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第5章 吻【ちゅー】
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地図に従い、蟻の巣みたいに入り組んだ通路を右に左に進んでいく。
しばらく歩くと、
「…あれ?まだ地下があるの?」
更に下の階へ通じる階段にたどり着いた。
…不思議。てっきりこの階で終わりだと思ってたから。
それに地図を見ても、どうやら2番街はこの先らしい。地下2階の2番街だ。つまり今まで私がいた、薬屋のあるあの場所は1番街扱いってことになるのかな。
…ということはまさか、16番街は地下16階だなんて言わないだろうな?
「………むむむ。」
訝しみながらも、地図に従って階段を下りる。
下りた先の2番街は、お店の種類こそ違うものの、雰囲気は大して1番街との差はなかった。
お肉屋さんはもう少し先に行ったところだ。
地図と照らし合わせながら通路を進む。
「…………。」
いくらお客さんが来る時間じゃないからって、どのお店を見ても人のいる気配は…皆無だった。
一際大きなお風呂屋さんの前を通り過ぎる。
…こんな大きくても利用するのはあのオバケたちなんだよね。商人たちはお互いのお店に出入りできないんだから。
『僕達はお互いに干渉しません。そういう主義なんです。』
前にヨシヤが言ってたことを思い出す。
…干渉しないんじゃなくて、したくてもできないんだ。
「…ほんと、ひどい…。」
オバケの言葉が気にかかる。
この世界は、ヨシヤたちに“罰”を与えてるって。
ヨシヤは本当に罪を犯したのかな…?
犯したんだとしたら、一体どんな……?
「…………ん?」
ふと、違和感を覚えた。
お風呂屋さんの少し先。
周りのお店はどこも暗く閉まってるのに、あるひとつのお店だけは、ほのかなオレンジ色の明かりを点けていたのだ。
再度、地図を見る。
「お肉屋さんだ!」
なんで偶然だろう。
ヨシヤにお使いを頼まれたお肉屋さんだけが、この時間からお店を開いていたのだ。
私は嬉しくなって、オレンジの明かりまで走り寄っていった。
「すみませんっ!」
元気に声をかける。
すると、すぐにお店の人が顔を出した。
「!」
「…なによ、アンタは。」
商人を見て、私は驚いた。
だってその人……いや、その“子”は、私より少ししか歳の変わらなそうな女の子だったんだから。
中学生くらいだろうか。
ヨシヤや警備員さんと同じ、青白い顔と真っ白な髪をしてる。ただ、髪はお下げにして垂らしてるけど。
「…ほんとに、お肉屋さん…?」
信じられなかった。
私の中で“お肉屋さん”って、男の人がやってるものと思ってたから。
ううん、男の人じゃなくても、少なくとも“子供”がやる仕事じゃないと思ってた。
しかし女の子は不機嫌そうに言い返してくる。
「…そうよ。見て分かんでしょ。
アンタは何なのよ?配達員?」
ぶっきらぼうな言い方だ。
同じ商人でもヨシヤとはだいぶ違う。
「私は西…………あっ、」
“何”と訊かれて思わず、自分の名前を言いかけてしまった。
危ない、危ない。下手に名乗って支配されたら大変だ。
「…ヨシヤに頼まれて、お肉買いに来ました。
これで買えるだけください!」
言いながら、ガラスのショーケースの上にお金を出す。
お肉屋さんはじろじろとお金を眺め、ついでに私のことも眺める。いや、睨むといったほうが正しい。
「…ヨシヤ…って、薬屋のことよね?
アンタ、薬屋の“何”?」
「エ……。」
何、と言われてもな…。
それにどこか、お肉屋さん怒ってるみたい…。
「…私、お手伝いしてるの。
お店が忙しいからってお願いされて…。」
名前を支配されたことは黙ってたほうがいいのかな。
するとお肉屋さんの目つきは更に鋭くなる。
「…アンタ、地上人?
まさか薬屋に名前支配されたとか…っ?」
「!?」
見事に言い当てられてしまった。
狼狽えながらもコクンと頷くと、お肉屋さんの目つきはもうナイフ以上にキリリと研ぎ澄まされていった。
「なにソレ!うっざ!
アンタ何ノコノコこの地下街に入って来てんのよ!?
そんで、なんでよりによって薬屋に名前教えるわけ!?バッカじゃないのっ!?
…もう、サイアクッ!!アタシの店に来るってこと自体ありえないから!!」
「!? ……えっ?へ?」
呆然とする私を置いて、お肉屋さんは口汚い言葉を吐き続ける。
何に対して怒ってるのか分からないけど、これは分かる。
―――この人、私のこと嫌いみたい。
こんな真っ向から嫌われるっていうのもなかなかできない経験だ。悲しさを通り越して感動すら覚えるよ。
「さっきも電話で薬屋に“お店開いてくれ”って頼まれなきゃ、こんな時間から開店しないっつーの!!
おまけに配達員じゃなくて地上人のガキ使わせるとか…、マジうざいんだけど!!」
「そんなこと私に言われても。
私ほら、お使い頼まれただけだし。」
だんだんお肉屋さんの罵倒を聞くのも飽きてきて、私はショーケースの中に並べられたお肉を観察し始めるのだった。
どれも真っ赤で、牛肉のような豚肉のような…その中間と呼べる、今まで見たことのないお肉。
値札の上にも「おにく」としか書かれてない。
本当にこれしか売ってないんだ…。
「ねえ、これ美味しい?」
ひょっこり顔を覗かせて訊ねるけど、お肉屋さんはどうやらまだご乱心。
ギロッと私を睨みつけて、とんでもないことを言い出した。
「…気が変わったわ。
アタシも、アンタの名前支配する。
名前教えるまで、アンタには肉売らないから。」
「えぇっ!?」
そんなひどい。濡れ衣だ。
私はお使い頼まれただけだって言ってるのに。
「わ、私お客さんだよ!?」
「うるさい!客かどうかはアタシが決めることなのよッ!」
「なんて自分勝手なっ!」
お肉は目の前なのに…!
今ここで引き下がるわけにはいかない。だけどだからって、名前を支配されるわけにも…。
―――どうしよう…。
「ふん。」
困り果てる私の姿を、お肉屋さんは嘲るように見下ろしている。
「…………っ。」
―――ヤなやつ。
ヨシヤも充分ヤなやつだけど、この人はきっとそれ以上だ。
「何黙ってんの?
教えないならさっさと帰んな。邪魔だから。」
そう吐き捨てながらお肉屋さんは…、
「………っ!!」
ショーケースの上に出しっぱなしにしておいたお金を、まるでゴミでも扱うように、私の足元に払い落とした。
ちゃりん、ちゃりんと音を立てるお金。
「……ッ!!」
それを見下ろした時、私は…、
「…なにするの!!
これはね、ヨシヤが頑張って稼いだお金なんだよっ!!」
思わず、怒鳴ってた。
「っ!?」
お肉屋さんは目を丸くしてる。
でも今の私には、その表情すら腹立たしい。
「私のことどう思ってようが知らないけど、あんた商人なんでしょ!?
ならお客さんに嫌な思いさせたり、お金を粗末にしちゃダメ!
私の知ってる商人は絶対にそんなことしないんだからっ!」
そう吠える私自身、こんなに怒鳴るつもりはなかった。
普段だってこんな大声出したことない。
私は、どうしてこんなに怒ってる?
…自分の信念のために怒ってる?
それとも、…ヨシヤのために怒ってるのかな?
「…あ、アンタが悪いんでしょ。…と、年上に逆らうから…!
とにかくアタシ、絶対アンタには売らないからね…ッ!!」
ダメだこの人、頑固にもほどがある。
でも私だってノコノコ逃げ帰るなんてまっぴらだ。
こんな意地悪な人に負けたくない。学校の先生だって言ってたもの。
悪いことはちゃんと悪いって教えなきゃ。
「もう!意地張らないでよ!
年上のくせに恥ずかしくないの!?」
「うざったいんだよバーカ!!
悔しかったら薬屋連れて来て直談判でもすれば!?」
「ヨシヤは来られないの!
知ってるくせに!意地悪!ひねくれ者!」
「さっきからヨシヤヨシヤって…アンタ気安すぎ!!
薬屋と一緒にいられるからって調子乗ってんなッ!!」
「言ってる意味が分かんない!」
もう、何なのこの人さっきから!
やたら私とヨシヤのこと気にしてネチネチネチネチ…。
でも、ハタ…と。
「!」
こんなやり取り、デジャヴを感じる。
確か前に潤ちゃんに借りた少女漫画に似たようなシーンがあった気がする…。
―――私が主人公のポジションだとしたら、お肉屋さんの言ってることって………。
「お肉屋さん、ヨシヤのこと好きなの?」
「ひへ………ッ!?」
私の唐突な問いに、あんなにまくし立てていたお肉屋さんがピタッと凍りついた。「ひへ」なんて変な声付きで。
―――もしかして、図星…?
だってそれなら今までのことも説明がつく。
私のこと真っ向から否定してたのもすべては、
「ヤキモチ焼いてたの?」
ヨシヤのことが好きだから、彼の近くにいる私が疎ましいってわけか。納得。
こっちはたまったもんじゃないけど。
「バッ、ちが…、なん、なんでアタシがアンタに…っ!
思い上がってんじゃないわよ、ガキのくせに生意気!!」
言い当てられたことが恥ずかしかったのか、お肉屋さんは素直に認めない。
「ふうん…。じゃあ私、帰って言っちゃうからね。」
「…な、何を言うのよ…?」
なら、こっちにだって考えがある。
「ヨシヤに、“お肉屋さんに意地悪された”って。」
私は至極当然のことを言ったつもりだけど、お肉屋さんの顔が更に青ざめたからよっぽど効いたんだろう。
「さっきから私にずうっとひどいこと言ったんだから、このくらいはいいでしょ?
ヨシヤにどう思われるかは知らないけどさ、私ばっかりイヤな思いするのはシャクだもんね。
でも、気が変わってお肉売ってくれるなら、黙っててあげる。どうする?」
ニッと笑ってみせれば、お肉屋さんの口元がピクピクと引き攣る。
そういえばヨシヤも最初はこんな反応してたな。
「か…可愛くないガキねッ!
アンタなんかすぐ薬屋に追い出されるわよ…!!」
「ザンネン、私はむしろそうなってほしいんだ。
はやくはやくっ、お肉ちょうだい。お肉屋さんでしょ。」
「………くッ…!!」
お肉屋さんはギュッと拳を握りしめて、プルプル震えた。
しかしやがて観念したのか、ショーケースのお肉を袋に包み始める。荒々しい手つきだけど、無駄な動きがなくて凄いと思った。
「…さ、サービスしといたから。薬屋には黙っといてよ!アタシがアンタに言ったこととか…っ!」
ズイッと袋を差し出される。
良かった。これで帰れる。
笑顔で受け取るついでに私はもうひとつだけ、こんなことをお肉屋さんに言ってみた。
「ねえ、お肉屋さんの名前はなんていうの?」
「…はあっ?」
いつまでも「お肉屋さん」って呼ぶのが面倒臭くなっちゃって、私は彼女の名前を訊ねてみたんだ。
でも教えてくれるかな。ヨシヤはすんなり教えてくれたけど。
「……………マサミ。」
「!」
口調はとってもぶっきらぼうだった。
でも、教えてもらえないかも…と危惧してたぶん、その素直な答えが嬉しかった。
「マサちゃん!わぁ、可愛い名前!」
「ちょっ…なにイキナリ馴れ馴れしく呼んでんの…!?
アタシはただ…教えないとアンタがまた薬屋に余計なこと言うんじゃないかと思ったから…!」
不機嫌そうにそっぽを向くマサちゃん。
でもその顔はちょっと赤い。照れ臭いみたいだ。
そんな反応を見てたら、さっき頭ごなしに怒鳴られたことなんてどうでもよくなってきた。
本当に私は順応性が高いことが長所なんだと思い知る。
だからか、私はショーケースの端っこに置かれていたメモとペンを手に取って、サラサラと絵を描き始めた。
「マサちゃん、ハイこれ。」
「……?
なによ、この変な絵?」
そこに描いたのは、温泉マークと田んぼと蚊の落書き。
ヒヨコオバケに私の名前を教える時に使った絵だ。
「私の名前。ヒントはひらがな3文字。」
「…は、はあ……?」
マサちゃんは受け取ったメモを見て首を傾げてる。人によってはすぐには分からないみたいだ。
でも、分かるまで傍にいてあげることなんてしない。さっきの意地悪はもう根に持ってないけど、やられたことはきちんとやり返さなきゃね。
「じゃあ私戻るね。
楽しかった。バイバイマサちゃん!」
笑顔で手を振る私を、マサちゃんはずっと仏頂面で見送っていた。
片手にお肉の袋を提げて、私は1番街の…ヨシヤのもとへ走る。
「へへ…。」
ここには人間らしくない恐い人ばっかりだと思ってたけど、案外そうでもないみたい。
マサちゃんは意地悪だけど女の子らしい面もあって、そしてヨシヤは……――、
「あ!」
「あ、お帰りなさい豊花ちゃん!」
私が戻るまでヨシヤはずっと軒下で待っていたみたい。
青白い顔に浮かぶニコニコ笑顔が私を出迎えて、ほんのちょっと、私は安心を覚えた。
―――ヨシヤは何だかんだ言って、私の面倒を見てくれる…。
「豊花」って名前を呼んでくれることが、それがちょっとだけ…嬉しかった。
しばらく歩くと、
「…あれ?まだ地下があるの?」
更に下の階へ通じる階段にたどり着いた。
…不思議。てっきりこの階で終わりだと思ってたから。
それに地図を見ても、どうやら2番街はこの先らしい。地下2階の2番街だ。つまり今まで私がいた、薬屋のあるあの場所は1番街扱いってことになるのかな。
…ということはまさか、16番街は地下16階だなんて言わないだろうな?
「………むむむ。」
訝しみながらも、地図に従って階段を下りる。
下りた先の2番街は、お店の種類こそ違うものの、雰囲気は大して1番街との差はなかった。
お肉屋さんはもう少し先に行ったところだ。
地図と照らし合わせながら通路を進む。
「…………。」
いくらお客さんが来る時間じゃないからって、どのお店を見ても人のいる気配は…皆無だった。
一際大きなお風呂屋さんの前を通り過ぎる。
…こんな大きくても利用するのはあのオバケたちなんだよね。商人たちはお互いのお店に出入りできないんだから。
『僕達はお互いに干渉しません。そういう主義なんです。』
前にヨシヤが言ってたことを思い出す。
…干渉しないんじゃなくて、したくてもできないんだ。
「…ほんと、ひどい…。」
オバケの言葉が気にかかる。
この世界は、ヨシヤたちに“罰”を与えてるって。
ヨシヤは本当に罪を犯したのかな…?
犯したんだとしたら、一体どんな……?
「…………ん?」
ふと、違和感を覚えた。
お風呂屋さんの少し先。
周りのお店はどこも暗く閉まってるのに、あるひとつのお店だけは、ほのかなオレンジ色の明かりを点けていたのだ。
再度、地図を見る。
「お肉屋さんだ!」
なんで偶然だろう。
ヨシヤにお使いを頼まれたお肉屋さんだけが、この時間からお店を開いていたのだ。
私は嬉しくなって、オレンジの明かりまで走り寄っていった。
「すみませんっ!」
元気に声をかける。
すると、すぐにお店の人が顔を出した。
「!」
「…なによ、アンタは。」
商人を見て、私は驚いた。
だってその人……いや、その“子”は、私より少ししか歳の変わらなそうな女の子だったんだから。
中学生くらいだろうか。
ヨシヤや警備員さんと同じ、青白い顔と真っ白な髪をしてる。ただ、髪はお下げにして垂らしてるけど。
「…ほんとに、お肉屋さん…?」
信じられなかった。
私の中で“お肉屋さん”って、男の人がやってるものと思ってたから。
ううん、男の人じゃなくても、少なくとも“子供”がやる仕事じゃないと思ってた。
しかし女の子は不機嫌そうに言い返してくる。
「…そうよ。見て分かんでしょ。
アンタは何なのよ?配達員?」
ぶっきらぼうな言い方だ。
同じ商人でもヨシヤとはだいぶ違う。
「私は西…………あっ、」
“何”と訊かれて思わず、自分の名前を言いかけてしまった。
危ない、危ない。下手に名乗って支配されたら大変だ。
「…ヨシヤに頼まれて、お肉買いに来ました。
これで買えるだけください!」
言いながら、ガラスのショーケースの上にお金を出す。
お肉屋さんはじろじろとお金を眺め、ついでに私のことも眺める。いや、睨むといったほうが正しい。
「…ヨシヤ…って、薬屋のことよね?
アンタ、薬屋の“何”?」
「エ……。」
何、と言われてもな…。
それにどこか、お肉屋さん怒ってるみたい…。
「…私、お手伝いしてるの。
お店が忙しいからってお願いされて…。」
名前を支配されたことは黙ってたほうがいいのかな。
するとお肉屋さんの目つきは更に鋭くなる。
「…アンタ、地上人?
まさか薬屋に名前支配されたとか…っ?」
「!?」
見事に言い当てられてしまった。
狼狽えながらもコクンと頷くと、お肉屋さんの目つきはもうナイフ以上にキリリと研ぎ澄まされていった。
「なにソレ!うっざ!
アンタ何ノコノコこの地下街に入って来てんのよ!?
そんで、なんでよりによって薬屋に名前教えるわけ!?バッカじゃないのっ!?
…もう、サイアクッ!!アタシの店に来るってこと自体ありえないから!!」
「!? ……えっ?へ?」
呆然とする私を置いて、お肉屋さんは口汚い言葉を吐き続ける。
何に対して怒ってるのか分からないけど、これは分かる。
―――この人、私のこと嫌いみたい。
こんな真っ向から嫌われるっていうのもなかなかできない経験だ。悲しさを通り越して感動すら覚えるよ。
「さっきも電話で薬屋に“お店開いてくれ”って頼まれなきゃ、こんな時間から開店しないっつーの!!
おまけに配達員じゃなくて地上人のガキ使わせるとか…、マジうざいんだけど!!」
「そんなこと私に言われても。
私ほら、お使い頼まれただけだし。」
だんだんお肉屋さんの罵倒を聞くのも飽きてきて、私はショーケースの中に並べられたお肉を観察し始めるのだった。
どれも真っ赤で、牛肉のような豚肉のような…その中間と呼べる、今まで見たことのないお肉。
値札の上にも「おにく」としか書かれてない。
本当にこれしか売ってないんだ…。
「ねえ、これ美味しい?」
ひょっこり顔を覗かせて訊ねるけど、お肉屋さんはどうやらまだご乱心。
ギロッと私を睨みつけて、とんでもないことを言い出した。
「…気が変わったわ。
アタシも、アンタの名前支配する。
名前教えるまで、アンタには肉売らないから。」
「えぇっ!?」
そんなひどい。濡れ衣だ。
私はお使い頼まれただけだって言ってるのに。
「わ、私お客さんだよ!?」
「うるさい!客かどうかはアタシが決めることなのよッ!」
「なんて自分勝手なっ!」
お肉は目の前なのに…!
