12 / 28
第12話 夕刻の平穏
しおりを挟む
「高地湖とはどんな妖なのですか?」
「うちこないだ会ったばっかやからそんな知らんへん。公園行っても出てきたことないし」
「……そうですか。では装填のメルヒェンツァウバーってご存じですか?」
「ああ、マンガアプリで連載しとるやつ?」
「え、漫画なのですか?」
「うん。魔法とかあるファンタジー系のやつやな、どしたん?」
「……いえ、ますます訳が分からなくなりまして」
簡易契約が結局上手くいかなかった暦と共に露払家へと帰る道中。
少し日が傾きかけた住宅街を2人並んで歩く。暦がスキップするように動く度、わたくしの肩ぐらいの高さで赤茶っぽい髪と二つに結った髪が跳ねていた。
わたくしの質問に暦は不思議そうにしているが、その気持ちはこちらも同じだ。
高地湖が突然会話を断ち切って去ってしまうぐらいその漫画に重要な秘密でもあるのだろうか。
暦に装填のメルヒェンツァウバーの内容を聞きながらしばらく歩き、ようやく露払家の前まで帰って来る。庶民的な日本家屋の玄関先では、なぜか芳醇なトマトソースの香りが漂っていた。
「あ、陽炎ちゃんや!」
暦は一気に破顔すると、いつものように玄関を無視して家の左側、つまり庭へと走っていく。わたくしも同じように後を追うと、ガラス戸の開けられた居間で見覚えのある女性がスマートフォンを操作しながら座っていた。
オリーブ色の丈の長いパーカーと、足にピッタリ沿った黒のズボンを着用し、髪はキャラメルブラウンのボブ。初対面のスーツ姿も良く似合っていたが、この服装も彼女の雰囲気に合っている。
名を、巌乃斗 天莉。
締結師としての仮名は陽炎。本名は後日露払家を訪れた時、彼女本人から教えてもらった。
「おかえり。右夜、櫛笥さん。――もう、陽炎って呼ぶのやめてって言ったよね」
「かっこええのに」
暦はつまらなそうな顔をするが、それでも巌乃斗が来ていたことが嬉しかったのかすぐにローファーを脱いで屋内へと上がる。
「ただいま戻りました。巌乃斗さん。いらしてたんですね」
「うん、ちょっと用事があってね。露払先生から聞いたよ、右夜の修行に付き合ってくれたんだって? ありがとうございます」
「お礼を言われるほどではありません。わたくしはただ座っていただけですから」
「いやいや、時間割いてくれてありがとね」
「なぁなぁ、天莉ちゃん。むっちゃええ匂いするけど、何?」
「煮込みハンバーグだよ。露払先生が、お金くれたからいい肉買って――」
「っしゃあ!!」
暦は嬉しそうに台所へと走っていく。もう夕飯の事しか頭にないらしい。
巌乃斗は暦と同じく露払の弟子で、大学に通いながら締結師の仕事をこなしている。見習いは卒業済みでこの家で修行することはないそうだが、度々やって来ては師匠から現金を頂戴して食事を作ることがあるのだとか。余ったおかずは持ち帰っていいと言われているので、1人暮らしの彼女は喜んでご飯を作っているようだ。
「櫛笥さんも、晩御飯食べていくよね? それともおうちにご飯用意してた?」
「いいえ。まだ夕食をどうするか決めていなかったので、巌乃斗さんさえよければありがたくいただきます」
「もちろんだよ! あ、そうだ」
そこで思い出したように、机の上に置かれた細長く分厚い箱を巌乃斗に手渡される。
「これ、露払先生が櫛笥さんにって。専用のアプリとか、通信隠匿の術とか準備に時間かかって渡すの遅くなってごめんって」
わたくしが受け取ったのは、開封済みの新規スマートフォンだった。以前仕事用に露払が準備すると言っていたので、それだろう。
「ありがとうございます。それで、露払さんは?」
本来ならいるはずの家主はいつまでたっても姿を現さない。暦と高地自然公園に行く前は、居間のデスクトップパソコンの前で仕事をしていたはずだ。
「なんかね、急なお仕事入って出て行っちゃった。だから私がご飯作ることになってね」
「そうでしたか」
露払は基本的に忙しそうにしている。
暦が学校に行っている日中、わたくしは彼から締結師のことについて学んだり、彼が陰陽寮から受けた任務に同行したりして過ごしていた。その間も、電話やら式神での伝達やらで、露払には引っ切り無しに連絡がくる。
来週以降はわたくしに単体で仕事を任せるようにする、と言っていたので少しは彼の手が空くだろうと思っていた。けれど、それならそれで露払は別の仕事をするだけなのかもしれない。
ともかく夕食をいただこうと、暦と共にテーブルの準備や食器の用意を手伝った。居間の座卓に巌乃斗特製の美味しそうな次々と料理を並べる。
トマト缶を使ったソースと、煮込まれた肉厚のハンバーグ。新鮮なサラダには柑橘と胡椒の手作りドレッシングがかけられ、パンかご飯かを選べるようにしてくれている。
「最近は、スーパーのお弁当かカップ麺ばかりだったので、出来立ての料理が食べられてとても嬉しいです。巌乃斗さんは本当にお料理が上手なのですね」
飲み込んだハンバーグがあまりにも美味しくて褒めると、ぎょっとした表情で暦と巌乃斗が固まっていた。
「みこっちゃんそんなお嬢様みたいな顔してカップ麺とか食べんの?」
「顔は関係ないと思いますが……節約しないといけないのでできるだけ安いものを購入しています。近頃はお値段以上に美味しいものが多いですよね」
もちろん、大須賀家の屋敷や櫛笥家で食べていたものに比べると質は落ちるが、値段を考えれば十分すぎるほどの味だ。
「その、櫛笥さん。ご自分で作ったりとかはしないんですか?」
巌乃斗になぜか遠慮がちに聞かれた。
「挑戦したのですが、なぜかシンクの所で爆発してしまって……村雲もやる気だったのですが、なぜかコンロが爆発したのです。不思議ですわ」
「……不思議だねぇ」
「みこっちゃん、家庭科の実習とかどないしとったんや……」
「同じ班の方がとてもお優しい、というか過保護でしたわね。お肉を切ろうと包丁を握ったら、二度としなくていいから調理器具とか食器を洗って準備する役をしてほしいと言われました」
「わぁお」
「そうとうや。そうとうやでこれは」
幾分か青ざめた顔で、夕食を再開した暦と巌乃斗。
彼らの表情が強張っていた理由は、なぜだかわからなかった。
「うちこないだ会ったばっかやからそんな知らんへん。公園行っても出てきたことないし」
「……そうですか。では装填のメルヒェンツァウバーってご存じですか?」
「ああ、マンガアプリで連載しとるやつ?」
「え、漫画なのですか?」
「うん。魔法とかあるファンタジー系のやつやな、どしたん?」
「……いえ、ますます訳が分からなくなりまして」
簡易契約が結局上手くいかなかった暦と共に露払家へと帰る道中。
少し日が傾きかけた住宅街を2人並んで歩く。暦がスキップするように動く度、わたくしの肩ぐらいの高さで赤茶っぽい髪と二つに結った髪が跳ねていた。
わたくしの質問に暦は不思議そうにしているが、その気持ちはこちらも同じだ。
高地湖が突然会話を断ち切って去ってしまうぐらいその漫画に重要な秘密でもあるのだろうか。
暦に装填のメルヒェンツァウバーの内容を聞きながらしばらく歩き、ようやく露払家の前まで帰って来る。庶民的な日本家屋の玄関先では、なぜか芳醇なトマトソースの香りが漂っていた。
「あ、陽炎ちゃんや!」
暦は一気に破顔すると、いつものように玄関を無視して家の左側、つまり庭へと走っていく。わたくしも同じように後を追うと、ガラス戸の開けられた居間で見覚えのある女性がスマートフォンを操作しながら座っていた。
オリーブ色の丈の長いパーカーと、足にピッタリ沿った黒のズボンを着用し、髪はキャラメルブラウンのボブ。初対面のスーツ姿も良く似合っていたが、この服装も彼女の雰囲気に合っている。
名を、巌乃斗 天莉。
締結師としての仮名は陽炎。本名は後日露払家を訪れた時、彼女本人から教えてもらった。
「おかえり。右夜、櫛笥さん。――もう、陽炎って呼ぶのやめてって言ったよね」
「かっこええのに」
暦はつまらなそうな顔をするが、それでも巌乃斗が来ていたことが嬉しかったのかすぐにローファーを脱いで屋内へと上がる。
「ただいま戻りました。巌乃斗さん。いらしてたんですね」
「うん、ちょっと用事があってね。露払先生から聞いたよ、右夜の修行に付き合ってくれたんだって? ありがとうございます」
「お礼を言われるほどではありません。わたくしはただ座っていただけですから」
「いやいや、時間割いてくれてありがとね」
「なぁなぁ、天莉ちゃん。むっちゃええ匂いするけど、何?」
「煮込みハンバーグだよ。露払先生が、お金くれたからいい肉買って――」
「っしゃあ!!」
暦は嬉しそうに台所へと走っていく。もう夕飯の事しか頭にないらしい。
巌乃斗は暦と同じく露払の弟子で、大学に通いながら締結師の仕事をこなしている。見習いは卒業済みでこの家で修行することはないそうだが、度々やって来ては師匠から現金を頂戴して食事を作ることがあるのだとか。余ったおかずは持ち帰っていいと言われているので、1人暮らしの彼女は喜んでご飯を作っているようだ。
「櫛笥さんも、晩御飯食べていくよね? それともおうちにご飯用意してた?」
「いいえ。まだ夕食をどうするか決めていなかったので、巌乃斗さんさえよければありがたくいただきます」
「もちろんだよ! あ、そうだ」
そこで思い出したように、机の上に置かれた細長く分厚い箱を巌乃斗に手渡される。
「これ、露払先生が櫛笥さんにって。専用のアプリとか、通信隠匿の術とか準備に時間かかって渡すの遅くなってごめんって」
わたくしが受け取ったのは、開封済みの新規スマートフォンだった。以前仕事用に露払が準備すると言っていたので、それだろう。
「ありがとうございます。それで、露払さんは?」
本来ならいるはずの家主はいつまでたっても姿を現さない。暦と高地自然公園に行く前は、居間のデスクトップパソコンの前で仕事をしていたはずだ。
「なんかね、急なお仕事入って出て行っちゃった。だから私がご飯作ることになってね」
「そうでしたか」
露払は基本的に忙しそうにしている。
暦が学校に行っている日中、わたくしは彼から締結師のことについて学んだり、彼が陰陽寮から受けた任務に同行したりして過ごしていた。その間も、電話やら式神での伝達やらで、露払には引っ切り無しに連絡がくる。
来週以降はわたくしに単体で仕事を任せるようにする、と言っていたので少しは彼の手が空くだろうと思っていた。けれど、それならそれで露払は別の仕事をするだけなのかもしれない。
ともかく夕食をいただこうと、暦と共にテーブルの準備や食器の用意を手伝った。居間の座卓に巌乃斗特製の美味しそうな次々と料理を並べる。
トマト缶を使ったソースと、煮込まれた肉厚のハンバーグ。新鮮なサラダには柑橘と胡椒の手作りドレッシングがかけられ、パンかご飯かを選べるようにしてくれている。
「最近は、スーパーのお弁当かカップ麺ばかりだったので、出来立ての料理が食べられてとても嬉しいです。巌乃斗さんは本当にお料理が上手なのですね」
飲み込んだハンバーグがあまりにも美味しくて褒めると、ぎょっとした表情で暦と巌乃斗が固まっていた。
「みこっちゃんそんなお嬢様みたいな顔してカップ麺とか食べんの?」
「顔は関係ないと思いますが……節約しないといけないのでできるだけ安いものを購入しています。近頃はお値段以上に美味しいものが多いですよね」
もちろん、大須賀家の屋敷や櫛笥家で食べていたものに比べると質は落ちるが、値段を考えれば十分すぎるほどの味だ。
「その、櫛笥さん。ご自分で作ったりとかはしないんですか?」
巌乃斗になぜか遠慮がちに聞かれた。
「挑戦したのですが、なぜかシンクの所で爆発してしまって……村雲もやる気だったのですが、なぜかコンロが爆発したのです。不思議ですわ」
「……不思議だねぇ」
「みこっちゃん、家庭科の実習とかどないしとったんや……」
「同じ班の方がとてもお優しい、というか過保護でしたわね。お肉を切ろうと包丁を握ったら、二度としなくていいから調理器具とか食器を洗って準備する役をしてほしいと言われました」
「わぁお」
「そうとうや。そうとうやでこれは」
幾分か青ざめた顔で、夕食を再開した暦と巌乃斗。
彼らの表情が強張っていた理由は、なぜだかわからなかった。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/chara_novel.png?id=8b2153dfd89d29eccb9a)
つげ櫛よ、君があれな
坂巻
キャラ文芸
<わたくしには、大っ嫌いな女がいる。>
とある田舎町で妖を滅する一族として暮らす、櫛笥(くしげ)みことには、どうしても気にくわない人物がいた。
頭脳明晰、とんでもない美少女、そしてみんなの人気者――本家の娘、大須賀ミチル。
----------
これは、偉大な役目である『八重の巫女』を巡り争う、わたくしとあの女の話。
海の見える家で……
梨香
キャラ文芸
祖母の突然の死で十五歳まで暮らした港町へ帰った智章は見知らぬ女子高校生と出会う。祖母の死とその女の子は何か関係があるのか? 祖母の死が切っ掛けになり、智章の特殊能力、実父、義理の父、そして奔放な母との関係などが浮き彫りになっていく。
貧乏神の嫁入り
石田空
キャラ文芸
先祖が貧乏神のせいで、どれだけ事業を起こしても失敗ばかりしている中村家。
この年もめでたく御店を売りに出すことになり、長屋生活が終わらないと嘆いているいろりの元に、一発逆転の縁談の話が舞い込んだ。
風水師として名を馳せる鎮目家に、ぜひともと呼ばれたのだ。
貧乏神の末裔だけど受け入れてもらえるかしらと思いながらウキウキで嫁入りしたら……鎮目家の虚弱体質な跡取りのもとに嫁入りしろという。
貧乏神なのに、虚弱体質な旦那様の元に嫁いで大丈夫?
