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家族
しおりを挟む聞いてもらいたいことがあると、僕は春日部に告げ、リビングのソファーに隣り合わせに座った。
「どうした?」
間近にある優しい笑顔に、僕も笑顔を返した。
「実は僕、家族と絶縁してるんだ。だから、ごめん、僕の家族を春日部には紹介出来ない。」
「……そうか。……そうだと思ってた。」
春日部は大丈夫だ、って言うみたいに僕の頭を撫でてくれた。
「名字も変えてるんだ。4年前に。遠い親戚と養子縁組して。」
「は?」
頭を撫でていた手が止まった。
絶縁がそこまで徹底されているものだとは思っていなかったのだろう。仲違い程度に思っていたのかもしれない。
「僕の4年前までの名字は、真斎藤って言うんだけど――」
「シンサイドウ?」
春日部はこの名字を聞き、何かが頭を過ったようだった。が、すぐさまそれを打ち消し、それでも少しだけ戸惑ったような顔をして「あんまねぇ名字だな」と付け足した。
「うん。かなり珍しいはず。一族以外でその名字の人とは会ったことないよ。」
「一族?」
春日部は片眉を上げ訝しそうに僕を見たが、意図せず威圧的に見える表情に比べ、声は僅かに震えていて動揺の色が見えた。
それを見て、申し訳なく思った。
絶縁していることにはなんとなく気付いていても、これから話すことは春日部にとって多分想定外なはず。
あまつさえ負の感情まで抱かせてしまうような内容なのだから本当に申し訳ない。
「僕は真斎藤グループの創設者一族の家に生まれたんだ。」
「――っは!?……ぅえ、あの、真斎藤グループ、っ、……マジか、よ。」
驚愕に見開かれた瞳。裏返る声。
驚くのも無理は無い。
名字を聞き、まさかとは思っていても、実際にそうだと言われればにわかには信じられないだろう。
僕たちが今住んでいるマンションは立派だが、真斎藤家の御曹司が住むにしては質素だ。
真斎藤グループ。
小学一年生だって知っている。
造船、製鉄から、繊維、文具に至るまでを幅広く手掛ける巨大グループ。
「残念ながら、ホントなんだ。」
なるべく自分の感情を乗せず、事実だけを春日部に伝える。
「真斎藤家、僕の実家だった家は真斎藤グループの創設者の直系の家で、僕の祖父は製鉄、造船部門の会長で父は常務をしてる。そんな家系の一人息子の僕は、ゆくゆくは真斎藤グループを支える者として祖父からそれなりに期待されてた。……けど、今は家族に絶縁されて、一切連絡も取ってない状況なんだ。」
驚愕しつつも僕の言葉一つ一つを噛み砕いて消化した春日部は、痛ましそうに眉を下げた。
「……でもお前さ、一人息子なんだろ? 案外連絡取ってみれば何とかなったりしねぇのか。」
名字まで変えなくてはならなかったと言うのに、春日部はまだ関係が改善できるのではないかと思ってしまったらしい。僕の伝え方がよく無いせいだ。
僕の絶縁と同時に、父と母の離婚も決まった。
もともと政略結婚で、終ぞ愛は芽生えなかった。
それは僕に対しても。
「今は父は愛人と再婚してるんじゃないかな。母は海外へ移住してやりたいことがあったから、日本にはもういないだろうね。……それに、父と愛人の間には二人子どもがいるんだけど――」
僕よりも3歳年上の息子と、一つ下の娘。
「――僕は正直、真斎藤家に生まれたことにプレッシャーを感じてたし、ヤル気満々の跡取り候補が出てきてくれて逆に助かったくらいなんだよ。」
父と愛人とは母と見合いする前から交際しており、父はこの愛人と結婚するつもりでいたらしい。
しかし真斎藤家はそれを許さなかった。
愛人が一時期ではあるが、水商売をしていたこと。親戚に軽いものではあったが犯罪を犯した人間がいたこと。
たったそれだけの理由で当時二人の結婚は認められなかったのだという。真実はどうか分からないが、そう愛人が喋っていたのを聞いたことがあった。
あまり重くならないように、おどけるように言ってみたけど、春日部は当時の僕よりも辛そうに顔を歪ませてる。
「……お前、どんな理由で絶縁されたんだ?」
春日部は真一文字に引き結んでいた口を開け、絞り出すような声で僕に尋ねた。
敢えて言わなかった部分。
春日部には僕と家族との関係性が理解できなくて、納得できる理由を探してるのだろう。
「ゲイだってばれちゃって。」
「……たったそれだのことでか?」
信じられない、という顔をしてる春日部に「そうだよ、心狭くない?」と笑って言いたいところだけど真実は少し違う。
実際に、それだけでは絶縁にまでは至っていなかっただろうから。
「少し、違うかな。……ねぇ、春日部は、僕を信じてくれる?」
誰にどう思われてもいいけど、春日部にだけは誤解されたくない。
何を言われるのか知らされていないにも関わらず春日部は「ああ」と返事をしてくれた。
勇気をもらった僕は口を開いた。
「僕は、犯罪者にされたんだ。」
「犯罪者…?」
「うん。被害届は出されなかったけど、今で言うと強制性交等罪。当時だったら暴行罪、だね。男同士だから。あとは脅迫罪、ってことになるのかな。」
「っ、誰に陥れられた?」
春日部は僕の両肩を掴んだ。
僕は首を振った。
「分からない。被害者だって名乗る男に面識は無かったし。でも、企てたのは僕に近い人間だと思う。自室に置いてあるパソコン、……暫く使ってなかったんだけどね、そこから証拠が見付かったから。……縛られた全裸の男の写真と、それを脅しに関係を迫るメールが出てきて。」
「そんなのをお前の家族は信じたのかっ!?」
「……うん、まぁ。僕も、否定はしたけど、どうでもいいかなって思っちゃったから。」
「っ、なんで!……なんでだよ、町屋っ。」
春日部は怒って、悔しがってる。
まだ僕の肩に置かれたままの手は怒りで震えているし、今にも人をぶん殴りそうな程恐い顔をしてる。そして目は真っ赤で涙が滲んでる。
僕を陥れた人間に怒って、何もしなかった僕に対して悔しがってる。
「ごめん。」
「……なんで、お前が謝る?」
掠れた辛そうな声。
悔し涙を流している春日部を前にして、正直、当時より辛い気持ちになった。
「だって、春日部を泣かせちゃったから。」
今だったら、僕の為に泣いてくれる春日部がいるから、たとえ不格好でも無駄なことだって思っても、何らかの抵抗ができるような気がする。
でも、当時の僕には無理だった。
全裸の男の写真はそういった嗜好、と言ってしまうには惨たらしく、男の尊厳を著しく冒していた。写真を確認した全ての人間が目を背けるほどに。
それでも祖父は探偵を使い調査をしてくれたが、僕は諦めていた。
結果的に探偵が持ってきた情報は、僕がゲイであるという事実だけだった。
僕のパソコンのロックを外す為に、パソコンを一時的にすり替えた人間が誰なのかを考えるのは憂鬱だった。
被害者だと言う男はかなりの金を貰っているはず。でなければ割りに合わない仕事だ。真斎藤家の敵になる覚悟をしなくてはならないのだから。身内に依頼者がいたとしても。
それにロックは複雑なものにしていたから、解析もそれなりに金がかかったはず。
それほどの金をかけても僕がいなくなれば、あまりある利益を得られる者。
家のセキュリティのことも考えれば人は限られる。
僕はそこから考えるのを止めた。
すべてに疲れていて、とにかく解放されたかった。
このことが起こる少し前まで、Aとのセフレ解消の為のゴタゴタもあり、僕は投げやりになっていた。
冤罪だと否定はしたが、潔白を証明する手だては何一つ取らなかった。
いっそ絶縁してほしいと申し出た。目的はおそらく僕の排除だろうから、下手に揉めるよりもいいと思った。
祖父は僕に失望したようだった。
被害者だという男に祖父は相応の示談金を払いもみ消した。もともと被害届けなど出すつもりも無かった男はそれを受け取った。
そして僕は友人や知人、教師にまで何も言わず地元を離れた。
名字を変え、500キロ離れた場所で一人暮らしをし始めた。
これが僕の情けない過去。
僕はこのことを文字通り過去に出来ている。あのことがなければ春日部にも出会うことはなかった訳だし。
情けなくはあるが、怒りはない。
性別も関係なく、愛する人とただ一緒に居られるという今の生活を考えれば、何故愛人の子たちはわざわざ窮屈な場所に入りたがったのだろうと、疑問にさえ思う。
でも目の前にいる春日部はそうはいかないようだ。
涙は消えたが、怒りは治まらないようだ。「赦さねぇ、関係者全員ぶっ殺す」だの物騒なことも言い始めてる。
困ったが、当時の僕に代わって怒ってくれているようで、ちょっとだけ笑顔になってしまった。
それに気付いた春日部は「笑ってんじゃねぇよ」と僕にも怒った。でも、それがまた嬉しくて笑ってしまった。
「大丈夫だよ。僕には春日部だけがいればいいんだから。それに悪いことばかりじゃないよ。祖父は生活に困らないだけの金を僕にくれたから。男色など気持ちの悪い孫だ、とは言われちゃったけどね。」
最後に余計な一言を付け足したせいで、春日部の怒りはもうしばらく続いた。
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