アンダーサイカ -旧南岸線斎珂駅地下街-

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第6章 嚇【おどす】

6-4

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 配達員さんは次の仕事のために、薬屋を後にした。残された私と塩の木箱たちを待つのは、ヨシヤただ一人。

「さあ、さっさと始めてしまいましょうか。
 とても今日中に全部は終わらないでしょうが、完成したものから徐々に配達してもらえばすぐに行き渡るでしょう。」

 パンパン。手を叩き、ヨシヤは前もって段ボール箱に用意していた包装セットを取り出す。ハサミに紐に小さな空き箱。塩が大量ならこっちも多量だ。

 …けれど私は、

「……………。」

 彼の顔をじっと睨んだまま、その場から動かなかった。
 すぐ理由を察したヨシヤは笑顔で言う。

「豊花ちゃんにはバレちゃってるみたいですね。
 僕が、本当は商売人達を助けたいなんて思っていないこと。」

「……………。」

 それだけじゃない。
 それだけじゃ…。

「…豊花ちゃん、きみは少なからず、“僕が人鬼なんじゃないか”と疑っていますね?」

 図星だ。
 私は素直に頷いた。

「…ヨシヤずっと言ってたでしょ。“私を食べたい”って。
 最初は、冗談なんじゃないかって思ったよ。
 人が人を食べるなんて私には想像もつかない…。」

 ヨシヤは黙って聞いてる。

「…でもどっちも、しようとしてることは同じ。
 それにヨシヤは“誰が食い殺されようが構わない”って思ってるでしょう?まるで人鬼の味方するみたいに。
 …ねえ、ヨシヤはどうして私のこと食べたいの?」

 ずっと訊きたかったことだ。
 またはぐらかされるかもしれないと危惧したけど、…ここで、黙ってたヨシヤが薄く唇を開く。

 けれど返ってきたのは、予想外の言葉だった。

「…豊花ちゃん、豊花ちゃん、豊花ちゃん、豊花ちゃん。……豊花ちゃん!」

「!?」

 続けざまに5回も名前を呼ばれて、私は返事をすることも忘れて呆気に取られてしまった。
 ごまかそうとしてるのか、単にふざけてるのか…。

「…名前を支配した以上、きみはもう僕のものです。」

 でも、どちらも違っていた。

「…だから、全部教えてあげますね。
 僕がなぜ人鬼を“放置”するのか。そもそも人鬼とは何なのか。
 …そしてなぜ、僕は豊花ちゃんを食べようとするのか。」

 いつの間にか、ヨシヤは私のすぐ傍まで迫っていた。
 頬を指で撫で、髪に指を絡ませる。その手つきはまるで蛇みたい。
 私は文字通り、蛇に睨まれた蛙のように、その場から動けなかった…。

「僕はね、豊花ちゃん。
 人鬼になりたいんです。」

「人鬼に…“なる”って…?」

「そのままの意味…。アンダーサイカを徘徊する怪物になりたいんですよ。」

 正気じゃない。
 だってさっきヨシヤ、自分で「恐ろしい」って言ったのに。
 商売人たちを殺す、恐い鬼だって。

「そのためには定められたルールをひとつ破らなくてはいけません。そう、“地上人を食べる”ことです。
 人鬼になればこの暗く静かな牢獄みせから解放される。束の間の自由を手にできます…。」

 ふと悲しげな目になった。
 だけどそれはこの後の恐ろしい告白へ繋がる前置きでしかなかった。

「そして人鬼になったら、次は商売人を食い殺して、“お客様”になります。」

 “まるで進化だ”と思った。
 商売人が人鬼になって、そしてあのオバケたちになる…?

