26 / 28
第26話 とある締結師の飛翔
しおりを挟む
「露原先生」
縁側に腰かけスマートフォンを弄っていた狗彦は、慣れ親しんだ呼びかけに顔を上げた。やはり、というべきか庭にはすっきりした面持ちの教え子が立っている。戦いの名残はどこにも残っておらず、表面的には健康そうに見えた。
「もう平気なのか」
何が平気なのかは聞かなかった。狗彦が巌乃斗天莉に対して確認したいことは多すぎる。だから彼女が示したい態度に任せることにした。
「はい。そこそこ元気ですよ。というか心配されすぎた感じですかね、特に大きな怪我もないから、寝てれば回復しましたし」
天莉は少し疲れたように笑う。
狗彦たち露払家が最近町を騒がせていた妖を祓い、天莉が自身の式神に喰われたあの日から、5日が経過していた。
天莉が倒れていた間に師走を迎え、年末へ向かう忙しなさは増している。
新年への準備に明け暮れていればいいものを、陰陽寮の一部の者たちは今回の一件を厭味ったらしく批判した。狗彦と反りの合わない陰陽師に侮蔑の言葉を投げかけられもした。
「それよりもびっくりしたんですけど、私なんの罰も受けないんですね。……露払先生に気を遣わせちゃいましたか?」
「お前が罰を受ける必要なんかないだろ」
「……だって、契約した式神を制御しきれなかったし、一歩間違えればもっと多くの一般人を傷つけていた可能性もあるじゃないですか。というかすでに死人も――」
「あれは別の妖が欲を出した結果だ。襲いやすい状況にしたことと、実際に襲うかどうかは違う問題だろ」
高地湖もそうだが、別に消失するほど妖たちは喰われていたわけではない。放置しておけば回復し、何事もなく生きていただろう。だが悪用するものに見つかってしまった。
妖が妖を害すのはよくあることだが、被害が人間まで及べば黙ってはいられない。
「人を襲った妖は祓われた、人を害そうとした妖は滅された。それで終わってる。というかあの式神に関して言えば一番危なくて死にそうな目にあったのが契約していた術者だからな。痛い目に合ったんだからもういいだろ」
罰、というなら事件の中心になった時点で天莉は既に受けている。優秀な式神を失ってしまったのも彼女にとっては自業自得の損失だ。
「……甘いですね」
「陰陽寮の一部のアホが身内以外に厳しいんだよ。見習い卒業後すぐに式神と敵対したり制御しきれなかったりして親に泣きついた奴もいるのに、こんな時だけ嬉々として出てきて責めやがって」
師匠の悪態を弟子の締結師は困ったように聞いていた。
陰陽寮は天莉に対して厳重注意のみでお咎めなしとしたが、それが気に入らない輩に嫌味でも言われたのだろう。
ならば狗彦は天莉の側に立つだけだ。
「……ありがとうございます」
苦いものが含まれていたが、狗彦の言葉を否定せず天莉はお礼を述べた。
「今日は、その……私の処遇のこと掛け合ってくれたんだろうな、って思ったので感謝を伝えに来たんです。露払先生も知ってると思いますけど、――私、締結師の仕事無期限でお休みするので」
悲しむでもなく怒るでもなく、天莉は事実を淡々と口にした。
「……戻ってないのか」
「はい。あれから、妖の姿がさっぱり見えなくなっちゃって」
巌乃斗天莉が目覚めてからの一番の変化がこれだった。
締結師として当たり前のように妖と接していた彼女は、その存在すら認識できなくなっている。露払の家や陰陽寮の術者ですら原因はわからず、対処の仕様がなかった。
何も見えないただの人であるのなら、こちらの世界に留まり続けることはできない。
「霊力も無くなったわけじゃなし、式神の契約もたぶん切れてないらしいですけど、どうしようもないですからね……変に未練が残っちゃいそうだからこの家に来るのもこれで最後にします」
「そうか」
「病院で右夜と櫛笥さんには助けてくれたお礼は伝えたので、私の事情は露払先生から話してもらってもいいですか? ……あの2人には上手く説明できる気がしなくて」
何かに耐えるように、彼女は俯く。
「では、今までお世話になりました」
「天莉」
