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168の続きです
「で。何がダメだったんだ」
絶対に家に入れたくない、と和多流くんが断固拒否するので、仕方なく犀川さんが借りている101号室にお茶のセットを持って入った。
犀川さんは一番奥の部屋(おれたちの部屋で言うとリビング兼和多流くんの仕事部屋で使っているところ)の床にごろんと寝転んでいた。
和多流くんは自分の部屋から持ってきたクッションに座っている。申し訳程度にベッドが置かれているだけの部屋。生活感もない。
和多流くんの部屋とは向きが逆なので、少しキッチンが使いづらかった。
お湯を沸かしてコーヒーを淹れると、和多流くんはため息をついた。
「ごめんね、巻き込んで」
「ううん。・・・あのー、犀川さんも飲みます?」
「・・・飲みます。わた先輩、おれ、ダメかも・・・失恋した・・・」
「ほうほう。残念だったな」
「ちょっとくらい優しくしてよ。なんなのさ、おれだって落ち込むことくらいあるんだから」
「だからこうやって話を聞こうとしてるんだろ」
と言いつつ面倒臭そう。
犀川さんはムッとすると、コーヒーに口をつけた。
「まったく。これから出かける予定だったのに」
「・・・」
「ほら。帰れ帰れ」
えぇっ。
和多流くん、冷たい・・・。
犀川さんの瞳が揺らいだ。悲しそうに俯く。
大人がここまで落ち込むんだもん。本当に悲しいことがあったんだ。
そう思ったらつい、ついぽろっとこぼしてしまった。
「和多流くんて結構冷たいんだね・・・」
「・・・えっ、」
「え、あ、・・・だって、和多流くんのこと頼って来てるのに・・・突き放すから・・・」
「・・・や、だってこれから出かける予定だったし、そもそもいい年した大人が、」
「おれが同じことした時も、本当はそう思ってたの?」
付き合う前、急に連絡したことあったよね。
電話で話を聞いてくれたり、急遽一緒に食事をしてくれたり、話を聞いてもらったりしてたけど・・・。
内心そんなふうに思ってたのかな・・・。ちょっと落ち込む。
和多流くんは怒ったように叫んだ。
「思ってないよ!!」
「ほんと?」
「なんでそんなこと言うの?!おれは、」
「犀川さんの話しは聞いてあげないの?出かけるのは明日でもいいよ。だって、犀川さん、いつもと違うよ?」
和多流くんは唇を突き出して犀川さんを見た。当の犀川さんは驚いた顔でおれを見ていたけど。
むーっとした和多流くんの隣に座り、腕を撫でる。落ち着いて欲しくて見上げると、目が合った。
「・・・ったくもぉ!しょーがねぇな!涼くんに感謝しろよ!?」
「・・・あ、ありがとぉ・・・。おれ、おれ、自分でもびっくりするくらい落ち込んで、仕事、休んじゃったんだ・・・」
和多流くんがギョッとした顔をする。
「は?お前が?仕事休んだ?」
「うん・・・予約もそんなに入ってないし、熱が出たって・・・昨日、休んじゃって・・・プロ失格だ・・・」
「・・・フラれたの?」
「・・・多分、もう会えない・・・」
「なんでよ」
「・・・アドバイス通りに、普段着で、会ったんだ。びっくりされたけど、似合うねって言ってくれて・・・プライベートでデートして、最後に、めちゃくちゃ勇気出して、告白したんだ。緊張して、吐くかと思った・・・」
「あ、プライベートで会えたんですね。よかった・・・」
「・・・告白したら、・・・僕にはそんなことしなくてもいいんだよって、言われて、」
「え?おれには?って?」
「あー、はいはい・・・。お前、それ言われてキレたんだろ」
ええっ!?
キレた!?
好きな人に!?
ギョッとして見つめると、犀川さんは俯いたまま小さく頷いてカップを置いた。
「だって、好きですって、付き合ってくださいって、ストレートに言ったのに、ちっとも受け取ってもらえなくて、僕はこんなことしてもらわなくてもお店に通うよって、言われて・・・悲しくて悲しくて、おれが誰かを好きになって告白するのって、そんなにおかしいの?そんなに伝わらないの?そんなに薄っぺらいの?おれだって、誰かを愛したいよ。愛されたいよ。あの人に、愛されたかったんだよ」
「・・・犀川さん、」
「おれだって人を好きになるんだよ!営業なんかじゃないのに!お金なんていらないのに!!」
デートの後、お金を渡されたのかな。
チラッと和多流くんを見る。
じーっと犀川さんを見た後におれを見て、困ったように首を傾げた。
「なんかすげー既視感・・・」
「えっ」
「いやー、おれも思ってたから・・・無理に割り勘にしなくてもいいのにとか・・・。デートの後・・・つーかデートだと思ってたのおれだけだと思うけど、さっきのお昼の分ってお金を渡されるのはちょっとねー、悲しかったよね」
「ご、ごめん・・・」
「いいよ。今は言わないから。で、犀川。そのままキレてどーしたの」
「・・・置いて帰って来ちゃった」
「わー・・・それはいかんだろ」
「だって、何言っても、分かってくれない・・・早く1人になりたくて、そのまま・・・」
「・・・え、じゃあ、返事を聞いたわけではないんですか?」
「返事も何も、受け取ってもらえてないんだから・・・」
「その後連絡は?」
「・・・してないし、来てない」
「してみては・・・」
「嫌だよ・・・。もう、悲しくなりたくない」
「犀川、これはおれのポリシーだけど・・・押し付けるつもりはないけど、置いて帰って来たのは良くなかったと思うよ。おれなら絶対にしない」
そういえば、和多流くんはいつも必ずおれのこと、駅まで送ってくれたな。
付き合ってから喧嘩をした時も、気まずい時も、置いて行かれたことって、ない。
そりゃー、家では口を利かないとかはあるけど、でも、出先で揉めて・・・置いて行かれたことはないなぁ。
元彼にはよく置き去りにされたけど。
「・・・うん、よく、なかった・・・最低だ。おれから声かけておいて・・・」
「謝罪の連絡はした方がいいと思うけど」
「・・・今していい?」
「は?電話すんの?部屋移動するわ」
「やだ無理ここにいて」
言いながらスマホをいじる。
なんか、やっぱり似てるよね・・・。和多流くんもすぐ行動するし。
耳に当て、じっとコール音を聞いている。出ないのだろう。落ち込んだように耳から離し、画面をタップした。
そしてポケットではなくカバンの奥底にしまい、コーヒーを一気に飲み干した。
「・・・わた先輩」
「ん?」
