねぇ町門の話を鵜呑みに出来るワケも無かったから、町門に返事もしないでその場から去った。
でも、体から心が抜けてくような奇妙な感覚はどんどん強くなってって、さすがにやべぇだろって思った。で、俺は町門に自分から連絡を取ることにした。
町門は別学部の人間だったが、探せばすぐに見つかった。中性的なイケメンってヒントだけで『儚げな美人男子こと・町門 晴朝』にたどり着いた。
話がしたいと言った俺に町門はこくりと頷いて、立ち話では済まないだろうから、と、大学から少し離れた場所にある古めかしい感じの喫茶店に連れていかれた。
そこはカフェ、ではなく正に純喫茶といった趣の場所で口髭を生やした寡黙そうな店主が一人いるだけだった。
店主はいらっしゃい、の代わりに町門と目を会わせ「ん」と頷いただけだった。
他に客はいない。
町門と向かい合って座って、少しするとコーヒーが運ばれてきた。
何と言って話を進めればいいか少し迷う。
自分の『症状』が思わしくないのは分かってる。けど、淫魔なんてファンタジー小説に出てくるような代物を信じられるわけがない。
でも、どこか浮世離れした雰囲気の町門にじっと見つめられて、男にしちゃ赤くて少し厚みのある蠱惑的な唇から言葉を紡がれると、そういった世界もあるのかもしれないと、ふと思ってしまう。
「君のことは春部って呼んでいい?」
俺は頷いた。
町門の方から話を振ってくれて助かった。
「じゃあ、そう呼ばせてもらうね。前にも春部に言ったけど僕には人ならざるものが見えるんだ。そして祓える。僕は陰陽師なんだ」
「……陰陽師」
「聞いたこと、ない?」
「映画とか小説でならあっけど、悪霊祓いみたいなことするやつだよな」
「うん、まぁ、そんな感じ。普段は依頼されて祈祷してるんだけど、たまたま目の前に淫魔なんて古めかしいものにがっつり取り憑かれてた人間が現れたから、物珍しさでつい声をかけちゃったんだ」
「そうか。それでアンタが祈祷だかお祓いだかをしてくれたら淫魔とやらは俺の体からいなくなるんだよな?」
「うーん、それがね、そんな簡単にはいかないかもしれない。今見た感じだと前より淫魔が春部の中に浸透してて――」
祓うには淫魔を弱らせてねぇとダメらしい。
弱らせる為には高額な壺でも買わなきゃなんねぇのか、って警戒したけど町門は俺に一ヶ月の禁欲生活を命じた。
淫魔のエネルギー源は人間の出す性的な快感物質。
それを遮断して飢餓状態になって俺の中から逃げ出そうとしたところを捕まえてお祓いをするらしい。
どのタイミングで淫魔が逃げ出すかわかんねぇから、俺は町門が独り暮らししてるマンションで一緒に住むことになった。
お祓い代金の代わりで、俺は町門の家の家事の一切を任された。
こうして他人同然の二人の奇妙な同居生活は始まった。
◆◆
数ページ読んだだけで既視感のある名前と顔の特徴を捉えた絵柄にピンときて、モデルが僕たちだってわかった。
これは大学関係者が描いたものなんだろう。
お揃いの指輪を僕たちが左手の薬指につけてることが大学では噂になってるから。
「あははー、これって同人誌だよね。僕たちがモデルなんてすごいね」
「あははー、じゃねぇんだよ。笑ってないで全部読め」
「あ、うん。でも、これ面白いかも。絵も綺麗で丁寧だし全ページカラーだし多分すごく人の手とお金がかかってるんじゃない?」
「チッ」
春日部の舌打ちに促されて続きを読んだ。
◆◆
一ヶ月の禁欲なんて大したことねぇだろって思ってた。そんなもんで淫魔がもたらしてるらしい奇妙な感覚から抜け出せんだから楽勝じゃん、って。
でも考えてみれば俺は一ヶ月も女を抱いてないことなんか過去にない。さすがに溜まりすぎてキツくなってきた。自分で抜くのも禁止にされてっから頭がおかしくなりそうだった。
近くにいる町門に手を出しちまおうか、なんて考えたことは一度や二度じゃねぇ。
