アンダーサイカ -旧南岸線斎珂駅地下街-

唄うたい

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第5章 吻【ちゅー】

5-4

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「へえ、そうですか、肉屋さんがサービスを…。
 ふふ、きっと豊花ちゃんが可愛いおかげですね。」

 買ってきたお肉の多さにヨシヤはビックリしてるみたいだった。
 …本当は半ば脅す感じで買ってきたんだけど、そんなこと正直に言えるわけもなく。

「わかんない。
 たぶんマサちゃんの機嫌が良かったんだよ。」

 そう、真相をお茶に濁しておいた。

「“マサちゃん”?誰ですか?」

「肉屋のマサミちゃん。名前聞いたの。」

 これも半ば脅迫みたいな形で。
 でも私はマサちゃんとはきちんと知り合いになったつもりだ。
 次にお店に行った時、マサちゃんはきっと今日よりは優しくなってる。そんな気がするんだよね。

 私の言葉を聞いたヨシヤがまた嬉しそうに目を細めた。

「さっそく仲良しさんができたみたいですね。
 良かったですね豊花ちゃん。」

「うーん、“仲良し”はこれからかな。」

 そう言いつつも、ヨシヤの言葉がちょっとくすぐったくて笑ってしまう。
 ふふ、と声をもらした時だ。

 ――ぐうぅぅ…

「…………。」

「おや?」

 しばらく静かにしていた腹の虫が、今になって騒ぎだした。
 そうだ。もうとっくにお夕飯の時間だ。

「…ヨシヤ、私もうおうち帰っていい?
 お腹すいてきちゃった…。すっごく…。」

 正直、今立ってるのもつらい。
 我が家は普段、きちんと三食ご飯を食べる習慣だから、私の胃袋は時間に忠実なのだ。
 早く帰って腹の虫を黙らせないと…。そう思うんだけど、

「え?じゃあ丁度いいじゃないですか。
 僕、今からご飯作ろうとしてたんです。豊花ちゃんが買ってきてくれたお肉を使って、美味しいお鍋でも。
 どうです?良かったら食べていきませんか?」

「へっ…!?」

 ヨシヤの口にした「ご飯」「お肉」「お鍋」の三単語に、私は見事に釣られてしまった。

「…あ、でも……、」

 でも同時に、頭の中で葛藤した。
 人様んちのお夕飯を食べるなんて、友達の家に遊びに行った時しかしないもの。だからそんなに親しくない彼のご飯を取っちゃっていいもんだろうかと、私はすぐに答えが出せない。

「ふふ、遠慮しなくていいんですよ。
 僕が豊花ちゃんと食べたいから誘ってるんです。二人で食べたほうが美味しいですし。」

「……………。」

 あ、そっか…。
 ヨシヤはいつも一人でご飯食べてるんだ。
 そうだよね、お店から出れないんだもの。

 お鍋作ったって、カレー作ったって、それを食べるのはいつも一人で…。

「……。」

 ちょっと、可哀相だと思った。


「…ヨシヤ、いつからここにいるの?一年くらい?」

「残念ながら、もっと長い間です。
 …もういつから人とご飯を食べていないのか、忘れてしまうくらい。」

「…………そう…。」

 私には、ヨシヤのつらさを分かってあげることなんて到底できない。
 ヨシヤは、私の想像なんか軽く超えるくらいの苦しみとか孤独を抱えてきたんだから。

 ―――ひとを食べたい……と思うくらいの…。

「……………。
 ヨシヤ。私、ご飯食べたい。」

「!」

 私にできる、なけなしの優しさって何だろう。
 すべてを包み込むなんて大それたことは言わない。
 …ただ、私に潤ちゃんや拓くんがいてくれたみたいに…、ヨシヤにも、

 ―――傍に誰かがいるっていう幸せを、教えてあげたい。

 するとヨシヤは、

「…はい。
 すぐに作りますから、待っててくださいね!」

 子供みたいに、へにゃっと笑った。
 今までの貼り付いた笑顔じゃない。
 心から笑っている…そんな顔。

「うん!」

 少しは…、ほんのちょびっとくらいは、私の言葉が、彼の気休めになっただろうか。
 優しい言葉をかけることが、ちゃんとできただろうか。

 稔兄ちゃん、みたいに…。


 ***


 グツグツグツ…。
 お湯の沸騰する音が好き。
 お鍋の中で踊る野菜や豆腐やしらたき。ふたつ用意されたお茶碗。と、つるんとした卵。
 真四角のテーブルと、その上に乗ったすき焼き鍋を挟んで、私たちはうっとりとお鍋の中を眺める。
 これが、テレビでよく見る……

「私、すき焼きって初めて。
 いつもご飯はお母さんと二人だけだから。」

 二人じゃお鍋は多いわね、って、お母さんはなかなか作ってくれない。
 お父さんがお仕事で忙しいんだから仕方ない。
 それは分かってるんだけど、やっぱりテレビでリポーターの人が美味しそうに食べてるのが羨ましくて。

「そうでしたか。
 これね、僕の大好物なんです。何か特別なことがあった日に食べるって決めてるんですよ。」

 煮立ったお鍋の中にお肉を投入しながらヨシヤが言う。その鮮やかな手つきはまるで旅館の女将さんみたいだ。

「今日は何か特別なことがあったの?」

「まあ、厳密には“一昨日”なんですけどね。
 豊花ちゃんと知り合えた記念です。」

 あっけらかんと言った。
 包み隠さないその白々しさが、どこか眩しくもあったけど、

「………。」

 私と出会った…と嬉しいことを言ってくれる彼にしてみたら、

「ヨシヤが会えて嬉しいのは“地上人”の私でしょ?」

「人が言葉を選んでいるのにこのお子様は。」

 久々にヨシヤの笑顔が引き攣った。どうやら図星みたい。
 ひどいことを言われてるはずなのに、今はそんなに嫌な気はしなかった。
 また、くすくすと肩を震わせて笑う私。

 視線をお鍋の中に移せば、真っ赤だったお肉にはもう良い感じに火が通っていて、

「はい。最初のひとくちは豊花ちゃんどうぞ。
 お使いのご褒美です。」

「わっ!」

 生卵を溶いたお椀に、大きなお肉を一枚落としてくれた。
 ほかほか湯気が立つ。私は思わず、唾をコクリと飲み込んだ。
 散々お預けされた空腹も我慢の限界だ。

「た、食べちゃうよ!」

「はい、召し上がれ。」

 ゴーサインを受けるや、私はすぐにお肉を頬張った。

「!」

 とっても熱い。
 …けど、とっても…、

「美味しい…っ!!
 ふわふわ!とろとろ!」

「ふふ、そうでしょう。
 遠慮せずにいっぱい食べてくださいね。」

 勧められるまま、白菜やお豆腐を掻き込んでいく。野菜にもよく味が染みてて、ちょっと苦手なネギもパクパク食べることができた。

 よっぽど私の食べ方が凄まじいのか、さっきからヨシヤはお鍋に手をつけず、私のほうばっかり見ていた。

「ヨシヤもいっぱい食べなよ!美味しいよっ!」

「はいはい、そうします。」

 お箸をきちんと持って、私とは違ってお鍋から煮立った具を丁寧に取っていくヨシヤ。
 そのお手本みたいにお上品な仕草に、今度は私が見入る番だった。

 卵と絡めたお肉が口に運ばれる。
 もぐもぐもぐ…。よく噛んで、よく噛んで…、ゴクンと喉が動いた。

「美味しいっ?」

 待ちきれなくて急かすように訊いてしまう。
 ヨシヤはポッ…と、ほっぺを赤くしてみせた。

「ええ、とっても。
 いつもよりずっとずうっと、美味しいです。」

 彼から幸せオーラが溢れてる。
 グツグツ煮えるお鍋を挟んで、ヨシヤにつられて私も笑う。

「うふふ………。」

 どうしよう。嬉しい。
 すごく、ホッとする…。
 ご飯を食べることがこんなに幸せだなんて知らなかった。
 だって今までは…、

 ―――今までは………、


「…豊花ちゃん……?
 泣きそうですよ…?」

「へ………?」

 ふいにヨシヤが指先を伸ばして、私の目尻を軽くなぞった。

 指先につく透明の水…。
 いつの間にか。なぜかは知らないけど私は…泣いていたらしかった。

「…うそ。
 なにこれ、私泣いてないよっ。ろ、6年生だもん…!」

 子供じゃないんだから、いつまでもベソベソしたくない。
 そうは思うんだけど、止めようとすればするほど、涙はポロポロ大洪水。

 意味わかんない。
 全然悲しいことなんてないのに…。
 目元をごしごし擦る私の手を、ヨシヤがそっと止めた。

「…きっと、ホッとしすぎちゃったんでしょうね。
 今まで慌ただしいことばかりでしたから。」

「…………。」

 言いながら、頭を撫でられる。
 その手つきは壊れ物を扱うみたいに優しくて、私の遠い日の、最後に両親に頭を撫でられた日のことを思い起こさせた。

 ―――そうだ………。

 ご飯食べて泣いちゃったのも、こうして撫でられるのが懐かしくて、少し寂しいのも、…みんなみんな、稔兄ちゃんが亡くなった日に、一緒に消えちゃった思い出だ。

 お父さんがあの日からいっそう仕事で忙しくなって、お母さんはいつまでも稔兄ちゃんのことを忘れないで、いつまでも稔兄ちゃんのことを悼む。
 一緒にご飯を食べてても何をしてても、両親はどこか、ずうっと稔兄ちゃんのことを考えていたんだと思う。
 私のことを撫でてくれる時も、どこか私と稔兄ちゃんを重ねていたんだと思う。

 ……私は、稔兄ちゃんに嫉妬してるわけじゃない。いつまでも忘れないでいられるから、それはそれで嬉しい。
 …でも、

「………少しくらいは、ちゃんと“私”を見てほしかった……。」

 ちょっとでいいから、“私”とご飯を食べて、“私”と触れ合ってほしかったの。

「……でもそんなこと言ったら、お父さんもお母さんもきっと困る…。」

 稔兄ちゃんのこと忘れちゃうんじゃないか…って。

 せっかくヨシヤがご飯を作ってくれたのに、私はベソかきを止められないまま。
 グツグツ煮えるお鍋の香りが、余計に切なく感じちゃって。

「豊花ちゃん、」

 お鍋を挟んでいたヨシヤが、四つん這いで私の傍に寄って来た。

 何をするつもりだろう。
 目に涙を浮かべたままそっちに目をやっ



「…ちゅっ。」



「……………。」

 おでこに柔らかい感触があった。
 首を伸ばしたヨシヤの、白い首元が目の前にある。

 ちら…と視線を上にやると、どうやらヨシヤが、私のおでこにチューしたらしい。

 …………。

 ―――はッ!?


「なっ、なに、なになにするの、この、バッッ!!!」

 反射的だ。
 反射的に私は、力一杯ヨシヤを突き飛ばした。

「ん?」

 でも相手は大人。ヨシヤは見た目以上に頑丈で、強く押した反動で私のほうがよろめいてしまった。

「豊花ちゃん、大丈夫ですか?」

「だいじょぶ…っじゃない!!
 い、今、私のおでこにチュー…した!?」

「“チュー”だなんて。
 そんな大それたことじゃありませんよ。
 “チュ”くらいです。」

「一緒だよっ!!!」

 こっちがこんなに恥ずかしい思いしてるのに、当のヨシヤはどこか満足げにしてる。それが気に食わなかった。
 二度目を食らわないよう、おでこを両手でガードしながら、

「いきなり変なことしないで!
 セクハラだ、セクハラだ!警備員さん呼んでやる!」

「これはたぶん彼らの管轄外だと思いますよ。」

 サラッと言ってのける彼。
 どうやら罪悪感とか悪気はないみたい。

 …それにしても、いきなりチューだなんていくらなんでも、突拍子なさすぎる。

「いやぁ、でも…、そんなに嫌がられるとは思っていませんでした。
 豊花ちゃんのことだから、また飄々と受け流すと思っていたんですけどね。
 ごめんなさい、不快な思いさせちゃいましたね。」

「…………。」

 そんな正直に謝られるなんて思ってなかったから、ちょっと拍子抜けだ。

「ふふ、本当にごめんなさい。
 …なぜでしょうね。豊花ちゃんの涙を見ていたら、僕まで苦しくなってしまいました。
 きみの感じた悲しみが僕にもなんとなく分かるからでしょうか…。」

「………。」

 あ、そうか。
 ヨシヤ…慰めようとしてくれたんだ。

 私の寂しさ。ヨシヤの寂しさ。
 寂しさの種類は違っても、その重さはきっと変わらない。
 だからヨシヤは、私の気持ちを分かってくれて…。

「………。」

 急に自分の行動が馬鹿らしくなっちゃって、私はおでこを押さえていた手を下ろした。

「…でもやっぱり、チューはやりすぎ。…ビックリした。」

「はい、ごめんなさい。」

 ―――だから今からすることは、慰めてくれたお礼……。

 私はスクッと膝立ちして、

「…………っ。」

 同じように、ヨシヤのおでこにチューしてやった。

 ほんの一瞬だけ。
 さっきのヨシヤのより、ずっと短いチュー。
 それでも、それだけでも、

「…ありがと。お返し。」

 私の感謝の気持ちは、きっと伝わったはず。


 ここで、私がなぜまたビックリしたかって…、

「………よ、ヨシヤ?
 ヨシヤ、返事して…?」

「……………。」

 ヨシヤが目を丸くしてカチコチに固まってしまったから。

 瞬きもしないし目玉も少しも動かないのに、口だけはしっかりと笑みの形で。
 そんなにビックリすることだったんだろうか。
 それにしたってこの反応は予想外だ。なんていうか…いつもの笑顔の数倍不気味だ。

 慌てて肩を揺すってみる。
 首が遅れてカクカク揺れて、口の端から小さく「やめてください、やめてください」と声がもれたから、私はホッと胸を撫で下ろした。

「…ごめん、イヤだった?」

「イヤ…とは言いませんけど…。」

 ヨシヤは言いにくそうにポリポリとほっぺを掻いてる。

「…僕、あやうく罪を犯すところでした。」


「た…っ、食べないでよ…!!」

 言いようのない危機感を覚えて、私はとっさに2メートルくらい後ずさった。
 ヨシヤのギラギラした、でも切なげな瞳を睨みつけて。

 だってここには煮る用のお鍋も、和える用の卵もある。ヨシヤが私を調理できる絶好の環境なんだから。

「…え?あ、あぁ…そっちの意味ですか?
 うん、まぁ…そういうことにしておいてください。」

 ヨシヤのそんな煮え切らない言葉の意味は、私にはよく分からなかった。
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