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第22話 落とし穴
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露払から高地湖が帰ったと連絡があった。
電話口での露払は、元凶を追うのに忙しそうで通話はすぐに切れてしまう。後は上手くいくようわたくしたちは祈るしかない。
暦と村雲そしてわたくしは徒歩で高地自然公園まで再度やって来る。
日も落ちきった園内は閑散としており、立ち入りを禁じているわけではないが日中のように人は行き交っていない。何度か通った遊歩道の先に、目的としていた湖が見えた。
「遅いぜあんたら! ほら早く、スマホ!」
首長竜のような本性ではなく男子生徒の姿で高地湖は待っていた。
ベンチから勢い良く立ち上がり人の手をこちらに差し出す。その剣幕に若干引きながらも暦は白い箱を渡している。
「露原さんからの伝言です。開通は明日の9時からなので、それ以降なら電話もネットも自由、だそうですわ」
「は!?」
うきうきとスマートフォンのフィルムを剥がしていた高地湖は、愕然とし動きを止めた。
「じゃあそれまでただの金属の塊じゃねえか」
「Wi-Fi繋げばネットは使えるけどな。アプリもそうやって先に入れて準備したし」
「この湖近くにWi-Fi飛んでるように見えるかクソガキ」
暦のフォローも意味はなく、光の灯らない眼で高地湖は項垂れていた。
初めてここで会話をした時は底知れない妖といった雰囲気だったが、今日は彼の感情豊かな部分をたくさん目撃している。露払が少年と例えていたのも今なら少し理解できた。
「ああ、もういいや。どうしようもねえしな。――それにしてもオレはまた自分を見失ってたのか」
諦めの言葉と共に高地湖はため息をつく。
「協力するとは言ったが、今回こそはオレのままで公園を出られるかもしれないって思ったのにな」
「ですがあなたはこの湖自身なのですから、それは」
「普通は不可能だろうぜ。――特別な奴じゃないと無理だ」
特別。
彼が以前も語っていたことだ。
「クソ、また試してみるか」
短い髪を苛立たし気に乱し、高地湖は次の話をする。
「そんなんされたらまたうち回収行かされるやん」
「はあ!? ほっとけばいだろうが」
「高校で初めて会った日も、公園を出られるか試して迷い込んだのですか」
それは、何の気なしに尋ねた一言だった。
「いや、あの日は」
自信ありげで遠慮のない高地湖の態度が弱くなる。まずいことを言いあぐねている、というよりはどう答えてよいのか分からない不安定が垣間見える。
遠い過去を探るように彼は何かを思い出そうと唸っていた。
「前の日の夜に月を眺めていた、はずだ」
「……この公園でですか?」
「ああ、人間もいないし他に妖も居なかったから、湖の柵近くで浮かんでた」
いくらかはっきりしてきた当時の情景。
わたくしは喉が渇くのを自覚しながら、真実を見極めようと高地湖に話を続けさせた。
「……その後、何があったのですか?」
「誰かに呼ばれて、振り向いたら……そういえば、なんだっけ。穴、なんか黒い穴に飲まれて……音無として動いていた記憶はあるがオレを取り戻したのは、露払狗彦の家の庭だな」
高地湖は、公園を出ていない。
それなのに自分を失って彷徨い、安定化のために人を模倣した。
つまり――誰かが高地湖の存在を欠けさせた。
黒い穴、飲まれて、という表現に背筋が寒くなる。
そんな、まさか。
◆ ◆ ◆ ◆
「キミドリ!」
夜がやってきたばかりのうら寂しい中学校で、天莉の悲痛な声は良く通った。
校舎の隣にある部室練の前で慌てて自身の妖へと駆け寄る。
陰陽寮から受けた調査と対応の依頼だった。最近生徒が学校で怪我をすることが多く、それが妖の仕業かどうかの確認、もしそうであれば祓うというよくある内容だ。
仕事が終わったら図書館から借りた本でレポートを書いて、と後の予定を詰めていたぐらいには天莉の日常のひとつだった。
だが――。
「ねぇ、キミドリ!? しっかりして!」
【あ、わて、すぎよぉ、平気、だってば】
問題の妖を祓いはしたが、最後の最後に反撃され咄嗟に天莉のことをキミドリが庇った。結果、彼女の式神は消耗し四肢が崩れかかっている。血にも似た液体が、キミドリの破れた着物と倒れた地を濡らす。
契約で繋がった道から必死に霊力を送るが回復には足りない。現状では繋がりは細すぎて、十分な霊力が渡せなかった。
だからこそ天莉が下した決断は、彼女にとって当たり前で迷う必要のないことだった。
「キミドリ、式神契約を一度切るから。同意して」
【かげ、ろ】
「心配しないで。仮名じゃない私の名前で結びなおすから。そうすれば契約深度も増すし、もっと霊力があげられる」
【いいの?】
「キミドリだよ、いいに決まってるよ」
美しい顔が半分まで無くなりかけていたキミドリだが、それでも彼女は微笑んでいた。
契約破棄の文言を口にすれば薄氷が割れるような音がしてキミドリとの間の繋がりが絶たれる。天莉からの受け取る霊力が零になった途端、キミドリの身体の崩壊速度は増した。
焦りを堪えて、天莉は式神契約の呪文を再度唱え始める。
――繋がった。
以前の契約よりも太く深く。これでキミドリは助かる、そのはずだった。
「……あ、が、ぁ!?」
頭が痛い。呼吸が荒い。吐き気がする。全身が痛みと震えで満ちている。
天莉は突然の体調の異変に耐えられず、その場に倒れ込んだ。身体から大量の霊力が抜けていく。
【天莉、ねぇ、天莉天莉、天莉!】
妖の言葉は恍惚に染まっていた。
【これでようやく、呼べるのね。『天莉』。本当に、本当に愚かな子。以前から警告してあげたって言うのに、簡単に魂まで掴ませるんだもの。だめよちゃんと自分のことは大切にしないと】
信じられない。どうしてと声にならない疑問が天莉を襲う。
強く固く結び直した契約の道から根こそぎ霊力が吸い取られていく。
【そうじゃないと、悪い妖に食べられちゃうんだから。――こんな風に】
巌乃斗天莉が最後に見たのは、鋭利な歯に囲まれた巨大な、口。
虚無しかない大穴のような、静かで残酷な光景だった。
電話口での露払は、元凶を追うのに忙しそうで通話はすぐに切れてしまう。後は上手くいくようわたくしたちは祈るしかない。
暦と村雲そしてわたくしは徒歩で高地自然公園まで再度やって来る。
日も落ちきった園内は閑散としており、立ち入りを禁じているわけではないが日中のように人は行き交っていない。何度か通った遊歩道の先に、目的としていた湖が見えた。
「遅いぜあんたら! ほら早く、スマホ!」
首長竜のような本性ではなく男子生徒の姿で高地湖は待っていた。
ベンチから勢い良く立ち上がり人の手をこちらに差し出す。その剣幕に若干引きながらも暦は白い箱を渡している。
「露原さんからの伝言です。開通は明日の9時からなので、それ以降なら電話もネットも自由、だそうですわ」
「は!?」
うきうきとスマートフォンのフィルムを剥がしていた高地湖は、愕然とし動きを止めた。
「じゃあそれまでただの金属の塊じゃねえか」
「Wi-Fi繋げばネットは使えるけどな。アプリもそうやって先に入れて準備したし」
「この湖近くにWi-Fi飛んでるように見えるかクソガキ」
暦のフォローも意味はなく、光の灯らない眼で高地湖は項垂れていた。
初めてここで会話をした時は底知れない妖といった雰囲気だったが、今日は彼の感情豊かな部分をたくさん目撃している。露払が少年と例えていたのも今なら少し理解できた。
「ああ、もういいや。どうしようもねえしな。――それにしてもオレはまた自分を見失ってたのか」
諦めの言葉と共に高地湖はため息をつく。
「協力するとは言ったが、今回こそはオレのままで公園を出られるかもしれないって思ったのにな」
「ですがあなたはこの湖自身なのですから、それは」
「普通は不可能だろうぜ。――特別な奴じゃないと無理だ」
特別。
彼が以前も語っていたことだ。
「クソ、また試してみるか」
短い髪を苛立たし気に乱し、高地湖は次の話をする。
「そんなんされたらまたうち回収行かされるやん」
「はあ!? ほっとけばいだろうが」
「高校で初めて会った日も、公園を出られるか試して迷い込んだのですか」
それは、何の気なしに尋ねた一言だった。
「いや、あの日は」
自信ありげで遠慮のない高地湖の態度が弱くなる。まずいことを言いあぐねている、というよりはどう答えてよいのか分からない不安定が垣間見える。
遠い過去を探るように彼は何かを思い出そうと唸っていた。
「前の日の夜に月を眺めていた、はずだ」
「……この公園でですか?」
「ああ、人間もいないし他に妖も居なかったから、湖の柵近くで浮かんでた」
いくらかはっきりしてきた当時の情景。
わたくしは喉が渇くのを自覚しながら、真実を見極めようと高地湖に話を続けさせた。
「……その後、何があったのですか?」
「誰かに呼ばれて、振り向いたら……そういえば、なんだっけ。穴、なんか黒い穴に飲まれて……音無として動いていた記憶はあるがオレを取り戻したのは、露払狗彦の家の庭だな」
高地湖は、公園を出ていない。
それなのに自分を失って彷徨い、安定化のために人を模倣した。
つまり――誰かが高地湖の存在を欠けさせた。
黒い穴、飲まれて、という表現に背筋が寒くなる。
そんな、まさか。
◆ ◆ ◆ ◆
「キミドリ!」
夜がやってきたばかりのうら寂しい中学校で、天莉の悲痛な声は良く通った。
校舎の隣にある部室練の前で慌てて自身の妖へと駆け寄る。
陰陽寮から受けた調査と対応の依頼だった。最近生徒が学校で怪我をすることが多く、それが妖の仕業かどうかの確認、もしそうであれば祓うというよくある内容だ。
仕事が終わったら図書館から借りた本でレポートを書いて、と後の予定を詰めていたぐらいには天莉の日常のひとつだった。
だが――。
「ねぇ、キミドリ!? しっかりして!」
【あ、わて、すぎよぉ、平気、だってば】
問題の妖を祓いはしたが、最後の最後に反撃され咄嗟に天莉のことをキミドリが庇った。結果、彼女の式神は消耗し四肢が崩れかかっている。血にも似た液体が、キミドリの破れた着物と倒れた地を濡らす。
契約で繋がった道から必死に霊力を送るが回復には足りない。現状では繋がりは細すぎて、十分な霊力が渡せなかった。
だからこそ天莉が下した決断は、彼女にとって当たり前で迷う必要のないことだった。
「キミドリ、式神契約を一度切るから。同意して」
【かげ、ろ】
「心配しないで。仮名じゃない私の名前で結びなおすから。そうすれば契約深度も増すし、もっと霊力があげられる」
【いいの?】
「キミドリだよ、いいに決まってるよ」
美しい顔が半分まで無くなりかけていたキミドリだが、それでも彼女は微笑んでいた。
契約破棄の文言を口にすれば薄氷が割れるような音がしてキミドリとの間の繋がりが絶たれる。天莉からの受け取る霊力が零になった途端、キミドリの身体の崩壊速度は増した。
焦りを堪えて、天莉は式神契約の呪文を再度唱え始める。
――繋がった。
以前の契約よりも太く深く。これでキミドリは助かる、そのはずだった。
「……あ、が、ぁ!?」
頭が痛い。呼吸が荒い。吐き気がする。全身が痛みと震えで満ちている。
天莉は突然の体調の異変に耐えられず、その場に倒れ込んだ。身体から大量の霊力が抜けていく。
【天莉、ねぇ、天莉天莉、天莉!】
妖の言葉は恍惚に染まっていた。
【これでようやく、呼べるのね。『天莉』。本当に、本当に愚かな子。以前から警告してあげたって言うのに、簡単に魂まで掴ませるんだもの。だめよちゃんと自分のことは大切にしないと】
信じられない。どうしてと声にならない疑問が天莉を襲う。
強く固く結び直した契約の道から根こそぎ霊力が吸い取られていく。
【そうじゃないと、悪い妖に食べられちゃうんだから。――こんな風に】
巌乃斗天莉が最後に見たのは、鋭利な歯に囲まれた巨大な、口。
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