今ここで引き下がるわけにはいかない。だけどだからって、名前を支配されるわけにも…。
―――どうしよう…。
「ふん。」
困り果てる私の姿を、お肉屋さんは嘲るように見下ろしている。
「…………っ。」
―――ヤなやつ。
ヨシヤも充分ヤなやつだけど、この人はきっとそれ以上だ。
「何黙ってんの?
教えないならさっさと帰んな。邪魔だから。」
そう吐き捨てながらお肉屋さんは…、
「………っ!!」
ショーケースの上に出しっぱなしにしておいたお金を、まるでゴミでも扱うように、私の足元に払い落とした。
ちゃりん、ちゃりんと音を立てるお金。
「……ッ!!」
それを見下ろした時、私は…、
「…なにするの!!
これはね、ヨシヤが頑張って稼いだお金なんだよっ!!」
思わず、怒鳴ってた。
「っ!?」
お肉屋さんは目を丸くしてる。
でも今の私には、その表情すら腹立たしい。
「私のことどう思ってようが知らないけど、あんた商人なんでしょ!?
ならお客さんに嫌な思いさせたり、お金を粗末にしちゃダメ!
私の知ってる商人は絶対にそんなことしないんだからっ!」
そう吠える私自身、こんなに怒鳴るつもりはなかった。
普段だってこんな大声出したことない。
私は、どうしてこんなに怒ってる?
…自分の信念のために怒ってる?
それとも、…ヨシヤのために怒ってるのかな?
「…あ、アンタが悪いんでしょ。…と、年上に逆らうから…!
とにかくアタシ、絶対アンタには売らないからね…ッ!!」
ダメだこの人、頑固にもほどがある。
でも私だってノコノコ逃げ帰るなんてまっぴらだ。
こんな意地悪な人に負けたくない。学校の先生だって言ってたもの。
悪いことはちゃんと悪いって教えなきゃ。
「もう!意地張らないでよ!
年上のくせに恥ずかしくないの!?」
「うざったいんだよバーカ!!
悔しかったら薬屋連れて来て直談判でもすれば!?」
「ヨシヤは来られないの!
知ってるくせに!意地悪!ひねくれ者!」
「さっきからヨシヤヨシヤって…アンタ気安すぎ!!
薬屋と一緒にいられるからって調子乗ってんなッ!!」
「言ってる意味が分かんない!」
もう、何なのこの人さっきから!
やたら私とヨシヤのこと気にしてネチネチネチネチ…。
でも、ハタ…と。
「!」
こんなやり取り、デジャヴを感じる。
確か前に潤ちゃんに借りた少女漫画に似たようなシーンがあった気がする…。
―――私が主人公のポジションだとしたら、お肉屋さんの言ってることって………。
「お肉屋さん、ヨシヤのこと好きなの?」
「ひへ………ッ!?」
私の唐突な問いに、あんなにまくし立てていたお肉屋さんがピタッと凍りついた。「ひへ」なんて変な声付きで。
―――もしかして、図星…?
だってそれなら今までのことも説明がつく。
私のこと真っ向から否定してたのもすべては、
「ヤキモチ焼いてたの?」
ヨシヤのことが好きだから、彼の近くにいる私が疎ましいってわけか。納得。
こっちはたまったもんじゃないけど。
「バッ、ちが…、なん、なんでアタシがアンタに…っ!
思い上がってんじゃないわよ、ガキのくせに生意気!!」
言い当てられたことが恥ずかしかったのか、お肉屋さんは素直に認めない。
「ふうん…。じゃあ私、帰って言っちゃうからね。」
「…な、何を言うのよ…?」
なら、こっちにだって考えがある。
「ヨシヤに、“お肉屋さんに意地悪された”って。」
私は至極当然のことを言ったつもりだけど、お肉屋さんの顔が更に青ざめたからよっぽど効いたんだろう。
「さっきから私にずうっとひどいこと言ったんだから、このくらいはいいでしょ?
ヨシヤにどう思われるかは知らないけどさ、私ばっかりイヤな思いするのはシャクだもんね。
でも、気が変わってお肉売ってくれるなら、黙っててあげる。どうする?」
ニッと笑ってみせれば、お肉屋さんの口元がピクピクと引き攣る。
そういえばヨシヤも最初はこんな反応してたな。
「か…可愛くないガキねッ!
アンタなんかすぐ薬屋に追い出されるわよ…!!」
「ザンネン、私はむしろそうなってほしいんだ。
はやくはやくっ、お肉ちょうだい。お肉屋さんでしょ。」
「………くッ…!!」
お肉屋さんはギュッと拳を握りしめて、プルプル震えた。
しかしやがて観念したのか、ショーケースのお肉を袋に包み始める。荒々しい手つきだけど、無駄な動きがなくて凄いと思った。
「…さ、サービスしといたから。薬屋には黙っといてよ!アタシがアンタに言ったこととか…っ!」
ズイッと袋を差し出される。
良かった。これで帰れる。
笑顔で受け取るついでに私はもうひとつだけ、こんなことをお肉屋さんに言ってみた。
「ねえ、お肉屋さんの名前はなんていうの?」
「…はあっ?」
いつまでも「お肉屋さん」って呼ぶのが面倒臭くなっちゃって、私は彼女の名前を訊ねてみたんだ。
でも教えてくれるかな。ヨシヤはすんなり教えてくれたけど。
「……………マサミ。」
「!」
口調はとってもぶっきらぼうだった。
でも、教えてもらえないかも…と危惧してたぶん、その素直な答えが嬉しかった。
「マサちゃん!わぁ、可愛い名前!」
「ちょっ…なにイキナリ馴れ馴れしく呼んでんの…!?
アタシはただ…教えないとアンタがまた薬屋に余計なこと言うんじゃないかと思ったから…!」
不機嫌そうにそっぽを向くマサちゃん。
でもその顔はちょっと赤い。照れ臭いみたいだ。
そんな反応を見てたら、さっき頭ごなしに怒鳴られたことなんてどうでもよくなってきた。
本当に私は順応性が高いことが長所なんだと思い知る。
だからか、私はショーケースの端っこに置かれていたメモとペンを手に取って、サラサラと絵を描き始めた。
「マサちゃん、ハイこれ。」
「……?
なによ、この変な絵?」
そこに描いたのは、温泉マークと田んぼと蚊の落書き。
ヒヨコオバケに私の名前を教える時に使った絵だ。
「私の名前。ヒントはひらがな3文字。」
「…は、はあ……?」
マサちゃんは受け取ったメモを見て首を傾げてる。人によってはすぐには分からないみたいだ。
でも、分かるまで傍にいてあげることなんてしない。さっきの意地悪はもう根に持ってないけど、やられたことはきちんとやり返さなきゃね。
「じゃあ私戻るね。
楽しかった。バイバイマサちゃん!」
笑顔で手を振る私を、マサちゃんはずっと仏頂面で見送っていた。
片手にお肉の袋を提げて、私は1番街の…ヨシヤのもとへ走る。
「へへ…。」
ここには人間らしくない恐い人ばっかりだと思ってたけど、案外そうでもないみたい。
マサちゃんは意地悪だけど女の子らしい面もあって、そしてヨシヤは……――、
「あ!」
「あ、お帰りなさい豊花ちゃん!」
私が戻るまでヨシヤはずっと軒下で待っていたみたい。
青白い顔に浮かぶニコニコ笑顔が私を出迎えて、ほんのちょっと、私は安心を覚えた。
―――ヨシヤは何だかんだ言って、私の面倒を見てくれる…。
「豊花」って名前を呼んでくれることが、それがちょっとだけ…嬉しかった。
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