身の危険を察したのか察してねぇのかわかんねぇけど、町門は俺をスポーツに誘って一緒に汗を流したり、レジャー施設に遊びに行ったりと気を紛らわせることに協力してくれた。
そうやって、一ヶ月、俺は禁欲生活を続けることができた。
その頃には町門との生活にも慣れて友人と呼べるような関係になってた。
町門とは淫魔が出ていったら一緒に住む理由がなくなる。それが少し寂しく感じるくらい、町門は俺にとって大事な存在になってた。
そんな気持ちでいたせいなのか、淫魔祓いは思ったようには進まなかった。
禁欲一ヶ月を過ぎても淫魔は俺の体から逃げ出す気配がなかった。
淫魔は俺の体をいたく気に入ってるらしい。
今までに俺が生成した快感物質とやらの質が良過ぎて、中毒状態みたいになってて飢餓状態に陥っても必死に俺の体にしがみついてるようだ。
俺の体の中に淫魔がいる状態じゃ浄化させることはできない。
浄化どころか、このまま欲を溜めた俺が夢精でもしようものなら淫魔は快感物質を得て元気を取り戻してしまう。
そうなれば俺は乗っ取られて自我を失う。
青ざめた俺に町門は一つだけ方法がある、と言った。
逃げ出した淫魔を捕まえて浄化するのではなく、町門の体に淫魔を移し替えそのまま浄化する。
そうすれば体内で淫魔は徐々に弱体化し消滅するらしい。
そんなことして町門の体に負担がかかんじゃねぇかと心配になった。でも町門は「それは大丈夫だから」と淀みなく言って、俺は安心した。
ただ、町門の体に淫魔を移す方法に倫理的な問題があるらしい。
淫魔を町門に移すには俺と体を繋げた状態じゃなきゃ出来ない。
つまりセックス。
俺が精を放つ瞬間、飢餓状態で久々の餌に油断した淫魔を町門が霊力を使い吸い上げる。
町門は俺を救う為に、方法を示してくれた。健康上の問題は無いとは言え、町門は男とセックスしなきゃなんねぇ。
それでも「僕は大丈夫だから」そう言って白い肌を桃色に染め、潤んだ瞳を町門は向けてきた。
正直、すげぇムラムラした。
「あ、言い忘れたけど、もちろん春部が掘られる方だからね?」
「え、あ……はい」
◆◆
『春部』が『町門』にガンガンに攻められて顔を真っ赤にして喘いでる。ハートマークをいっぱい飛ばしながら。
確かに表紙には18禁のマークがあった。
チンポは描かれてないしエロ本ってほど露骨じゃないけど。
これで春日部は怒っていたのだろうか。
確かに絵とは言え、ちょっとこれは恥ずかしいかもしれない。
描いてるのが女の人、多分大学関係者だと思うと特に。
本を閉じようとすると、春日部が次のページを捲った。
「これ見ろよ。マジで信じらんねーよ。クソッ」
◆◆
僕は町門晴朝。大学生、陰陽師。
大学一のヤリチン野郎に叶わぬ恋をして、嘘を吐いて、体を合わせた。
その罰として、淫魔は徐々に僕の体を蝕んでいくだろう。
――さよなら、春部。
◆◆
この本の最後のシーンは二人が大学ですれ違う場面だった。
『春部』は女の子の肩を抱いていて『町門』は少し俯き加減にその前を通っている。
目も合わず、まるで二人は他人のようにすれ違い、そしてfin
「……このシーンってさ、時間的にいつのものなんだろ。町門が春部とセックスした前? 後? 前だったら切ない片想いシーンの回想ということになるけど、後だったら、町門は霊力で自分に対する記憶を春部から消したのかも、って疑問が出るね。余韻が残るような終わり方だよね」
あともう一つこの話では明らかにされてないことがある。
『町門』が吐いた嘘とは、何か。
体に害がないと言ったことなのか、それとも『春部』との初めての会話、――淫魔に取り憑かれている――のことなのか。
『春部』と接点を持ちたいが為に『町門』は淫魔を取り憑かせたのではないか。
多分前者が真実だろう。でも『町門』が僕ならば、後者である確率は半々になる。
「ハァ? んなこと、どーでもいい! 町屋はこれ見て腹立たねぇのかよ」
「え……まぁ、ちょっと恥ずかしい気はするけど本名使われたワケじゃないし、写真を使われたわけでもないから僕はそこまで、かな…」
「あぁ? そんなん全っ然、カンケーねぇから」
「えー?」
「これ、ちゃんと見たか? バッドエンドだぞ? なんで俺と町屋をモデルに使ったくせに引き裂いてんだよ! すげぇ頭にくる。町門もだけど、春部だって可哀想過ぎんだろ!」
「そう言われるとそうだね。やっぱりハッピーエンドにしてほしいよね」
これ創作物だし、なんて無粋なことは言わない。
春日部は今日も可愛くて最高。
「だよな! だから言ってきた」
「え? 何を? 誰に?」
「製作者に文句。これ持ってたゼミ生を問い詰めたら、うちの大学の漫画サークルのヤツ等が描いたってゲロったから、そのままサークルのたまり場に乗り込んだ」
「すごい」
「俺の顔見て逃げ出しやがったから一人捕まえて、説教してやった」
「わぁ」
「そんで、回収してハッピーエンドに描き換えろって言ったんだけど、泣きながら無理って言われて、しょうがねぇから『陰陽の恋2』を出すことで勘弁してやった。今度は絶対ハッピーエンドにしろよって何度も念、押しといたから」
「そうだったんだ」
勝手にモデルにしたことを怒られるかと思いきや、バッドエンド(サッドエンド?)に納得がいかず描き直せと言われることになるなんて、その場面を想像するとカオスだ。
「……町屋が家にいんのに早く帰って来なくてごめんな」
春日部は怒りを全部ぶちまけたからなのか落ち着いたようだ。
「僕は大丈夫だよ。……そう言えば、おかえり、ってまだ言ってなかった」
「あ、俺のせいだ。悪い。……ただいま」
僕が両手を広げると、少しだけ照れ笑いをしてハグを受け入れてくれた。
ふざけて「いい子だね」って撫でながら、つむじや耳、額や鼻にやみくもにキスをしてると、春日部は擽ったそうに笑って「お返し」と唇にキスをくれた。
さっきまで怒ってたのに、もう笑ってる。
真っ直ぐに感情が出るところが僕は大好きで、笑ってても怒ってても春日部が愛しくてキュンとする。
「ねぇ、春日部」
「ん?」
「怒ってる春日部見たら僕の中の淫魔が暴れ出したんだけど、責任取ってくれる?」
「っ、変なこと言うなって……あ、バカっ……まだ明るいだろ…ダメだ、…アッ」
「もう、ガチガチだね? あははー、大好きだよ、春日部」
「ん……俺も……好き」
――僕たちはハッピーエンドを毎日繰り返す。
――番外・陰陽の恋【完】――
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※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
はじめまして✨
連載時から読んでいて、今日また読み返して読み終わりました。
何度も読み返したくなる作品ですね!楽しいです♡
番外編に出てきた薄い本でも、2人で幸せになれるといいなと思います😊
そしていつかのお家キャンプの時に町屋くんが一等兵に昇級したと思ったら、誕生日キャンプにはまた二等兵に降格してて「あれ?」となったのは気の所為でしょうか?徹夜で読んでたから寝ぼけたのかも…?😅
ハッピーエンドで楽しい作品をありがとうございました(*^^*)
今まで読んできたウェブBL小説のなかで一番好きです!!
春日部くんも町屋くんも可愛くて二人のやり取りにすごいニヤニヤしちゃいました
番外編、あるととても嬉しいです!
素敵な作品をありがとうございます!!
最近アルファポリスを知り、たまたまこのお話に出会いました。題名を見た時は「ヤリチン男に感情移入出来るかな?」等と思いましたが、読み始めたら止まらなくなり、読後はもうスタンディングオベーションです。最高!
それぞれの生育環境による性格の違いや考え方に説得力があり、少しずつ心を通わせていく姿が丁寧に描かれていて、気付けば最初の懸念はどこへやら、2人の幸せを祈りながら読み進めていました。いやー、面白かった。ありがとうございます!続編、番外編、出たら嬉しいです。