「慰めて」
「嫌だ」
「けちぃ・・・」
「面倒だもん。でも、飯なら奢ってやるよ」
「・・・わた先輩~・・・!!」
「はぁ・・・。涼くんごめん。夕方行ってくる。遅くなると思う」
「・・・うんっ。分かった」
和多流くんは優しい顔をしていた。
まだ時間があるので、犀川さんを落ち着かせるために部屋を出た。
自分たちの部屋に戻った瞬間、壁に押し付けられて唇を塞がれた。
「ぁむっ、ん、」
「思ってないから・・・涼くんの話しは、絶対にちゃんと聞きたくて、」
「あ、ん、ごめん、ごめんね。ついポロッと・・・あの、」
「冷たいって、思ってる?」
「思ってないよ。本当に冷たかったらこんなふうに過ごしてないでしょ。ごめんね。変なこと言って・・・。あの、ご飯は商店街?行くの?」
「うん。飲み屋もあるし。近いし」
「おれは家にいるね。おれがいると話しづらいこともあるだろうから」
「・・・ありがと」
頬を撫でられる。撫で返すと、なんとなく寂しそうにおれを見ていたので、ぎゅーっと強く抱きしめた。
******************************
「システムいじるなよ。今壊れてるから」
朝イチで成瀬さんに言われた。
そういえば昨日、一斉メールで成績を入力するシステムが起動しなくなったって来てたな。
分かりましたと返事をする。
「塾長の知り合いのシステムエンジニアが来て直すらしい。もともとそれを作ったのもその人なんだと」
「へぇー。使いやすいですよね」
「あぁ。10時頃に来るから手が空いてたら対応してくれ」
「分かりました」
10時は授業がないし、対応できるかな。
模試の成績を見ながら対策を考える。
伸び悩んでる子がいるとこっちも悩んじゃうんだよな。釣られないようにしないといけないのに。
「すみません、塾長はどちらにいますか?」
柔らかな声が聞こえた。パッと顔を上げると40代くらいのサラリーマン。
慌てて立ち上がる。名刺を渡されたので受け取ると、エンジニアさんだった。
牛久保、旭・・・。かっこいい名前だな。
「あ、ありがとうございます!こちらです!」
「遅くなってすみません。ご不便でしたよね」
「いえ、いえ!あの、これ、僕の名刺です」
差し出して顔を見る。あ、あれ??
どこかで見たことがあるような??
メガネで、髪が後ろに撫でつけられてて、細くて、どこにでもいそうな人なんだけど・・・。
「塾長、いらっしゃいました」
ノックをしてドアを開けると、塾長はニコニコしながら出迎えてくれた。
「ありがとねー。いきなりごめんね」
「全然。作ったの僕だし、今まで何もなかったのがおかしいんだよ。よくバグらなかったね」
「旭が作ったからバグもなかったんでしょ。でもとうとう来ちゃったよ。あ、春日部くん、ありがとうね。改めて紹介するね。この人、牛久保旭って言って、大学の同期なの」
「あ、ご友人なんですね」
「そうそう。ごめんね、自販機でお茶、買って来てくれないかな」
小銭を渡される。急いでお茶を買って戻ると、もう作業に入っていた。ふわふわっとした穏やかな表情が、キリッと引き締まって画面に向いていた。
「ありがとう。行って大丈夫だよ」
「何かあったら呼んでください」
「ありがとね。授業もよろしくね」
部屋を出て必死に思い出す。
どこで見かけたんだろうな。
話したことはないと思う。でも知ってるんだよね。不思議な感覚。
授業を全て終えて帰宅の準備をして非常階段に出ると、ちょうど牛久保さんも階段を降りていた。
追いかけて声をかける。
「あの、お疲れ様でした」
「え?あ、春日部さん。お疲れ様です」
「結構時間がかかるんですね」
「えぇ。ついでに他のこともやってました」
「お疲れ様です。あ、駅ですか?」
「はい。春日部さんも?」
「はい」
並んで歩き、雑談をしながら駅へ向かう。
話しやすいし、なんとなく同類な感じがする。何が、とは言えないのだけど。
「あれ?電車停まってる」
「え?あ!人身事故だ」
駅に来たはいいものの、電車が停まっていた。
牛久保さんはポーッと掲示板を見た後、スマホを取り出した。
「わ!それ、最新の・・・!」
「あぁ、僕、機械が好きですぐ買っちゃうんですよ」
「すごい。使ってる人初めて見ました。高いんですよね」
「独り身なのでついついこういうのにお金をかけちゃって・・・。うーん、事故が起きたばかりみたいだ。ビジネスホテル取っちゃおうかなぁ・・・」
「遠いんですか?」
聞くと、方向的には家と同じだった。少し考えて、提案してみる。
「あの、おれ、実は友達が車で迎えに来てくれてて・・・乗りますか?」
「・・・へ?いや、悪いですよ!そんな、今日お会いしたばかりで・・・!」
「明日もお仕事でしょうし、ちゃんと帰ったほうがいいかなと思って。方向同じなので、ちょっと待ってくださいね」
スマホを取り出して和多流くんにメッセージを入れる。
すぐに返事が来た。短く、いいよ。だけ。後でヤキモチ妬くかなぁ。とりあえず質問攻めに合いそう。仕方ないか。
「こっちに来てますから、行きましょう」
「ほ、本当にいいんですか?正直、助かります・・・。シャツの替え、持ってないんで・・・」
「シャツくらい替えたいですよね。すごく分かります。あ、んと、友達、2人いて・・・でも、いい人なので、安心してくださいね!」
どうやら犀川さんも一緒らしい。
一昨日アパートに来てからずっと寝泊まりしているのだ。仕事もアパートから行っている。
相当落ち込んだんだろうな。
食事に出かけたあの日、居酒屋さんが閉まるまで付き合わされてたし。
ロータリーに出ると、和多流くんが立っていた。
牛久保さんが深々と頭を下げる。
「すみません、お世話になります。ありがとうございます」
「いえいえ。人でごった返してるから、動き出しても乗れないだろうと思って。1人うるさいのが乗ってるんですけど、気にしないでください。どうぞ」
後部座席のドアを開けてくれる。牛久保さんを先に乗せて乗り込もうとすると、体が固まっていることに気づいた。
「牛久保さん?」
「ん?どうかした?なんか物でも置いてあった?」
和多流くんと一緒に覗き込む。
一番後ろのシートに座る犀川さんと牛久保さんが目を丸くして見つめあっていた。
2人ともカッチコチ。
「ショ、ショウ、くん、」
「・・・アサヒさん、なんで・・・」
「・・・あーーーー!!」
「わ、びっくりした!何、涼くん」
お、お、思い出した!!