くるりと後ろを向いて歩き出そうとした弟子に、狗彦は思わず声をかけていた。こちらを顧みないまま彼女の足が止まる。平静を装っていたがもう限界だったらしい。
「分かんないこととか、聞きたいことばっかりなんです」
堰を切ったように思いの丈が溢れ出る。
「どうしてあんなことしたの、とか。ずっと食ってやろうと思って傍にいたの、とか。でも思い出すキミドリは言葉はきついけど優しい所もあって、最後だってもしかしたら死んでたかもしれなのに私を庇って……結果だけ見れば祓われて当然だから櫛笥さんにも右夜にもすっごく感謝してるんです。だけど」
おそらくこれは誰にも言えない天莉の悲しみだった。
「もう、会えないの。お別れも言えなかった。私が、私がもっとしっかりしてれば、甘い考えなんて捨ててもっと――」
「今更あの食わず女房が何を考えていたか知らないが」
寒空に息を吐き出す様に、狗彦はゆっくりと弟子に言葉を紡ぐ。
「お前が喰われた時、それを見ていた下級の妖が必死になって俺の所に来た。昔視界を曇らせて迷惑をかけた上に、先日死にかけていたのを助けられたのに、何も返せていないと身体を構成する妖力まで削りながら俺を呼びに来た。そいつの知らせがなかったら、あんなに早く現場には着けなかっただろうな」
天莉は大きな怪我もなく寝ていれば治ったというが、狗彦が駆け付けた時彼女は霊力が空で生命力もかなり弱っていた。治療がすぐにできたおかげで何ともないが、時間がもっと経っていればどうなっていたかわからない。
「今までの自分のやり方を内省するのは勝手だが、お前の甘さに感謝している奴がいて、そのおかげで助かったことも覚えておいた方がいい」
「は、い」
表情は窺えなかったが、天莉の声音は微かに震えていた。
そのまま真っすぐ、彼女は玄関の方へと去って行く。今度こそ狗彦は呼び止めることはなく、天莉も立ち止まることはなかった。
師匠と弟子が最後に話をしている間、塀の上でやりとりを見守っていた妖が大きく羽根を広げる。狗彦だけが認識していた妖は、鳶のような姿をした天莉の式神だった。その頭には黒い靄が毛玉になったような妖がちょこんと居座っていた。
高く高く、澄み渡った冬空へと式神は舞い上がる。
妖たちが飛翔していく様を狗彦は黙って見送った。
縁側に腰かけスマートフォンを弄っていた狗彦は、慣れ親しんだ呼びかけに顔を上げた。やはり、というべきか庭にはすっきりした面持ちの教え子が立っている。戦いの名残はどこにも残っておらず、表面的には健康そうに見えた。
「もう平気なのか」
何が平気なのかは聞かなかった。狗彦が巌乃斗天莉に対して確認したいことは多すぎる。だから彼女が示したい態度に任せることにした。
「はい。そこそこ元気ですよ。というか心配されすぎた感じですかね、特に大きな怪我もないから、寝てれば回復しましたし」
天莉は少し疲れたように笑う。
狗彦たち露払家が最近町を騒がせていた妖を祓い、天莉が自身の式神に喰われたあの日から、5日が経過していた。
天莉が倒れていた間に師走を迎え、年末へ向かう忙しなさは増している。
新年への準備に明け暮れていればいいものを、陰陽寮の一部の者たちは今回の一件を厭味ったらしく批判した。狗彦と反りの合わない陰陽師に侮蔑の言葉を投げかけられもした。
「それよりもびっくりしたんですけど、私なんの罰も受けないんですね。……露払先生に気を遣わせちゃいましたか?」
「お前が罰を受ける必要なんかないだろ」
「……だって、契約した式神を制御しきれなかったし、一歩間違えればもっと多くの一般人を傷つけていた可能性もあるじゃないですか。というかすでに死人も――」
「あれは別の妖が欲を出した結果だ。襲いやすい状況にしたことと、実際に襲うかどうかは違う問題だろ」
高地湖もそうだが、別に消失するほど妖たちは喰われていたわけではない。放置しておけば回復し、何事もなく生きていただろう。だが悪用するものに見つかってしまった。
妖が妖を害すのはよくあることだが、被害が人間まで及べば黙ってはいられない。