 ヨシヤがさも常識のように語った一連の話。
 私にとっては常識であるばかりか、ただの不気味な怪談にしか思えない。

 なのに、そこからの私はすごく落ち着いて話を聞いていた。
 恐いのか、恐くないのか、それすら分からないで。

「大体、理解してくれました?
 僕が今までずっと豊花ちゃんを食べたいと言っていたのはそういう理由わけ
 僕はお客様になり、本当の自由を得たい。その第一歩として、どうしても地上人を食い殺さなければいけないんです。
 利口な豊花ちゃんなら分かりますね?アンダーサイカではきみ達の常識なんて通じないんです。

 この広大で狭小な牢獄から逃げるために、僕はどんな惨いことでもしますよ。
 …大好きなきみを殺してでも。」

 ヨシヤの目が、ふいに光を失った。
 心に鍵をかけたように、その笑顔の仮面からは一切の感情が感じられなくなった。
 私はゾクリ…と悪寒を覚える。

 ―――食べるつもり…?今、ここで…っ。

 そう思った直後、蛇のような手つきが私の首元を捕らえる。

「……ひぇっ………!」

 くすぐったさと恐ろしさで私は思わず、そんな変な声を出してしまった。


 しかし、どうだろう。

「…………。」

「………………?」

 ヨシヤは首に手を添えただけでそれ以上何もしなかった。
 首を絞めるわけでも、爪を立てるわけでもない。…妙だ。

「……ハァ…。本当に余裕がないんですから……。」

「………え………?」

 ひどく悔しそうに呟いたヨシヤが、私の首からパッと手を離した。
 …でも心なしか、彼はどこかホッとしているようで。

 開け放たれた戸の目の前に、山のように大きな人影が立ちはだかったのはその直後だった。

「…薬屋。また貴様か。
 営業時間にはまだ早いはずだ。一体何をしている…?」

 軍服に、銃剣…。それは以前も目にした、恐ろしい形相の警備員さんだった。

「…ッ!!」

 驚いて目を見開いた時、運悪く警備員さんと目が合ってしまった。池の底みたいに暗く冷たい目が私を睨む。そして…、

「……やはり危惧した通りか。
 小娘、貴様は地上の人間だな。」

 たった一目で私の正体を言い当てた。

 昨日マサちゃんのとこへお使いに行く前に一度見たけど、その時は警備員さんは私を見なかった。
 …でも、あの時からもう私がよそ者だって分かっていたんだ。

 ヨシヤの言葉を思い出す。地上人が紛れ込んだら、警備員さんが速やかに地上へつまみ出す…って。

 ―――じゃあ、私も…?

 グッと身構えると、ヨシヤが私と警備員さんの間に手を翳した。
 私には「前へ出るな」。
 警備員さんには「こいつに触るな」の意味だ。

「昨日の時点ではこの子には目もくれなかったのに、都合のいい人ですね。
 …ですが残念。今更連れて行こうとしても手遅れですよ。僕はもうこの子の名を支配しましたから。」

 ヨシヤはしたり顔だ。
 相手のもっとも嫌がる部分を突いたように。
 警備員さんは眉のシワを更に深く刻む。

「“商売人に名を支配された地上人は、連行の対象から外される”。
 …一体どこで耳にした?警備員の決まりを。」

「地上人をおおやけに奴隷として使っている商売人なんていくらでもいるのに、警備員は誰も取り締まろうとしない…。
 つまり、その場合は対象外になると考えるのが自然です。」

 また警備員さんが憎々しい表情を浮かべる。
 手にした銃剣をわざと音を立てて構え、その切っ先をヨシヤの首元に突き付けたのだ。

 でも傷付けるつもりじゃないみたい。
 構えた状態から動くことなく、警備員さんはこう吐き捨てた。

「…下衆げすが。
 貴様のような身勝手で独断的な商売人がいるせいで、この世界がいつまでも人鬼や…お客様方の強圧に苛まれ続けているのが分からないのか。」

「…………。」

 ヨシヤは反論しない。

 確かに、商売人が地上人を支配して、そして食べると人鬼になってしまう。人鬼になったからには、次は商売人たちの命を脅かす。

 ヨシヤ自身、人鬼がどれだけ恐ろしいものか分かってるんだ。
 狡猾なオバケたちと同じくらい。


「…だったら、何だと言うんです。」

 でも、ヨシヤの決意はそれよりずっと強く、ずっと哀れだった。

「“協調性を持て”とでも諭したいんですか?
 この世界に平穏や安らぎなんてものは存在しないんです。
 地獄のような日々を何年も…何十年も強いられ、少しでも楽になりたくて各々おのおのが救済の道を模索しているのです。…僕にとってはそれが、地上人を手に入れることだった。
 商売人が自分の平穏を望むのは、いけないことですか?」

 今度は警備員さんが黙る番だった。

 私は不安げにヨシヤを見る。
 前に立ちはだかる彼は一見すると私を護ってくれているようだけど、これも本当は“私のため”じゃないんだ。

 “自分の戦利品を取られたくない”。
 ヨシヤの冷たい笑顔からは、そんな気持ちが滲み出ていた。

「………小娘。」

「ッ!?」

 ふいに警備員さんに呼びかけられた。

「名を教えろ。
 そうすればその男から、貴様を救うことができる。」

「え………?」

「っ!!」

 それって、名前の支配…?
 ヨシヤだけでなく警備員さんにもこき使われるんだとしたら御免だけど、警備員さんの意図は他にあった。

「名の支配は、地上人の行動すら支配する。
 俺が貴様に“薬屋の言葉を聞くな”と命じれば、…薬屋の支配は効かなくなる。
 複数人に支配された場合は後の者に有利な決まりだ。」

「…そんなことが…。」

 さすが警備員、というべきなんだろうか。この人は本当に真剣に、アンダーサイカを取り締まってるんだ。
「支配」と口にしていても、実質的には私を逃がそうとしてくれている。
 それに、今の言葉の信憑性は、

「………っ…!」

 憎々しい笑顔で警備員さんを睨むヨシヤが証明してくれている。


 私としては、アンダーサイカにいたくない。
 人鬼がうろついてる場所なんて恐いから。

「…あのね、」

「……ッ、豊花ちゃん…!」

 言いかけた私を、すかさずヨシヤが遮る。
 でも構わずに言葉を続けた。


「私、まだヨシヤと一緒にいようと思うの。」


「…………何?」

 警備員さんが探るように目を細め、

「………え…?」

 ヨシヤが、構えていた腕をゆっくり下ろした。
 二人ぶんの視線を浴びながら私は答える。

「大変だし、恐いけど、約束しちゃったから。ヨシヤを手伝うって。
 約束は最後まで守らなきゃ。」

 ―――それで私にどんな危険が降り懸かったとしても…。

 警備員さんはヨシヤが私を“奴隷”として使ってると思ってる。
 “食べるため”と分かってるヨシヤはただ呆然と私を見て…、

「…豊花ちゃん…、本当に…?
 本気、なんですか…?」

「そう仕向けたくせに何を今更。」

 ―――でもね私、これでもちょっと信じてるの。ヨシヤのこと。

「ヨシヤは良い人だもの。
 友達にひどいことなんて、しないでしょ?」

 ヨシヤはもう何も言わなかった。
 何かいいたげな目はしているけど、これ以上は何も言わないほうがいいと判断したようで。

 対する警備員さんは、声をヨシヤの時よりも荒げた。

「理解しろ小娘ッ!
 ここがどんな所か、その目で見たはずだ!
 …薬屋に情が移ったか?残念だがその男は私利私欲のためにお前を利用しているだけだ!」

 ―――うん、そうかもしれない。

 そう思っても、私は何も答えなかった。
 警備員さんが叫んだ。

「お前はみすみす…自由を捨ててもいいのか!?
 “我々のように”…!!」

 それは威嚇だった。
 動物は身を守るために吠えるけど、この人は違う。
 関係ない私を逃がすために吠えてるんだ。
 同じ苦しみを味わわせないために…。
 だから思ったままを口にする。

「警備員さんは優しいね。」

「……なっ…!!」

 警備員さんが二の句を告げられないまま言葉を失い、ヨシヤはなんだか凄い勢いで私のほうを振り返る。
 私は警備員さんを見つめたまま言った。

「…でもね、ヨシヤも優しいんだ。
 私は彼を今更見捨てられない。放っておけないの。
 だってヨシヤのこと好きだもの。」

 ―――潤ちゃんや拓くんや、稔兄ちゃんと同じくらい…。

 短い間に、ヨシヤは私にとってそれくらい大切な存在になってたんだ。
 気づいたのはたった今だけど。

 無言のヨシヤは私に顔を向けたまま、

「…………っ。」

 なぜかポッポと顔を赤らめていく。

「警備員さんの親切は嬉しいけど、これは私が選んだことだから。……お願い。
 最後まで任せてくれない?」

「…………。」

 警備員さんは険しい顔をしてる…。
 これ以上説得されたら私は打ち負けるかもしれない。だからなんとか受け入れてもらいたい。
 祈る気持ちで、警備員さんの反応を待った。


「……俺は、薬屋を…商売人を誰ひとり信用していない。…だから、……もし一度でも薬屋を信用できなくなったら、その時は迷わず俺を呼ぶんだ。いいな?」

「!!」

 それは、つまり、

「私、ヨシヤと一緒にいていいんだねっ?」

 警備員さんは躊躇いながらも頷いた。

「…“キョウ”。俺の名だ。
 地上人に支配の力は適用されないが、いざという時は叫べ。
 …必ず助けに向かう。」

 警備員さん…キョウくんは、今まで以上に真剣な顔で名乗ってくれた。
 名前を教えるのって、やっぱり勇気が要るのかな。
 教えてくれた名前を忘れないように、私は頭の中で何回も繰り返す。
 最後は口に出して、

「うん。ありがとう、キョウくん!」

 名前を教えてくれたことに。
 そして、認めてくれたことに。

 キョウくんは帽子を深くかぶり直すと、銃剣を脇にしっかりと添え、力強い足取りで薬屋を離れた。

「…気をつけろ、ユタカ。」

「!」

 その際合った彼の目は…、暑苦しいくらいの保護欲に燃えていた気がする。

「うん、キョウくんもね。」


 ***


 通路の暗闇の中へ消えていくキョウくんの姿を見送ってから、私はヨシヤに顔を向ける。

「……………。」

 ヨシヤはまだ顔を赤くしてた。
 嬉しそうな、でもバツが悪そうな変な笑顔で。

「………。ヨシヤ、大丈夫?」

「…………え、ええ…。
 ……うぅぅ…!」

 大丈夫って答えておきながら、ヨシヤは何だか切なげな声を上げ、顔を手で覆い隠してしまった。
 柄にもなく取り乱してるようだ。乱れるのを気にせず、髪の毛をわしわしと掴んでる。
 指の隙間から見える瞳は熱っぽく潤んでいて、それに見据えられた時、…私はまた悪寒を感じた。

「…ど、どうかしたの?」

「………豊花ちゃん…。」

「うん?」

 ヨシヤが体を屈めた。

 でもそれはしゃがむためじゃなくて、低身長の私を抱きしめるためだった。

「ッ!?!?」

 ピキーンと体が強張る。
 恥ずかしさと危機感が一緒に押し寄せてきた。

 …でも、

「………ヨシヤ?」

 彼はちゃんと手加減してた。両手をしっかり回して抱き着いているのに、ちっとも苦しくなかったから。

 意図が分からない。だからとりあえず、私も同じように彼の背中に手を回した。
 広い背中に腕が回りきらないけど、それでもなんとか手を伸ばして。

「…ヨシヤ?」

 ぽん、ぽん。
 背中をそっと叩きながら訊ねる。

「………。食べたいの?」

「……………。」

 ヨシヤは首を弱く横に振った。


「……分からないんです…。
 僕はきみを食べなきゃいけないのに……、でも、
 きみを殺したくない……。」

 キュッと、回した手に力がこもる。

 私は答えに困った。食べていいよ、とも言えないけど…食べないでとも即答できない。
 ヨシヤの苦しいくらいの葛藤が腕から伝わってくるようで。

 ―――アンダーサイカから逃げたい気持ちと、友達わたしを死なせたくない気持ち…。

 どっちも同じくらい強いんだろう。彼の中では。
 だから私は、彼に代わった答えを提示するのがお節介に思えちゃって、

「…今すぐ決めなくていいよ。
 ヨシヤにも私にも、まだ時間はあるんだから。ゆっくりじっくり考えて、決めればいいよ。」

 問題の先伸ばしっていう臆病な対処しか、今の私にはできなかった。

 そんな臆病なアドバイスでも、

「……………うん…。」

 ヨシヤがまた腕の力を強めた。

 こんなアドバイスでも、少しは彼の慰めになったのかもしれない。

 ―――だったら嬉しいな…。

 ヨシヤの腕の中にいるのは重いし暑かったけど、不思議と嫌な感じはしなかった。
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