牛久保さん、写真で見たことがあるんだ!その写真には、犀川さんも写ってて・・・!!
この人、そうだ、犀川さんの・・・!!
「・・・えっと、とりあえず車出していいのかな?」
和多流くんが困惑したようにおれを見る。頷くことしかできなかった。だって、出ないと帰れないもんね・・・。
******************************
どうにもこうにも気まずくて、とりあえず、とりあえずクマさんのお店にやって来た。
クマさんも犬飼さんも4人でやって来た姿を見て不思議そうにしていた。
牛久保さんと犀川さんを一番奥の窓際の席に座らせて、おれと和多流くんは2席離れた窓際に座る。
犬飼さんにかいつまんで説明すると、驚いた顔になった。
「そんなこともあるんですね」
「おれもびっくりして・・・」
「おれも驚いたよ。涼くんから乗せて欲しい人がいるって言われて来てみたら、犀川のお客さん・・・しかも、ねぇ・・・?」
「ねぇ・・・」
「あぁ、結局うまくいかなかったんです?」
「まぁ多分、あいつはフラれましたね」
「いやいや、決まったわけじゃないし・・・」
「とりあえず軽めの食事を出して・・・で、いいですかね?」
「お願いします。涼くんも食べるよね」
「う、うん」
「分かりました。お待ちください」
犬飼さんが厨房へ戻っていく。ちらっと奥の2人を見ると、黙り込んでいた。おれと和多流くんからは犀川さんの顔しか見えないけど・・・何度か口を開いては、つぐんでいた。
そしていきなり立ち上がると、ズカズカ歩いて和多流くんの前で止まった。
「わた先輩、助けて」
「無理。何をどうすんだよ。お前のことだろ。お前が頑張れ」
「だって、・・・何を話したらいいか」
「おれだって知らん」
「・・・胸が痛い」
「とりあえずご飯が来るまで待ってれば」
犀川さんは肩を落としてまた席に戻った。
また沈黙かなと思いきや。
「ごめんね。連絡、返せなくて」
「えっ」
牛久保さんが小さく言った。
「・・・ごめんね。僕は昔から人の気持ちを理解できなくて、よく怒らせていたから・・・優しいショウくんが怒るんだから、もう人としてダメなんだなって、思ってたんだ」
「え、え、なんで、そんなこと思うの?」
「いや、本当に他人の気持ちを理解できなくて・・・。僕は、欠落した人間だから1人で生きていこうってずっと思ってて・・・きっともうキミとも会えないと思っていたら、ごめんなさいってメッセージが来て・・・驚いてしまった。キミに悪いところなんて一つもなかったのに、なんで僕なんかにって思って、不思議で不思議でたまらなくて。直接聞いてみようと思って、お店に予約を入れようとしたらお休みだって聞いたんだ。体調が悪かったの?心配した」
「・・・し、心配してくれたの?」
「え?そりゃ、もちろん・・・。いつも元気なのに・・・僕が原因だったらどうしようって、思ったりもしたけど・・・僕なんかのことで体調を崩すほど弱い人じゃないよねって思い直して、」
「アサヒさんのせいで、おれ、ずーっと泣いてた」
「・・・え!?」
「もう2度と会えないと、思った・・・」
なんで牛久保さんに親近感を持ったのかわかった。
自分なんかって思って過ごすことが当たり前になっているところが、似てるからだ。
胸がチクチクする。
犀川さんは涙声で叫んだ。
「アサヒさんがおれを傷つけて、悲しませて、おれは仕事を休んだんだよ」
「え、え・・・!?ご、ごめんなさい・・・!でも、なんで?」
「何でって、・・・!」
「わ、分からなくて、ごめんなさい・・・。あの、」
「おれが言ったこと、覚えてる・・・?」
「・・・えと、恋人になりたいって、やつかな?うん、でも、あの言葉は他の、」
「他の人に言ってどうすんの」
「えぇーっと・・・」
え、え、えぇっ!?
まさかこの人、鈍感とか通り越して、自分にはありえないことって、思ってるの・・・??
これは、おれより重症なんじゃ・・・!
和多流くんも驚いたような顔でおれと目を合わせて、困惑したように笑った。
「これは難易度が・・・犀川の人生の中で最高難度だろうね・・・」
「お、おれも鈍感だけど、ここまでじゃなかったよね・・・」
「うん・・・」
「おれはアサヒさんに言ったの!アサヒさんじゃないと嫌なの!ここまで言っても分かんない?伝わんない?!」
「・・・営業じゃ、」
「ない!!ずっと言ってる!!」
「・・・何で僕なの?何もないよ?」
「あるよ!・・・えと、ここで言うのは、嫌なので、2人の時に・・・」
「・・・」
「・・・お、おれのこと、何とも思わなかった?」
犀川さんの声が震えていた。
うぅ、こっちまで緊張してきた。
犬飼さんがやって来てパスタを置いてくれる。
「随分手強いですね。クマも耳を澄ませて会話を聞いてますよ」
「おれ、自分より自己肯定感の低い人、初めて見ました・・・」
「正直おれもです。犀川に少し同情しますね」
「そういう人だって分かってて好きになったのがすごいけどね」
「た、確かに・・・。話し、まとまるのかな」
「まとめてもらわないと店が閉められないですね」
「ていうか犀川も焦ったいんだよな・・・畳みかけろよ」
和多流くんがため息をついた。
しばらく黙り込んでいた牛久保さんがようやく言葉を発した。
「ショウくんに本名を教えてもらった時、嬉しかったな・・・」
「へ?」
「彰くんっていうんだなって・・・あと、走って帰ってしまった時、少し寂しかったと思う」
「・・・う、うん、」
「・・・寂しいって、初めて思ったかもしれない。僕は本当に人の気持ちが理解できないから深く関わったことがなかったんだ。だから・・・ショウくん、うん、彰くんから連絡が来るたびに不思議だったけど・・・楽しかったよ。これは事実」
「・・・」
「・・・さっき、僕が悲しませたって聞いた時、悲しかったな」
「あ、ご、ごめん・・・つい、感情のままにぶつけてしまって・・・」
「ううん。悲しませてごめんなさい。今ようやく分かった。僕は彰くんに酷いことをした。あの日、一緒に出かけたあの日、楽しかったよ。キミがいつもと違って子供みたいにはしゃいで、ずっと笑っててくれた。営業なんかじゃない笑顔だった。さっきも感情のままをぶつけてくれてありがとう。僕の人生でそんなことをしてくれた人は彰くんだけだった」
「・・・また、会ってくれる?」
「会ってくれるの?こんな僕だけど・・・」
「・・・いいの?いいの!?じゃあ、じゃあ!!恋人になってくれるんだ!!」
え!?