「人を襲った妖は祓われた、人を害そうとした妖は滅された。それで終わってる。というかあの式神に関して言えば一番危なくて死にそうな目にあったのが契約していた術者だからな。痛い目に合ったんだからもういいだろ」
罰、というなら事件の中心になった時点で天莉は既に受けている。優秀な式神を失ってしまったのも彼女にとっては自業自得の損失だ。
「……甘いですね」
「陰陽寮の一部のアホが身内以外に厳しいんだよ。見習い卒業後すぐに式神と敵対したり制御しきれなかったりして親に泣きついた奴もいるのに、こんな時だけ嬉々として出てきて責めやがって」
師匠の悪態を弟子の締結師は困ったように聞いていた。
陰陽寮は天莉に対して厳重注意のみでお咎めなしとしたが、それが気に入らない輩に嫌味でも言われたのだろう。
ならば狗彦は天莉の側に立つだけだ。
「……ありがとうございます」
苦いものが含まれていたが、狗彦の言葉を否定せず天莉はお礼を述べた。
「今日は、その……私の処遇のこと掛け合ってくれたんだろうな、って思ったので感謝を伝えに来たんです。露払先生も知ってると思いますけど、――私、締結師の仕事無期限でお休みするので」
悲しむでもなく怒るでもなく、天莉は事実を淡々と口にした。
「……戻ってないのか」
「はい。あれから、妖の姿がさっぱり見えなくなっちゃって」
巌乃斗天莉が目覚めてからの一番の変化がこれだった。
締結師として当たり前のように妖と接していた彼女は、その存在すら認識できなくなっている。露払の家や陰陽寮の術者ですら原因はわからず、対処の仕様がなかった。
何も見えないただの人であるのなら、こちらの世界に留まり続けることはできない。
「霊力も無くなったわけじゃなし、式神の契約もたぶん切れてないらしいですけど、どうしようもないですからね……変に未練が残っちゃいそうだからこの家に来るのもこれで最後にします」
「そうか」
「病院で右夜と櫛笥さんには助けてくれたお礼は伝えたので、私の事情は露払先生から話してもらってもいいですか? ……あの2人には上手く説明できる気がしなくて」
何かに耐えるように、彼女は俯く。
「では、今までお世話になりました」
「天莉」
くるりと後ろを向いて歩き出そうとした弟子に、狗彦は思わず声をかけていた。こちらを顧みないまま彼女の足が止まる。平静を装っていたがもう限界だったらしい。
「分かんないこととか、聞きたいことばっかりなんです」
堰を切ったように思いの丈が溢れ出る。
「どうしてあんなことしたの、とか。ずっと食ってやろうと思って傍にいたの、とか。でも思い出すキミドリは言葉はきついけど優しい所もあって、最後だってもしかしたら死んでたかもしれなのに私を庇って……結果だけ見れば祓われて当然だから櫛笥さんにも右夜にもすっごく感謝してるんです。だけど」
おそらくこれは誰にも言えない天莉の悲しみだった。
「もう、会えないの。お別れも言えなかった。私が、私がもっとしっかりしてれば、甘い考えなんて捨ててもっと――」
「今更あの食わず女房が何を考えていたか知らないが」
寒空に息を吐き出す様に、狗彦はゆっくりと弟子に言葉を紡ぐ。
「お前が喰われた時、それを見ていた下級の妖が必死になって俺の所に来た。昔視界を曇らせて迷惑をかけた上に、先日死にかけていたのを助けられたのに、何も返せていないと身体を構成する妖力まで削りながら俺を呼びに来た。そいつの知らせがなかったら、あんなに早く現場には着けなかっただろうな」
天莉は大きな怪我もなく寝ていれば治ったというが、狗彦が駆け付けた時彼女は霊力が空で生命力もかなり弱っていた。治療がすぐにできたおかげで何ともないが、時間がもっと経っていればどうなっていたかわからない。
「今までの自分のやり方を内省するのは勝手だが、お前の甘さに感謝している奴がいて、そのおかげで助かったことも覚えておいた方がいい」
「は、い」
表情は窺えなかったが、天莉の声音は微かに震えていた。
そのまま真っすぐ、彼女は玄関の方へと去って行く。今度こそ狗彦は呼び止めることはなく、天莉も立ち止まることはなかった。
師匠と弟子が最後に話をしている間、塀の上でやりとりを見守っていた妖が大きく羽根を広げる。狗彦だけが認識していた妖は、鳶のような姿をした天莉の式神だった。その頭には黒い靄が毛玉になったような妖がちょこんと居座っていた。
高く高く、澄み渡った冬空へと式神は舞い上がる。
妖たちが飛翔していく様を狗彦は黙って見送った。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
【完結】陰陽師は神様のお気に入り
綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
キャラ文芸
平安の夜を騒がせる幽霊騒ぎ。陰陽師である真桜は、騒ぎの元凶を見極めようと夜の見回りに出る。式神を連れての夜歩きの果て、彼の目の前に現れたのは―――美人過ぎる神様だった。
非常識で自分勝手な神様と繰り広げる騒動が、次第に都を巻き込んでいく。
※注意:キスシーン(触れる程度)あります。
【同時掲載】アルファポリス、カクヨム、エブリスタ、小説家になろう
※「エブリスタ10/11新作セレクション」掲載作品
【完結】王太子妃の初恋
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
カテリーナは王太子妃。しかし、政略のための結婚でアレクサンドル王太子からは嫌われている。
王太子が側妃を娶ったため、カテリーナはお役御免とばかりに王宮の外れにある森の中の宮殿に追いやられてしまう。
しかし、カテリーナはちょうど良かったと思っていた。婚約者時代からの激務で目が悪くなっていて、これ以上は公務も社交も難しいと考えていたからだ。
そんなカテリーナが湖畔で一人の男に出会い、恋をするまでとその後。
★ざまぁはありません。
全話予約投稿済。
携帯投稿のため誤字脱字多くて申し訳ありません。
報告ありがとうございます。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
忘れられた妻
毛蟹葵葉
恋愛
結婚初夜、チネロは夫になったセインに抱かれることはなかった。
セインは彼女に積もり積もった怒りをぶつけた。
「浅ましいお前の母のわがままで、私は愛する者を伴侶にできなかった。それを止めなかったお前は罪人だ。顔を見るだけで吐き気がする」
セインは婚約者だった時とは別人のような冷たい目で、チネロを睨みつけて吐き捨てた。
「3年間、白い結婚が認められたらお前を自由にしてやる。私の妻になったのだから飢えない程度には生活の面倒は見てやるが、それ以上は求めるな」
セインはそれだけ言い残してチネロの前からいなくなった。
そして、チネロは、誰もいない別邸へと連れて行かれた。
三人称の練習で書いています。違和感があるかもしれません
京都式神様のおでん屋さん 弐
西門 檀
キャラ文芸
路地の奥にある『おでん料理 結(むすび)』ではイケメン二体(式神)と看板猫がお出迎えします。
今夜の『予約席』にはどんなお客様が来られるのか。乞うご期待。
平安時代の陰陽師・安倍晴明が生前、未来を案じ2体の思業式神(木陰と日向)をこの世に残した。転生した白猫姿の安倍晴明が式神たちと令和にお送りする、心温まるストーリー。
※一巻は第六回キャラクター文芸賞、
奨励賞を受賞し、2024年2月15日に刊行されました。皆様のおかげです、ありがとうございます✨😊
フリーの祓い屋ですが、誠に不本意ながら極道の跡取りを弟子に取ることになりました
あーもんど
キャラ文芸
腕はいいが、万年金欠の祓い屋────小鳥遊 壱成。
明るくていいやつだが、時折極道の片鱗を見せる若頭────氷室 悟史。
明らかにミスマッチな二人が、ひょんなことから師弟関係に発展!?
悪霊、神様、妖など様々な者達が織り成す怪奇現象を見事解決していく!
*ゆるゆる設定です。温かい目で見守っていただけると、助かります*
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる