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第7章 喰【たべる】
7-1
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ぱちん、ぱちん
きゅっ、きゅっ
「ヨシヤ、できたものは段ボールに詰めてっていいの?」
「はい。お願いします。」
塩を柔らかい和紙に包んで紐で縛り、紙の小箱に入れる。単純作業だけど、これをアンダーサイカ中のお店の数だけ作らなくちゃいけない。
終わりの見えない作業に、私は早くも疲れ始めていた。
ヨシヤは塩と粉の薬を混ぜる作業中。
「熟練者でもなかなか難しい」とは言ってたけど、塩と薬を混ぜる人自体そうそう見かけないよね。
流れるような手際の良さ。その姿からはもう、さっきまで私に抱き着いて小さくなってた面影なんて微塵も無くなっていた。
「……………。」
あの後、私たちはこうして何事もなかったように作業を始めた。ヨシヤの号令を合図に。
『…すみません。今はまだ、結論を待ってください…。もう少し、自分を見つめなくてはいけなくなりました…。
……だから豊花ちゃん、ひとまずお仕事に戻りましょう。
地上人も商売人も関係ない、今まで通りの“豊花ちゃんと僕”に戻りましょう。』
その直後だったんだ。ヨシヤが今まで通りの、完璧な笑顔の仮面を取り戻したのは。
「いやぁ、たった1時間でたくさん完成しましたね。
豊花ちゃんは器量も良くて働き者で。よそ様にやるのが勿体ないくらいですよ。」
「父親か。」
そして今に至る…というわけ。
完成した塩箱の山をまじまじと見て、我ながら「よく作ったなぁ」と感動。
切りもいいし一旦手を止めて、今度はヨシヤの作業を観察することにした。
真っ白な塩に混ぜられてく、黒っぽい煤みたいな粉…。この粉が厄除け薬らしい。
言われなきゃただの炭にしか見えないけど。
「薬に魔除けとか厄除けとかあったんだね。」
「ええ。僕も初めは信じられませんでしたけど。
病魔が治せるなら鬼も追い払えるだろうという、やや無理のあるこじつけです。」
「ふうん…。こんなにたくさんお店があるなら、専門のお店もありそうなのにね。お祓い屋さんとか。」
「……………。」
ここで黙られるのは意外だった。
ヨシヤならまた笑いながら「そうですね」とか当たり障りない答えをしそうなのに。
「…祓い屋は、ありませんね。
商売人は皆、快く思っていませんから…。」
「そうなの?…んーまぁ、そういうのもあるかもね。“宗派”っていうんだっけ?」
「ええ、そうですね。」
今手掛けてる調剤を終えると、「お茶でも飲んで休憩しましょう」と嬉しい提案をしてくれた。
素直に彼の後に続き、昨日すき焼きを食べた居間に向かう。
「すみませんね、実はあまり種類がなくて…。プーアル茶とビワ茶どっちがいいですか?」
「マニアックだね。」
飲んだことのないビワ茶を頼む。
少しして、煎れたてのお茶が注がれた湯呑みが出てきた。
私はビワ茶を、ヨシヤはプーアル茶を一口飲んで、
「ほぅ…。」
と、どちらともなく、そんなおかしな溜め息をついた。
「まだお客様が来るには時間がありますね。
そうだ、ひとまず配達員さんに電話をかけておきましょう。完成したものからパパッと配ってもらわないと。」
一人で悩み、一人で解決してしまった。
ヨシヤは居間の隅の黒電話を手繰りよせて、ダイヤルをくるくる回し始めた。
私は黒電話自体見るのが初めてだ。興味深くて、遠目からまじまじとその様子を観察していた。
「………あ、もしもし、薬屋です。
お清めの塩の配達をお願いします。
入り口に段ボールが一箱ありますから、それを。
…はい。はい、よろしくお願いしますね。」
要点だけを伝えると、ヨシヤはすぐに受話器を戻してしまった。
「世間話くらいすればいいのに。」
「彼の話は無駄に長くて、そのくせ中身が無いから嫌いなんです。」
ひどい言われようだ。
電話が済むと、途端に室内は静寂に包まれる。
あるのはお互いがお茶をすする音だけ。
時々ふと、ヨシヤが話題を出してきたけど、
「久しぶりです。誰かとこうしてお茶を楽しむなんて、もうできないと思っていました。」
「配達員さんやキョウくんはお店に入れるでしょ?」
「彼らとは仕事上の付き合いと割り切っていますから。顔を付き合わせて仲良くお茶するなんて御免です。」
「…かわいそ。」
それも長くは続かなかった。
「………。」
お茶を一口飲む。
彼に訊きたいことは山ほどあった。商売人たちが幽閉されてる理由とか、この世界の正体とか、ヨシヤ本人の正体とか…。
でもそれを一息に訊ける自信がなかった。
なぜかな……。
「豊花ちゃん。」
「んっ?…なに?」
急に声をかけられてビックリした…。
ヨシヤは湯呑みを置いて、代わりに頬杖突いて私を見つめる。雑談好きな若者らしい仕草だと思った。
「きみのことを訊いても構いませんか?」
「私のこと?」
初めてだ…。名前を訊かれはしたけど、それ以外のことなんて。
戸惑いながらも頷いた。
「ふふ、ありがとうございます…。
豊花ちゃんは今いくつなんですか?何年生?」
「えと、12歳。6年生。」
「へぇ、思ったより若いんですね。しっかりしてる。
ふふ…こうして大人とお茶するのは初めてですか?」
「…う、うん、まぁ…。」
「あ、緊張しなくていいんですよ。
何も恐いことはありません。
本当、何もしませんから。」
「………………。」
台詞の節々から児童誘拐犯みたいなニオイがするけど気のせいであってほしい。
私が警戒を含んだ目をしているのに気づいてか、ヨシヤは困った笑顔で手を横に振り始めた。
「…すみません。
実は僕も、年頃の女の子と何を話したらいいのか分からなくて困惑しています。
そういう意味でも、豊花ちゃんのことを教えてくれませんか?」
私は気づく。
ヨシヤは別に変な意図があるわけじゃなくて、ただ純粋に歩み寄ろうとしてくれてるだけ…。
友達だから。私だから。
「何でも、いいの?」
こんなの初めてだった。
「ええ。知りたいんです。」
***
「潤子ちゃんと拓哉くんって友達がいてね、いつも三人で遊んでるんだ!
潤ちゃんはしっかり者なんだけど気難しくて、拓くんは反対に怠けてばっかり。」
「へぇ、個性的なお友達なんですね。
それじゃあ最初にアンダーサイカ探険に来た時に離れ離れになった友達って、その子達のことだったんですか?」
「うん、そう!
ビックリしたよ。次の日の朝電話しても二人とも何も覚えてなくって…。」
「あぁ、それは不思議に思いますよね。
この世界は特殊ですから。
アンダーサイカに深い関わりの無い人間は自然と記憶を失ってしまうんですよ。
日常生活に支障をきたさないよう、都合の良いように書き換えてね。
まるでアンダーサイカに意思があって、地上人から身を守っているようです。」
「ふぅん…。つくづくアンダーサイカって変な所だね。」
「ええ、本当に。」
私の話を始めてからは、お茶を飲む回数のほうが少なくなった。
どんな話をしてもヨシヤは興味深そうに聞いてくれて、私は嬉しくてどんどん話題を出すから。
学校のテストの話、給食の話、潤ちゃんや拓くんの話、夏休みのグループ研究の話も。
「でね、グループ研究としてアンダーサイカのことを記事にしようと思ったんだけど…、潤ちゃんも拓くんも記憶を書き換えられて覚えてないから、結局変更になっちゃったの。」
「おや、それは残念。
噂を聞いた地上人が迷い込みやすくなれば商売人はだいぶ楽になるのに。」
「逆にキョウくんのお仕事が増えちゃうね。」
ふふふ…と二人で笑い合う。
気づけば湯呑みのお茶はすっかり冷めてしまっていた。
「冷めてしまいましたね。
煎れ直しましょうか。」
そう言い、テーブルの向こう側でカチッと何かスイッチのようなものを押したヨシヤ。「何したの?」と訊ねれば、
「電気ケトルのスイッチを入れたんですよ。」
「…今風の家電だね。」
お店の外観は古めかしいのに。
すき焼きの時の卓上コンロと言い、実はどこのお店も中は生活感に溢れてるのかもしれない。
お湯が沸くまでの数分にまた何か、学校のことでも話そうか。そう思って口を開きかけたけど、
「豊花ちゃんの、ご家族の話が聞きたいです。」
「…………………。」
ヨシヤの質問で、完全に出る幕を失ってしまった。
「…家族……えっと…、お父さんとお母さん……、」
ここで一瞬、稔兄ちゃんのことを言うべきか迷った。もう10年も昔に亡くなったのに。
……いや、でも……、
「…あと、お兄ちゃん。」
稔兄ちゃんはやっぱり家族だ。
私の大切なお兄ちゃんだ。
「へえ、ご兄弟がいたんですね。」
「え?」
今のヨシヤの返しに引っ掛かりを覚えた。
だって私、お兄ちゃんがいるとは答えたけど、「いた」なんて……“死んだ”なんて言ってないんだもの。
―――ねえ、まさか……。
「…ヨシヤ、まさか、私のお兄ちゃんのこと知ってる……?」
ヨシヤは穏やかに微笑んで、
「やっぱりそうでしたか。
豊花ちゃん、きみは“ミノルくん”の妹さんなんですね?」
私が心の隅で恐れていた答えを、平然と口にした。
沸騰した電気ケトルが「ぱちん」と軽快な音を立てる。
それでも私はヨシヤから目が離せなかった。
―――今、ヨシヤは…何て言った?
聞き間違いじゃないなら、今確かに、
―――“稔兄ちゃん”の名を口にした?
「ヨシヤ、なんで…稔兄ちゃんのこと知ってるの?」
「知っていますとも。」
私の問いに、ヨシヤは胸を張って答える。
「ミノルくんは僕の友達であり、ヒーローなんですから。」
「ヒー…ロー……?」
意味が分からなかった。
友達ってことは…、稔兄ちゃんはアンダーサイカに来たことがあるってこと?
ヨシヤと知り合って友達になって、……いや、名前を知ってるってことは私みたいに支配されてた?
でも、それっていつ?10年以上前?稔兄ちゃんが12歳の時より前ってこと?
その後、斎珂駅で自殺した………?
一瞬で押し寄せてきた考えに、頭がパンクしそうだった。思わず頭を抱えてうずくまる。
ヨシヤの心配そうな「大丈夫ですか?」の声も、今は頭に響いて痛かった。
「…初めて豊花ちゃんを見た時ね、既視感があったんです。
それまですっかり忘れていました。ミノルくんの顔を…。
だって、僕が面と向かってミノルくんと言葉を交わしたのは、たった一度きりなんですから。」
「……?」
ますます意味が分からない。
でも訊きたいことは溢れてくる。…ううん、訊きたいんじゃない。訊かなきゃいけない。
「稔兄ちゃんがアンダーサイカに来たのはいつ…!?
稔兄ちゃんとヨシヤと…、どんな関係だったの…!?」
「10年前にミノルくんは自殺し、アンダーサイカに“商売人”として幽閉されました。
彼と僕はどちらも商売人でした。」
「え…………?」
胸がざわざわする。
その先を聞くのが…怖い。
「…豊花ちゃん、教えてあげます。
アンダーサイカの正体はね、“両親を残して死んだ”人間の魂が幽閉され、お客様という“鬼”に監視される、あの世とこの世の狭間…。
…地獄の入り口。
“賽の河原”なんですよ。」
きゅっ、きゅっ
「ヨシヤ、できたものは段ボールに詰めてっていいの?」
「はい。お願いします。」
塩を柔らかい和紙に包んで紐で縛り、紙の小箱に入れる。単純作業だけど、これをアンダーサイカ中のお店の数だけ作らなくちゃいけない。
終わりの見えない作業に、私は早くも疲れ始めていた。
ヨシヤは塩と粉の薬を混ぜる作業中。
「熟練者でもなかなか難しい」とは言ってたけど、塩と薬を混ぜる人自体そうそう見かけないよね。
流れるような手際の良さ。その姿からはもう、さっきまで私に抱き着いて小さくなってた面影なんて微塵も無くなっていた。
「……………。」
あの後、私たちはこうして何事もなかったように作業を始めた。ヨシヤの号令を合図に。
『…すみません。今はまだ、結論を待ってください…。もう少し、自分を見つめなくてはいけなくなりました…。
……だから豊花ちゃん、ひとまずお仕事に戻りましょう。
地上人も商売人も関係ない、今まで通りの“豊花ちゃんと僕”に戻りましょう。』
その直後だったんだ。ヨシヤが今まで通りの、完璧な笑顔の仮面を取り戻したのは。
「いやぁ、たった1時間でたくさん完成しましたね。
豊花ちゃんは器量も良くて働き者で。よそ様にやるのが勿体ないくらいですよ。」
「父親か。」
そして今に至る…というわけ。
完成した塩箱の山をまじまじと見て、我ながら「よく作ったなぁ」と感動。
切りもいいし一旦手を止めて、今度はヨシヤの作業を観察することにした。
真っ白な塩に混ぜられてく、黒っぽい煤みたいな粉…。この粉が厄除け薬らしい。
言われなきゃただの炭にしか見えないけど。
「薬に魔除けとか厄除けとかあったんだね。」
「ええ。僕も初めは信じられませんでしたけど。
病魔が治せるなら鬼も追い払えるだろうという、やや無理のあるこじつけです。」
「ふうん…。こんなにたくさんお店があるなら、専門のお店もありそうなのにね。お祓い屋さんとか。」
「……………。」
ここで黙られるのは意外だった。
ヨシヤならまた笑いながら「そうですね」とか当たり障りない答えをしそうなのに。
「…祓い屋は、ありませんね。
商売人は皆、快く思っていませんから…。」
「そうなの?…んーまぁ、そういうのもあるかもね。“宗派”っていうんだっけ?」
「ええ、そうですね。」
今手掛けてる調剤を終えると、「お茶でも飲んで休憩しましょう」と嬉しい提案をしてくれた。
素直に彼の後に続き、昨日すき焼きを食べた居間に向かう。
「すみませんね、実はあまり種類がなくて…。プーアル茶とビワ茶どっちがいいですか?」
「マニアックだね。」
飲んだことのないビワ茶を頼む。
少しして、煎れたてのお茶が注がれた湯呑みが出てきた。
私はビワ茶を、ヨシヤはプーアル茶を一口飲んで、
「ほぅ…。」
と、どちらともなく、そんなおかしな溜め息をついた。
「まだお客様が来るには時間がありますね。
そうだ、ひとまず配達員さんに電話をかけておきましょう。完成したものからパパッと配ってもらわないと。」
一人で悩み、一人で解決してしまった。
ヨシヤは居間の隅の黒電話を手繰りよせて、ダイヤルをくるくる回し始めた。
私は黒電話自体見るのが初めてだ。興味深くて、遠目からまじまじとその様子を観察していた。
「………あ、もしもし、薬屋です。
お清めの塩の配達をお願いします。
入り口に段ボールが一箱ありますから、それを。
…はい。はい、よろしくお願いしますね。」
要点だけを伝えると、ヨシヤはすぐに受話器を戻してしまった。
「世間話くらいすればいいのに。」
「彼の話は無駄に長くて、そのくせ中身が無いから嫌いなんです。」
ひどい言われようだ。
電話が済むと、途端に室内は静寂に包まれる。
あるのはお互いがお茶をすする音だけ。
時々ふと、ヨシヤが話題を出してきたけど、
「久しぶりです。誰かとこうしてお茶を楽しむなんて、もうできないと思っていました。」
「配達員さんやキョウくんはお店に入れるでしょ?」
「彼らとは仕事上の付き合いと割り切っていますから。顔を付き合わせて仲良くお茶するなんて御免です。」
「…かわいそ。」
それも長くは続かなかった。
「………。」
お茶を一口飲む。
彼に訊きたいことは山ほどあった。商売人たちが幽閉されてる理由とか、この世界の正体とか、ヨシヤ本人の正体とか…。
でもそれを一息に訊ける自信がなかった。
なぜかな……。
「豊花ちゃん。」
「んっ?…なに?」
急に声をかけられてビックリした…。
ヨシヤは湯呑みを置いて、代わりに頬杖突いて私を見つめる。雑談好きな若者らしい仕草だと思った。
「きみのことを訊いても構いませんか?」
「私のこと?」
初めてだ…。名前を訊かれはしたけど、それ以外のことなんて。
戸惑いながらも頷いた。
「ふふ、ありがとうございます…。
豊花ちゃんは今いくつなんですか?何年生?」
「えと、12歳。6年生。」
「へぇ、思ったより若いんですね。しっかりしてる。
ふふ…こうして大人とお茶するのは初めてですか?」
「…う、うん、まぁ…。」
「あ、緊張しなくていいんですよ。
何も恐いことはありません。
本当、何もしませんから。」
「………………。」
台詞の節々から児童誘拐犯みたいなニオイがするけど気のせいであってほしい。
私が警戒を含んだ目をしているのに気づいてか、ヨシヤは困った笑顔で手を横に振り始めた。
「…すみません。
実は僕も、年頃の女の子と何を話したらいいのか分からなくて困惑しています。
そういう意味でも、豊花ちゃんのことを教えてくれませんか?」
私は気づく。
ヨシヤは別に変な意図があるわけじゃなくて、ただ純粋に歩み寄ろうとしてくれてるだけ…。
友達だから。私だから。
「何でも、いいの?」
こんなの初めてだった。
「ええ。知りたいんです。」
***
「潤子ちゃんと拓哉くんって友達がいてね、いつも三人で遊んでるんだ!
潤ちゃんはしっかり者なんだけど気難しくて、拓くんは反対に怠けてばっかり。」
「へぇ、個性的なお友達なんですね。
それじゃあ最初にアンダーサイカ探険に来た時に離れ離れになった友達って、その子達のことだったんですか?」
「うん、そう!
ビックリしたよ。次の日の朝電話しても二人とも何も覚えてなくって…。」
「あぁ、それは不思議に思いますよね。
この世界は特殊ですから。
アンダーサイカに深い関わりの無い人間は自然と記憶を失ってしまうんですよ。
日常生活に支障をきたさないよう、都合の良いように書き換えてね。
まるでアンダーサイカに意思があって、地上人から身を守っているようです。」
「ふぅん…。つくづくアンダーサイカって変な所だね。」
「ええ、本当に。」
私の話を始めてからは、お茶を飲む回数のほうが少なくなった。
どんな話をしてもヨシヤは興味深そうに聞いてくれて、私は嬉しくてどんどん話題を出すから。
学校のテストの話、給食の話、潤ちゃんや拓くんの話、夏休みのグループ研究の話も。
「でね、グループ研究としてアンダーサイカのことを記事にしようと思ったんだけど…、潤ちゃんも拓くんも記憶を書き換えられて覚えてないから、結局変更になっちゃったの。」
「おや、それは残念。
噂を聞いた地上人が迷い込みやすくなれば商売人はだいぶ楽になるのに。」
「逆にキョウくんのお仕事が増えちゃうね。」
ふふふ…と二人で笑い合う。
気づけば湯呑みのお茶はすっかり冷めてしまっていた。
「冷めてしまいましたね。
煎れ直しましょうか。」
そう言い、テーブルの向こう側でカチッと何かスイッチのようなものを押したヨシヤ。「何したの?」と訊ねれば、
「電気ケトルのスイッチを入れたんですよ。」
「…今風の家電だね。」
お店の外観は古めかしいのに。
すき焼きの時の卓上コンロと言い、実はどこのお店も中は生活感に溢れてるのかもしれない。
お湯が沸くまでの数分にまた何か、学校のことでも話そうか。そう思って口を開きかけたけど、
「豊花ちゃんの、ご家族の話が聞きたいです。」
「…………………。」
ヨシヤの質問で、完全に出る幕を失ってしまった。
「…家族……えっと…、お父さんとお母さん……、」
ここで一瞬、稔兄ちゃんのことを言うべきか迷った。もう10年も昔に亡くなったのに。
……いや、でも……、
「…あと、お兄ちゃん。」
稔兄ちゃんはやっぱり家族だ。
私の大切なお兄ちゃんだ。
「へえ、ご兄弟がいたんですね。」
「え?」
今のヨシヤの返しに引っ掛かりを覚えた。
だって私、お兄ちゃんがいるとは答えたけど、「いた」なんて……“死んだ”なんて言ってないんだもの。
―――ねえ、まさか……。
「…ヨシヤ、まさか、私のお兄ちゃんのこと知ってる……?」
ヨシヤは穏やかに微笑んで、
「やっぱりそうでしたか。
豊花ちゃん、きみは“ミノルくん”の妹さんなんですね?」
私が心の隅で恐れていた答えを、平然と口にした。
沸騰した電気ケトルが「ぱちん」と軽快な音を立てる。
それでも私はヨシヤから目が離せなかった。
―――今、ヨシヤは…何て言った?
聞き間違いじゃないなら、今確かに、
―――“稔兄ちゃん”の名を口にした?
「ヨシヤ、なんで…稔兄ちゃんのこと知ってるの?」
「知っていますとも。」
私の問いに、ヨシヤは胸を張って答える。
「ミノルくんは僕の友達であり、ヒーローなんですから。」
「ヒー…ロー……?」
意味が分からなかった。
友達ってことは…、稔兄ちゃんはアンダーサイカに来たことがあるってこと?
ヨシヤと知り合って友達になって、……いや、名前を知ってるってことは私みたいに支配されてた?
でも、それっていつ?10年以上前?稔兄ちゃんが12歳の時より前ってこと?
その後、斎珂駅で自殺した………?
一瞬で押し寄せてきた考えに、頭がパンクしそうだった。思わず頭を抱えてうずくまる。
ヨシヤの心配そうな「大丈夫ですか?」の声も、今は頭に響いて痛かった。
「…初めて豊花ちゃんを見た時ね、既視感があったんです。
それまですっかり忘れていました。ミノルくんの顔を…。
だって、僕が面と向かってミノルくんと言葉を交わしたのは、たった一度きりなんですから。」
「……?」
ますます意味が分からない。
でも訊きたいことは溢れてくる。…ううん、訊きたいんじゃない。訊かなきゃいけない。
「稔兄ちゃんがアンダーサイカに来たのはいつ…!?
稔兄ちゃんとヨシヤと…、どんな関係だったの…!?」
「10年前にミノルくんは自殺し、アンダーサイカに“商売人”として幽閉されました。
彼と僕はどちらも商売人でした。」
「え…………?」
胸がざわざわする。
その先を聞くのが…怖い。
「…豊花ちゃん、教えてあげます。
アンダーサイカの正体はね、“両親を残して死んだ”人間の魂が幽閉され、お客様という“鬼”に監視される、あの世とこの世の狭間…。
…地獄の入り口。
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