ドキドキしながら行く末を見守っていたけど、あまりにも飛躍しすぎてびっくりする発言だった。
和多流くんもパスタを少し吹き出してむせ込んだ。厨房の方ではガタン!と物音がする。
「え!?こ、恋人?」
「だって会ってくれるんでしょ!?」
「え、う、うん。でも、あの、」
「他人の気持ちがわからないって言ってたけど、他人と関わっていけば分かるようになるよ!まずはおれと深く関わっていこうよ!でね、でね!こっち来て!」
いきなり牛久保さんを引っ張り立たせ、こちらの席に来る。犀川さんは本当に嬉しそうに言う。
「こっちがね、おれの中学の時からの先輩で、藤堂さん!それでこっちがその恋人の春日部くん!」
「え!?お、お友達なんじゃ、」
わ、わ、わぁあ・・・!
和多流くんが勢いよく立ち上がり、バチンと犀川さんの顔を叩く。
すると厨房からクマさんがやってきて、ピッチャーに並々と注いだ水を頭からかけた。
「お前ね、浮かれすぎ。何お前がカミングアウトしてんの?つーかアウティング?バカなの?」
「ぶへ、げほ、あ゛、ごめん、なさいっ、」
「あ、だ、大丈夫、大丈夫です・・・あの、お、おれ自身はカミングアウトしてないので内緒にしてもらえますと・・・」
「も、もちろんです!というか、誰が誰とお付き合いしてても関係ないですから・・・僕は言う人もいませんし・・・」
「あの、犀川さんとお付き合いするんです、か?」
「「やめといた方がいいですよ」」
クマさんと和多流くんの声が揃う。
犀川さんは目を丸くすると、なんでよ!?と叫んだ。
「お、お付き合い、の件ですが、したことがないからもしかしたら嫌な思いをさせ、」
「そういうの込みで、付き合うっていうんだよ!ね、アサヒさん!おれと恋しようよ。おれと遊びに行って、手を繋いで、キスをして、たまに喧嘩して、その度に仲直りしてさ!たくさん傷つけあって、慰め合って、お互いのこと知っていこ?おれと付き合お!」
和多流くんとは違う積極的な性格だなぁなんて、思ってしまった。
いきなり暴露されてびっくりしたけど、嫌な感じじゃない。何でだろう。
うーん。
和多流くんとクマさんが犀川さんに説教をして、牛久保さんが困ったような顔でそれを見ていた。厨房の出入り口で呆れたようにその姿を見て、犬飼さんが笑っている。
「あははっ」
「え?何?」
「和多流くん、お邪魔になっちゃうからこれ、タッパーに詰めてもらって帰ろ」
「え!?」
「牛久保さん、あの、おれとメッセージのID交換しませんか?もしよかったら・・・」
「え、ぼ、僕と?もちろんです。今スマホ出しますね」
「うしくぼって、いうの・・・?」
犀川さんがキョトンとした顔で言う。
あ、知らなかったんだ。
「うん。僕は牛久保旭っていうんだ。・・・よろしくね」
「・・・う、うん!うん!よろしくね!これで恋人同士だね!」
「「違うだろ」」
ついつい笑ってしまう。
犀川さんて、普段はこんな感じなんだ。ちょっとイメージが変わったな。
タッパーに詰めてもらってお店から出ると、犀川さんが一緒に出て来た。
泣きそうな笑顔でおれの手を握る。
「春日部くん、本当にありがとう。もう2度と会えないと思っていたから、偶然だったとしても本当に、本当に嬉しくて。しかも、ちゃんと気持ちが伝わったよ。キミのおかげ。ありがとう」
「いや、おれは何もしてなくて・・・」
「困ったことがあったら助けに行くから、連絡してね。何でもするからね。本当に本当に、ありがとう!おれ、今すごく幸せ!」
そう言うと、走って店内に戻って行った。
車に乗り込んで家に帰る。
和多流くんはダイニングチェアに腰を下ろすと、じーっとおれを見た。
「どうかした?」
「いや、涼くんに乗せて欲しい人がいるって言われた時、珍しいなって思ってさ」
「・・・あ、うん。あの、ありがとう」
「ちょっと妬けたんだけど、いたのがどう見ても無害そうな人で、びっくりした。まさか犀川の相手の人とも思わなかったし」
「おれもびっくりした!なんかね、どこかで見たことがあるなーとは思ってたんだ!でも、思い出せなくて」
「涼くんどーすんの。恋のキューピッドになっちゃって。全くけしからん」
「なんで!?」
「犀川のことだからこれからしつこく頼ってくるよ?全部無視してね」
「わ、分かった。あの2人、付き合うのかなぁ。どうなんだろ」
「付き合うよ」
「なんで分かるの?」
「あの人、一言も嫌だとは言わなかったし。それに犀川がゴリ押しし始めたし、勝手に浮かれてたでしょ?子供みたいにさ」
うん、浮かれてはしゃいでた。
あんな笑顔初めて見たもん。
タッパーを開けてパスタを食べると、和多流くんはもぐもぐしながらそれにさ、と続ける。
「やめといた方がいいって言われたら、興味湧くでしょ」
「え・・・」
あっ。
手を止めて和多流くんを見る。少し照れたように目を逸らされた。
なーんだ。なんだぁ!犀川さんのこと、ちゃんと心配してたんじゃん。天邪鬼!
ついニヤニヤしてしまう。
「和多流くんのそゆとこ、大好き」
「からかわないの」
「本当だもん。抱かれたいなって思っちゃった」
「え!!い、いいの?早く食べてお風呂行こ!」
「んー?ふふふ」
スマホが震えたので引っ張り出す。牛久保さんからだった。
お礼と、一歩踏み出してみることにしました、と書かれていた。
その一歩はおれにも覚えがあって。
緊張と少しの怖さと、好奇心。それから、小さな小さな恋心。懐かしいな。
また会いましょうねと返事をしてスマホをしまう。
和多流くんはあっという間に食べ終えて、お風呂の準備をしに立ち上がった。
「で。何がダメだったんだ」
絶対に家に入れたくない、と和多流くんが断固拒否するので、仕方なく犀川さんが借りている101号室にお茶のセットを持って入った。
犀川さんは一番奥の部屋(おれたちの部屋で言うとリビング兼和多流くんの仕事部屋で使っているところ)の床にごろんと寝転んでいた。
和多流くんは自分の部屋から持ってきたクッションに座っている。申し訳程度にベッドが置かれているだけの部屋。生活感もない。
和多流くんの部屋とは向きが逆なので、少しキッチンが使いづらかった。
お湯を沸かしてコーヒーを淹れると、和多流くんはため息をついた。
「ごめんね、巻き込んで」
「ううん。・・・あのー、犀川さんも飲みます?」
「・・・飲みます。わた先輩、おれ、ダメかも・・・失恋した・・・」
「ほうほう。残念だったな」
「ちょっとくらい優しくしてよ。なんなのさ、おれだって落ち込むことくらいあるんだから」
「だからこうやって話を聞こうとしてるんだろ」
と言いつつ面倒臭そう。
犀川さんはムッとすると、コーヒーに口をつけた。
「まったく。これから出かける予定だったのに」
「・・・」
「ほら。帰れ帰れ」
えぇっ。
和多流くん、冷たい・・・。
犀川さんの瞳が揺らいだ。悲しそうに俯く。
大人がここまで落ち込むんだもん。本当に悲しいことがあったんだ。
そう思ったらつい、ついぽろっとこぼしてしまった。
「和多流くんて結構冷たいんだね・・・」
「・・・えっ、」
「え、あ、・・・だって、和多流くんのこと頼って来てるのに・・・突き放すから・・・」
「・・・や、だってこれから出かける予定だったし、そもそもいい年した大人が、」
「おれが同じことした時も、本当はそう思ってたの?」
付き合う前、急に連絡したことあったよね。
電話で話を聞いてくれたり、急遽一緒に食事をしてくれたり、話を聞いてもらったりしてたけど・・・。
内心そんなふうに思ってたのかな・・・。ちょっと落ち込む。
和多流くんは怒ったように叫んだ。
「思ってないよ!!」
「ほんと?」
「なんでそんなこと言うの?!おれは、」
「犀川さんの話しは聞いてあげないの?出かけるのは明日でもいいよ。だって、犀川さん、いつもと違うよ?」
和多流くんは唇を突き出して犀川さんを見た。当の犀川さんは驚いた顔でおれを見ていたけど。
むーっとした和多流くんの隣に座り、腕を撫でる。落ち着いて欲しくて見上げると、目が合った。
「・・・ったくもぉ!しょーがねぇな!涼くんに感謝しろよ!?」
「・・・あ、ありがとぉ・・・。おれ、おれ、自分でもびっくりするくらい落ち込んで、仕事、休んじゃったんだ・・・」
和多流くんがギョッとした顔をする。
「は?お前が?仕事休んだ?」
「うん・・・予約もそんなに入ってないし、熱が出たって・・・昨日、休んじゃって・・・プロ失格だ・・・」
「・・・フラれたの?」
「・・・多分、もう会えない・・・」
「なんでよ」
「・・・アドバイス通りに、普段着で、会ったんだ。びっくりされたけど、似合うねって言ってくれて・・・プライベートでデートして、最後に、めちゃくちゃ勇気出して、告白したんだ。緊張して、吐くかと思った・・・」
「あ、プライベートで会えたんですね。よかった・・・」
「・・・告白したら、・・・僕にはそんなことしなくてもいいんだよって、言われて、」
「え?おれには?って?」
「あー、はいはい・・・。お前、それ言われてキレたんだろ」
ええっ!?
キレた!?
好きな人に!?
ギョッとして見つめると、犀川さんは俯いたまま小さく頷いてカップを置いた。
「だって、好きですって、付き合ってくださいって、ストレートに言ったのに、ちっとも受け取ってもらえなくて、僕はこんなことしてもらわなくてもお店に通うよって、言われて・・・悲しくて悲しくて、おれが誰かを好きになって告白するのって、そんなにおかしいの?そんなに伝わらないの?そんなに薄っぺらいの?おれだって、誰かを愛したいよ。愛されたいよ。あの人に、愛されたかったんだよ」
「・・・犀川さん、」
「おれだって人を好きになるんだよ!営業なんかじゃないのに!お金なんていらないのに!!」
デートの後、お金を渡されたのかな。
チラッと和多流くんを見る。
じーっと犀川さんを見た後におれを見て、困ったように首を傾げた。
「なんかすげー既視感・・・」
「えっ」
「いやー、おれも思ってたから・・・無理に割り勘にしなくてもいいのにとか・・・。デートの後・・・つーかデートだと思ってたのおれだけだと思うけど、さっきのお昼の分ってお金を渡されるのはちょっとねー、悲しかったよね」
「ご、ごめん・・・」
「いいよ。今は言わないから。で、犀川。そのままキレてどーしたの」
「・・・置いて帰って来ちゃった」
「わー・・・それはいかんだろ」
「だって、何言っても、分かってくれない・・・早く1人になりたくて、そのまま・・・」
「・・・え、じゃあ、返事を聞いたわけではないんですか?」
「返事も何も、受け取ってもらえてないんだから・・・」
「その後連絡は?」
「・・・してないし、来てない」
「してみては・・・」
「嫌だよ・・・。もう、悲しくなりたくない」
「犀川、これはおれのポリシーだけど・・・押し付けるつもりはないけど、置いて帰って来たのは良くなかったと思うよ。おれなら絶対にしない」
そういえば、和多流くんはいつも必ずおれのこと、駅まで送ってくれたな。
付き合ってから喧嘩をした時も、気まずい時も、置いて行かれたことって、ない。
そりゃー、家では口を利かないとかはあるけど、でも、出先で揉めて・・・置いて行かれたことはないなぁ。
元彼にはよく置き去りにされたけど。
「・・・うん、よく、なかった・・・最低だ。おれから声かけておいて・・・」
「謝罪の連絡はした方がいいと思うけど」
「・・・今していい?」
「は?電話すんの?部屋移動するわ」
「やだ無理ここにいて」
言いながらスマホをいじる。
なんか、やっぱり似てるよね・・・。和多流くんもすぐ行動するし。
耳に当て、じっとコール音を聞いている。出ないのだろう。落ち込んだように耳から離し、画面をタップした。
そしてポケットではなくカバンの奥底にしまい、コーヒーを一気に飲み干した。
「・・・わた先輩」
「ん?」
「慰めて」
「嫌だ」
「けちぃ・・・」
「面倒だもん。でも、飯なら奢ってやるよ」
「・・・わた先輩~・・・!!」
「はぁ・・・。涼くんごめん。夕方行ってくる。遅くなると思う」
「・・・うんっ。分かった」
和多流くんは優しい顔をしていた。
まだ時間があるので、犀川さんを落ち着かせるために部屋を出た。
自分たちの部屋に戻った瞬間、壁に押し付けられて唇を塞がれた。
「ぁむっ、ん、」
「思ってないから・・・涼くんの話しは、絶対にちゃんと聞きたくて、」
「あ、ん、ごめん、ごめんね。ついポロッと・・・あの、」
「冷たいって、思ってる?」
「思ってないよ。本当に冷たかったらこんなふうに過ごしてないでしょ。ごめんね。変なこと言って・・・。あの、ご飯は商店街?行くの?」
「うん。飲み屋もあるし。近いし」
「おれは家にいるね。おれがいると話しづらいこともあるだろうから」
「・・・ありがと」
頬を撫でられる。撫で返すと、なんとなく寂しそうにおれを見ていたので、ぎゅーっと強く抱きしめた。
******************************
「システムいじるなよ。今壊れてるから」
朝イチで成瀬さんに言われた。
そういえば昨日、一斉メールで成績を入力するシステムが起動しなくなったって来てたな。
分かりましたと返事をする。
「塾長の知り合いのシステムエンジニアが来て直すらしい。もともとそれを作ったのもその人なんだと」
「へぇー。使いやすいですよね」
「あぁ。10時頃に来るから手が空いてたら対応してくれ」
「分かりました」
10時は授業がないし、対応できるかな。
模試の成績を見ながら対策を考える。
伸び悩んでる子がいるとこっちも悩んじゃうんだよな。釣られないようにしないといけないのに。
「すみません、塾長はどちらにいますか?」
柔らかな声が聞こえた。パッと顔を上げると40代くらいのサラリーマン。
慌てて立ち上がる。名刺を渡されたので受け取ると、エンジニアさんだった。
牛久保、旭・・・。かっこいい名前だな。
「あ、ありがとうございます!こちらです!」
「遅くなってすみません。ご不便でしたよね」
「いえ、いえ!あの、これ、僕の名刺です」
差し出して顔を見る。あ、あれ??
どこかで見たことがあるような??
メガネで、髪が後ろに撫でつけられてて、細くて、どこにでもいそうな人なんだけど・・・。
「塾長、いらっしゃいました」
ノックをしてドアを開けると、塾長はニコニコしながら出迎えてくれた。
「ありがとねー。いきなりごめんね」
「全然。作ったの僕だし、今まで何もなかったのがおかしいんだよ。よくバグらなかったね」
「旭が作ったからバグもなかったんでしょ。でもとうとう来ちゃったよ。あ、春日部くん、ありがとうね。改めて紹介するね。この人、牛久保旭って言って、大学の同期なの」
「あ、ご友人なんですね」
「そうそう。ごめんね、自販機でお茶、買って来てくれないかな」
小銭を渡される。急いでお茶を買って戻ると、もう作業に入っていた。ふわふわっとした穏やかな表情が、キリッと引き締まって画面に向いていた。
「ありがとう。行って大丈夫だよ」
「何かあったら呼んでください」
「ありがとね。授業もよろしくね」
部屋を出て必死に思い出す。
どこで見かけたんだろうな。
話したことはないと思う。でも知ってるんだよね。不思議な感覚。
授業を全て終えて帰宅の準備をして非常階段に出ると、ちょうど牛久保さんも階段を降りていた。
追いかけて声をかける。
「あの、お疲れ様でした」
「え?あ、春日部さん。お疲れ様です」
「結構時間がかかるんですね」
「えぇ。ついでに他のこともやってました」
「お疲れ様です。あ、駅ですか?」
「はい。春日部さんも?」
「はい」
並んで歩き、雑談をしながら駅へ向かう。
話しやすいし、なんとなく同類な感じがする。何が、とは言えないのだけど。
「あれ?電車停まってる」
「え?あ!人身事故だ」
駅に来たはいいものの、電車が停まっていた。
牛久保さんはポーッと掲示板を見た後、スマホを取り出した。
「わ!それ、最新の・・・!」
「あぁ、僕、機械が好きですぐ買っちゃうんですよ」
「すごい。使ってる人初めて見ました。高いんですよね」
「独り身なのでついついこういうのにお金をかけちゃって・・・。うーん、事故が起きたばかりみたいだ。ビジネスホテル取っちゃおうかなぁ・・・」
「遠いんですか?」
聞くと、方向的には家と同じだった。少し考えて、提案してみる。
「あの、おれ、実は友達が車で迎えに来てくれてて・・・乗りますか?」
「・・・へ?いや、悪いですよ!そんな、今日お会いしたばかりで・・・!」
「明日もお仕事でしょうし、ちゃんと帰ったほうがいいかなと思って。方向同じなので、ちょっと待ってくださいね」
スマホを取り出して和多流くんにメッセージを入れる。
すぐに返事が来た。短く、いいよ。だけ。後でヤキモチ妬くかなぁ。とりあえず質問攻めに合いそう。仕方ないか。
「こっちに来てますから、行きましょう」
「ほ、本当にいいんですか?正直、助かります・・・。シャツの替え、持ってないんで・・・」
「シャツくらい替えたいですよね。すごく分かります。あ、んと、友達、2人いて・・・でも、いい人なので、安心してくださいね!」
どうやら犀川さんも一緒らしい。
一昨日アパートに来てからずっと寝泊まりしているのだ。仕事もアパートから行っている。
相当落ち込んだんだろうな。
食事に出かけたあの日、居酒屋さんが閉まるまで付き合わされてたし。
ロータリーに出ると、和多流くんが立っていた。
牛久保さんが深々と頭を下げる。
「すみません、お世話になります。ありがとうございます」
「いえいえ。人でごった返してるから、動き出しても乗れないだろうと思って。1人うるさいのが乗ってるんですけど、気にしないでください。どうぞ」
後部座席のドアを開けてくれる。牛久保さんを先に乗せて乗り込もうとすると、体が固まっていることに気づいた。
「牛久保さん?」
「ん?どうかした?なんか物でも置いてあった?」
和多流くんと一緒に覗き込む。
一番後ろのシートに座る犀川さんと牛久保さんが目を丸くして見つめあっていた。
2人ともカッチコチ。
「ショ、ショウ、くん、」
「・・・アサヒさん、なんで・・・」
「・・・あーーーー!!」
「わ、びっくりした!何、涼くん」
お、お、思い出した!!
牛久保さん、写真で見たことがあるんだ!その写真には、犀川さんも写ってて・・・!!
この人、そうだ、犀川さんの・・・!!
「・・・えっと、とりあえず車出していいのかな?」
和多流くんが困惑したようにおれを見る。頷くことしかできなかった。だって、出ないと帰れないもんね・・・。
******************************
どうにもこうにも気まずくて、とりあえず、とりあえずクマさんのお店にやって来た。
クマさんも犬飼さんも4人でやって来た姿を見て不思議そうにしていた。
牛久保さんと犀川さんを一番奥の窓際の席に座らせて、おれと和多流くんは2席離れた窓際に座る。
犬飼さんにかいつまんで説明すると、驚いた顔になった。
「そんなこともあるんですね」
「おれもびっくりして・・・」
「おれも驚いたよ。涼くんから乗せて欲しい人がいるって言われて来てみたら、犀川のお客さん・・・しかも、ねぇ・・・?」
「ねぇ・・・」
「あぁ、結局うまくいかなかったんです?」
「まぁ多分、あいつはフラれましたね」
「いやいや、決まったわけじゃないし・・・」
「とりあえず軽めの食事を出して・・・で、いいですかね?」
「お願いします。涼くんも食べるよね」
「う、うん」
「分かりました。お待ちください」
犬飼さんが厨房へ戻っていく。ちらっと奥の2人を見ると、黙り込んでいた。おれと和多流くんからは犀川さんの顔しか見えないけど・・・何度か口を開いては、つぐんでいた。
そしていきなり立ち上がると、ズカズカ歩いて和多流くんの前で止まった。
「わた先輩、助けて」
「無理。何をどうすんだよ。お前のことだろ。お前が頑張れ」
「だって、・・・何を話したらいいか」
「おれだって知らん」
「・・・胸が痛い」
「とりあえずご飯が来るまで待ってれば」
犀川さんは肩を落としてまた席に戻った。
また沈黙かなと思いきや。
「ごめんね。連絡、返せなくて」
「えっ」
牛久保さんが小さく言った。
「・・・ごめんね。僕は昔から人の気持ちを理解できなくて、よく怒らせていたから・・・優しいショウくんが怒るんだから、もう人としてダメなんだなって、思ってたんだ」
「え、え、なんで、そんなこと思うの?」
「いや、本当に他人の気持ちを理解できなくて・・・。僕は、欠落した人間だから1人で生きていこうってずっと思ってて・・・きっともうキミとも会えないと思っていたら、ごめんなさいってメッセージが来て・・・驚いてしまった。キミに悪いところなんて一つもなかったのに、なんで僕なんかにって思って、不思議で不思議でたまらなくて。直接聞いてみようと思って、お店に予約を入れようとしたらお休みだって聞いたんだ。体調が悪かったの?心配した」
「・・・し、心配してくれたの?」
「え?そりゃ、もちろん・・・。いつも元気なのに・・・僕が原因だったらどうしようって、思ったりもしたけど・・・僕なんかのことで体調を崩すほど弱い人じゃないよねって思い直して、」
「アサヒさんのせいで、おれ、ずーっと泣いてた」
「・・・え!?」
「もう2度と会えないと、思った・・・」
なんで牛久保さんに親近感を持ったのかわかった。
自分なんかって思って過ごすことが当たり前になっているところが、似てるからだ。
胸がチクチクする。
犀川さんは涙声で叫んだ。
「アサヒさんがおれを傷つけて、悲しませて、おれは仕事を休んだんだよ」
「え、え・・・!?ご、ごめんなさい・・・!でも、なんで?」
「何でって、・・・!」
「わ、分からなくて、ごめんなさい・・・。あの、」
「おれが言ったこと、覚えてる・・・?」
「・・・えと、恋人になりたいって、やつかな?うん、でも、あの言葉は他の、」
「他の人に言ってどうすんの」
「えぇーっと・・・」
え、え、えぇっ!?
まさかこの人、鈍感とか通り越して、自分にはありえないことって、思ってるの・・・??
これは、おれより重症なんじゃ・・・!
和多流くんも驚いたような顔でおれと目を合わせて、困惑したように笑った。
「これは難易度が・・・犀川の人生の中で最高難度だろうね・・・」
「お、おれも鈍感だけど、ここまでじゃなかったよね・・・」
「うん・・・」
「おれはアサヒさんに言ったの!アサヒさんじゃないと嫌なの!ここまで言っても分かんない?伝わんない?!」
「・・・営業じゃ、」
「ない!!ずっと言ってる!!」
「・・・何で僕なの?何もないよ?」
「あるよ!・・・えと、ここで言うのは、嫌なので、2人の時に・・・」
「・・・」
「・・・お、おれのこと、何とも思わなかった?」
犀川さんの声が震えていた。
うぅ、こっちまで緊張してきた。
犬飼さんがやって来てパスタを置いてくれる。
「随分手強いですね。クマも耳を澄ませて会話を聞いてますよ」
「おれ、自分より自己肯定感の低い人、初めて見ました・・・」
「正直おれもです。犀川に少し同情しますね」
「そういう人だって分かってて好きになったのがすごいけどね」
「た、確かに・・・。話し、まとまるのかな」
「まとめてもらわないと店が閉められないですね」
「ていうか犀川も焦ったいんだよな・・・畳みかけろよ」
和多流くんがため息をついた。
しばらく黙り込んでいた牛久保さんがようやく言葉を発した。
「ショウくんに本名を教えてもらった時、嬉しかったな・・・」
「へ?」
「彰くんっていうんだなって・・・あと、走って帰ってしまった時、少し寂しかったと思う」
「・・・う、うん、」
「・・・寂しいって、初めて思ったかもしれない。僕は本当に人の気持ちが理解できないから深く関わったことがなかったんだ。だから・・・ショウくん、うん、彰くんから連絡が来るたびに不思議だったけど・・・楽しかったよ。これは事実」
「・・・」
「・・・さっき、僕が悲しませたって聞いた時、悲しかったな」
「あ、ご、ごめん・・・つい、感情のままにぶつけてしまって・・・」
「ううん。悲しませてごめんなさい。今ようやく分かった。僕は彰くんに酷いことをした。あの日、一緒に出かけたあの日、楽しかったよ。キミがいつもと違って子供みたいにはしゃいで、ずっと笑っててくれた。営業なんかじゃない笑顔だった。さっきも感情のままをぶつけてくれてありがとう。僕の人生でそんなことをしてくれた人は彰くんだけだった」
「・・・また、会ってくれる?」
「会ってくれるの?こんな僕だけど・・・」
「・・・いいの?いいの!?じゃあ、じゃあ!!恋人になってくれるんだ!!」
え!?
ドキドキしながら行く末を見守っていたけど、あまりにも飛躍しすぎてびっくりする発言だった。
和多流くんもパスタを少し吹き出してむせ込んだ。厨房の方ではガタン!と物音がする。
「え!?こ、恋人?」
「だって会ってくれるんでしょ!?」
「え、う、うん。でも、あの、」
「他人の気持ちがわからないって言ってたけど、他人と関わっていけば分かるようになるよ!まずはおれと深く関わっていこうよ!でね、でね!こっち来て!」
いきなり牛久保さんを引っ張り立たせ、こちらの席に来る。犀川さんは本当に嬉しそうに言う。
「こっちがね、おれの中学の時からの先輩で、藤堂さん!それでこっちがその恋人の春日部くん!」
「え!?お、お友達なんじゃ、」
わ、わ、わぁあ・・・!
和多流くんが勢いよく立ち上がり、バチンと犀川さんの顔を叩く。
すると厨房からクマさんがやってきて、ピッチャーに並々と注いだ水を頭からかけた。
「お前ね、浮かれすぎ。何お前がカミングアウトしてんの?つーかアウティング?バカなの?」
「ぶへ、げほ、あ゛、ごめん、なさいっ、」
「あ、だ、大丈夫、大丈夫です・・・あの、お、おれ自身はカミングアウトしてないので内緒にしてもらえますと・・・」
「も、もちろんです!というか、誰が誰とお付き合いしてても関係ないですから・・・僕は言う人もいませんし・・・」
「あの、犀川さんとお付き合いするんです、か?」
「「やめといた方がいいですよ」」
クマさんと和多流くんの声が揃う。
犀川さんは目を丸くすると、なんでよ!?と叫んだ。
「お、お付き合い、の件ですが、したことがないからもしかしたら嫌な思いをさせ、」
「そういうの込みで、付き合うっていうんだよ!ね、アサヒさん!おれと恋しようよ。おれと遊びに行って、手を繋いで、キスをして、たまに喧嘩して、その度に仲直りしてさ!たくさん傷つけあって、慰め合って、お互いのこと知っていこ?おれと付き合お!」
和多流くんとは違う積極的な性格だなぁなんて、思ってしまった。
いきなり暴露されてびっくりしたけど、嫌な感じじゃない。何でだろう。
うーん。
和多流くんとクマさんが犀川さんに説教をして、牛久保さんが困ったような顔でそれを見ていた。厨房の出入り口で呆れたようにその姿を見て、犬飼さんが笑っている。
「あははっ」
「え?何?」
「和多流くん、お邪魔になっちゃうからこれ、タッパーに詰めてもらって帰ろ」
「え!?」
「牛久保さん、あの、おれとメッセージのID交換しませんか?もしよかったら・・・」
「え、ぼ、僕と?もちろんです。今スマホ出しますね」
「うしくぼって、いうの・・・?」
犀川さんがキョトンとした顔で言う。
あ、知らなかったんだ。
「うん。僕は牛久保旭っていうんだ。・・・よろしくね」
「・・・う、うん!うん!よろしくね!これで恋人同士だね!」
「「違うだろ」」
ついつい笑ってしまう。
犀川さんて、普段はこんな感じなんだ。ちょっとイメージが変わったな。
タッパーに詰めてもらってお店から出ると、犀川さんが一緒に出て来た。
泣きそうな笑顔でおれの手を握る。
「春日部くん、本当にありがとう。もう2度と会えないと思っていたから、偶然だったとしても本当に、本当に嬉しくて。しかも、ちゃんと気持ちが伝わったよ。キミのおかげ。ありがとう」
「いや、おれは何もしてなくて・・・」
「困ったことがあったら助けに行くから、連絡してね。何でもするからね。本当に本当に、ありがとう!おれ、今すごく幸せ!」
そう言うと、走って店内に戻って行った。
車に乗り込んで家に帰る。
和多流くんはダイニングチェアに腰を下ろすと、じーっとおれを見た。
「どうかした?」
「いや、涼くんに乗せて欲しい人がいるって言われた時、珍しいなって思ってさ」
「・・・あ、うん。あの、ありがとう」
「ちょっと妬けたんだけど、いたのがどう見ても無害そうな人で、びっくりした。まさか犀川の相手の人とも思わなかったし」
「おれもびっくりした!なんかね、どこかで見たことがあるなーとは思ってたんだ!でも、思い出せなくて」
「涼くんどーすんの。恋のキューピッドになっちゃって。全くけしからん」
「なんで!?」
「犀川のことだからこれからしつこく頼ってくるよ?全部無視してね」
「わ、分かった。あの2人、付き合うのかなぁ。どうなんだろ」
「付き合うよ」
「なんで分かるの?」
「あの人、一言も嫌だとは言わなかったし。それに犀川がゴリ押しし始めたし、勝手に浮かれてたでしょ?子供みたいにさ」
うん、浮かれてはしゃいでた。
あんな笑顔初めて見たもん。
タッパーを開けてパスタを食べると、和多流くんはもぐもぐしながらそれにさ、と続ける。
「やめといた方がいいって言われたら、興味湧くでしょ」
「え・・・」
あっ。
手を止めて和多流くんを見る。少し照れたように目を逸らされた。
なーんだ。なんだぁ!犀川さんのこと、ちゃんと心配してたんじゃん。天邪鬼!
ついニヤニヤしてしまう。
「和多流くんのそゆとこ、大好き」
「からかわないの」
「本当だもん。抱かれたいなって思っちゃった」
「え!!い、いいの?早く食べてお風呂行こ!」
「んー?ふふふ」
スマホが震えたので引っ張り出す。牛久保さんからだった。
お礼と、一歩踏み出してみることにしました、と書かれていた。
その一歩はおれにも覚えがあって。
緊張と少しの怖さと、好奇心。それから、小さな小さな恋心。懐かしいな。
また会いましょうねと返事をしてスマホをしまう。
和多流くんはあっという間に食べ終えて、お風呂の準備をしに立ち上がった。
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