いろりと桃矢のおかしなおかしな夫婦愛。
*カクヨム、エブリスタにも掲載中。
鎮魂の絵師
霞花怜
キャラ文芸
絵師・栄松斎長喜は、蔦屋重三郎が営む耕書堂に居住する絵師だ。ある春の日に、斎藤十郎兵衛と名乗る男が連れてきた「喜乃」という名の少女とで出会う。五歳の娘とは思えぬ美貌を持ちながら、周囲の人間に異常な敵愾心を抱く喜乃に興味を引かれる。耕書堂に居住で丁稚を始めた喜乃に懐かれ、共に過ごすようになる。長喜の真似をして絵を描き始めた喜乃に、自分の師匠である鳥山石燕を紹介する長喜。石燕の暮らす吾柳庵には、二人の妖怪が居住し、石燕の世話をしていた。妖怪とも仲良くなり、石燕の指導の下、絵の才覚を現していく喜乃。「絵師にはしてやれねぇ」という蔦重の真意がわからぬまま、喜乃を見守り続ける。ある日、喜乃にずっとついて回る黒い影に気が付いて、嫌な予感を覚える長喜。どう考えても訳ありな身の上である喜乃を気に掛ける長喜に「深入りするな」と忠言する京伝。様々な人々に囲まれながらも、どこか独りぼっちな喜乃を長喜は放っておけなかった。娘を育てるような気持で喜乃に接する長喜だが、師匠の石燕もまた、孫に接するように喜乃に接する。そんなある日、石燕から「俺の似絵を描いてくれ」と頼まれる。長喜が書いた似絵は、魂を冥府に誘う道標になる。それを知る石燕からの依頼であった。
【カクヨム・小説家になろう・アルファポリスに同作品掲載中】
※各話の最後に小噺を載せているのはアルファポリスさんだけです。(カクヨムは第1章だけ載ってますが需要ないのでやめました)
彼の呪は密やかに紡がれる
ちよこ
キャラ文芸
時は平安──
鬼や怨霊が実際にいると伝えられ、はびこった時代。
陰陽師、安倍晴明と言う男がいた。
彼の呪はまるで秘め事でもするかのように密やかに……──。
ワールズエンド・カーニバルシティ
緑茶
キャラ文芸
””今日もこの街は騒がしい……人外魔境ガールズパンク!””
少女――シャーリーは、離れ離れになった親友のエスタを追って、ロサンゼルスの「アンダーグラウンド」へ降り立つ。そこは異能の力を得てしまった人間たちが跋扈する、狂騒の都市と化していた!
バトル・日常・ギャグ、その他なんでもありの破茶滅茶B級ガールズアクション、ただいま開幕!!!!
貸本屋七本三八の譚めぐり ~実井寧々子の墓標~
茶柱まちこ
キャラ文芸
時は大昌十年、東端の大国・大陽本帝国(おおひのもとていこく)屈指の商人の町・『棚葉町』。
人の想い、思想、経験、空想を核とした書物・『譚本』だけを扱い続ける異端の貸本屋・七本屋を中心に巻き起こる譚たちの記録――第二弾。
七本屋で働く19歳の青年・菜摘芽唯助(なつめいすけ)は作家でもある店主・七本三八(ななもとみや)の弟子として、日々成長していた。
国をも巻き込んだ大騒動も落ち着き、平穏に過ごしていたある日、
七本屋の看板娘である音音(おとね)の前に菅谷という謎の男が現れたことから、六年もの間封じられていた彼女の譚は動き出す――!
【完結】陰陽師は神様のお気に入り
綾雅(要らない悪役令嬢1巻重版)
キャラ文芸
平安の夜を騒がせる幽霊騒ぎ。陰陽師である真桜は、騒ぎの元凶を見極めようと夜の見回りに出る。式神を連れての夜歩きの果て、彼の目の前に現れたのは―――美人過ぎる神様だった。
非常識で自分勝手な神様と繰り広げる騒動が、次第に都を巻き込んでいく。
※注意:キスシーン(触れる程度)あります。
【同時掲載】アルファポリス、カクヨム、エブリスタ、小説家になろう
※「エブリスタ10/11新作セレクション」掲載作品
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる